学位論文要旨



No 110919
著者(漢字) 永瀬,伸子
著者(英字)
著者(カナ) ナガセ,ノブコ
標題(和) 女子の就業選択について
標題(洋)
報告番号 110919
報告番号 甲10919
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第89号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石川,經夫
 東京大学 教授 三輪,芳朗
 東京大学 教授 吉川,洋
 東京大学 教授 伊藤,元重
 東京大学 助教授 縄田,和満
内容要旨

 平均的女子が予想する生涯は大きく変わってきている。1990年代にはいると既婚女子の雇用就業率は50%を超え、「雇用機会均等法」とともに4年制の大学進学率も大きく上昇、一方で、平均的女子が出産する子供数は、1993年には、1.7人を下回るほどに減少し、晩婚化がすすみ婚姻率自体も大都市を中心に下がっている。このように女子の市場労働参加は高まっており、婚姻、出産を通じた非市場生産活動への時間配分が縮小しているかに見える一方で、依然日本における女子の就業機会は平均的に限られたものと見ざるをえないいくつかのSTYLIZED FACTSがある。大きい男女賃金差、育児による就業の長期の中断、管理職・専門職などが少ないなど職種分布に見られる大きい男女差等である。このような矛盾した傾向を分析するためには、就業行動が、各期における最適な時間の使い道の選択であるとともに、各時点の行動が、昇進、賃金上昇に影響し、将来の選択の幅を決めるという意味で、生涯を見通した選択行動でもある点、一方、過去50年に産業構造や家族構造の変化が予想を超える急速なものである点、さらに「日本的な雇用慣行」の持つ意味あいなどを考慮する必要がある。

 本論では、経済理論から、日本の女子の就業行動の特異性にどのように分析を行うことができるか、理論的枠組みを提示し、実証的に分析することを目的とする。女子の就業行動は、家族、企業、社会のあり方と大きく関わっている。このため国家間で就業率、職業分布、平均就業期間や平均就業時間に、大きい差があるが、同一の国内でも、コホートごとに、職業選択時に、生涯を見通した予想が大きく異なっており、この結果従事している職種や、従業上の地位の分布、平均教育年数、平均出産数などに差がある。日本においては、戦前の「家制度」から戦後の近代家族への移行、農業部門や家内工業を中心とした家族単位での就業構造から、雇用就業を中心とした第2次、第3次産業への産業構造の変化と、非常に急速で大規模な変化があったため、コホート間の差はより大きいものである。また、同一コホートに関しても、産業構造の変化、暮らしの技術の変化、平均余命の延長などによって、各時点で面する選択肢は、大きく変化している。ところが、一方で、就業行動は、過去の決定に大きく引きずられる。人生は、何度も繰り返して行うことのできるものではなく、過去の就業歴、非就業歴や、出産の時期や回数の決定が、現在の仕事の機会および家庭内生産を大きく制約する。また企業の昇進の仕組みや税制などの制度に対する理解によっても影響を受ける。非常に急速な変化の中でどのような選択がなされているのかを理解すること、また一見して大きく諸外国と異なるいくつかの現象を説明することを目的にする。この中には、諸外国と比べて、各段に大きい平均の男女賃金差、M字型の就業率の頑健性(各年齢層別に労働力率を見ると、これまで多くの国で、育児期にあたる30台前後で落ち込むというM字型が見られたが、育児期の離職が減少し、高原型に移行する国が非常に多くなっている。これに対して日本では、谷の底上げは小規模なものにとどまっており、育児期の離職が依然多い。)、諸外国と比べ女子の専門職、管理職比率がかなり低く、労務職比率が高いこと、学歴と就業との正の相関が小さいこと、企業規模の増大とともに女子の平均年齢が顕著に若年化することなどを含める。

 本論は、3本の論文からなる。第1本目は、家族従業、自営業、内職など、諸外国と比べ豊富な非雇用就業機会があることが、女子の就業選択行動に与える影響を見たものである。第2本目は、パート雇用機会の持つ意味を分析したものである。第3本目は、企業側から見た、長期雇用契約のコストの分析と非自発的パートの分析である。

 以下はその要旨である。

 1.日本における既婚女子の就業行動を、非雇用就業、パート、正社員の選択などを含めて、統一的な枠組みを提示し、内生的な選択としてモデル化し、実証分析を行ったものである。日本においては、諸外国に比べ、家族従業、内職を含め多様な就業形態選択が可能であり、女子の就業選択も、仕事の特性の差を考慮して分析を行う必要がある。本論では、家庭内生産と、市場労働の切り替えコスト(固定コスト)が、就業形態間で異なり、補償賃金が発生していると考える。子どもの年齢や、数、夫の職業、祖父母との同居などを外生変数とし就業選択のロジット分析を行った。就業形態間の仕事特性の差を考慮すると、日本特有とされていた教育年数の増大と就業確率との非有意な関係、クロスセクションで見たM字型の就業プロファイルの谷の時系列的な上昇が諸外国と比べて非常に少ないことなどを説明することができる。

 2.日本においては、パートと呼称されるが、フルタイム労働をしている者がパートの2割から、定義によっては5割を占める。これまで、パート労働は、データの制約もあり、短時間労働者と定義する分析がほとんどであり、自由度の代償として低賃金が成立していると考えられていた。フルタイム・パートの就業行動、賃金関数は果たして短時間パートや、フルタイム正社員とどのように異なるのだろうか。本論では、個票データを用いてセレクショノ修正賃金関数、就業選択関数を推計し、この問題に答えることを試みた。この結果パートの選択は時間であるよりもむしろ身分であること、とくに長時間パートの選択は、企業側の選別によるものである可能性がある。

 3.日本的雇用システム、すなわち、年功序列、終身雇用、新規の入り口は学卒者である雇用システムは、多量の企業内訓練を可能とし、企業と労働者の一体化を強め、信頼という財が生まれやすくし、雇用の安定性を生み出した。しかし需要変動には対応しにくく、また、短時間での最適化はできないシステムである。この雇用システムの裏面がパートタイム雇用である。年功序列はなく、雇用期間は限定されており、採用にコストはかけない。さらに、仕事内容は単純労働に限定される。近年、企業は急速にパート比率を高めている。「日本的雇用システム」に入る労働者比率を限定している。パートは多くは家庭の主婦によって、自主的な選択として担われている。しかし、中高年齢層、長期勤続層、就業時間の長い層に、非自発的なパート労働者が相当数いる。

審査要旨

 日本の労働市場をめぐる1970年代以降の大きな変化のひとつは、女性の就業が家庭内から家庭外での雇用へと大きな形態変化をとげたことである。とりわけ、パートタイム労働者の増大は著しく、1992年には、女子就業者全体の27%を占めるに至っている。しかし、家庭内で就業する者もいまなお26%を占めている。(『就業構造基本調査』。)

 このように多様な就業形態が共存する状況では、女子の労働供給行動を理解するにあたって、単に就業・非就業、あるいはフルタイム・パートタイムといった二者択一の選択の枠組をベースにした実証研究では必ずしも十分な理解が得られない。とりわけ、就業形態間で時間当り所得に大きな差異がある場合にはそうである。女子の労働供給をめぐる日本の既往研究は米国で数多くの推定作業を生んだ二者択一の枠組を踏襲して行われてきたが、理論の予測といくつかの点で異なる推定結果を生み出すことを確認したところで実質的に中断しているといえる。こうした結果が生まれるのは理論的な枠組が先に述べたように不適切だからではないかというのが、まさに著者の着眼点である。

 そこで、時間当り所得が異なるにもかかわらず低所得就業機会も生きた選択肢として選ばれるのは、金銭的な所得だけでなく、育児や家庭の団らんなど家庭内生産(余暇とは区別された意味での)も女性の効用の源泉となる状況下で、仕事と家庭内生産間の切り替え費用や労働時間についての裁量必要度を考慮するとき、そうした選択肢がもっとも高い効用を与えるという意味で合理的となる場合があるからだとして説明される。こうした枠組は、Gronauによって提案された家庭内生産モデルの拡張版にあたる。このような理論的枠組が実際の女性の就業形態選択の行動において裏付けられるかどうかを『職業移動と経歴(女子)調査1983年』(雇用総合研究所、現日本労働研究機構)の個表データを利用して検証することが、本論文のもっとも主要なテーマである。

 本論文のもうひとつのテーマは、パートタイム労働をめぐる考察である。パートタイム労働については、いわゆる呼称パートと短時間パートタイムと二つの定義的に錯綜した実態が存在するが、それらがオファーする雇用条件の違いは従来十分に明らかにされたとはいいがたい。この点を明らかにするとともに、通常パート労働は賃金が低いといわれるが、それがどのような意味でそうであり、また、それはなぜなのかを分析することが課題である。この点は、前述の就業選択行動モデルにおいて与件となる雇用機会の性格を明確化する役割もはたす。この分析には『パートタイム労働者実態調査1990年』(労働省)の大規模データが利用される。

 本論文の構成は以下の通りである。

 第1章 日本における女子の就業選択について・・・・問題提起と分析の視座

 第2章 使用データについて

 第3章 多様な就業形態の自発的選択モデルと補償賃金差

 第4章 自主的な労働時間選択モデルの実証分析:短時間、長時間就業

 第5章 「正社員」と「パート」就業の選択:労働時間の自由度と「身分」

 第6章 パートタイム労働の自発性と税制の影響

 第7章 おわりに

 本論文によって得られた主要な知見は、次の通りである。

 1.既婚女子の「正社員」「パート」「家族従業・自営業」「内職」の4つの就業機会について、個人の経験や学歴などを制御したうえでもなお、就業形態間で3割から4割にも及ぶ統計的に有意な時間当り賃金(所得)差が確認された。同時に、未就学児童数や祖母との同居など、労働時間の裁量必要度あるいは就業の切り替え費用と関連すると考えられる変数と就業選択の間に、おおむね前述のモデルが予想するような補償的な関係が見いだされた。(除外点は2.に後述)

 また、ここでの推定結果の含意として、夫が自営業である自営業世帯そのものの減少、核家族の増大による祖母との同居世帯の減少といった要因が、平均学歴の増大といったプラス要因を凌駕し、M字型の女子年齢・就業率プロファイルが維持される力となってきたことがわかる。(第3章)

 2.「正社員」と正社員なみに長時間就業している「パート」就業の間には個人属性制御後なお時間当り3割もの賃金格差があるが、就業選択にあたっての夫の所得や未就学児童数の影響は「正社員」と「パート」とも似通っており、祖母の同居の影響において異なるに過ぎない。このことは、先の賃金格差を補償所得としてのみ解釈することには無理があることを示唆する。(第3章)

 「呼称パート」の約半数は週35時間以上の長時間労働者であり、この点は『労働力調査特別調査』(総務庁)の結果とも共通している。「長時間パート」は正社員に比して3割の賃金格差があるという先の結果は、おもに「呼称パート」と「正社員」との間に共存する同様の賃金格差を反映していると考えられる。実際、短時間就業の「パート」は長時間就業の[パート」に比べ時間当り賃金率の高い傾向が存在する。

 長時間パートの選択には学歴の影響とは独立に離職年数の負の影響が認められる。つまり離職年数が長くなればなるほど「正社員」になりにくく、非自発的に「長時間パート」を選ばざるをえないという要素の強まることがわかった。「長時間パート」を多く含む「呼称パート」という従業上の地位は、その意味で低賃金かつ将来の賃金上昇を望めない行き止まりの就業形態という性格が強い。(第5章)

 3.伝統的な枠組である労働時間自主選択理論について、就業者を「長時間就業者」と「短時間就業者」にわけつつ労働供給関数と賃金関数を同時に推定した結果、短時間就業者については、留保賃金=市場賃金となるように労働時間を決定するという伝統的な理論と整合的な結果が得られた。すなわち、夫の所得が高いほど、また未就学児童が増えるほど労働時間が短くなるという、欧米で繰り返し確認されている現象が日本でも同様に見いだせた。他方、長時間就業者については、未就学児童が増えるほど母親の労働時間が増える、夫の所得が高いほど妻の労働時間が増えるという、冒頭に述べた既往研究の得た結果を追認する結果を確認した。この結果は、おもに「正社員」を選択した者の影響として考えられ、そのことはまた、正社員については就業に大きな固定コストがかかり、自主的な労働時間選択の理論が妥当しないことを示唆する。(第4章)

 以上は、「内職」、「自営・家族従業」などの非雇用就業に代わって増大しつつある「短時間雇用」就業の就業機会は、就学時間選択の幅が大きい点で、より高い家庭内生産を可能にするという補償所得の枠組のなかでとらえられる、またその意味で好ましい動きとして理解できることを含意している。

 4.『パートタイム労働実態調査』の大規模標本を用いた分析からは、最近時点においても大多数の女子パートは、低賃金で、勤続による賃金上昇も非常に限られた労働者であること、また、長時間就業の疑似パートは短時間パートよりやや勤続収益率が高く、その意味でいくらかの熟練の高まりの存在を示唆しているが、それにしても正社員との賃金格差を縮小させるにははるかに及ばない。実際、短時間パートを含めても高賃金労働者は少なく、南関東を除く地区では女子の過半の労働者が法定最低賃金から100円以内の賃金水準に分布している。また、年間収入が100万円以内になるよう就業調整する女子が3割に達するという点で税制や社会保険制度の影響が就業選択に大きな影響を及ぼしていることが認められる。そのことは、企業側が賃金を上げて労働需要を満たそうとしても達成できないという意味で賃金率が上昇しない構造になっていることを意味している。(第6章)

 本論文のもうひとつの特色は、各問題に応じて適切な統計手法が用いられていることである。

 第3章では、3つ以上の選択肢の間の選択を分析するための多項ロジット分析が用いられている。その結果、単に就業するかどうかといった単純な分析にとどまらず、正社員、パート、家族従業・自営業、内職といった就業形態ごとの複雑な選択行動の分析が可能となっている。

 第4章のモデルでは標本選択による偏り(sample selection bias)が生じ、通常の最小二乗法による推定は使うことができない。標本選択による偏りとは、ある条件を満たす場合のみ変数が観測される場合に生じるもので、例えば賃金は非就業者について観測することができないから本章モデルについては当然、この問題が生ずる。こうした問題に対してはHeckmanの二段階推定法と呼ばれる推定手法が一般に用いられるが、ここでは標準的な二段階推定法のほか、短時間労働者についてNakamura & Nakamura(1983)の方法を用いている。この手法は、短時間労働者の労働時間がただ単に労働する(労働時間が正である)というだけでなく、週35時間以下であるという条件をも考慮したもので、分布の両側について修正を行うものである。

 第5章では、賃金レベルが階級(bracket)幅がほぼ一定の所得階級から計算されているため、低所得層において誤差の大きくなることが予想される。このため、所得階級の幅を考慮した最尤法によって賃金関数の推定を行っている。また、短時間就業パート、長時間就業パート、短時間就業正社員、長時間就業正社員などの選択分析に先に述べた多項ロジット分析を用いている。さらに、標本選択による偏りの修正に際しては、3つ以上の選択肢がある場合の修正方法のひとつであるHay(1979)の方法を用いている。

 以上のように本論文ではモデルの推定において生ずる問題点を考慮した適切な計量分析手法が使われている。既存の日本の女子就業形態の研究ではこれらの手法はほとんど利用されておらず、こうした側面からもこの論文は高い評価に値する。

 以上説明したように、本論文は女性の就業選択行動とそれぞれの就業機会の賃金率間の差異をめぐる丹念な実証研究であり、今までの同じ分野における研究が理論的枠組の限界ゆえにのりこえられなかった壁をつきくずし、新しい研究の段階をひらく意義をもっていると考えられる。こうした分析は、非常に地道な作業であるが、日本経済の将来の方向を考えるというようなより大きな視点に対しても明らかに重要な含意を与えるものと思われる。たとえば、短時間のパート労働には女子の自発的な就業選択の幅を広げる好ましい効果の存在が示唆されているが、その形態が(欧米にみられるような)高熟練・独立的な仕事とも両立するような状況を作り出してゆくことが考えられよう。そのためには労働市場の構造にどのような追加条件が必要になるのか、いっそう深い考察が求められよう。こうした含意をもっと追及して本論文の中で言及しても良かったと思われるが、男子の労働市場との関連など幅広い検討が要求されるテーマであり、今後の著者の研究の継続に期待したい。

 以上を総合して、本論文が日本の女子労働供給行動に関する研究として高い評価を与え得るものであることは疑いの余地がない。したがって、本論文の著者が経済学の分野で自立した研究者として研究を継続し、その成果を通じて学会に貢献し得る能力を持っていると判定することができる。以上の理由により、審査委員会は全員一致で永瀬伸子氏が博士(経済学)の学位を授与されるにふさわしいとの結論を得た。

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