70年代末から80年代の初頭にかけて生じた中国国内のテレビに対する爆発的な需要といった市場条件のもとで、中国のテレビ産業は、「移植産業」として成立し、急速に発展してきた。本研究は、改革・開放後の中国テレビ産業の発展について、日本的生産システムの中国への移転と中国的生産システムの形成という視点から、考察することを課題としている。この課題を解明するために、理論検討と実態分析という両面から研究を行い、企業調査と事例研究を中心に、そのダイナミックな過程と実態を追跡した。 まず、理論検討の部分では、日本の代表的な学者の諸説の検討を通じて、人材開発と活用システムに支えられた現場主義的な生産技術こそ、日本的生産システムの優位であることを明らかにした。このような人的要素と密接に結び付いた生産システムは、「I(モノ)→II(モノとヒト)→III(ヒト)」という三つの側面が絡み合って、総合的に関連する有機体であるという特質を取りだした。そして、日本的生産システムの海外への移転に関する考察視点として、安保研究グループの「適用と適応モデル」を取り上げ、アメリカと全く国情の異なる中国の現地側の影響要因を考慮し、このモデルを修正した。日本的生産システムの中国への移転は、日本企業側の適用と適応であると同時に、中国現地側の吸収と学習が必要であるという、双方の持続的な過程であることが分かった。このような日本企業の技術優位及びその移転過程の特徴にしたがって、「段階的な技術の移転と形成のモデル」という中国への技術移転を考察するための視点を提起した。 こういう視点に基づいて、国営企業の東風公司と日本三洋の間で行われた技術合作方式、国営企業の牡丹公司と日本松下の間でなされた技術提携方式、福建省と日本日立の間で成立した合弁企業の福日公司、華強公司と三洋の間で成立した合弁企業の華強三洋公司、そして三洋が経済特区に設立した独資企業の蛇口三洋公司など、経営形態と技術移転方式の異なる五つの事例に対する実態調査の資料をもとに、「日本的生産システム」の移転の経過・実態・問題点をそれぞれ考察した。分析された各ケースの諸側面を総括すれば、中国における日本的生産システムの移転と形成の結果は、下記のようにまとめることができる。 (1)中国の社会的条件、労働力事情に応じた適正な生産設備と製造技術。 (2)作業長を中核とする柔軟な現場組織・「工程の中での品質のつくり込み」を支える全員品質管理体制。 (3)QCサークル、提案制度を中心とする現場改善活動 (4)労働意欲を呼び起こし、技能形成を重視する労務・人材管理制度 (5)部品メーカーへの支援指導、協力関係づくりの部品調達体系。 これらの諸側面は、日本企業が中国の現地の事情に適応しながら持ち込んだものが、中国の事情にあわせて変形され形成されたものである。言い替えれば、現段階で日本的生産システムの中国への移転と形成の最高段階のものである。しかしながら、これはあくまでも合弁企業と成功した企業から取りだしたもっとも優れた側面で、理想的な結果である。個別の企業を具体的にみると、その移転の項目、移転の度合はかならずしも一致しない。 まず、中国の対外開放政策が実施されたばかりの時期で、テレビ産業の生産技術が立ち遅れた時に進出したという共通の背景のもとで、各社は基礎的な製造技術の移転からはじまり、このモノの移転といった第I階段から、徐々にII、IIIという階段へ進む傾向は共通である。しかし、II、IIIという階段へ進めば進むほど、形成されるものの個性を表している。その中に、他の企業が順調に進んだのに対して、東風は技術移転当初にはいパフォーマンスを現したが、80年代後半に経営不振に落ち、牡丹に吸収され合併されるという結果になった。 この技術の移転と形成が最終的に成功しなかった東風の事例について、他の企業と比べながら、いくつかの原因を考えられる。まず、合弁企業の福日と比べると、国営企業のもとでの技術合作方式は、生産システムの移転の度合と項目において、特に現場改善活動、人材開発及び育成システム面の移転にその限界を表わしている。また、国営企業の牡丹の成功例と比べると、東風には「吸収と学習」の意欲、さらに自社の独自のものへの一層の形成の努力が欠如していたのではないかと思う。技術移転の当初は東風側に技術者が多く、生産技術と「手法」のところに、「吸収と学習」に積極的な意欲をみせた。しかし、日本人技術者がいなくなると、東風はただ日本的「手法」の点にとどまり、現場作業員の教育・訓練や品質意識の向上に目を向けないか、その熱意に欠けていたようである。その中に、QCサークル、提案制度による労働者の参加や、さらに労働意欲を呼び起こし、責任感を持たせる労務、人材管理制度の導入は、従来の国営企業の硬直的な体制のもとで、大きく制約された。この人材開発・育成の側面は、国営企業の技術形成の問題も関連する。同じ国営企業である牡丹は、日本企業から技術の導入と移転を行うと同時に、さらに企業内外の改革に力を入れた。それによって、牡丹独自の人材育成システムを形成しつつあるが、東風はこの面では実現できなかった。人材育成に取り組むことは、人的要素を重視する日本的生産システムの移転にとって、重要かつ不可欠な部分であり、中国的生産システムの形成の中心をなす部分である。この人材開発・活用システムが形成できなければ、移転される手法の部分もうまく維持できなくなるのである。 このように、成功した企業は、「I(モノ)→II(モノとヒト)→III(ヒト)」というプロセスで段階を経て徐々に高いレベルへ進んだのに対して、成功していなかった企業は何らかの理由により、このプロセスが示す方向へ進めなっかたか、あるいは中断したかということである。このようにして、特質を持つ日本的生産システムの移転を成功させるために、日本企業の持込みに加えて現地側の学習の意欲と長期的な蓄積という両方の努力が不可欠であることを明らかにした。とくに中国国営企業の場合は、技術の吸収と学習のために制度面の改革と整備が重要であることも明確になった。こうした多様な方式のもとで、日本的生産システムの移転に関する共通点と相違点は、むしろ、この移転側の「適用と適応」と現地側の「吸収と学習」の相違、技術の移転と形成の組み合わせによって生じた結果であることが分かった。 しかし、日本的生産システムの中国への移転と形成の結果を見ると、日本的な要素も中国的要素も含まれており、融合を通じて一つの新しいものになったといえよう。形成されつつある中国的生産システムにおける一つの例示を取り上げ、日本やアメリカのシステムと比較しながらその特徴を次のように指摘できる。作業分担の編成からみると、米国の場合、各作業者の作業範囲と仕事の内容は、非常に明確に区分されている。日本の場合では、互いにカバーし合う「カバーエリア」が存在する。作業過程はアメリカ企業が個人に依存する作業体制であるの対して、日本は、チームワークを通じて作業を完成させる体制である。中国でのライン編成は、アメリカや日本とちがって、能力に応じた作業分担の原則を貫徹されている。中国方式は、能力に応じて仕事を完成させる点では日本企業と似ているが、作業者の間にはっきりした境界がある点は、アメリカの方式と近い。 このような作業上の分担の相違によって、米国のような硬直な生産方式は、能率向上を図ることは難しい。日本では、チームワークによる作業と現場での助け合いによって、常に作業時間を短縮し、能率をあげる合理化の方向へ進む。中国は、個人の能力を発揮させることを重視するので、日本ほどではないが、米国よりは能率向上の可能性が存在する。そして、こうした作業編成上の区別により、各国はそれに見合う査定と賃金システムができあがった。このアメリカ、日本、中国の生産システムの特徴を一言で表現すれば、アメリカは「作業分担の平準化+職務区分による明確な賃金システム」であり、日本は「チームワークによる作業+査定による属人的な賃金システム」であって、中国は「能力に応じる作業分担+差をつける賃金システム」である。 こうした形成されつつある中国の生産システムの柔軟性について、アメリカよりは一定の柔軟性をもつが日本よりは劣っているといえる。日本のような長期間をベースにして人を評価するシステムに対して、中国は短期間で対価が見えるシステムとなる可能性が高い。しかし、いずれにしても人材を大事にし、人材開発・活用システムがその国の状況と慣習に合わせて形成されることこそが、技術の移転と形成の究極な目標ではないのであろうか。 80年代において、中国テレビ産業は、技術移転と産業成立期であった。それに対して、90年代は、独自の中国的特色のある産業の形成期になるであろう。本格的に市場経済に向かいつつある中国経済と産業は、国際競争力をつけるために人材開発・活用システムの形成、研究開発体制の強化、独自部品体系の完成、流通販売制度の成立、規模経済の実現など残された課題は山ほど多い。これらの問題を解決するためには、中国企業の自身による持続的な学習と努力に依存するしかほかには方法がないのであろう。 |