本論文は、予算制度の法的基本構造に関し、ドイツの制度と理論を参照しつつわが国の従来の議論を再検討し、新たな理論体系の可能性を探究するものであり、「はじめに」と題する短い部分と、論文の本体たる序論、第1部、第2部、第3部および終章とで構成されている。以下、「はじめに」の部分は省略し、それ以外の本体部分について要旨を述べる。 「序論 予算論の過剰と予算観の欠如」は、予算と呼ばれる国家財政上の作用(これを実質的に捉えた場合に本論文では「予算措置」の語を用い、形式的な意味における「予算」と区別している)に関し、予算の法的性格の問題を中心として展開されてきたわが国の理論状況を批判的に検討する。予算の法的性格に関しては、第1に、旧憲法以来のいわゆる「承認説」、すなわち、予算は行政の一部であり、予算の議決は国会が政府の年度財政計画を承認する旨の意思表示であるとする説、第2に、予算は政府を拘束する一種の法規範であるとの、現在の通説とされる「法規範説」、第3に、予算は法律であり、法律として議決されるべきであるとする「法律説」が、それぞれ存在する。しかし、これら従来の議論においては、予算措置という国家作用がそれ自体としていかなる特徴を有し、憲法上いかなる意義づけを与えられるべきであるのかという、「予算観」の側面が欠けており、そのことが、国会の予算修正権、予算の拘束力、予算と法律の関係等についての、従来の議論の不十分さにつながっているとされる。 「第1部 予算措置の法的意義」は、序論における上述の指摘に対応して、予算措置という国家作用がいかなる特質を有するものであるかを法学的観点から明らかにしようとするものである。 そこではまず、ドイツおよびわが国の予算理論に大きな影響を与えたラーバントの学説が取り上げられる。ラーバントが、「予算は法律によって確定される」旨の1850年プロイセン憲法の規定に関し、予算は形式的意味での法律であり、実質においては行政に属するとの定式を示したことはよく知られているが、著者は、ラーバントの予算理論について分析した後に、そこでは右の定式よりもむしろ以下のような示唆こそが、予算理論固有の問題点として検討に値する重要性を有しているという。その第1は、ラーバントに見られる「消極的予算観」、すなわち、予算措置は特定の国家任務を前提としてその実施のための経済的基礎を提供する道具であるとする捉え方であり、第2は、特定の国家任務に対応する「個々の予算項目」と、一会計年度においてどの国家任務に重点を置いて財源を配分するかが問題となる「全体としての予算」とを区別していることであり、第3は、立法の領域と予算の領域とでは議会の関与の形態および意義が別異に考えられる旨を論じた点である。 以上の検討に続き、本論文では、ラーバントの定式から出発して予算が形式的意味での法律であるかどうかを論ずるその後の一般的傾向とは異なる方向での学説の動きがフォローされ、とりわけ、権力分立原則についての伝統的観念を批判し、「開かれた原理」としてこれを捉えなおそうとするヘッセ、ホイン等の所説が検討される。それによれば、権力分立原則は、古典的な権利自由保護機能のほか、決定過程の透明化、責任の明確化、民主的正当化への寄与、国家統治の合理化等の機能を有し、それら各機能の実現に向けて柔軟に解釈されなければならない。そして、ある任務を遂行すべき機関について憲法上明確な規定が存しない場合には、「機能相応性」ないし「機関適性」の原理に従い、当該任務を担当するのにいずれの機関がふさわしいかが問題とされるのである。 以上の考察の後、著者は、国家財政の作用については、伝統的な立法作用とも異なるし単なる執行作用でもないという独特の性質を直視してその特徴を明らかにし、そのうえであらためて憲法上の位置づけを考えるべきであるとする。 そこで、考察は予算措置そのものの特質へと進む。著者は、ノイマルクによって代表されるドイツ財政学上の予算機能論と、その法学的再構成の試みについて概観したうえで、予算措置の特質を、大要以下のように提示する。まず、予算の基本的な任務は、第1に、恒久税の制度に起因する収入と支出の分離を前提としつつ、収入に支出を合わせる(予算均衡を達成する)ことにあり、第2には、有限な収入を、それぞれ法律等の規範によって定められた国家任務の執行の財源として配分することにある。そして、ここにいう財源配分は、関係諸規範の定めに従うべきではあるが、必ずしも技術的・中立的に行われるわけではない。予算措置には、各政策間の調整とその優先順位の決定が含まれており、成立した予算は、ある種の拘束力をもって国家活動を方向づけるのであって、それは、ホインのいう「国家運営」の一環としての、当該年度における統治のプログラムにほかならない。そして著者は、このような独自の国家作用たる予算措置は、一方で議会と、他方では官僚制を基礎とする行政府との、両者の協働にかかるものとして位置づけるのが妥当であろうとの見通しを提示する。 ここで、国家活動に対する法の規律と予算措置との関係が種々問題となりうる。まず、予算の定めと法律の定めとの関係につき、前者が後者に劣後するとの「予算従属性」の原則を肯定すべきかどうかは、ドイツの学説において見解が対立しているところである。著者は、これを、国家任務の実現のための道具であるという予算措置の実質にてらして基本的に肯定し、その立場から、いくつかの論点に関してみずからの見解を提示している。他方、たとえば法律の定めのない資金交付その他の行政活動につき、予算をもってその根拠となしうるかどうかが論じられているが、著者は、予算と法律とではそれぞれの関心対象および議会の関与の形態が異なるとの理由で、一般論としては予算だけでは不十分であるとの見解を主張する。 「第2部 予算制度の発展過程」は、予算措置を議会と行政府の協働にかかるものとする前述の捉え方を念頭に置きながら、主としては18世紀以降のドイツ諸国の予算制度の発展およびわが国の明治憲法への継受の過程を検討するものである。 今日の意味における予算制度の萌芽は、18世紀に「統治のための行政技術」として登場した。しかし、それが憲法に定められ、議会の関与が認められるようになるのは、19世紀の初期立憲主義時代においてであった。本論文で「予算審査制」と呼ばれているもの、すなわち、政府の課税要求を根拠づける資料として予算が議会に提出され、審査されるという、1819年ヴュルテンベルク憲法等に見られる制度がそれである。そこでは、審査終了後は政府は自由な支出の権限を有するというのが制度上の建前であった。しかし実際には、予算は政府と議会との間の合意としての意味をもち、財政運営の基準として機能することになる。その後、1831年ザクセン憲法等に見られるような、支出項目に関する議会の異議権や削減申出権を規定する「予算承認制」も登場するが、これも、上述の予算審査制の延長上に位置づけられるものである。そして、著者によれば、予算審査制であれ予算承認制であれ、そこでは政府と議会の協調が憲法上予定されており、それは「協調予算」と呼ぶにふさわしいものであった。予算がこのように政府と議会との協調の産物であることは、予算が政府の財政支出活動に対してある種の拘束力を有することの根拠でもあった。 1850年プロイセン憲法が、国家収入と国家支出の領域の分離をもたらす恒久税制度を部分的にではあるが導入するとともに、法律形式による予算確定の制度を採用したことは、一見新規性に富んでいるように見える。しかし、この憲法においても、政府から見れば予算法律の制定にあたって議会の了承を得ることが不可欠である一方、議会からしても政府原案に対して譲るべきは譲り、両者が合意に達することが憲法上要請されていたとみられ、また、形式は法律であるにしても、その拘束力の根拠は政府と議会のこのような合意-ラーバントによれば予算法律の「ある種の契約的性質」-に求められる。プロイセン予算制度も、その基本構造においては「協調予算」であったと考えられる。 わが国の明治憲法に規定された予算制度は、プロイセン予算制度を継承したものであり、後者と同様の意味において「協調予算」であったということができる。ただ、恒久税制度を国家収入全体に及ぼして歳入と歳出を制度上完全に分離した点や、プロイセン型の「法律」ではなく「予算」という特別の議決形式を採用し、それによって論理的・制度的な混乱を回避しようとした点など、種々の考慮が払われており、立憲君主制下の予算制度としての完成度の高いものであった。そして、この明治予算制度のもとで、美濃部達吉に代表される通説的予算理論が形成される。そこでは、予算措置は立法とは性質を異にする国家作用であり、予算は法律の下位にあること、予算を作成するのは政府であり、議会による減額修正は政府の同意を要し、また増額修正はそもそも許されないこと、予算は政府を拘束し、その根拠は議会の意思にあるが、拘束力は絶対的ではないことなどが説かれている。このうちには、明治憲法の解釈としても問題のある部分がないわけではない。 いずれにせよ、明治憲法のもとでの予算制度および予算理論は、新憲法の制定により大きな転換を求められることになる。憲法第7章の制定過程についての検討の後、今日では国会の議決が中心に置かれることからして伝統的な「協調予算」の構成を維持することはできないが、しかし、予算執行機関である行政府が予算の作成に関与することは前述の機関適性の観点から合理性があるとの指摘がなされ、第3部に移行する。 「第3部 予算循環」では、第1部および第2部の議論を踏まえ、かつ、予算制度が作成・執行・決算という循環を不断に繰り返すものであることを重視しつつ、現行憲法下の予算制度をいかに把握すべきかが検討される。 最初に、内閣による予算の作成・提出に至る過程が具体的に分析される。著者の認識としては、この段階で重要なのは事務レベルでの予算作成の局面であり、そこでの膨大な仕事を一定のルールに従って限られた時間で処理することのできる官僚制度をその管轄下に置くがゆえに、予算の第一次的作成権限を内閣に帰属させる憲法の規定の正当性が認められるのである。 続いて、国会による審議・議決の局面に関する考察が展開される。著者はまず、国会が財政の中心的機関とされたことの意義について、憲法は少なくとも「常態」としては予算措置を政府と議会の協調にかからしめていると解すべきであること、もっとも、立憲君主制下の「協調予算」にあっては、協調が成らなければそこで-アンシュッツの表現を借りると-「憲法は終わって」しまい、法的には解決不能の問題が残るのに対し、現行憲法上はその場合には国会の責任において予算を作成すべきものと解されること、しかし、考察の基本はそのような例外状況よりはむしろ予算措置の「常態」に置かれるべきであることを述べたうえで、国会審議の過程を具体的に検討し、それは国会と政府の「協働による予算策定」として理解しうるものであると主張する。予算の修正-著者は「内容変更」の語を用いる-については、憲法上国会は増額修正を含めて修正をなしうること、その場合に政府との協調の要請からすれば組替え動議等の方式が望ましいことが主張され、予算が成立しない場合については、最終的な責任を負うのは国会であり、内閣に責任支出を認めることはできないとされる。 次に予算執行の局面に関しては、まず、行政府に対する予算の拘束力が、予算策定にともに携わった国会との関係において承認されるが、それは執行機関に広い活動余地を許容するゆるやかな規範であり、予算執行は「創造的執行」ともいうべき特徴を呈するとされる。著者はこれを「予算の柔構造」と呼ぶ。予算の柔構造は、憲法上は予備費の制度に現われる。また、財政法・会計法上は、予算の配賦から始まって支出にまで至る予算執行の過程で、大蔵省の統制のもとに「予算の効力のゆるやかさ」が発揮される。制度的にいえば、予算項目間の移用・流用・移替がありうること、予算が当該金額の支出義務を執行機関に負わせるものでないこと、予算それ自体の変動可能性を意味する繰越や補正予算の制度が存在すること等によって、予算の拘束力はかなり脆弱なものとなっている。 最後に、予算統制、すなわち決算の制度は、これもまた「予算の柔構造」に対応する。それは、行政府による予算の創造的執行を国会が事後的に審査し、追認するものであり、追認の拒絶は、予算循環のなかでの次年度以降の予算の作成・執行に対する警告として捉えられることになる。 「終章 現代予算の基本構造-新・協調予算-」は、本論文の全体の流れを振り返りつつ、それを総括する。立憲君主制下とは異なり現行の予算制度においては国会の優位性が大前提となっているが、しかし予算措置の構造はその内在的論理のなかで決定されるのであり、現行憲法においても、それは、少なくとも常態としてはなお協調構造に立脚する「新・協調予算」にほかならないとするのである。なお、最後に著者は、本論文が前提としているのは「古典的予算」、すなわち経費を賄うための道具としての予算であるが、そのような前提の置き方には、今日、特別会計および政府関係機関予算の肥大化、財政投融資活動の拡大等々の事態にてらして問題がありうることをも指摘している。 以上が本論文の要旨である。 本論文の長所としては、以下の点を挙げることができる。 第1に、本論文は、予算に関する議会および行政府のそれぞれの役割を、財政学の知見をも摂取し、予算措置の固有内在的な特質に即して明らかにしようとするものであり、結果としても、「協調予算」および「新・協調予算」の語で表わされる著者自身の主張を軸に、一定の整合性をもった説明を提示することに成功している。従来取り組まれることの少なかった予算の法学的研究に大きな刺激を与え、今後この分野の研究において必ず参照される文献となろう。 第2に、本論文は、ドイツ諸国の初期立憲主義憲法からプロイセン憲法を経て明治憲法に至る立憲君主制下の予算制度の発展過程を、予算と課税法律との関係、予算に対する議会の関与の態様および射程などの点を含めて詳細に検討し、明解に整理している。このことは、わが国の学界に大きな寄与をなすものである。 第3に、本論文が、予算の作成・議決のみならず執行および決算を含めた予算循環の全過程を把握したうえで、予算がもつ規範としての特殊な性質、すなわち著者が「柔構造」と呼ぶものを摘示してみせたことは、とりわけ財政法学上、重要な問題提起であると考えられる。 他方、本論文には次のような問題点も指摘されうる。 第1に、本論文は、予算措置の特質に関し、個々の国家任務の実現の手段であると同時に統治のプログラムでもあると主張しているが、そこには、一般に国家の任務ないし活動の内容はいかにして決定されるのか、ある国家活動について定める法律に対して予算はいかなる関係に立つか、同じく行政計画等と予算との関係はどうか等々の論点が含まれている。本論文では、このうち、法律と予算の関係については考察がなされている。しかし、それだけでは考察の広がりにおいて必ずしも十分とはいえないように思われる。 第2に、著者は、現行予算制度の構造を論ずる際に、一方では憲法上の国会の優位性と、他方では予算措置の固有内在的な性質とをそれぞれ重視しつつ、議論を展開している。しかし、現行憲法のもとでは、それだけではなくさらに内閣不信任制度を含めた議院内閣制の基本構造との関係を考慮しなければならないはずであるが、その点の詰めが甘いところがある。 第3に、本論文における検討の対象は、主に、わが国の明治憲法および現行憲法の予算制度と、明治予算制度のもとになったドイツの予算制度に限られている。たとえば、ドイツ法の発展と密接に関連し、かつ対照的であるフランス法や、議院内閣制のもとでのイギリス法にもっと目を向けていれば、考察に一層の厚みが生じたのではないかと惜しまれるところである。 しかしながら、以上のような問題点も本論文の価値を決定的に損なうものではない。本論文は、全体として、予算についてのわが国における法的考察の水準の向上に大きく貢献するものと評価することができる。 |