学位論文要旨



No 110925
著者(漢字) 椎名,久美子
著者(英字) Shiina,Kumiko
著者(カナ) シイナ,クミコ
標題(和) メンタル・ローテーション・テストで評価される空間認識力及びその図学教育との関係に関する研究
標題(洋) Spatial Ability Evaluated by a Mental Rotations Test and Its Relations to Undergraduate Graphics Education
報告番号 110925
報告番号 甲10925
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(学術)
学位記番号 博総合第56号
研究科 総合文化研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 鈴木,賢次郎
 東京大学 教授 永野,三郎
 東京大学 教授 平沢,澪
 東京大学 助教授 加藤,道夫
 東京大学 助教授 下條,信輔
内容要旨

 大学初等学年における図学教育の目的の1つは、学生の「空間認識力」を向上させることと考えられている。図学で要求される「空間認識力」は、紙の上に描かれた2次元の図を実際の物体と結び付けて操作する能力を漠然と意味している。一方、心理測定学の分野においては、いろいろな「空間テスト」が開発され、それらの因子分析によって、知能の構成要素としての「空間認識力」の構造についての研究がなされてきた。いわゆる「空間テスト」に用いられている課題の難易度、複雑さは様々であり、それらのテストによって反映される「空間認識力」は、図学で要求される「空間認識力」よりも広い範囲の能力をさすと考えられる。

 近年、図学教育に関連して、学生の「空間認識力」を評価する試みが米国を中心に行われているが、それらの研究では「空間認識力」の指標としてメンタル・ローテーション・テスト(MRT)が最も広く用いられている。MRTは、Vandenberg & Kuseによって作成されたペーパーテストであり、基準図形と同じ立体(基準図形を鉛直軸に対して回転した図形)を4つの選択肢の中から2つ選ぶものである。全20問の中には、基準図形と不正解選択肢が鏡像関係にある問題(鏡像問題)と、そうでない問題(異物問題)の2種類の問題がある。MRTはShepard & Metzlerのメンタル・ローテーション課題をもとにして作られているが、名前の通りに本当にメンタル・ローテーション(心的回転)の能力を反映しているのかどうかは未解決である。にもかかわらず、「空間テスト」で反映される「空間認識力」と図学教育で獲得されると考えられる「空間認識力」は、しばしば混同されて用いられているのが現状である。本論文では、MRTの解決過程の個人差について分析することにより、空間認識力のどの側面がMRTの得点に反映されているかを考察した。更に、MRTに反映される能力と図学教育との関係を調査した。

 MRTの解決過程の分析手法として用いたのは、多人数を対象としたペーパーテストの誤答分析と、少人数の解決過程を詳細に分析できる注視点分析である。また、Shepard-Metzler課題を心的回転で解くよう方略を強制して得られた反応時間関数の角度差に対する傾き、切片から各被験者の心的回転の能力を評価して、方略と比較した。

 誤答分析によって、高得点者は着手した問題について速く確実に解答することが示された。高得点者グループで誤答が多かった問題では、心的回転して基準図形に一致させようとすると奥に隠ぺいされて見えない部分が生じる選択肢や、基準図形と位相が同じで長さが異なる選択肢に、誤りが偏る傾向が見られた。すなわち、高得点者は心的回転でMRTを解決していることが示唆された。注視点データは、高得点者が、基準図形と各選択肢順交互に見比べて解答することを示しており、無駄の無い規則的な心的回転によって問題を解決していることが示された。

 低得点者グループについては、1問解くのにかかる時間が長いうえに、着手しても間違う傾向が誤答分析から示された。更に、鏡像問題の平均点が異物問題の平均点より低く、それらの差は有意であった。異物問題は、図形を構成している上下の腕状の部分が平行か垂直か、に着目すると、心的回転せずに正解を得られるのに対し、鏡像問題は上下の腕の関係だけからは正解を得られない。すなわち、低得点者グループでは、心的回転以外の方略を用いて問題を解決している可能性が示唆された。

 注視点の分析から、低得点者の解決過程には以下の3つの方略が含まれていることが示された。低得点者の中には、以下の3つの方略のうち、主に使う方略が一定している者と、問題ごとに異なる方略を用いる者がいることが示された。(1)冗長な心的回転。高得点者と同様に基準図形と選択肢を交互に見比べていくが、高得点者の場合に比べて冗長で誤りが手い。(2)図形の特徴検出。基準図形を比較的長時間見ている間に上下の腕の特徴などを検出して、各選択肢の対応部分をチェックしていく。異物問題には有効な方略だが、鏡像問題では誤りを生じやすい。この方略がしばしば心的回転とともに使用されるのは、はじめに検出した特徴から正解を判別できずに心的回転に切り替えるためと思われる。(3)図形の構造を符号化して記述を比較する。各問を解くのに非常に時間がかかる。また符号化する際に左右を間違えやすい。(2),(3)に示された方略は、誤答分析から示唆された方略と一致する。

 低得点者のうち、主に(1)の方略(心的回転)で解いた被験者について、Shepard-Metzler課題の反応時間関数を高得点者と比べると、高得点者の傾きは低得点者より低く、心的回転のスピードが速いことが示された。すなわち、高得点者は制限時間内にたくさんの問題を解くことができる。主に(2)や(3)の方略(心的回転以外)で解いた低得点者が心的回転を強制された場合の反応時間関数の傾きは非常に高く、心的回転速度がきわめて遅いことが示された。また、問題によって異なる方略で解いた低得点者の反応時間関数は高い切片値を示し、心的回転を強制されてもなお、方略が不安定で、心的回転に統一するのが困難であることが示された。以上から、これらの低得点者は心的回転の困難さゆえに、他の方略を用いると思われる。

 以上の解答過程の分析から、MRTの得点には、3次元的な図を心的に回転する能力が反映されていることが示された。このような能力が、図学の内容を理解するのにどの程度要求されるものなのか、図学教育によって上昇するのか、を明らかにするために、以下の調査を実施した。

 図学の教育内容が似ている大学のうち、MRTの平均点が低い大学と高い大学を1つずつ選び、共通の期末試験問題を用いて、広い範囲のMRT得点層について、MRTと図学教育の関係を分析した。試験問題は、三面図の作成問題と基本的な作図問題から成る共通問題と、切断や展開などの応用問題で構成された。

 期末試験問題の得点、図学の期末試験において不合格だった学生の割合(失敗率)に着目して、MRTとの関係を分析した。MRTの得点は、期末試験のうち、三面図を作成する問題や応用問題の得点とはある程度の相関がみられたが、直線の実長、平面の実形などの基本的作図問題の得点とは相関が非常に低かった。先に述べたように、MRTは心的回転能力、すなわち、イメージ操作能力を反映している。上記の相関関係は、三面図作成や図学応用問題の解答には図を介したイメージ操作が必要とされることから説明できる。基本的作図問題においては、イメージ操作の能力よりも、作図方法についての知識の有無が得点を左右するために、MRTとの相関が低いと思われる。また、MRTの得点が非常に低い学生は、失敗率が高い傾向を示した。すなわち、MRTの得点から、図学を理解するのが困難な学生をある程度予想できることがわかった。

 図学授業の学期の前後にMRTを実施したところ、前後で有意な上昇が見られた。しかし、この上昇幅は、図学以外の授業で行った対照調査での上昇幅と同じであり、図学による上昇ではないことが示された。MRTを1週間の間隔で実施したところ、非常に大きな上昇幅が見られ、MRTの得点上昇は練習効果によるものと言える。

 以上から、MRTの得点は、三面図作成問題や応用問題とある程度の相関があることが示され、MRTの得点が非常に低い学生は図学の授業を理解するのが難しいことが示された。また、MRT得点の見かけの上昇は図学教育によるものではないことが示された。

 本研究では、次のことが明らかになった。

 (1)MRTの高得点者は無駄がなくスピードも速い心的回転によって解くこと、低得点者は心的回転が苦手なために、図形の構造を符号化する方略をとったり、心的回転と図形の特徴を検出する方略を併用したりして解くことが示された。すなわち、MRTの得点は三次元図形を心的に操作(回転)する能力を反映していることがわかった。

 (2)MRTの得点は図学教育によっては上昇しないが、三面図作成や応用問題(切断、展開)など図を介したイメージ操作が要求される問題とある程度相関があることがわかった。また、事前に実施したMRTの得点によって、図学の理解が困難な学生を予測できる可能性が示された。

審査要旨

 本論文は、空間テストの1つであるメンタル・ローテーション・テスト(以下、MRT)で評価される空間認識力について、実験的研究を行うとともに、このテストで測られる空間認識力と大学の図学教育との関係について調査研究を行ったものである。伝統的な図学教育においては、手書き作図を基にした図法幾何学が教えられてきたが、近年、CG/CADの導入による図学教育の改革が盛んである。従来から、図学教育の重要な目的の一つは学生の空間認識力の育成にあると考えられてきたが、上記の改革をめぐる議論の中で、その重要性が再認識されるとともに、学生の空間認識力を図学教育との関連において客観的に評価しようとする試みが行われるようになってきた。このような試みにおいて、空間認識力の評価法として最も広く用いられているのが、心理学の分野で開発されたMRTである。しかし、MRTがその名の示す通りにメンタル・ローテーション-心的回転-の能力を反映しているのかどうかは未解決である。また、MRTで測られる空間認識力と図学教育との関係についても、系統的な調査は少なく、必ずしも明かになっているとはいえない。本論文は、MRTの問題解決過程を解析することにより、空間認識力のどの側面がMRTに反映されているかを検討した上で、MRTに反映される能力と図学教育との関係を調査、考察したものである。

 本論文は5章から成っている。第1章は序論であり、上記のような研究の背景、目的、本論文の構成が述べられている。

 第2章においては、心理測定学の分野で開発された空間テストで測られる空間認識力と、大学の図学教育で育成される空間認識力の二つの面から、関連研究を総説するとともに、従来の研究の問題点を示し、本研究の視点を述べている。

 第3章では、一度に多人数のデータがとれるペーパーテストの誤答分析と、少人数を対象としてではあるが、詳しい問題解決過程を直接的に調べられる注視点分析、および、解答時間の測定を組み合わせて、問題解決過程を詳細に調べることにより、MRTに反映される空間認識力について検討している。その結果、高得点者は無駄のない規則的で高速の心的回転によって問題解決していること、また、低得点者は、冗長で低速な心的回転で問題を解く他に、問題図形の特徴を言語化する等の心的回転以外の多様な解決方略を用いることを示している。また、MRTを心的回転以外の方略で解いた低得点者に心的回転を強制して行った実験結果の解析から、これらの低得点者は、心的回転が極めて遅いか、方略を心的回転に統一することが困難であること、つまり、低得点者にみられる方略の多様性は、心的回転の能力の低さと密接に関連していることを示している。以上から、MRTは、「メンタル・ローテーション」という名の示す通り、三次元図形を心的に回転(操作)する能力を反映していることを明かにしている。MRTは、数ある空間テストのうちで最も広く用いられているものであり、空間認識力のどの側面が評価されているかを明確にした意義は大きい。

 第4章では、MRTで測られる心的操作の能力と図学教育との関係について、授業の前後で実施したMRT(以後、前・後テスト)と図学試験の結果を解析し、考察を加えている。前テストと図学試験の関係から、MRTは作図規則の知識の有無を問われる基本的作図問題との相関は小さいが、正投影図作成や応用問題(相貫、展開)等の図を介したイメージ操作が要求される問題とはある程度相関があることを示している。一方、前・後テストの比較によって、MRTの得点は図学授業によっては上昇しないことを示している。はじめに述べたように、図学教育の目的は、学生の空間認識力の育成にあると言われてきた。しかし、筆者がここで得た結果は、MRTで測られる心的操作能力は、図学の学習に必要ではあるものの、通常の図学教育によっては育成されないことを示している。この結果は、今後、図学教育と空間認識力との関係に関する議論を深める上で、資するところが大きいものと思われる。

 第5章は結論であり、本研究で得られた結果を要約している。

 このように、本論文は、広く用いられていながら、得点に反映される能力が明らかでなかったMRTについて、評価される空間認識力を明確にしたものであり、その意義は大きい。また、MRTで測られる空間認識力は、図学の学習に必要ではあるものの、通常の図学教育によっては育成されないことを示した点も興味深い。後者に関連して、図学教育でいわれるところの空間認識力とMRTで評価される空間認識力との関係について、さらに踏み込んだ考察が欲しいとの意見も出されたが、本論文が博士(学術)の学位に値するという点については、審査委員会の全委員が意見の一致を見た。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54431