学位論文要旨



No 110930
著者(漢字) 石原,道博
著者(英字)
著者(カナ) イシハラ,ミチヒロ
標題(和) 多化性昆虫シャープマメゾウムシの休眠戦略と生活史形質の表現型可塑性
標題(洋) Diapause Strategy and Phenotypic Plasticity of Life-History Traits in a Multivoltine Bruchid, Kytorhinus Sharpianus
報告番号 110930
報告番号 甲10930
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博総合第61号
研究科 総合文化研究科
専攻 広域科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 嶋田,正和
 東京大学 教授 松本,忠夫
 東京大学 教授 木村,武二
 九州大学 教授 矢原,徹一
 大阪市立大学 講師 沼田,英治
内容要旨 1.はじめに

 温帯地方に生息するほとんどの昆虫は、不適な季節である冬を休眠による越冬で克服し、好適な季節に繁殖することにより生活環を完了させている(Tauber et al.,1986;Danks,1987)。これらの昆虫の生活環は、生活環の完了に1年以上かかる種を除けば、年間世代数によって1化性と多化性にわけることができる。1化性の昆虫は1年間で1世代しかおくらず、必ず休眠に入って越冬し翌年に繁殖する。多化性の昆虫は1年間に2世代以上を繰り返し、休眠越冬して翌年に繁殖する世代と、休眠に入らずに成長を完了させてその年のうちに繁殖する世代とに分けられる。

 このような多化性昆虫にとって、休眠の開始と休眠を終了させる時期は休眠する世代と休眠しない世代の双方の適応度に関わる点で重要であり(Bradshaw,1986;Tauber et al.,1986;Tauber & Tauber,1992)、これらの休眠の開始と終了に関連した生活史形質には強い選択圧がかかっているものと考えられる(Lees,1968;Saunders,1982)。また、季節の進み方や昆虫が利用する寄主植物のフェノロジーは地理的に、特に緯度と相関して異なってくるので、昆虫が休眠に入る時期も地域集団ごとに異なるはずである(Tauber et al.,1986;Danks,1987)。さらに休眠は休眠終了後の生活史形質に影響を及ぼすことも少数の昆虫で報告されている(Fujiie,1980;Denlinger,1981)。特にエネルギー配分において休眠維持と休眠後の繁殖との間にトレードオフの関係があれば、休眠は休眠世代の適応度を減少させるかもしれない(Denlinger1979;Palmer1982,1983)。休眠はこのように昆虫の生活環の進化において大きな制約となりうる。本研究では、多化性植食性昆虫であるシャープマメゾウムシKytorhinus sharpianusを用いて、(i)休眠の誘導と終了の時期、(ii)休眠が休眠終了後の生活史形質に及ぼす影響、(iii)休眠と生活環に関連した生活史形質の地理的変異、の3点に注目して、生活環と季節適応に関する研究を行った。

2.シャープマメゾウムシの生活環

 Shimada(1988),Shimada & Ishihara(1991)によると、関東地方では越冬明け成虫は4月末に出現し、6月中旬に雌成虫はマメ科の多年生草本クララSophola flavescensの結実したばかりの細い莢に産卵する。第1世代成虫は8月上旬に羽化し、そのころに成熟を完了した莢に産卵する。第2世代幼虫は完熟し乾燥化の進む豆を食べて育ち、その一部は9月中旬から10月初旬に羽化し、莢から露出した乾燥しきった豆に産卵する。第2世代幼虫の残りは4齢後期(終齢)で休眠越冬するが、第3世代幼虫の一部は休眠ステージに到達できずに若齢のまま越冬する。どちらも翌春には羽化する。

3.休眠戦略と化性(PARTI)

 温帯地方で季節の移行を感知するために最も信頼できる環境合図は日長であり、日長は多くの昆虫で休眠の制御に重要な役割を果たしている(Tauber et al.,1986;Danks,1987)。また、気温も休眠の制御に大きく関与している(Tauber et al.,1986;Danks,1987)。そこで、本種を卵から24℃と27℃の2つの温度で日長を様々に変えて飼育してみた。その結果、50%の個体が休眠に入る日長(臨界日長)は24℃で14.5L-9.5D、27℃で14L-10Dとなり、臨界日長より短日では休眠に入り、長日では休眠に入らずに羽化した。休眠に入った幼虫は長日条件に移すだけでも休眠が覚醒される個体が徐々に増えていくが、日長を変化させずに5〜10℃で50日以上の低温処理を行い、それに続いて温度を常温(24℃)に戻すだけで全個体の休眠が一斉に同調されて覚醒されることを明らかにした。この結果から、本種の幼虫休眠の覚醒に冬の低温が関与していることが示された(Chapter 2)。

 また、野外においては、関東地方では第2世代のうち8月のはじめに卵として産下された個体は休眠に入らずに9月中〜下旬に羽化して第3世代の卵を産下するが、8月中旬以降に産下された個体は10月までに休眠に入る部分的3化性であった。休眠越冬している個体は1月中旬には既に休眠発育を完了した状態になっており、温度が発育零点以上にさえなれば発育を再開して蛹化し羽化した。これらの事実は野外においても実験室と同様に日長と温度によって本種の休眠が制御されていることを示している(Chapter 3)。

 さらに9月中旬以降に産下された第3世代幼虫の中には、休眠ステージ(4齢後期幼虫)に到達することができずに、若齢幼虫のまま越冬していた。このような個体は、春になって気温が上昇すれば発育を再開し、冬から春にかけての短日で休眠に入ることなく羽化した。その理由として、実験的に若齢幼虫時期に低温を経験させた個体は低温後の発育再開にあたって、短日条件下であっても休眠が誘導されないことを実験的に確かめた。冬が温暖な関東地方ではこのような若齢幼虫による越冬は死亡率がそれほど高くないのかもしれない(Chapter 4)。

4.生活史形質の表現型可塑性(PART II)

 野外における越冬明け世代の雌成虫は摂食しなければ産卵できない(Shimada,1988)。そのような性質は実験室で休眠幼虫に低温処理を施して羽化させた雌成虫にも見られた。それに対して休眠せずに羽化した雌成虫は摂食しなくてもすぐに産卵することができる。このような性質は明らかに休眠と低温経験に起因するものと考えられる(Chapter 5)。

 まず、エネルギー配分における休眠維持と繁殖とのトレードオフの関係があるという作業仮説をたて、休眠幼虫に10〜120日の低温処理を施して、羽化後の雌成虫の餌を与えなかった場合の産卵数、寿命、産卵前期間を記録した。その結果、低温期間が長くなればなるほど産卵数が減少し、休眠維持と繁殖との間にトレードオフが示された。ところが、低温期間が長くなればなるほど、寿命と産卵前期間が長くなるという現象も同時に見られた。この結果は、新たに寿命と繁殖との間にもトレードオフの関係があることを示唆している。さらに、餌を与えた場合には、休眠明け雌成虫と非休眠雌成虫の産卵数には有意差は見られなかったが、寿命と産卵前期間は休眠明け雌成虫の方が有意に長かった。

 休眠明け成虫の寿命が長くなる適応的意義は寄主植物のフェノロジーとの関連から考えることができる。休眠明け成虫は野外では4月末から羽化するが、クララが雌成虫に産卵可能な莢をつける6月中旬まで1カ月以上産卵できないのに対して、休眠せずに羽化した第1世代や第2世代成虫には、既に産卵可能なクララの莢が存在している。このため、休眠明け成虫にとってはとりあえず寿命をのばすのにエネルギーを使った方が有利である。幼虫休眠中に失ったエネルギーは成虫になってからの摂食により回復することができるとする。一方、第1世代や第2世代成虫にとっては、他個体との競争もあり、すぐに産卵できるようにエネルギーを使った方が有利と思われる。この作業仮説は、休眠世代と非休眠世代との間に見られる生活史形質の変化が休眠と同様に季節的な表現型可塑性であり、世代間で異なる環境への適応であることに基づいている(Chapter 6)。

5.生活史形質の地理的変異(PART III)

 日長や気温は緯度とともに変化するが、それに伴って、日長や温度によって制御された昆虫の生活史形質にも地理的変異が生じることが予想される(Tauber et al.,1986;Danks,1987)。まず、標高が100m以下で緯度が異なる4地点(青森県青森40°46’、山形県尾花沢38°37’、新潟県鯨波37°21’、茨城県三妻46°05’)の個体群の化性と寄主植物クララのフェノロジーを観察した。北に行くほどクララのフェノロジーは遅れていき、本種の化性も三妻個体群で部分的3化性、鯨波個体群と尾花沢個体群で2化性、青森個体群でほとんど1化性に近い部分的2化性と減少した。この化性の変異要因は、北に行くほど寄主植物のフェノロジーが遅れることに加えて、昆虫が発育に利用可能な有効積算温量も減少し冬の到来も早まることで、寄主植物を利用できる期間自体が減少してしまうことによる効果と考えられる(Chapter 7)。

 これらの個体群の24℃の臨界日長は北に行くほど長日方向に移行するというクラインを示し、個体群間の遺伝的違いを示した。しかし、その光周反応において休眠率が100%から0%に変化したのは、青森個体群では14L-10Dと16L-8Dの間の2時間に対して、その他の個体群は14L-10Dと15L-9Dの間のわずか1時間であった。この違いは、多化性個体群では休眠に入るか否かを正確に決定しなければならないために、特定の臨界日長の値を持つ必要があるのに対して、1化性個体群ではその個体群が遭遇する日長よりも単に長い臨界日長を持つだけで毎世代どの個体も休眠に入ることができるという点に起因すると考えられる。つまり、青森個体群は本来1化性であるために特定な臨界日長の値に対する自然選択が多化性個体群に比べて弱いと思われる。

 また、休眠が誘導されない条件下での発育期間も地理的変異を示し、1化の青森個体群と2化の尾花沢個体群を比べると後者の方でこれが短くなり、さらに南の三妻個体群では逆に長くなった。この1化と2化の間の発育期間の大きな短縮は、発育速度への自然選択が化性の移行に伴い変化することを反映している(Chapter 8)。

審査要旨

 本論文は、日本に生息する多化性昆虫シャープマメゾウムシKytorhinus sharpianusの休眠に関する適応と、休眠維持によって生じる休眠覚醒後の表現型可塑性の適応的意義を、進化生態学の観点から分析したものである。温帯地方に生息するほとんどの昆虫は、生息に適さない季節である冬を休眠による越冬で乗り切り、好適な季節に繁殖することで生活環を完了させている。よって、1つのモデルケースとなる昆虫を対象に、その休眠に関わる生活史の適応の実態を明らかにすることは、生物の季節的消長を規定している要因の作用とそれがもたらす生活史の進化を広く理解するうえで重要な知見となる。本人を含む先行論文により、シャープマメゾウムシは多化性(年2世代以上の生活環)で、短日条件で幼虫休眠するというマメゾウムシ科の中でも珍しい特性を持った種であること、さらに休眠した世代と休眠しなかった世代との間で繁殖の仕方が大きく異なること等、興味深い性質を持つことが報告されている。それゆえ、本論文の研究対象として、その特性をさらに深く解明する価値が十分にあるとの判断の上にたって、本種が用いられた。

 本論文は3部9章からなる。

 第1章は序論で、昆虫にとって休眠とはどのような適応的意義があるかについて一般論を述べた後、マメ科の寄主植物クララSophola flavescensの種子を食するシャープマメゾウムシの部分的3化性の生活史の概略が述べられている。他に類を見ない本種の特徴を説明したうえで、(i)休眠の誘導と終了の時期、及びそれを制御する環境要因、(ii)休眠が休眠終了後の繁殖や寿命との間に生じさせるトレードオフ関係、(iii)休眠と生活史に関する地理的変異、という3部構成の方針が述べられている。

 第1部として、第2章では休眠の誘導と覚醒を制御する環境要因の作用を詳細に確かめている。日長をさまざまに変えて本種を飼育し、臨界日長(半数の個体が休眠に入る日長)を求めたところ、24℃で14.5L-9.5D、27℃で14L-10Dという結果を得ている。また、休眠覚醒の要因として、休眠している幼虫を低温で50日以上の低温処理を行い、それに続いて温度を常温に戻すと、全個体の休眠が一斉に同調して覚醒されることも明らかにした。第3章では、野外で休眠に入る時期と覚める時期を調べている。関東地方で8月になって第2世代が産下された日付が遅くなるほど急速に休眠に入る率が高まることを見いだし、また休眠越冬する個体は1月中旬には既に休眠過程を完了した状態になっており、温度が上昇しさえすれば速やかに発育を再開して成虫になることを発見した。これらの結果から、秋の短日条件と春先の温度上昇によって、本種の休眠が制御されていると結論している。さらに第4章では、休眠に入らず越冬する若齢幼虫について焦点を当てている。10月に入って産下された第3世代の若い幼虫には休眠に入らず越冬するものがいるが、これらは春になって気温が上昇すれば発育を再開し、春先の短い日長でも休眠が誘導されないことを実験的に確かめた。これら第1部で得られた成果は、マメゾウムシ科の昆虫では始めての発見であると共に、昆虫の休眠に関する研究全体を通しても貴重な知見である。

 第2部として、まず第5章で幼虫期に休眠し、低温を経験した雌成虫の繁殖が抑制される現象を調べている。この繁殖不活性は、羽化後の摂食により繁殖力が回復し、また幼若ホルモン類似物質の投与によっても一部回復することを見いだしている。第6章では、エネルギー配分における休眠維持と繁殖とのトレードオフの関係を調べている。休眠幼虫にさまざまな期間の低温処理を施して、羽化後の雌成虫に餌を与えなかった場合の産卵数・寿命・産卵前期間を記録した。その結果、低温期間が長くなればなるほど産卵数が減少し、休眠維持と繁殖との間にトレードオフが見いだされた。さらに、低温期間が長くなればなるほど寿命と産卵前期間が長くなるという、寿命と繁殖との間のトレードオフ関係も示され、二重のトレードオフ関係という斬新な知見を得ている。餌を与えることにより、休眠明け成虫の産卵数は非休眠雌成虫と同等までに回復したが、寿命と産卵前期間は休眠明け成虫の方が有意に長かった。これらの結果より、第2部のまとめとして、幼虫期に蓄えたエネルギーを成虫期の繁殖と寿命に配分する仕方が、休眠明け成虫では寿命重視型、非休眠成虫では繁殖重視型というように、世代間で大きく異なることの適応的意義を、寄主植物の生活環への対応に注目した概念モデルを提示して説明した。

 第3部として、第7章では青森から東京にいたる4つの調査地の間で、化性に地理的傾度があることを調べている。北に行くほど寄主植物クララの季節的消長は遅れていき、シャープマメゾウムシの年間世代数も、茨城県南部や東京で部分的3化性、山形県で2化性、青森県でほとんど1化性に近い状態まで減少した。第8章では、これら地方個体群の臨界日長を比較し、1化性の青森個体群では、2化以上のその他の個体群よりも大きく長日方向にはずれており、光周反応も2時間かけて休眠率が0〜100%に変化することを見いだしている。その他の個体群はわずか1時間で鋭く反応し、この違いは、多化性個体群では休眠に入るか否かを正確に決定しなければならないために、光周反応に対して自然選択圧が強いことを示唆している。これについては、同一母親由来の兄弟姉妹を半分に分けて反応基準を調べた実験でも同様の結果を得ている。また、発育に要する期間も地理的変異を示し、1化性の青森個体群と2化性の山形個体群を比べると、山形の方で発育期間が短くなり、さらに南の茨城個体群では山形個体群よりも逆に長くなった。この発育期間の不連続パターンは、有効積算温量と寄主植物の季節的消長により規定される利用可能なシーズンの長さを、虫が何世代で分けるかによって、発育速度への自然選択の強さが異なるために生じると考えられ、概念モデルを提示してこれを説明している。

 第9章は、本論文の成果全体をまとめた結論である。

 本論文は、シャープマメゾウムシを温帯で休眠・越冬する多化性昆虫のモデルケースとして注目し、その休眠戦略の適応性と、生活史形質の表現可塑性、及びこれらの地理的変異を明らかにした点で、多大な成果を挙げている。本研究で得られた知見はいずれもマメゾウムシ科の昆虫で最初の発見であり、さらに、休眠後の生活史形質の表現可塑性を明らかにした成果は、昆虫の休眠に関する厖大な研究例の中でも数少ない貴重な知見であり、昆虫の休眠研究に新たな側面を開拓したと評価される。

 このような学問上の多大な成果に対して、審査委員会は本論文を博士(理学)の学位論文に値するものと判断した。

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