日本の戦時労働力政策は、第一次大戦の経験に注目した陸軍をその先駆者とし、総動員計画によってその大枠を確定し、日中戦争から太平洋戦争にかけて本格的に運用・展開された。既存研究においては、主として戦時労動力政策のマクロ的側面の究明に集中されており、その実態に即した分析はあまりなされていない。また、日中戦争勃発後、労働力不足という絶対的「命題」が時系列的にどういう展開を見せるか、言い換えると戦時労働力政策の崩壊の端緒を探り当てることにのみ集中するきらいがあった。その点を踏まえて、本稿では以下の時期区分に基づいて、動員のロジック・動員機構・労働力需給状況を対象にし、それぞれの変化が織りなす、戦時労働力政策のダイナミックスに注目した。 本論は全五章で構成されている。時期区分は、第I章は第一次大戦から日中戦争勃発の直前まで、第II章は一九三八年半ばの国家総動員法の制定と職業紹介法の全面改正まで、第III章は一九四一年の独ソ開戦まで、第IV章は一九四三年の半ばまで、第V章は敗戦に至るまで、のようになっている。 第I章においては、戦時労働力政策の起源を明らかにすることを目途とし、その最初の体系化であった、総動員計画と「重要産業五年計画」の労働力政策の内容および実施過程について論じた。 第II章では、日中戦争の勃発によって総動員計画に基づく労働力動員が実施されたことと、国家総動員法をはじめとする新しい動員体制づくりの展開、そして当該期の労働市場の流動化について分析を試みた。日中戦争直後の労働力動員システムは、戦争勃発の「時期的意外性」からも、既存の労働市場の機能に乗っ取った形を取り、労働市場の範囲内において「国家の募集力」の強化を貫徹しようとしたのである。 第III章においては、一九三八年からの戦時労働力政策の展開が、当面の労働力動員の目標を反映した各種統制法令を制定・実施することと、労務動員計画によって労働力需給の量的統制を一元化することとの、二つの軸をもって進められたことに注目した。日中戦争期の労働力政策の展開は、日中戦争直後の軍需労務要員充足に比べて、政策の中身がより体系的になり、統制の程度も漸次厳しさを増していった。しかしながら同時に、伝統的給源としての農村労働力動員の限界、移動の促進(非軍需工業から軍需工業へ)と禁圧(軍需工業労働者の流出)、という二つの矛盾が顕在化しつつあった。 第IV章では、一九四一年六月の独ソ開戦から一九四三年半ばまでの時期を対象にした。労働力政策はそれまでの趣とは一変して統制の度合を増していく様子を描いた。移動の防止や徴用制の強化などを図るため、より徹底的な法令の制定がなされた。しかし、供給力は徐々に底をつきはじめ、中小商工業者の転職が本格化し、やがては学徒と女子動員の強化に関する準備作業が進められた。その中で新規学卒者の動員は最後まで最も優良な労動力でありつづけた。 第V章では、太平洋戦争末期について論じた。動員のロジックの方はその完成度を高めていったが、実際の労働力需給統制の方は一九四四年半ばごろからは、ほぼ機能停止に陥っていた。空襲が激しくなるにつれて労働者の欠勤も激増し、工場生産は成り立たなくなった。 以上の分析を通して、不充分ながら戦時労働力政策の全貌を鮮明にするに一歩近づけたと思う。とはいえ、残された課題も多い。たとえば、賃金の動向とかかわる労働市場の変化と、戦時労働力政策の展開とを照応させることで、考察はより深められよう。 |