学位論文要旨



No 110920
著者(漢字) 郝,燕書
著者(英字)
著者(カナ) ハオ,ヤンシュウ
標題(和) 中国テレビ産業における技術の移転と形成
標題(洋)
報告番号 110920
報告番号 甲10920
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(経済学)
学位記番号 博経第90号
研究科 経済学研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 安保,哲夫
 東京大学 教授 中兼,和津次
 東京大学 教授 森,建資
 東京大学 教授 田嶋,俊雄
 東京大学 助教授 竹野内,真樹
内容要旨

 70年代末から80年代の初頭にかけて生じた中国国内のテレビに対する爆発的な需要といった市場条件のもとで、中国のテレビ産業は、「移植産業」として成立し、急速に発展してきた。本研究は、改革・開放後の中国テレビ産業の発展について、日本的生産システムの中国への移転と中国的生産システムの形成という視点から、考察することを課題としている。この課題を解明するために、理論検討と実態分析という両面から研究を行い、企業調査と事例研究を中心に、そのダイナミックな過程と実態を追跡した。

 まず、理論検討の部分では、日本の代表的な学者の諸説の検討を通じて、人材開発と活用システムに支えられた現場主義的な生産技術こそ、日本的生産システムの優位であることを明らかにした。このような人的要素と密接に結び付いた生産システムは、「I(モノ)→II(モノとヒト)→III(ヒト)」という三つの側面が絡み合って、総合的に関連する有機体であるという特質を取りだした。そして、日本的生産システムの海外への移転に関する考察視点として、安保研究グループの「適用と適応モデル」を取り上げ、アメリカと全く国情の異なる中国の現地側の影響要因を考慮し、このモデルを修正した。日本的生産システムの中国への移転は、日本企業側の適用と適応であると同時に、中国現地側の吸収と学習が必要であるという、双方の持続的な過程であることが分かった。このような日本企業の技術優位及びその移転過程の特徴にしたがって、「段階的な技術の移転と形成のモデル」という中国への技術移転を考察するための視点を提起した。

 こういう視点に基づいて、国営企業の東風公司と日本三洋の間で行われた技術合作方式、国営企業の牡丹公司と日本松下の間でなされた技術提携方式、福建省と日本日立の間で成立した合弁企業の福日公司、華強公司と三洋の間で成立した合弁企業の華強三洋公司、そして三洋が経済特区に設立した独資企業の蛇口三洋公司など、経営形態と技術移転方式の異なる五つの事例に対する実態調査の資料をもとに、「日本的生産システム」の移転の経過・実態・問題点をそれぞれ考察した。分析された各ケースの諸側面を総括すれば、中国における日本的生産システムの移転と形成の結果は、下記のようにまとめることができる。

 (1)中国の社会的条件、労働力事情に応じた適正な生産設備と製造技術。

 (2)作業長を中核とする柔軟な現場組織・「工程の中での品質のつくり込み」を支える全員品質管理体制。

 (3)QCサークル、提案制度を中心とする現場改善活動

 (4)労働意欲を呼び起こし、技能形成を重視する労務・人材管理制度

 (5)部品メーカーへの支援指導、協力関係づくりの部品調達体系。

 これらの諸側面は、日本企業が中国の現地の事情に適応しながら持ち込んだものが、中国の事情にあわせて変形され形成されたものである。言い替えれば、現段階で日本的生産システムの中国への移転と形成の最高段階のものである。しかしながら、これはあくまでも合弁企業と成功した企業から取りだしたもっとも優れた側面で、理想的な結果である。個別の企業を具体的にみると、その移転の項目、移転の度合はかならずしも一致しない。

 まず、中国の対外開放政策が実施されたばかりの時期で、テレビ産業の生産技術が立ち遅れた時に進出したという共通の背景のもとで、各社は基礎的な製造技術の移転からはじまり、このモノの移転といった第I階段から、徐々にII、IIIという階段へ進む傾向は共通である。しかし、II、IIIという階段へ進めば進むほど、形成されるものの個性を表している。その中に、他の企業が順調に進んだのに対して、東風は技術移転当初にはいパフォーマンスを現したが、80年代後半に経営不振に落ち、牡丹に吸収され合併されるという結果になった。

 この技術の移転と形成が最終的に成功しなかった東風の事例について、他の企業と比べながら、いくつかの原因を考えられる。まず、合弁企業の福日と比べると、国営企業のもとでの技術合作方式は、生産システムの移転の度合と項目において、特に現場改善活動、人材開発及び育成システム面の移転にその限界を表わしている。また、国営企業の牡丹の成功例と比べると、東風には「吸収と学習」の意欲、さらに自社の独自のものへの一層の形成の努力が欠如していたのではないかと思う。技術移転の当初は東風側に技術者が多く、生産技術と「手法」のところに、「吸収と学習」に積極的な意欲をみせた。しかし、日本人技術者がいなくなると、東風はただ日本的「手法」の点にとどまり、現場作業員の教育・訓練や品質意識の向上に目を向けないか、その熱意に欠けていたようである。その中に、QCサークル、提案制度による労働者の参加や、さらに労働意欲を呼び起こし、責任感を持たせる労務、人材管理制度の導入は、従来の国営企業の硬直的な体制のもとで、大きく制約された。この人材開発・育成の側面は、国営企業の技術形成の問題も関連する。同じ国営企業である牡丹は、日本企業から技術の導入と移転を行うと同時に、さらに企業内外の改革に力を入れた。それによって、牡丹独自の人材育成システムを形成しつつあるが、東風はこの面では実現できなかった。人材育成に取り組むことは、人的要素を重視する日本的生産システムの移転にとって、重要かつ不可欠な部分であり、中国的生産システムの形成の中心をなす部分である。この人材開発・活用システムが形成できなければ、移転される手法の部分もうまく維持できなくなるのである。

 このように、成功した企業は、「I(モノ)→II(モノとヒト)→III(ヒト)」というプロセスで段階を経て徐々に高いレベルへ進んだのに対して、成功していなかった企業は何らかの理由により、このプロセスが示す方向へ進めなっかたか、あるいは中断したかということである。このようにして、特質を持つ日本的生産システムの移転を成功させるために、日本企業の持込みに加えて現地側の学習の意欲と長期的な蓄積という両方の努力が不可欠であることを明らかにした。とくに中国国営企業の場合は、技術の吸収と学習のために制度面の改革と整備が重要であることも明確になった。こうした多様な方式のもとで、日本的生産システムの移転に関する共通点と相違点は、むしろ、この移転側の「適用と適応」と現地側の「吸収と学習」の相違、技術の移転と形成の組み合わせによって生じた結果であることが分かった。

 しかし、日本的生産システムの中国への移転と形成の結果を見ると、日本的な要素も中国的要素も含まれており、融合を通じて一つの新しいものになったといえよう。形成されつつある中国的生産システムにおける一つの例示を取り上げ、日本やアメリカのシステムと比較しながらその特徴を次のように指摘できる。作業分担の編成からみると、米国の場合、各作業者の作業範囲と仕事の内容は、非常に明確に区分されている。日本の場合では、互いにカバーし合う「カバーエリア」が存在する。作業過程はアメリカ企業が個人に依存する作業体制であるの対して、日本は、チームワークを通じて作業を完成させる体制である。中国でのライン編成は、アメリカや日本とちがって、能力に応じた作業分担の原則を貫徹されている。中国方式は、能力に応じて仕事を完成させる点では日本企業と似ているが、作業者の間にはっきりした境界がある点は、アメリカの方式と近い。

 このような作業上の分担の相違によって、米国のような硬直な生産方式は、能率向上を図ることは難しい。日本では、チームワークによる作業と現場での助け合いによって、常に作業時間を短縮し、能率をあげる合理化の方向へ進む。中国は、個人の能力を発揮させることを重視するので、日本ほどではないが、米国よりは能率向上の可能性が存在する。そして、こうした作業編成上の区別により、各国はそれに見合う査定と賃金システムができあがった。このアメリカ、日本、中国の生産システムの特徴を一言で表現すれば、アメリカは「作業分担の平準化+職務区分による明確な賃金システム」であり、日本は「チームワークによる作業+査定による属人的な賃金システム」であって、中国は「能力に応じる作業分担+差をつける賃金システム」である。

 こうした形成されつつある中国の生産システムの柔軟性について、アメリカよりは一定の柔軟性をもつが日本よりは劣っているといえる。日本のような長期間をベースにして人を評価するシステムに対して、中国は短期間で対価が見えるシステムとなる可能性が高い。しかし、いずれにしても人材を大事にし、人材開発・活用システムがその国の状況と慣習に合わせて形成されることこそが、技術の移転と形成の究極な目標ではないのであろうか。

 80年代において、中国テレビ産業は、技術移転と産業成立期であった。それに対して、90年代は、独自の中国的特色のある産業の形成期になるであろう。本格的に市場経済に向かいつつある中国経済と産業は、国際競争力をつけるために人材開発・活用システムの形成、研究開発体制の強化、独自部品体系の完成、流通販売制度の成立、規模経済の実現など残された課題は山ほど多い。これらの問題を解決するためには、中国企業の自身による持続的な学習と努力に依存するしかほかには方法がないのであろう。

審査要旨

 本論文は、燕書氏から課程博士号学位請求論文として、1994年11月30日、東京大学大学院経済学研究科現代経済専攻部門に提出されたもので、その目次構成はつぎのようになっている。

 序章 研究課題と視点

 第一部 理論検討

 第1章 日本的生産システム及びその移転理論に関する検討

 第2章 日本的生産システムの優位と中国への移転に関する考察視点-その調査・作業・考察の枠組み-

 第二部 実態分析

 第3章 中国テレビ産業発展の概観と日本企業の進出経路

 第4章 東風の事例-技術合作方式-

 第5章 牡丹の事例-技術提携方式-

 第6章 福日の事例-老廠改造方式-

 第7章 経済特区に立地する2事例

 終章 総括と展望-中国的生産システムの成立へ-

 なお本論文は、1994年3月31日に準備論文として提出され、同9月7日の面接において、安保哲夫(主査)、竹野内真樹、田嶋俊雄の3名により詳細な評価講評がおこなわれ、博士論文に完成するための助言、指導が与えられた。

1.研究の課題と内容

 本論文は、中国テレビ産業の成立過程を日本企業と中国企業による日本的生産方式の移転との関係において実証的に分析し、中国における技術の吸収と移転の問題を国際比較の視点から考究したものである。中国のテレビ産業は、在来型とは異なる新産業として、1980年代の10年間に、主として日本企業を通じた技術移転によってほぼ自立しうる産業基盤を形成し、89年には世界最大のテレビ生産量を実現した。このきわめて興味深い研究対象について氏は、日本的生産システムの特性とその国際移転に関する諸理論を検討しつつ中国に適合的な調査・分析枠組みを案出し(1、2章)、そのうえで日本の親工場とともに数回にわたる現地の日系企業工場と中国国営企業の調査から得た膨大かつ貴重なデータや資料をケーススタディとして徹底的に整理・分析し、技術の移転と吸収・形成の内容、過程、成果を定量的かつ定性的に評価する(3〜7章)。そしてこれを踏まえて、日本的システムのアメリカへの移転のケースなどとの比較を行いつつ、「中国的生産システム」成立への独自な展望を試みている(終章)。

2.調査・分析枠組みの理論的検討

 第1章では、既存の関連研究をかなり広く検討しつつ、日本的生産システムの競争優位に関わる特性とその国際移転の調査・分析に伴う理論的諸問題が考察されている。そのさい氏が調査・分析枠組みとして採用しているのは安保哲夫とそのグループによる適用・適応モデル」であるが、これは、基本的にはアメリカへの移転に即して構築されたこと、技術を持ち込む日本企業サイドから見たアプローチであることなどから、中国への適用に際してはいくつかの修正を要するとして、次の諸点をあげる。1)受け入れ側の立場からみた「学習と吸収」の視点の重要性の強調、2)現地生産の形態の多様性に即したケーススタディの採用、3)産業社会の社会・文化的相違を考慮した日本的生産システム理解の再検討、などである。いずれも適切な観点であり、こうした修正によって、氏のこの問題に対する理解の深さ、視野の広さが示されている。

 日本的生産システムの理解に関する諸理論の検討では、さらに8つもの諸説を取り上げて、かなり丁寧にポイントを紹介し主要な論点を分類しつつ、2章以下の調査・作業・考察の枠組み作りにつなげていく。これ自体はよくできた研究サーベイとなっているが、あとの分析との関連ではやや重く、しかも使えるところを評価するといったご都合主義がみられるところもある。批判点もより明確に指摘してバランスのとれた叙述にすることが望まれる。

 第2章では、以上を受けて、「安保モデル」をベースとしつつ「日本的生産システムの諸要素」を企業内、企業間に分けて再構築し、さらにそれを技術移転の段階論に拡張使用する。こうした意欲的試みは高く評価されるべきであり、ことに中国への移転・吸収を考慮に入れた要素項目の補充・再配置や段階論の導入は、中国人研究者であることのメリットがよく生かされたものとして、この分野の今後の研究の発展に貢献するところが大きい。ただし、その内容が全て適切であるとは必ずしもいえない。「人材の開発と形成の部分」といったグルーピングの仕方は有益だが、こうした分類における諸要素項目の選び方と配置の仕方にはかなり整合的でない部分が見受けられる。また移転の発展段階としてのグループの並べ方にも疑問がある。

3.実態分析

 第3章では、個別のケーススタディに入る前に、中国テレビ産業の発展および政府の対外開放政策と関連した日本企業の進出経過が概観されている。しかるべき資料に基づいたデータによりつつ産業としての技術的発展の沿革がたどられ、1960年代の真空管テレビ、70年代のカラーテレビ、そしてそのトランジスター化まで一応国産技術による開発が進むが、なお量産体制の確立にまでは到らず、結局80年代においてIC技術への転換と大量生産方式を軌道に乗せたのは、対外開放政策下の日本企業を中心とする外国企業による技術導入であった事実が、明らかにされる。

 第4、5章では、東風と牡丹という国営企業において、それぞれ技術合作方式、技術提携方式という形で日本企業の技術が導入され、吸収・形成されたケースについて、現地企業からの貴重な資料収集と日本企業側のインタビュー情報による豊富なデータが、上述の評価分析モデルを適用しつつ、詳細に深く分析されている。

 第4章の東風のケースにみられる技術合作方式とは、委託加工の形をとったKD方式であり、それに伴い比較的手軽に日本企業の生産技術や現場管理のノウハウが移転され,中国における流れ作業式大量生産方式導入の第一歩となった点で興味深いが、限界もある。この方式自身短期型で、日本的システムのヒトに関わる仕組みやそれを支える人材形成の方式などをじっくり移転・吸収する時間的余裕もないままに契約が切れてしまい、技術移転の初期的段階に終わってしまった。このケースについては、日本企業が関係していた時とその関係が切れたあととで、技術の定着度がどう変わったかなど、今少し現場組織に即して追究されることが望まれる。

 他方第5章の牡丹にみられる技術提携のケースは、より長期にまた日本企業が直接に責任を持つ形でハードの技術とシステムの移転が行われるため、委託生産の限界は相当程度克服される。こうして国営企業についても、国家の直接統制を離れて現場に即した改革の方向を探る手がかりが見えてきたのだが、その過程はなお始まったばかりであり、余剰人員の整理といった難しい問題をも含んでいるとされる。そうした点をさらに分厚いデータのきめ細かい分析を通じて具体的かつ明快に叙述している。ただここでも、賃金制度など現場組織にさらに立ち入った分析があればなお良いという指摘があった。

 第6、7章では、日本企業の経営・生産過程へのコミットメントがさらに高い、いわゆる日系企業の現地工場を通じた技術移転のケースが分析されている。第6章の福日の事例は、中国国営企業が日本の日立と50-50%の合弁子会社を設立し-"老廠改造方式"-、日本企業が直接投資によって自らの手でより本格的に現地生産にコミットするもので、10年かけて大量生産の体制が確実に成立し、生産性、品質とも東風などの水準をかなり上回ったことにより、多少の変動を含みつつ黒字転換、輸出の伸展など、良好なパフォーマンスをあげつつある。それを可能にしたのは、中国の社会的条件や労働事情・技術レベルなどを考慮しつつ、それに適合的な生産設備を導入し、作業長を中核とするさまざまな日本式の現場管理方式-「工程での品質の造り込み」をめざす全員検査体制、労働意欲と責任感を向上させる労務・人事管理制度、部品メーカーとの協力関係作り、など一を適用したことである。これは、日中の両方式を適切に組み合わせた「混合物」で「福日生産方式」と呼ばれ、今後国営企業を含めて中国における生産方式のモデルケースになりうると評価されている。学問的に手応えのある重厚な分析であると同時に、実践的にも十分説得的な問題提起になっている。

 第7章の経済特区に立地する三洋電機関係の二つの事例は、50%、100%(独資)出資の形でいずれも深に設立された子会社で、中国華南地域の豊富な労働力利用を主眼としつつ、モノ、ヒト、カネ全ての面において香港を重要な媒介ルートとする外向きの生産拠点である点に特徴がある。独資の蛇口三洋は3年交替の若い臨時契約女子工を好都合に活用できているのに対し、合弁の華強三洋は中国側パートナーとの関係でそれに一定の制約を受けるといった違いはあるものの、いずれも香港人の重要な役割など共通の強味をもち、良好なパフォーマンスをあげているが、中国経済への貢献度は低く、発展にも限界があると評価されている。本章も、中国における日系企業による現地生産の一つの典型的なタイプを巧みに特徴づけた有益な分析になっているが、6章と比べるとやや薄く、また上の評価は、技術移転の観点からは説得力があるものの、それが直ちに発展の限界につながるかどうかにはなお考究の余地があろう。

4.総括と展望

 終章では、以上の中国の事例をアメリカへの技術移転の場合と比較しつつ総括し、「中国的生産システム」の成立について、大胆で示唆的な展望を示している。総括の部分で特に強調されていることの一つは、人的要素を重視する日本システム移転の決め手は、その「吸収と学習」を可能にする人材の開発と形成がどのレベルまで行われるかということであり、その点が1章で展開された3段階論-I(モノ)→II(モノとヒト)→III(ヒト)-との関係で論じられる。ただ、IIIに関わる人的なスキルや管理能力の開発・形成が進まなければ技術が現地社会に定着しないというのがこの問題におけるまさに核心部分だとすれば、IIIが先にきてIとIIIを総合する形でIIに到るとみた方がよいかもしれない。いずれにせよこうした点は、さらに詰めて検討されるべき重要な課題である。もっとも、1章に関して指摘したように、システムを構成する諸要素の各段階への振り分けについては氏自身なお考慮の途上にあり、難しい問題なので、現時点で細部についてまで決定的な結論を要求するのは酷かもしれない。

 こうした考察を踏まえて、日本システム、アメリカシステムと比較しつつ、中国的生産システムを展望する一つの理想型を提示する。ポイントは、作業を行うときの柔軟性にあるが、現在の中国は、作業分担を完全に平準化するアメリカに比べて一定の柔軟性をもっているが、現場従業員の自主性に大きく依存する日本との比較では、管理者の裁量がより重要な役割を果たすので、両国の中間に位置する。そうした違いの背後には、査定と評価の仕方の違いに関わる経済社会的な背景があり、現在の中国では、短期的な成果を評価する能力主義的方式がより適合的であるという、

5.総合評価

 以上のように、本論文は、日本的生産システムの国際移転と中国産業に関する既存の研究成果を批判的に継承しつつ、精力的な資料収集とそれの丹念で深い分析評価をおこない、テレビ産業の事例を通じて、中国における技術移転・吸収・形成に関する研究の一つスタンダードを提示したものといえよう。個々の章について、いくつかの論点に関わる評価をこれまでにもある程度指摘してきたが、以下評価と問題点についてまとめて述べておこう。

 本論文において達成された学問的功績としては特に次の点が評価されよう。第1に、中国への技術移転を中心としたテーマについて、既存の研究状況を広く深く検討しつつ、技術の「学習と吸収」の段階論に焦点を当てた独自の調査・分析枠組みの構築を試み、膨大な資料、データの収集と分析を精力的におこなった成果は、高く評価される。これによって、中国における技術移転を通じた産業の形成発展のプロセスそのものの解明のみならず、それを研究する一つの有力な方法が同時に提示され、いずれも学界に寄与するところ少なくない。

 第2に、その調査分析の成果が、いくつかの日本企業と中国国営企業による技術の移転・吸収の多様な形態を取り上げたケーススタディとして示され、中国における技術と産業の形成発展の諸経路を比較・総合的に考察するのに有益な視点が提供されていることである。これも今後この分野における研究の進展に貢献するところ大なるものがあろう。

 第3に、最終章で日本およびアメリカのシステムとの比較においてなされた「中国モデル」の指摘は、文脈のうえでやや飛躍があるとはいえ、政策的含意の点でも示唆に満ちた大胆な問題提起であり、これまた今後の研究発展を促進する一つのステップとしての意義をもつものと評価される。

 他方において、本論文にはさらに再検討され、不足を補って完成度を高めていかなければならない課題も少なくない。第1に、本論文の大きなメリットの一つである中国版調査分析枠組みにおいて、なお不整合でさらに考究を要する点が多々みられる。システムを構成する諸要素の分類・位置づけ、それらの発展段階論への組み込み、さらに遡ってテレビ産業の技術・技能の日本モデルにおける位置づけなど、大変難しい問題だが、今後十分再検討することが必要であろう。

 第2に、本分析を通じて、日本システムの導入によって中国テレビ産業の技術的発展が支えられたことはわかるが、さらにたちいって、システムのどの部分がどのように効いているのか、特に職場組織、賃金制度などの具体的な仕組み、機能などに即した分析が一層深められることが望まれる。

 第3に、中国に特有の労働組合、さらには共産党の役割について、さらに立ち入った考察があれば、中国モデルの一つの重要な側面が上りよく見えてくるかもしれない。

 第4に、全体として、章節の構成や文章についてなお推敲が加えられ、最終的にはいま少し簡潔な論文に仕上げていくことが望ましい。

 以上のように、本論文は、いくつかの問題が残っているにせよ、国営企業改革まで見据えた中国の産業発展の全体像に迫ったスケールの大きい研究であり、学界に大きな貢献をすることは明らかである。よって、審査員は全員一致して本論文が博士(経済学)の学位を授与されるにふさわしいものと判断した。

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