細胞外マトリックスは、細胞増殖因子、サイトカインなどと並ぶ細胞機能制御因子で、細胞表面レセプターを介して細胞の増殖・分化・代謝・形態・移動などに影響を及ぼしている。これら細胞機能の制御メカニズムの詳細を明きらかにするには細胞外マトリックスがつくる3次元の固相微小環境の構造についての理解が必須である。コラーゲンは細胞外マトリックスの主要構成成分である。その会合体構造はマトリックスの骨格構造を担っていると推定されているが、コラーゲンの分子構造、分子間相互作用、会合体構造、さらに他の細胞外マトリックス成分との相互作用がどうなっているかは明きらかになっていない。これはコラーゲンが不溶性のタンパク質であるため、従来の生化学的手法では分子の全体像や分子間相互作用について実験的に証明することが非常に困難であることによる。そこで、ペプシンなどのプロテアーゼにより構造の一部を切断して可溶化し、得られたぺプチド断片の解析からもとの会合体構造を推定する試みがなされてきたが、これでは分子の全体像や会合体構造と分子構造の関係についての知見は得にくい。このような状況のなかで、私はウシレンズカプセル基底膜組織からコラーゲン(IV型)が、原理的には非酵素的に全てが可溶化されるということに着目した。IV型コラーゲンの非酵素的抽出法が確立されている組織はマウスEHS腫瘍およびウシレンズカプセル以外には殆どない。ウシレンズカプセル組織から可溶化される成分のうち量的に多いものの構造、分子間相互作用、会合体構造の関係について検討をすすめることが、レンズカプセルの構造、機能について明きらかにする手掛かりを得る第一歩となると考えた。 村岡らおよび中里らの研究(未発表、論文作成中)から、ウシレンズカプセル由来IV型コラーゲンが他の成分の存在を必要とせずに様々な条件下で自己再会合(ゲルを形成)することがわかった。一方、村岡らはウシレンズカプセル組織抽出物中にはIV型コラーゲン鎖サイズのものが3本存在し、Mr=180k、175k、160kで、これらのポリペプチド鎖は実験操作中に生まれたアーティファクトではなく、組織中に存在するものであることをすでに報告している。以前より、生体中のIV型コラーゲンは2種のポリペプチド鎖(1(IV)鎖及び2(IV)鎖)からできていると考えられている。ウシレンズカプセル由来のポリペプチド鎖のうち180k、175kポリペプチド鎖は、1(IV)及び2(IV)に対応していると推定されているが、160kポリペプチド鎖についてはどちらであるのか、あるいは又別種の鎖由来のものなのか分かっていない。ウシレンズカプセルに存在する、160kIV型コラーゲンポリペプチド鎖が何かは、160k鎖が180k鎖と同程度の量存在することから考えて、IV型コラーゲン再会合ゲルの構造、さらにレンズカプセルの構造と分子構造の関係を明きらかにするうえで重要なポイントと思われる。そこで160kポリペプチド鎖の構造を調べた。 村岡らは、CNBrぺプチドマッピング、2次元電気泳動の結果から、160kは化学的に175kとは異なり180kと類似のポリペプチド鎖であることを報告している。又Taylor & Grantは、S.aureus V8 proteaseを使ったぺプチドマッピングの結果から、180kと160kの類似性を示唆している。160kポリペプチド鎖が由来する鎖を明らかにするために次のような特異性を有する単クローン抗体を用いた。まず単クローン抗体のエピトープについて検討し、これがアミノ酸配列[KGEPGLPGRGFPGFP]の中に含まれていることが明らかになった。この配列はヒト1(IV)中(at position 1165-1179)にも存在する。この抗体はマウス1(IV)中の配列[KGEQGVPGRGFPGFP](at position 1165-1179)とは反応しない。4番目のアミノ酸(P→Q)、及び6番目のアミノ酸(L→V)の置換のため抗体が反応しなくなったと考えられる。ヒト1(IV)の上記のアミノ酸配列とホモロジーの高い配列をもつものは、現在既知のアミノ酸配列にはマウス1(IV)以外にない。以上のような特異性をもつ単クローン抗体を以下の160kポリペプチド鎖の解析に用いた。ウシレンズカプセル非酵素抽出物を電気泳動したところ、これまでの報告と同様にIV型コラーゲン鎖サイズ付近に180k、175k、160kの3本のポリペプチド鎖が観察された。180kと160kのタンパク染色後のバンドの濃さはほぼ同等であった。3本のバンドはいずれもIV型コラーゲン抗血清と反応した。上記の単クローン抗体を使ったイムノブロッティングの結果、180k及び160kポリペプチド鎖との反応が見られた。両者の染色の濃さは180kと160kで差がなかった。この抗体は175kポリペプチド鎖とは反応しなかった。次に抗体と反応するポリペプチド鎖が、180k、160kの位置に泳動されるポリペプチド鎖の主要成分かどうか調べるために、尿素入2次元電気泳動を行った。尿素入電気泳動では、コラーグンポリペプチド鎖間の何らかの性質の違いにより、移動度の遅れ方に差があることが知られている。例えば、175kは180kと比べて尿素による移動度の遅れが少ない。180kあるいは160kのバンドに主要タンパクのスポットと異なる分布が抗体染色で観察される可能性がある。この2次元電気泳動の結果、180k、160kのポリペプチド鎖に対応するタンパク染色スポットと、単クローン抗体と反応するスポットが一致し、タンパク染色の濃さと単クローン抗体での染色の濃さの相対比は180kと160kで差がなかった。すなわち単クローン抗体は180k及び160kのポリペプチド鎖に対してほぼ同等のアフィニティーで結合した。この結果は2つのポリペプチド鎖は同じアミノ酸配列を共有していることを示している。以上の結果と160kが180kと化学的に類似していることから、牛レンズカプセル組織中に存在する180kと160kポリペプチド鎖は1(IV)鎖由来であると示唆される。最近、今村によってウシ1(IV)鎖の部分DNA配列がヒト1(IV)の配列をもつcDNAプローブを用いて決定されたが、その中にヒトのこのエピトープ領域に対応する部分が含まれていた。その部分のアミノ酸配列は[KGESGLPGRGFPGFP]で、ヒトの上記の配列の4番目のアミノ酸がPからSへと置換していた。 180kと160kは同じ1(IV)鎖から由来しているが、両者の20kの長さの差はいかなる一次構造上の差異によるのであろうか。IV型コラーゲン分子は3本のポリペプチド鎖からなり、3つの異なる構造ドメインを有している。それらはアミノ末端の7Sドメイン(19kDa)、それに続くトリプルヘリカルドメイン、カルボキシル末端のNC1ドメイン(25-30kDa)である。全てのドメインが分子間相互作用に関係しており会合体形成に重要であると考えられている。160kがどのようにして生じたかは180kとの比較から、(I)オルタナティブスプライシング産物である(1(IV)のオルタナティブスプライシングについての報告はない)、(II)糖鎖修飾に差がある、(III)プロセッシングによってできた、の3つの可能性が考えられる。I型コラーゲンの場合は会合体形成に伴ってプロコラーゲンのプロペプチドの切断が起こる。ウシレンズカプセル上皮の器官培養における培養上清中のIV型コラーゲンではその主要構成成分がMr=180k、175kであるのに対して、組織抽出物中にはこれらに加えて160kのサイズのものが存在し、Mr=180k、175k、160kの3本のポリペプチド鎖が主要成分である。このことから160kがプロセッシング産物である可能性が考えられる。180kから160kが生成されると考えた場合、160kは180k鎖のどこがプロセスされたものであろうか。C末端側のNC1ドメインが存在するかどうかをNC1ドメインのC末端部分を認識する単クローン抗体との反応性によって検討した。イムノブロッティングの結果、この抗体は180k、160kと反応した。精製160kポリペプチド鎖をバクテリアコラゲナーゼ(コラーゲン性のアミノ酸配列を特異的に切断する酵素)処理するとNC1ドメイン(non-collagenous domain)のサイズに相当するぺプチドが検出された。以上よりウシレンズカプセル組織中にIV型コラーゲンの主要成分である180k=1(IV)鎖と共に長さの異なる160k=1(IV)鎖がほぼ同量存在する(それぞれ全タンパク量の約1/3を占める)こと、さらに160kにNC1ドメインが残っていることが示唆された。160kは180kから7Sドメインがプロセッシングによって切断されたポリペプチド鎖である可能性が高い。これまで会合体形成(あるいは組織への沈着)にともなうIV型コラーゲンのプロセッシングの有無については報告例がなく、種々の総説ではIV型コラーゲンはプロセスされないとも記述されている。 本研究によりIV型コラーゲンにプロセッシング反応が存在し、それが生物学的に重要な意味を持つ可能性があることが推測された。本研究の意義はIV型コラーゲンの会合体形成について新たな可能性を見いだしたことにある。今後の展開としては、(1)160k産生が会合体形成のどの段階でおこるのかについて明らかにすること、(2)160kポリペプチド鎖がIV型コラーゲン分子の性質(7Sドメインが失われているならば、7S-7S間の相互作用には共有結合が存在することから、特に分子間相互作用の性質)をどのように変化させるか、さらにこの観点から160kポリペプチド鎖を含む分子の組成にいかなる多様性があるのか、160kポリペプチド鎖が他の正常ウシ基底膜"組織"中にも普遍的に存在する(沈着している)のかどうかなど具体的な実験計画を視野において検討したい。 |