本論文は、東アジアの代表的港湾都市でありまた水際景観の美しい三都市、香港、上海、横浜を対象とした、大きくは都市デザイン論に属する研究である。研究の目的はこれらの都市にあるランドマーク的な建物がどのような背景のもとで建てられ、どのうような理由からランドマークとしてみとめられるに至ったかを解明しようとするものである。 「ランドマーク建築」という概念は通常大きくわけて二つの意味で使われる。一つは、歴史的文化的価値が高く、その建物が建つ都市ならびにその都市社会の歴史の記憶を留めるという役割をもった建物である。もう一つは、「目印」として際立った視覚的特性を備え、都市空間に視覚的秩序を付与する役割をもった建物である。「ランドマーク建築」のこの二つの意味に対応して、著者は、本研究では二種類のアプローチをとっている。その一つは、都市史的なアプローチであり、もう一つは空間の認知論的なアプローチである。前者では、三都市の水際域の都市的発展の歴史とそこに立つランドマーク建築の成立の過程を文献調査によって追跡している。後者では、ランドマーク建築の特定、そしてその建物の意味、ならびに都市空間の場所認識における役割などを、アンケート等による現地調査をもとに考察している。論文はこのアプローチに従って、前半(第1章〜第3章)と後半(第4章〜第6章)に分かれている。 第一章では、研究の背景および目的が語られている。中国は19世紀になると英国を始めとする西欧列強の植民地化の圧力を受け、様々な交渉、武力衝突の結果東海岸のいくつかの開港のみならず、香港の割譲、上海の租界の等屈辱的な外交を強いられる。しかし、これらの変化は、中国都市に対する新しい波でもあったと著者は位置付ける。それまで中国文明のなかで完結していた都市形態に全く原理を異にする西欧の様式が侵入してきたのだが、これらの都市から中国の都市の近代化が波及していったのである。同様に日本の開国時の横浜居留地も同じ様な地位にあり、他の文物とともに洋式の建築が流入する文明の「港」となった。それゆえ、著者が位置付るように、この研究は単に植民都市の分析にとどまらず、その後の両国の都市形態を論ずる際に避けて通ることのできない重要な意義を持つことになる。 第二章と第三章では、近代における各都市の水際域の発展史とそこに建つランドマーク建築の歴史的記述である。特に香港と上海についての文献調査には多大な労力が注がれ、ランドマークに関する図面資料のなかには日本では初出のものも多数含まれていることは特筆に値する。 第四章では、ランドマークが建設された要因を、特にその社会的表象の問題として分析している。 第5章では、香港、上海での街頭での無作為聞き取りにより、どのような建物が市民によってランドマークとして認識されているかを調査し、それを集団記憶の媒体としての役割という側面と場所の定位という側面の両面から考察を加えている。これに加えて、著者は上海の小学生を対象にスケッチ・アンケートと称する独創的な方法でこれらのランドマークが形態としてどのように把握されているかを分析している。 最後の第6章では各三都市の水際域の景観とランドマークがとのように関っているかを素描している。 以上のように、本論文で著者は今日の都市デザインが扱わなければならない幅広いテーに精力的に取り組んで、その結果幾多の有用な知見が引き出されている。また既に触れたように、香港、上海の歴史的ランドマークに関する貴重な図面資料の発掘は、これらの建物が世界的な文化資産としても十分価値があることを考えると大きな意義があると言える。 以上に加えて、本研究は中国での建築および都市空間の研究にとってはまた別の意義を持つことになろう。すなわち、本研究が対象とする香港、上海の西欧様式建築ならびにそれによって生まれた都市景観は、これまで侵略者の建築として、あるいは植民都市の景観として正当な評価が与えられてず、むしろ意図的な無視をうけてきたものだからである。 本研究は方法論の厳密さ等に欠点もあるが、それは致命的なものではなく、かつ上述の成果はこれらの欠点を補って余りある内容を持っている。よって、本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。 |