学位論文要旨



No 110913
著者(漢字) 坂本,真士
著者(英字)
著者(カナ) サカモト,シンジ
標題(和) 自己注目の持続と抑うつとの関連性に関する社会心理学的研究
標題(洋)
報告番号 110913
報告番号 甲10913
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会心理学)
学位記番号 博社会第33号
研究科 社会学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山口,勧
 東京大学 教授 飽戸,弘
 東京大学 助教授 池田,謙一
 東京大学 助教授 岡,隆
 東京大学 助教授 丹野,義彦
内容要旨

 抑うつ(depression)に関する研究では、同じような否定的な経験をしたのに落ち込んでしまう人と落ち込まないですむ人がいるのはなぜかというのが、問題の一つとなっている。社会心理学の認知的アプローチによる研究(特に"自己"についての研究)が、その方法論および理論を用いて、抑うつに関する研究を行っており、多くの知見を得ている。近年、自己に関する認知的概念の中でも、自己への注目(self-focus)が抑うつの発生に関連しているという指摘がなされている。自己注目に関する社会心理学的研究は、DuvalとWicklund(1972)の客体的自覚理論にその端を発するが,SmithとCreenberg(1981)の指摘以来、抑うつとの関連でも研究が進められている。特に自己への注目の持続が、抑うつの発症や維持に寄与することが指摘されている(Ingram,1990;Pyszczynski & Greenberg,1987)。本論文では、自己注目の持続と抑うつとの関連を、これまでの研究のレビューおよび本論で示す実証的研究によって明らかにする。本論文は、序論、本論、結論より構成される。

 序論は4つの章(第1章から第4章)よりなる。

 第1章では、抑うつの社会心理学的な理論で用いられる認知的諸概念と自己注目という認知的諸概念との関係を整理することを目的とした。まず第1節で、抑うつの社会心理学的な理論として、Abrarnsonらの絶望感理論、Beckの認知理論およびEllisの非合理的信念、Rehmの記憶モデル、Kuiperらの自己価値随伴モデル、PyszczynskiとGreenbergの自己注目理論について説明した。第2節ではこれらの理論の中で用いられた認知的概念を、Ingramらの枠組みを用いて整理し、認知的概念間の関係を明らかにした。"自己注目"は認知操作(認知システムの構成要素が情報処理に際して相互に作用する様々な手続き)に属する概念であるが、これまでの抑うつ研究で用いられている認知的諸概念(例:帰属スタイル、スキーマ、信念)は、認知命題(実際に貯蔵されたり表象されたりしている情報、すなわちスキーマ的な記憶情報やエピソード的な記憶情報のような認知構造の内容)に属する概念であり、両者は異なる性質をもつことを論じた。

 第2章では、抑うつの説明に自己注目を用いる理由について述べた。第1節では、研究史的な背景について述べた。すなわち、私的自覚状態の高まった人や私的自己意識特性の高い人に見られる現象と、抑うつの心理的な現象とがパラレルであるという指摘に基づいて、そのパラレルな現象をレビューした。第2節では、抑うつの説明に自己注目という概念を用いる独自の意義について論じた。すなわち、自己注目という概念を用いれば、Abramsonらの理論では説明していなかった帰属過程への従事のしやすさや、抑うつの発生および持続の過程を説明できること、また抑うつからの回復へ示唆を与えることを論じた。

 第3章では、抑うつと自己注目との関連について調べた研究を、4つの節に分けて網羅的にレビューした。第1節では、抑うつ尺度と自己意識尺度との尺度相関をレビューし、第2節では、自己への注目を実験室的に高め、自己への注目の認知、感情、行動に及ぼす効果を、抑うつ的な人と抑うつ的でない人とで比較した研究をレビューした。第3節では、自己注目を惹起する外的状況についての研究をレビューし、第4節では、自己注目が抑うつの発生に寄与するかどうかを縦断的に調べた研究をレビューした。第5節では、直接"自己注目"という文脈では研究されていないものの、自己注目に近い概念を用いた研究として、Nolen-Hoeksemaらの考え込み型反応スタイルについての研究をレビューした。

 第4章では、第1節でこれまでの研究を踏まえて、疑問となる点をまとめた。そして、第2節で本論に先立って、解決すべき問題点および仮説を本論で述べる研究ごとに整理した。

 本論は第5章から第9章である。本論は第I部(研究1、研究2)と第II部(研究3から研究6)より構成される。本論第I部では自己注目の持続と抑うつとの関連を探る上での基礎的な研究を行った。

 第5章(研究1)では、自己注目が感情に及ぼす効果は、アクセスされる自己への評価によって決まってくるだろうという考えから、自己の性格特性に対する捉え方について調べた。その結果、抑うつ傾向の高い人は自己の性格特性を否定的な点から過大に評価したため、自己を否定的に歪めて評価することがわかった。一方、抑うつ傾向の低い人は自己の性格特性を否定的な点から過小に評価したため、自己を肯定的に歪めて評価することがわかった。

 第6章(研究2)では、注意の向け方を実験的に操作して、その後の肯定的感情および否定的感情の程度の変化を調べた。自己に注意を向けた場合、抑うつ傾向の高い人は、抑うつ傾向の低い人に比べて、意識した自己をより否定的に評価し、また否定的な感情を経験しやすく肯定的な感情を経験しにくかった。一方、自己に注意を向けさせず他者あるいは社会的状況に注意を向けさせた場合、被験者の経験する肯定的感情あるいは否定的な感情の強さに、抑うつ傾向の高低による違いは見られなかった。この研究については、自己への注目が、抑うつ傾向の高い人の否定的感情あるいは、抑うつ傾向の低い人の肯定的感情を直接強めたという別解釈も考えられるが、自己への注目が抑うつ傾向の高い人に否定的な影響を及ぼすというアメリカでの研究結果は追試された。

 本論第I部の2つの研究で、自己注目と抑うつとに関連する2つの基礎的な前提、すなわち、抑うつ傾向の高い人は自己に対して否定的な評価をしていること、自己注目は抑うつ傾向の低い人よりも抑うつ傾向の高い人に否定的な影響を与えることが示された。

 本論第II部では、自己注目の持続と抑うつとの関係について調べた。自己への注目は、状態と特性との両方で概念化されているので、自己注目が持続する状態と自己注目を持続させやすい特性の両方について、抑うつとの関係を検討した。

 第7章(研究3)では"状態"について調べた。Ingramの理論によると、抑うつ傾向の高い人は低い人に比べて、外的な環境が変化しても自己への注目が持続することが予測された。被験者となった男子大学生の約半分が自己注目を高める操作を受け、残りの被験者はこのような操作を受けなかった。次に、すべての被験者が、解決に集中力を要する課題に取り組んだ。自己注目が高められた被験者の間では、抑うつ傾向の高い人は低い人に比べて課題遂行量が少なく、課題により多くの注意を向けていなかった。また、前者は後者に比べて課題遂行中に自己に注意を向けやすかった。これに対して、自己注目が高められなかった被験者の間では、このような差はみられなかった。この結果は、抑うつ傾向の高い人が自己への注目を持続させやすいという仮説を支持するものであった。

 第8章(研究4、5)では"特性"について調べた。研究4では自己への注意の向きやすさに、自己への注目の持続のしやすさを加味した"自己没入"という概念を提起し、これを測定する尺度を開発した。また注意の向き方の点から、"外的没入"(外的対象に向いた注意が持統すること)という概念を、抑うつの脆弱性要因として新たに提起し、これを測定する尺度を作成した。内的整合性および再検査信頼性、上下位群分析など心理測定的な特性については、両尺度とも十分なものであった。研究5では、研究4で作成した自己没入尺度および外的没入尺度と、抑うつ尺度との相関を検討した。また、私的自己意識尺度と抑うつ尺度との相関をとった。自己没入尺度は抑うつ尺度と中程度の相関を示していたが、外的没入尺度と抑うつ尺度の相関は有意ではなかった。さらに、自己没入尺度と抑うつ尺度との相関は、私的自己意識尺度と抑うつ尺度との相関よりも有意に高かった。この結果は、自己注目の持続を加味した方が自己注目の程度だけよりも、抑うつの説明に有効であることを示していよう。

 第9章(研究6)では、自己没入や外的没入は抑うつの脆弱性要因であるという仮説、すなわち自己没入や外的没入が高い人は、否定的な出来事の影響を受けやすく、これらの傾向が低い人に比べ否定的な出来事を経験した後に抑うつになりやすいだろうという仮説を、縦断的な研究により検討した。男子大学生が4ヶ月の間隔をあけて2度の質問紙調査に参加した。第1回目の抑うつ得点を統計的に統制した後の第2回目の抑うつ得点を、被験者が調査期間中に受けた否定的出来事の数と自己没入(あるいは外的没入)得点との交互作用が有意に予測した。否定的な出来事の多少、自己没入(外的没入)得点の高低を考慮して、回帰式より第2回目の抑うつ得点を予測した結果、否定的な出来事を多く経験した場合、自己没入(外的没入)の高い人はそのような傾向の低い人に比べて、第2回目の抑うつ得点が上昇していた。このことから男子大学生では、自己没入傾向や外的没入傾向が抑うつの脆弱性要因となっていることが考えられる。

 結論(第10章)では、本論で得られた知見とこれまでの知見とをまとめ、今後の研究の課題として提起した。

審査要旨

 本論文は、抑うつ的傾向と自己注目との関連を、認知論的な立場から、実証的に検討したものである。著者は、まず研究1、2において、抑うつ傾向の高い者は、低い者に比べて、自己注目の結果、自己をより否定的に評価する傾向が見られることなどを確認した。このことにより、それまでにアメリカで得られていた結果が日本人を対象とした研究で見られることを示した。次に、抑うつ傾向が高い者ほど自己への注目を持続させるという独自の仮説を立て、それを支持する結果を得ている(研究3)。そして、研究4,5,6では、自己への注意の向きやすさと注目の持続のしやすさを測定する自己没入尺度と、外的対象に向いた注意が持続する傾向を測定する外的没入尺度を作成し、その信頼性および妥当性の検討を行いおおむね筆者の主張を支持する結果を得た。以上の実験および調査の結果に基づき、抑うつ的傾向の高い者は自己への注目を持続させるという認知的特徴を有し、そのため否定的な出来事があったときに抑うつの発症を促す要因となりうることなどを結論している。本論文で報告された諸研究の方法論および分析手法などは適切なものであり、サンプルの代表性、尺度の妥当性などで改善の余地はあるものの、筆者の結論はおおむね妥当である。本研究の成果は、この分野の研究の進展に大きく貢献することが期待される。

 したがって、本審査委員会は、本論文を博士(社会心理字)の学位に値するものと判定した。

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