『伝奇』(小説集)と『流言』(散文集)は張愛玲(一九二○〜)文学の頂点である。この二冊は時の経過と共に魅力を増し、その深い歴史的な意義を後世の視界の中にあざやかに浮び上がらせているが、いまだ批評、研究の対象として正当な地位を得ていない。 張愛玲文学の誕生、圧殺、伝承、再生をふりかえって見るとき、驚くべき事実が発見できる。それは張愛玲文学が登場する時、中国の歴史は必ず一個の結節点を迎えているということである。即ち、国家、あるいは地域のアイデンティティに重大な危機が生じる時期なのである。この受容の場における問題を意識しつつ張愛玲の作品を読み直せば、再び驚く。張愛玲の作品自体が正にアイデンティティの危機における人々の物語なのである。張愛玲の文学生涯そのものが、激動の中国近代史の中で我を失いつつ我を発見する過程なのである。 本稿はパーソナリティ、歴史、社会、文化の交差する地点で、『伝奇』と『流言』の世界を考察し、その血脈にスポットをあて、その位置づけを試みるものである。 本論は三部構成とする。作品関係年表は付録に収められる。第一部は張愛玲文学が誕生する風土--時代背景と作家となるまでの経緯を考察する。第一章は、淪陷区上海の政治・経済・文化・精神状況を考察する。第二章は、張愛玲の家系史及び個人史を追跡することによって、彼女のライフ・サイクルのアイデンティティ危機期に至るまでの人生の各階段の主な葛藤をつかみ、その思想を理解する手掛かりとする。 第二部は『伝奇』と『流言』の世界を考察する。第三章ではまずデェビュー作「沈香屑--第一爐香」と「茉莉香片」を取り上げる。二篇は作者の年令や経歴に近く、アイデンティティの危機期を迎えている青年を描いている。これらの主人公は、植民地香港の文化衝突の中で、人生の手本を見いだせず、迷い、絶望した挙げ句、否定的アイデンティティを選んだのである。続けて戦争と「文明」の境を背景とする「封鎖」と「傾城之恋」を分析する。二篇でも「文明」の枠の中で、成就できなかった恋が「空虚」と「廢墟」の上に成立するという手法で、資産、金銭を土台にして刻む文明の「偽善」と、文明の「記憶」と、「権力」との関係を表現したのである。 第四章では女性の視点で張愛玲文学の核心テクスト「金鎖記」を読み直す作業を行なう。前半は健康な庶民の娘の七巧が金持ちの姜家に嫁入りした経緯、夫の弟季澤との男女の葛藤を軸に、特に七巧の「真の愛」と季澤の「偽の愛」との戦いという細部を考察し、七巧が女の魂を喪失していく原因を追跡した。後半は、七巧とその息子、特に娘との葛藤を通じて、彼女が子供の<父の影>として、<父>の「法」を実行しながらも同時に<父>への復讐を逐げようとしている引き裂かれた「狂女」の心を解明し、娘を沈黙に追い詰めた原因を浮き彫りにする。「狂女」七巧を造った元凶はほかならぬ男権<制度>である。制度に対する告発こそ「金鎖記」の真骨頂である。 第五章は作家の地位を確立した後のテクストを分析する。第一節では個人史の葛藤を精算した「花凋」を考察し、第二節では伝統「男性」のアイデンティティを解体する「紅玖瑰与白玖瑰」、第三節では女性アイデンティティを確立する「桂花蒸 阿小悲秋」を考察した。第四節では『伝奇』によく用いられるガラスと鏡の意味を解明する。ガラスは、人間を疎隔し、鏡は見る見られるという人間関係を浮き彫りにする小道具である。 第六章は時代、歴史、文明、創作を語る『流言』を中心に論じる。まず、張愛玲の上海人に対する定義を時代背景に還元し、その意味を解明した。次は、恋愛、結婚など「通俗」テーマを貫く張愛玲の文学と伝統通俗文学との違いを比較し、差異を見つめる女性の視点、細部を重視する歴史観、危機状態における普通人の体験など、張愛玲文学の特徴を絞る。 第七章では張愛玲文学の血脈に照明を与える。「金鎖記」を魯迅の「狂人日記」と比較し、さらに、両作者の創作動機と「士」という伝統文化との関係を比較し、「金鎖記」は「狂人日記」の血脈を受け継ぎ、「狂人日記」に現前しなかった男と女の差異を媒介にして、愛の「真」か「偽」かが、種・人類の永続の保証と脅威にかかわる核心問題だと物語ってくれたのである。張愛玲は現代中国人間文学の父-魯迅とならんで、現代中国女性文学の母だと位置づけられるであろう。 第三部では五十年代以後の台湾と八十年代半ば以後の大陸を中心に、読者は張愛玲文学からなにを読み取ったのかを考察する。二十世記の女性の生の記憶として、「愛」を求め続ける歌として、張愛玲文学は、今後、中国人の自己発見に貢献するであろう。 |