学位論文要旨



No 110891
著者(漢字) 西澤,哲
著者(英字)
著者(カナ) ニシザワ,サトシ
標題(和) ヒトの静止直立時における重心合力床面着力点の集中性に関する研究
標題(洋)
報告番号 110891
報告番号 甲10891
学位授与日 1995.03.13
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2844号
研究科 理学系研究科
専攻 人類学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 遠藤,萬里
 東京大学 教授 平井,百樹
 東京大学 助教授 諏訪,元
 筑波大学 教授 岡田,守彦
 京都大学 教授 木村,賛
内容要旨

 直立二足姿勢はヒトに特有の姿勢で,その姿勢を保持する能力はヒトに固有の能力であり,すなわちヒトの特徴の一つを表していると考えられる.ところがこの姿勢は、不安定な姿勢であり,直立姿勢保持のためには着力点の位置を調節する運動が考えられる.現在までの直立姿勢保持運動に対する研究は,主に臨床の分野で盛んに行われ,各疾病を持つ患者と正常人との間の着力点の動きの相違の解析,すなわち着力点動揺の記載が主に行なわれてきた.

 しかしながら,ヒトの静止二足直立時における姿勢保持運動機構を明らかにするためには,単に着力点の挙動を記載していくのではなく,運動の目的,すなわち直立姿勢保持と着力点動揺を関連させた上で,着力点の挙動を解析していかねばならない.この両者を関連させる概念の一つとして着力点の集中性があげられる.その理由は,ヒトの直立,すなわち準静的な支持の状態において,少なくとも接地包絡面範囲から着力点が外部にでてしまうと,直立は物理的に不可能であるからである.したがって本研究は,着力点の集中性という概念のもとで,着力点の移動範囲,着力点の分布,着力点の移動距離と移動範囲面積の関係の3点から,新しく定義した指標を用いて,着力点はどの様な挙動を示すかを解析を行った.さらに姿勢保持のための調節運動と考えられる高い周波数領域における着力点の動きを示し,明らかになった着力点の集中性の傾向と関連づける試みを行った.

 実験,解析に先立ち,直立姿勢を取る時の足の位置(以下,足位とする)として,両足のかかと付け,足の内側を30°に開く足位(以下,扇形足位とする)を採択した.これは屋外のおいて男女100人に対して,かかとを付けた状態で楽な姿勢を取らせた時の,足の内側のなす角度の計測結果による.この足位に対して,より安定していると考えられる足位として,両足を腸骨前棘下肢長の10%ほど平行に開く平行開脚足位,及びより不安定と考えられる足位として左足のみで立つ単脚直立の3通りの姿勢で計測を行った.

 成人男性31人を被験者とし,1人3トライアルづつ(単脚直立は2回)直立させた.着力点の動揺は3点式のフォースプレートスで記録した.記録は,1kHzで30sec行い,前後方向,左右方向の着力点の相対的位置としてデータロガに記録し,100msec毎のデータを解析に用いた.解析は以下の通りに行なわれた.

 1.着力点移動範囲:静止直立時における着力点の移動範囲面積(着力点移動域)と,直立可能な着力点が存在する最大の範囲面積(安定域)を記録し,着力点移動域を安定域で除した値を準静的安定性と定義した.この値が小さくなれば安定することを示す.この値を足位ごとに比較した.安定域は,被験者に身体を倒れない範囲まで全方向に傾けさせ,XYレコーダに記録された.移動域、安定域面積は得られたデータの抱絡線の頂点に対する5次のリーゼンフェルトスプライン関数を求め,その関数で囲まれた面積とした.

 2.着力点分布特性:着力点分布の集中性を尖度と新たに定義したp%集中範囲得点で正規分布と比較した.p%集中範囲得点は,分布の平均値からの差分の値を小さなものから順に並べた時の,全体のp%となる点のz得点として定義した.解析では,着力点分布と正規分布の集中範囲得点を比較した.

 3.着力点移動距離と移動範囲面積:着力点移動域を移動範囲面積で除した値を累積距離集中度と定義した.この値と移動距離との関係を解析した.

 4.高い周波数領域における着力点の動き:FFTを用い着力点動揺を高い周波数領域(5〜10Hz)と低い周波数領域(3Hz以下)に分離し,高い周波数領域の振幅が大きな時,低い周波数領域の着力点の図心点からの距離,速度,加速度がどの様な状態にあるかを解析した.

 解析の結果は以下の通りとなった.

 1.準静的安定性は扇形足位,平行開脚足位では平均値で1%未満の値を示したが,単脚直立においては男性で17%,という他の足位と比較して高い値を示した.

 2.着力点の分布特性を明らかにするため,まず尖度による分布の分類を行った.その結果,足位に関係なく,正規分布よりも集中性が低いと考えられる鈍峰型の分布が最も多く,次に正規分布よりも集中性が高いと考えられる鋭鋒型の分布が多いことが明らかになった.また単脚直立の分布は鋭鋒型の分布の割合が,他の足位と比較して少なかった.しかしながら,高い尖度を示す分布は,常に正規分布より集中する分布と考えることはできない.したがって,尖度の結果からは,正規分布よりも集中性が低い分布が多いことだけのみが説明される.

 3.分布特性を表す指標として,次に新たに集中範囲得点という指標を定義し,解析を行った.集中範囲得点を正規集中範囲得点と比較した結果,いずれの足位に関しても分布の最外側部での正規分布よりも有意な分布の集中性が見られた.また分布の平均値に近い部分では,扇形足位,平行開脚足位は正規分布よりも有意に集中しない分布の割合が多いが,単脚直立の場合正規分布より集中するものとしないものの割合の差は,他の足位と比較して少ない結果となった.これよりヒトの静止直立時における着力点の分布は,着力点をある範囲以上外側に出さないための"壁"の存在が考えられる.また,着力点分布は,"壁"の内側で,ある程度比較的等確率的な分布であることが考えられる.

 4.累積移動距離集中度は移動距離の増加と共に増加してゆくが,その増加率は累積移動距離の増加率よりも低く,ある程度の累積移動距離長以上の場合,一定になってくる傾向が見られる.

 5.高い周波数領域データの振幅が大きい時刻は,低い周波数領域で速度が高い割合が最も高く,ついで位置が中心から離れている割合が高かった.これよりヒトの静止直立時における着力点に対する調節の要素のひとつに,微分要素が予想される.

 これらの結果よりヒトの静止直立時における着力点の集中性の傾向は,着力点はある一定の範囲の中に比較的等確率的に集中し,その範囲の外側に出ない傾向がみられる.すなわち着力点はその範囲の中では弱い調節運動に支配され,範囲の外側に出てしまうことが予想される時に,強い調節運動によって支配されることが考えられる.この様な着力点の集中は,1点に集中する分布に比べ,調節運動に費やすエネルギーが少ないと考えられる.さらに高い周波数領域の動揺が調節運動であり,低い周波数領域動揺の速度を入力とするならば,調節運動に微分要素が考えられ,上で示した傾向をよく説明することができる.また重心が準静的な状態である直立時の前後には,必ず重心の動的な状態があることを考えると,この様な,ある範囲のなかでの着力点の集中性は,重心の動的状態から静的状態への移行,または静的状態から動的状態への移行が円滑に行うことができるため、有利であると考えられる.

審査要旨

 ヒトの静止直立時の身体重心合力の床面着力点に関する研究は古くから行われてきた。しかし、それらの研究の成果はあいまいなものであって、科学的に評価することには難点が多かった。比較的近年には、この合力の挙動がいわゆる重心動揺として臨床医学における疾病の診断に使う目的で研究されてきたが、そのためにつくられた諸指標も客観的に正確なものとはいえない。本論文はこのような諸問題を整理して健常者における一連の客観的指標を定め、さらに着力点の集中性について解析を行ったものである。本論文は8章より構成されている。以下にそれらについて述べる。

 第1章では序論として歴史的な研究の経緯とそれらに基づく諸問題点が示されている。

 第2章では身体重心合力床面着力点を計測する際の足位についての検討と、それに基づいて扇形足位における回足度の測定結果が述べられている。これには男女各100名の無意識に行う踵付け直立姿勢における回足度の平均値が約30度であることを確認し、扇形足位は回足度30度が妥当であることを示している。

 第3章では直立姿勢保持の準静的安定性について述べられている。ここでは見掛けの安定域、実際の安定域、着力点移動域がスプライン法を用いて定義され、それらより導かれる準静的支持剛性と準静的安定性が定義されている。実測には男女各31名が用いられ、健常者の基準値が示されている。足位としては開脚、扇形、単脚が用いられている。当然のこととして単脚立位では支持剛性も安定性も極度に悪くなっている。

 第4章では身体重心合力床面着力点分布の集中性について解析されている。すなわち、開脚足位、扇形足位、単脚足位を問わず、着力点はそれぞれ一定範囲内では比較的等確率的に分布し、その外側に存在する確率は低いということが示されている。

 第5章では30秒間の着力点移動の累積距離長と移動範囲面積の関係について解析されている。両者はある範囲内で正の相関をもつことが示された。しかし、累積距離長の集中度の分散は累積距離長が長いときは小さく、短いときは大きいことが示されている。

 第6章においては、着力点動揺を比較的低い3Hzまでの周波数成分と比較的高い5hzから10Hzまでの周波数成分に分離し両者の関係について解析されている。比較的高い周波数の振動は定常性を示さず、局所的に観測される。しかもそれは、低い周波数領域での着力点移動速度が速いときに出現することが示されている。このことは速度を入力信号とする制御の存在を示唆するものと考えられている。

 第7章では以上の結果をまとめる考察を行っている。とくに、着力点がある範囲内で比較的等確率的に分布する場合に行われている制御は、あまりエネルギーを必要としない制御が推定され、立位における身体の静的状態から動的状態への移行が容易に行いうるものであることが推測されている。また、速度という微分要素が制御系のなかにあるということは着力点をある範囲内から出さないようにすることに有効なことであり、両者が有意義に関連していると推定されている。

 第8章では結語として以上のことがまとめられている。

 以上要約したように、本論文ではヒトの静止立位時の身体重心合力床面着力点の挙動に関して、従来あいまいであった諸指標を正確に定義してそれらの特性値を得たこと、着力点動揺はある特定の範囲内で比較的等確率的に分布するような制御が推定されること、周波数5Hzから10Hzの振動が3Hz以下の領域での速度が速い時に局所的に出現して予測制御が存在することを推定していることなどの新しい知見を得ている。本研究によって得られた知見はヒトの静止直立姿勢の安定性の研究に進歩をもたらしたと考えられると審査員一同は認めた。よって本論文は博士(理学)論文として合格と判定された。

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