学位論文要旨



No 110914
著者(漢字) 李,哲雨
著者(英字)
著者(カナ) リー,チョルウ
標題(和) 社会的行動における価値の役割 : 価値の社会心理学的研究
標題(洋)
報告番号 110914
報告番号 甲10914
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(社会心理学)
学位記番号 博社会第34号
研究科 社会学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 飽戸,弘
 東京大学 教授 山口,勧
 東京大学 助教授 池田,謙一
 東京大学 助教授 岡,隆
 東京大学 教授 田崎,篤郎
内容要旨

 価値という概念は、ほとんど全ての社会科学において、概念的な有用性が立証された、数少ない「社会心理学的概念」の1つであり、社会心理学のみならず、社会学、政治学、人類学、マーケティング等の、実に様々な分野で、実に様々な目的のために使われている。しかし、価値研究には解決されなければならない問題も数多く残っていることも否定できない。

 本論文においては、こうした問題点を解決することによって、価値を厳密に定義し、社会的な行動において価値が果す様々な役割を特定化しようとした。本研究における最大の目的は、「社会的行動における価値の役割」という題目が示す通り、価値が行動に及ぼす影響の仕方の解明である。

 今までの社会心理学においては、価値-態度-行動を1つの広い体系と見なし、価値は態度を通じて行動に間接的に影響を及ぼすのみであると考えられていた。すなわち、価値によって態度が規定され、次の段階で価値によって規定された態度が行動に影響を及ぼすということが一般的な考えであったのである。こうした前提から価値と行動との関係を調べるのが一般的な研究の方向であった。しかし、こうした系列の研究には重大な問題点がある。態度と行動との不一致というのは、今の社会心理学においては、常識になっているが、価値が行動に及ぼす影響を説明するために、捨てるべきたといわれる態度という概念を頼りにすることは、価値の概念的有用性を自ら捨ててしまう自殺行為なのである。

 こうした問題意識に基づいて、本研究においては、価値概念の問題点を整理・解決し、価値の構造化が行われた。既存の文献や調査結果のレビューを通じて、そして、人間の動機づけに基づいた理論化によって、価値の構造は、「普遍主義」、「自己志向」、「安楽」、慈悲」、「違成」、「同調」、「権力」、「安全」などの8つの領域によって構成されると仮定された。こうした価値領域は、相互の対立・調和の関係によって価値体系をなしていると考えられた。

 また、この8の価値領域は、「変化への開放性-現状の維持」、「自己超越-自己高揚」の2つの直交する基本的な軸によって区分されていると仮定された。

 こうした価値構造化に基づいて価値尺度が構成された。1つの領域か3つの項目によって測定され、全24項目によって構成される。この価値尺度を用いた、2度の調査の結果においては、8つの価値領域の存在を確認することができた。また、その8つの領域が非常に強健(robust)であることも確認された。本研究の価値尺度は、統計的手法として、SSA(Smallest Space Analysis)を使うことを前提としている。

 次の段階では価値尺度の妥当性が、「競争心」や「権威主義」という非常に馴染みある概念との関連によって検証された。調査の結果、既存の研究の知見と一致またはそれを陵駕する結果が見出され、価値尺度の妥当性が十分あることが立証された。

 価値が行動に及ぼす影響を調べる前段階としてまず、人間の世界観の根幹をなすと考えられる、イデオロギー関連概念、すなわち、「環境保護主義」、「政治的保守主義」、「生活次元の保守主義」、「脱物質主義-物質主義」との関係が調べられた。こうしたイデオロギーによって、個々人は異なる世界観を形成し、それが究極的には異なる行動を触発することは十分あり得ることなのである。

 その結果、価値領域は以上のイデオロギー関連変数すべてと統計的な関連を持っており、パス解析においてはこうしたイデオロギーを直接的に規定していることが確認された。その影響の及ぼし方は様々でありながら、「普遍主義」という価値領域が最も強い影響力を持っていることが確認された。Rokeach(1979)は平等という価値が行動と非常に密接な関連を持っていることを報告しているが、本研究において、平等という価値が含まれる「普遍主義」の価値領域が行動のみでなく、政治的イデオロギー、環境保護主義、権威主義など様々なものに強い影響を与えていることが確認されたのである。

 またよくいわれている、伝統的価値というのは、「権力」と「同調」によって、「近代的な価値」というのは「普遍主義」と「自己志向」によって構成されることが見出された。また現在行われている最も顕著的な価値変化の軸は「権力から普遍主義へ」の軸であることを示唆する結果も確認されている。

 研究の最終段階では、価値と行動との関係が調べられた。「広告接触」と「向社会的行動」という2つの代表的な社会的な行動との関連を中心に、価値が行動に対する影響の及ぼし方が調べられた。

 価値と広告接触との関連において、価値が広告関心度や広告に対する態度、イメージなどの媒介変数を通さずに、直接購入意図に影響を及ぼすということが確認された。価値は関心や態度などの媒介変数を通じて、購入意図に影響を及ぼす場合もあり、他の変数に媒介されずに、直接的に行動を規定することもあることが確認された。調査の結果においては、「自己志向」と「安楽」の2つの価値領域が直接的に購入意図に影響を及ぼしていることが確認されたのである。特に、「安楽」の場合は購入意図に、-.420という他のどの変数よりも強い影響を与えていることが確認された。こうした結果は、従来のような「価値は態度を通して行動に影響を及ぼすという知見」をひっくり返す結果であると考えられる。価値は行動のみでなく、広告内容の記憶、購買経験、企業のイメージ等とも強い関連を持っていることも確認された。

 価値と「向社会的行動」との関連においても、価値と広告接触との関連とほとんど同じ結果が示された。すなわち、価値は他の変数の媒介なしに直接行動に影響を及ぼしていることが確認されたのである。「普遍主義」、「安全」、「同調」の3つの価値領域は直接的に「向社会的行動」に影響を及ぼしていたのである。

 本研究においては、向社会的行動の動機づけについても、分析が行われた。向社会的行動の動機づけ、すなわち、なぜ人を助けるのかの問題は、西欧において何百年も議論が続いている問題であり、人間を対象とする科学すべてにおいての根本問題である。人間は利己的な動機づけのために向社会的行動を行うというのが一般的な見解であるが、本研究においてはまったく異なる結果が確認された。

 本研究の価値の構造化における、最も基本的な価値レベルをなす軸の1つである、「自己超越-自己高揚」との向社会的行動との関連において、向社会的行動の動機付けは、少なくとも価値レベルにおいては、利他的であるということが示唆された。すなわち、利他的な動機付けと関連がある、「普遍主義」、「慈悲」、「同調」が正の影響を、利己的な動機付けと関連がある「安全」の価値領域は、負の影響を与えていることが見出されたのである。例外的に利己的な動機付けと関連がある「達成」が正の影響を与えていることが確認されたが、他の価値領域の影響を考えると副次的なものであると考えられた。

 本研究における様々な分析の結果、価値という概念の有用さは十分に立証されたと考えられる。

審査要旨

 本論文は社会行動研究における価値概念の有効性を、類似の諸概念との対比において理論的に検討するとともに、さまざまな分野において、価値とイデオロギー、価値と行動などとの関連について膨大な実証データを収集、丹念に分析、考察を行った論文である。

 審査過程では、いま価値概念を再検討することは時宜を得た課題であり、価値についてこれだけ多角的にその有効性を明らかにした努力、そして、研究の発想の新鮮さ、独自性、実証研究の確かさ、についても、高く評価された。

 結論として審査委員会は、本論文の示す達成度は、それが抱える若干の短所を考慮してもなお十分に評価されるものであり、本論文を博士(社会心理学)の学位に値するものと判定した。

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