本研究は金澤榮(1850-1927)の朝鮮史認識について考察したものである。特に『歴史輯略』(1905)を中心とする古代朝鮮認識と、『韓史綮』(1918)を中心とする朝鮮王朝認識を主な対象とした。本稿で、金澤榮を研究の対象とした理由は、韓国近代史上もっとも重要なこの時期に活動した歴史家の一人として、彼が活躍した大韓帝国期のみならず,亡命してからは激動の渦中にある中国を中心に活動したからである。 したがって本研究の目的とするところは、一思想家を対象とした個人研究という次元に留まるものではなく、大韓帝国期(1897-1910)から日本植民地統治下にかけて、金澤榮が活動した時代に韓国の社会が抱えていた問題と韓国民族を取り巻く東アジアの諸状況を理解することである。さらに金澤榮研究は、この時期の韓国や日本・中国の歴史的状況を理解するためにも新しい視点を開く手がかりになると思われる。以下では各章別に内容を要約し、金澤榮史学の歴史的位置づけを試みたい。 第一章では・詩人・文章家・啓蒙史家としての金澤榮の歴史意識が形成され、成長していく過程を家系の分析と国内外活動を通じて概略的に考察した。 第二章では、金澤榮の古代朝鮮認識について『歴史輯略』を中心に考察し、彼の古代朝鮮認識の史学史的背景、そして古代朝鮮認識の特徴と内容に関して検討した。 第三章では、金澤榮の中国亡命と朝鮮認識の問題について、亡命の契機と亡命後の著述活動を中心に考察し、特に『韓史綮』の内容を分析してみた。 第四章では、金澤榮の『韓史綮』をめぐる褒貶論争の展開過程と、論争の主体になった儒林団体の性格及び論争点について考察した。 従来韓国史学史のなかで、金澤榮史学はあまり評価されなかった。それは民族史学者としての申采浩(1880-1936)があまりにも高く評価されたことと対照的である。しかし、大韓帝国から・日本植民地統治へという歴史の転換期に、教科書を編纂して歴史の正統性を確立し、誰も目を向けなかった亡国朝鮮王朝に対する新しい歴史像を描くために努力した金澤榮の存在は看過できない。さらに儒学思想に基づく伝統史学のながれを克服したのは、先駆的試みとして評価されなければならない。つまり金澤榮史学は伝統史学を継承し、かつ近代史学の先駆として近代民族史学成立の土台になるような重要な位置を占めると思う。 金澤榮の歴史認識の特徴は、一つは古代史の系譜に関する認識である。彼は一八〜一九世紀の実学における安鼎福・丁若の歴史研究を継承して、民族の正統性を正しく打ち立てるために、檀君から始まる朝鮮の淵源を主張し、その成果は『歴史輯略』に結実した。『歴史輯略』は多くの資料を参考し、実証的な方法を通じて歴史認識の幅を広くしたという点で注目される。 もう一つは、朝鮮王朝の歴史を批判的に認識したことである。太祖李成桂の「易姓革命」を批判し、歴代君主や先賢の誤り、党争を批判した。その朝鮮王朝認識は、厳正な事実選択によって書かれた『韓史綮』にあますところなく発揮された。金澤榮は従来タブー視された君主批判をし、それを歴史記録に留めようとした。彼の改革的・近代志向的傾向は、大韓帝国期の儒者が持っていた思想的限界を一歩乗り越えたと言える。また、時流に左右されない独自な歴史記述方法をとっていたという点で、『韓史綮』は評価できると思う。『韓史綮』は現在的観点からみて、史学史的にも注目に値すると思われる。 |