学位論文要旨



No 110899
著者(漢字) 大橋,真
著者(英字)
著者(カナ) オオハシ,マコト
標題(和) 半導体薄膜の2次非線形光学特性とその応用
標題(洋)
報告番号 110899
報告番号 甲10899
学位授与日 1995.03.16
学位種別 課程博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 博工第3295号
研究科 工学系研究科
専攻 物理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,良一
 東京大学 教授 宮野,健次郎
 東京大学 教授 白木,靖寛
 東京大学 教授 黒田,和男
 東京大学 助教授 尾鍋,研太郎
内容要旨 1.はじめに

 二次非線形性を利用した光の波長変換素子材料として、半導体はいくつかの優れた点を有している。まず第一に、非常に大きな非線形性を持つこと。第二に、他の材料と比較して加工・成長技術が成熟しており、微細な構造を制御性よく作製できること。さらに、コンパクトなコヒーレント光源の実現という意味では、半導体レーザとの集積化が比較的容易であることも見逃せない重要な要素である。しかしながら、実際は、吸収端波長の問題からIII-V族化合物半導体に関しては波長変換素子材料としては注目されず、最も重要な非線形光学定数dの値すら十分に研究されていないのが実情であった。ところが近年、AlGaAs系の材料を用いた面発光型波長変換素子が開発され、III-V族化合物半導体もにわかに注目を集めるようになった。そこで、本研究ではこのような半導体から得られる光第二高調波出力の高効率化を目的にし、以下の研究を行った。

2.多層膜構造における第二高調波発生の新しい解析法

 従来、境界が存在する系における第二高調波発生(SHG)の解析では、波動方程式の一般解(斉次解と非斉次解との和)の未定係数を境界条件によって決定するという方法が多く用いられてきた。しかし、境界条件を解くプロセスは物理的イメージに欠け、一般に非常に煩雑である。したがって、薄膜試料のdの正確な評価、および素子の詳細な設計には大きな困難が伴っていた。

 上述問題を解決するため、ダイポール・シートからの双極子放射理論(Green関数法)、および、Transfer Matrix法を用いた多層膜構造の強力かつ簡便な解析法を開発した。新しく開発した方法は、各層で発生する高調波はGreen関数で、その伝搬、および、界面における境界条件はTransfer Matrixによって表現し最終的な解は系と外部との境界条件によって決定するというものである。この方法は高調波の発生とその伝搬とを別々に取り扱うので見通しよく解析を進めることができる。なお、本手法は、より高次の高調波に対しても直接適用できる。

3.半導体の非線形光学定数の評価3-1.評価法

 GaAsなどの多くのIII-V族半導体は可視光領域で不透明であるため、従来から用いられてきた、透過測定であるMaker Fringe法を用いることはできない。そこで従来の反射SH法を基礎にして、基板上に成長した薄膜構造試料のdを評価する手法を新たに開発した。測定原理は次の通りである。上記試料から得られる反射SH強度Ifは薄膜と基板両方の寄与を含んでいる。したがって、df、dsubをそれぞれ対象とする薄膜および基板の非線形光学定数とすると反射SH強度Ifはdf、dsubの関数となる。また、参照物質となる基板そのものからの反射SH強度Isubはdsubの関数となる。したがって、両者の相対強度比If/Isubは唯一df/dsubの関数となり、他のパラメータの値がすべて既知であれば、dfのdsubに対する相対値(相対強度と相対位相)を決定することができる。このときの解析には多層膜で厳密解を与える前述手法を用いた。実際の実験では、支配的なパラメータである膜厚の効果を精度よく見積るため、さらには、相対強度、相対位相を同時に評価するため、Wedge法を用いて相対SH強度の膜厚依存性を測定した。なお、本手法はより高次の非線形感受率や半導体以外の材料にも適用できる。

3-2.AlGaAs混晶の評価

 AlGaAs混晶は非常に大きなdを有しているが、Al含有時のdに関する信頼性の高い報告はなかった。そこで報告例が全くないAlAsを含む、dのAl組成比x依存性を測定した(x=0.2のみ報告例有り)。

 試料はGaAs(001)基板上に分子線エピタキシー(MBE)法で成長した。また、AlGaAs薄膜はMBE装置に起因する膜厚の不均一性を利用してWedge状に成長した。図1に得られた反射SH強度の膜厚依存性を示す。薄膜がSH波を吸収する度合によって振舞いが異なる。吸収が少ない場合には、基本波、SH波が薄膜内で行う多重反射、およびSH波と非線形分極波との位相不整合に起因する複雑な振動が現れる。長周期の振動はMaker Fringeに対応したものである。一方、吸収が強い場合には基本波の多重反射による振動のみが見られる。

図1 反射SH強度の膜厚依存性(a)吸収小(b)吸収大

 最終的に得られたdの組成比x依存性を図2に示す。xの増加にともないdは単調に減少している。したがって、xの値を周期的に変えることによりdの値を変調することが実際に可能であることが確認され、横方向の擬似位相整合を利用した面発光型SHG素子の設計に不可欠な情報が初めて得られた。また、dの組成比x依存性の傾向が、ミラー則とほぼ一致することがIII-V族半導体では初めて確認された。このことは他の半導体混晶においても、dの組成比依存性を予測するのにミラー則が極めて有効であること示唆するものである。

図2 dの組成比x依存性
3-3.AlPの評価

 従来報告がなかったAlPについても評価を行った。AlPはGaAsよりもはるかにエネルギー・ギャップが大きく(吸収端が短い)、また、比較的大きなdを有することがミラー則から期待されている。しかしながら、潮解性を有するために大気中では非常に不安定であり、そのことが測定の障害になっていた。そこでAlP薄膜試料をGaP膜で保護し、このGaP層まで考慮した多層膜構造の解析を行った。

 試料のAlP薄膜はガスソースMBE法によって成長した。薄膜は基板回転を停止することによりWedge状に作製した。その後基板を回転させ、等厚のGaP保護膜で終端した。試料を変位させることによって測定した反射SH強度の膜厚依存性を図3に示す(基本波光源はYAGレーザ)。AlPはSH波長に対してほとんど透明なので干渉による明瞭なフリンジが現れる。多層膜解析法により実験データをフィッティングした結果、AlPのdは基板物質であるGaPの0.33倍であった。さらに、線形な反射の場合とは異なり、保護膜が僅かに厚くなっただけで干渉の効果が著しく変化することがわかった。このことは薄膜試料に適当な非線形薄膜を付加することでSH強度を大きく制御できることを示している。

図3 反射SH強度の膜厚依存性
4.面発光型SHGデバイス4-1.解析

 導波路型波長変換素子として面発光型SHGデバイス(図4)の解析を行った。この波長変換方式は、チェレンコフ方式同様導波路方向(縦方向)の位相整合は自動的に満たされる。したがって、変換効率を上げるためには残る横方向の位相整合条件を満たすことが重要となる。しかし、その解析は複雑で構造に関する厳密な議論はまだ端緒についたばかりである。そこで、新たに開発した前述多層膜解析法、及び、実際に測定したAlGaAsのdの組成比x依存性を用いて、このデバイスの特性の解明を行った。

図4 面発光型SHGデバイス

 非線形光学定数の相対位相が高調波出力に与える影響について解析した結果を図5に示す。構造はGaAs/AlAs多層膜とし、GaAs層が1層から7層まで計算した結果、位相を考慮していない場合に比べて出力が1割近く増加することが分かった。これは内部反射、吸収のない系におけるもっとも効率のよい擬似位相整合がドメイン反転(相対位相差180゜)であることから理解できる。また、同じ基本波パワーで比較した場合、最大出力を与えるのはどちらもGaAs層が3層の場合であった。

図5 SH出力のGaAs層数依存性(入射基本波パワー200mW、=1.0m)
4-2.作製・評価

 GaAs/AlGaAs積層構造を有する面発光型SHGデバイスを実際に作製した。GaAs層は4層とした。これは素子外部から基本波を入射する際の結合効率まで考慮すると、出力の点で3層よりも有利になるからである。

 第二高調波出力の基本波波長依存性を図6に示す。基本波光源にはTi:サファイアレーザを用いた。擬似位相整合の特色である共振特性は見られず、高調波出力は基本波波長とともに増大する傾向を示した。これは基本波の長波長化にともなう(高調波に対する)吸収係数の減少の効果(主にGaAsのもの)が共振特性を上回ったためである。吸収係数の波長依存性まで考慮して解析を行ったところ、実験結果の傾向をよく説明できた。計算結果に現れる長周期のフリンジは導波路全体にわたる高調波の多重反射効果によるものであり、極大値出力の増大に寄与している。

図6 SH出力の基本波出力依存性
5.コリニアな擬似位相整合SHGデバイス

 半導体による高効率なSHGデバイスを目指して、コリニアな擬似位相整合デバイスの提案、解析を行った。その構造はGaP/AlPを第二高調波の半波長の厚さで積層したもので、出射端面は高反射率の誘電体多層膜ミラーとした。基板の面方位は(111)を採用している。ここではSH波長(=0.53m)に対して吸収の小さいGaP/AlPを材料として選んでいるが他の材料でも無論かまわない。

 図7は最大出力を与える反射鏡位相の値で計算を行った、素子内の基本波強度とSHパワーである。SHパワーは素子長に対しほぼ二乗の関係を持ち、出射端では34Wに達している。擬似位相整合では(吸収や多重反射の影響を無視すると)SH出力は素子長の二乗に比例する。したがって、素子長を10倍にするだけで(高々170mmの素子長で)mWオーダーの出力を得ることができると期待される。また、共振器構造を導入し基本波のパワー密度を上げれば、さらなるSH出力の増大も可能である。

図7 SH出力(a)、基本波強度(b)の導波路方向の振る舞い(入射基本波パワー200mW)
6.まとめ

 本研究では以下の成果を得た。

 多層膜構造における第二高調波発生の新しい解析法の開発

 薄膜試料の非線形光学定数d評価法の開発、および、AlGaAs混晶、AlPのd評価

 面発光型SHGデバイスのデバイス特性の解明、設計、作製

 高効率なコリニア擬似位相整合SHGデバイスの提案、解析

 以上

審査要旨

 本論文は「半導体薄膜の2次非線形光学特性とその応用」と題し、半導体薄膜構造の、解析法、2次非線形光学定数の評価法、および、波長変換素子への応用をまとめたものである。

 近年、光源の短波長化を目指した波長変換素子の研究が盛んであるが、これは情報の大容量化にともない、光記録における記録密度増大への要求に応えるためである。化合物半導体は非常に大きな2次非線形性をもち、その加工技術も高いことから、波長変換素子の材料として非常に有望な材料であるといえる。しかし、多くの場合、可視光領域で強い光吸収を示す基板に成長させたエピタクシャル膜しか得られないため、2次非線形光学定数の値をはじめ詳細な検討は殆どなされていなかった。

 本論文の目的は、上記を背景として、半導体材料を用いたコンパクトで高効率な波長変換素子の実現を目指すことであり、そのために、半導体薄膜構造の2次非線形光学特性を明らかにし、有効な素子構造を検討することである。

 論文は11章より成っている。

 第1章は「序論」であり、本研究の背景と目的、及び本論文の構成について述べている。

 第2章は「光第二高調波発生の基礎理論」と題し、本論文で用いる光第二高調波発生の基礎理論をまとめている。

 第3章は「III-V族化合物半導体の2次非線形性」と題し、化合物半導体の2次非線形性の起源について述べるとともに、その特性を本研究以前に得られている実験データ、理論解析をもとにまとめている。

 第4章は「未定係数法による光第二高調波の解析」と題し、Bloembergen以来光第二高調波の解析法として広く用いられてきた未定係数法を説明するとともに、この解析法の薄膜構造への適用について触れ、基板上に成長した薄膜からの反射SHGの表式を初めて導出している。

 第5章は「双極子放射理論による光第二高調波の解析」と題し、Sipeによって開発されたGreen関数法について述べるとともに、より一般的な形でGreen関数の導出を行った。さらに本解析法が導波路構造、非線形グレーティング構造を含む薄膜構造の解析において有力な手法であることを示している。

 第6章は「多層膜の解析法」と題し、本研究で新たに開発した非線形多層膜構造を解析する強力かつ簡便な解析法について述べている。本解析法は高調波の発生そのものは前出Green関数法で記述し、その伝搬はTransfer Matrix法で取り扱うものであり、複雑な多層膜構造の解析に威力を発揮する。従来法は波動方程式の特解であるbound waveとfree waveとによって場を記述するものであり、直感的イメージに欠けかつ計算そのものも非常に煩雑であった。

 第7章は「III-V族半導体の非線形光学定数の評価」と題し、新たに開発した非線形光学定数測定法について述べるとともに、本測定法をIII-V族化合物半導体(AlGaAs系混晶およびAlP)に適用した結果を報告している。本測定法は反射第二高調波法に基づき、薄膜における各種干渉効果を考慮した評価法であり、従来近似的にしか評価されていなかった基板上非線形薄膜の非線形光学定数の正確な評価を可能にするものである。AlGaAs系に関する評価を行い、素子の設計に不可欠な情報である非線形光学定数のAl組成比依存性を得るとともに、これがほぼMiller則に従うことをIII-V族半導体で初めて示した。また、AlPに関する評価では第6章で述べた多層膜解析法を用いその有効性の確認も行っている。

 第8章は「面発光型SHG素子」と題し、近年Vakhshooriらによって精力的に研究がなされた面発光型第二高調波発生素子の検証を行った。この素子は解析が複雑であり、報告されている解析結果には疑問の余地があった。また、その特性は統一的に理解されているわけではなく、未知の部分も多い。本研究では前記非線形光学定数の測定値、および多層膜解析法を用いて素子の解析、評価を行い、疑問のあった高調波出力値(報告値)が解析に用いた非線形光学定数の値に起因することを指摘し、さらに、高調波出力の構造依存性を明らかにしている。

 第9章は「定在波を利用したコリニアな擬似位相整合素子の提案」と題し、基本波と第二高調波とが同一方向に伝搬するコリニアな擬似位相整合法として、高い効率が期待できる定在波を利用した擬似位相整合法を提案した。材料として第7章で非線形性を評価したAlP/GaPを用い解析を行った結果、高調波出力が断面反射位相に大きく依存することを明らかにするとともに、高効率の高調波出力が得られることを示している。

 第10章は「Si/Ge超格子からの光第二高調波発生」と題し、新しい2次非線形材料の探索として、Si/Ge超格子の2次非線形性を調べた結果について述べている。分子線エピタクシー法で作製したSi/Ge超格子から表面SHGよりも大きな反射SHGを初めて観測するとともに、高温アニールにより反射SH強度が減衰することから、観測された反射SHGには超格子からの寄与が大きいことを確認している。

 第11章は本論文で得られた結果を簡潔にまとめて「結論」としている。

 以上を要約すると、本研究は、波長変換素子材料として有望な化合物半導体に対し、2次の非線形光学特性を評価する新しい手法を開発して、AlGaAs、AlPの2次非線形光学定数を評価し、素子設計に不可欠なデータを測定するとともに、波長変換素子の詳細な検討を行っている。特に素子の検討では前記2次非線形光学定数のデータと併せて、新しく開発した多層膜構造における強力かつ簡便な解析法を駆使し、面発光型SHG素子では高調波出力の構造依存性を明らかにするとともに、さらに高い変換効率が期待できる定在波を利用したコリニアな擬似位相整合素子の提案を行っている。本研究で得られた2次非線形光学定数の評価方法、多層膜構造の解析方法、新しい擬似位相整合法は、波長変換素子の高性能化に向けた材料の評価、構造の最適化に資すること大であり、物理工学への貢献が大きい。よって、本論文は、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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