学位論文要旨



No 110932
著者(漢字) 杉本,徹
著者(英字) Sugimoto,Toru
著者(カナ) スギモト,トオル
標題(和) 対話行為者の形式的モデルに関する研究
標題(洋) Formal Models of Dialogue Participants
報告番号 110932
報告番号 甲10932
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2845号
研究科 理学系研究科
専攻 情報科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 萩谷,昌己
 東京大学 教授 益田,隆司
 東京大学 助教授 平木,敬
 東京大学 教授 高木,利久
 慶応義塾大学 助教授 向井,国昭
内容要旨

 柔軟で協調的な自然言語対話システムを構築するための基礎として、対話に参加する行為者の推論過程やそれに伴う信念、意図など心的状態の変化をモデル化することが必要である。対話行為者は言語表現の理解、生成や相手のプランの認識、自分のプランの構成などさまざまなタスクを行う。従来これらのタスクは特別な枠組を用いる別々のモジュールによって処理されてきた。しかし対話行為者のモデルを与えるという観点から見ると、このような非統一的な方法は、モジュール間の処理順序や相互作用の手段が固定的になり、またモジュール間での知識や心的状態の共有が難しい、などの問題点がある。

 それに対して、この論文で扱う対話行為者の新しい型のモデルは、それぞれのタスクを一種の問題解決とみなし、行為者の一般的な問題解決のための枠組の中で統合的に処理する。それぞれのタスクに必要な知識は共通の形式で宣言的に記述され、一般的な推論機構が論理的に記述された心的状態を操作する。このアプローチは明解な知識表現と柔軟な推論機能を備えたモデルを与えると考えられるが、知識表現の枠組に対する要請は十分に明らかにされていなかった。本論文では、対話の諸現象を説明する上で特に重要な要請として、様相(状況)に関する強力な記述力を持つこと、及び選好を扱えることを取り上げ、これらの要請を満たす2つの対話行為者のモデルを提案する。

 第1部において提案するモデルは、様相に関する記述力を強化した心的世界構造という新しい形式により行為者の心的状態を表現する。対話行為者は話し相手の信念や意図、別の時点の状況、仮想的な状況などさまざまな様相文脈(視点)に属す情報を扱う。様相とは2つの様相文脈間の相互関係、すなわち相対的な視点のことを言い、対話処理においてきわめて重要な概念である。従来、信念や時制など一部の様相は様相論理体系によって扱われてきたが、一般にその記述力は不十分であり、行為者の知識や推論を簡潔に表現することが難しかった。特に、様相論理では様相の限量化や単一化が行えないため、様相の一般的性質を表現したり未知の状況を扱うことが困難であった。また、状況理論では様相を状況と呼ばれるファーストクラスの対象により表現するが、様相を組み合わせて複合的な様相を作り出すことができないため、複雑な様相を扱いにくい。

 本論文で提案する心的世界構造は本状に組織された複数の心的世界から構成される。それぞれの心的世界は心的命題の集合として表され、1つの様相文脈に対応する。様相はパス表現と呼ばれるファーストクラスの構文的対象によって表現される。パス表現はある心的世界から別の心的世界を参照する際に用いられる。パス表現に対してさまざまな操作を行うことが可能であり、従来の表現体系では扱うことが困難だった現象が容易に記述できることが示される。第一に、複数のパス表現をつなげて複合的なパス表現を構成することが可能である。これにより、複合的な様相を単純な様相と同等に扱え、また知識記述が簡潔化される。第二に、パス表現を変数化することによって限量化を表現することができる。これにより、すべての文脈において成立する知識、すなわち常識を容易に表現することができる。第三に、パス表現間の単一化が可能である。言語表現の参照時点など未知の状況を新しく生成したパス表現によって表し、後に既存のパス表現に単一化することができる。

 推論機構は各心的世界に対し等しい方法で作用し、世界に命題を付加または除去する。許される基本的な推論手続きとして演繹、アブダクション、無矛盾性維持の3種類を採用し、これらを順番に適用していくことにより行為者の行うあらゆる推論が説明されると考える。演繹は論理的含意関係を順方向に適用する健全な手続きである。一方、アブダクションは含意関係を逆方向に用いて、観察結果に対する説明を見出す推論手続きである。対話行為者は論理的正しさが保証された推論のみを行う訳ではなく、アブダクションのような非決定的な手続きが不可欠である。無矛盾性維持手続きは心的世界構造に矛盾が発生した際に、無矛盾性を回復するために用いられる。

 さらに、この枠組を用いて協調的な応答を生成する行為者の推論過程に説明を与える。ここでは意図を将来についての信念の一種と見なすことによって、信念の様相と時間に関する様相を組み合わせてプランの推論が自然な形で実現できることを示す。推論制御の問題、すなわち基本推論手続きをどのような順番で適用するか、あるいはアブダクションでどの説明を選ぶか、という困難な問題について議論を行う。特にさまざまな選好を利用する必要があることを説明する。

 第2部において提案するモデルは、選好順序に基づく意味論をもつ心的態度の論理である。選好とは命題や世界の確からしさ、望ましさに対して行為者が与える評価のことを言う。対話行為者は言語理解や言語生成、プフン認識にさまざまな選好を用いる。従来の対話行為者のモデルでは、これらの選好は推論手続きの中に暗黙的に表現されていた。しかし、異なるタスクで用いられる選好の共用や相互作用を実現するためには、選好を共通の表現形式で明示的に記述する枠組が必要と考えられる。一方、心的態度と呼ばれる信念や意図などの概念が対話のモデル化において重要な役割を果たすことが近年明らかにされてきており、その論理的分析が活発に進められている。しかし選好という概念が欠けているために、手続き的なモデルと論理的分析との間にはいまだに大きな隔たりがある。

 本論文で提案する論理において選好は明示的に表現され、それを基に心的態度の定式化がなされる。扱われるのは、部分的な情報からも推論を行うことのできる定性的な選好であり、それらはモデル構造の間の半順序関係として表現される。行為者の心的状態は知識及び、確からしさ、望ましさに対応する2つの選好順序によって特徴づけられる。心的状態を記述するための言語は通常の命題論理に信念、意図、選択、そして文間の選好を表す演算子を加えたものであり、それらの演算子の解釈は選好順序を用いて与えられる。信念は確からしさが極大であるすべての構造で真となる文であり、選択は望ましさが極大なすべての構造で真となる文である。また意図は望ましい選択、すなわち望ましさが極小であるすべての構造で偽となる選択として定義される。この定義は今までに提案された意図の性質のほとんどを満たす。特に、意図は論理的推論に関して閉じていない。またある種の持続性をもつ。さらにサブゴールの概念を考慮に入れて、意図の定義の拡張を行う。文間の選好を一種の心的態度とみなし、モデル構造間の選好順序に基づいた定義を与える。それらの性質、特にほかの態度との関係を調べる。この論理では、世界の状態についての心的態度のみでなく、話し相手の心的状態に関する態度を扱うことができる。さらに、文間の選好を用いて行為者の選好順序を指定する方法を与える。

 そして、この論理をプランについての推論の定式化に応用する。まず、行為者のプラン生成、選択の過程に対して形式的説明を与える。複数の選好を用いたプフン生成、協調的なプラン生成などを扱う。次に、プラン認識モデルにおいて広く用いられるいくつかのヒューリスティックスに関する考察を行う。例えば行為の意図からその行為の効果の意図を導く規則が、ある形の選好によって正当化されることを示す。

審査要旨

 本論文は2部からなり、第1部は行為者の心的状態を表現するために様相に関する記述力を強化した心的世界構造という新しい形式に関するものであり、第2部は選好順序に基づく意味論をもつ心的態度の論理に関するものである。どちらも、柔軟で協調的な自然言語対話システムを構築するための基礎として、対話に参加する行為者の推論過程やそれに伴う信念、意図など心的状熊の変化をモデル化することを目的としている。

 第1部において提案するモデルは、様相に関する記述力を強化した心的世界構造という新しい形式により行為者の心的状態を表現する。対話行為者は話し相手の信念や意図、別の時点の状況、仮想的な状況などさまざまな様相文脈(視点)に属す情報を扱う。様相とは2つの様相文脈間の相互関係、すなわち相対的な視点のことを言い、対話処理においてきわめて重要な概念である。従来、信念や時制など一部の様相は様相論理体系によって扱われてきたが、一般にその記述力は不十分であり、行為者の知識や推論を簡潔に表現することが難しかった。特に、様相論理では様相の限量化や単一化が行えないため、様相の一般的性質を表現したり未知の状況を扱うことが困難であった。また、状況理論では様相を状況と呼ばれるファーストクラスの対象により表現するが、様相を組み合わせて複合的な様相を作り出すことができないため、複雑な様相を扱いにくい。

 本論文で提案する心的世界構造は本状に組織された複数の心的世界から構成される。それぞれの心的世界は心的命題の集合として表され、1つの様相文脈に対応する。様相はパス表現と呼ばれるファーストクラスの構文的対象によって表現される。パス表現はある心的世界から別の心的世界を参照する際に用いられる。パス表現に対してさまざまな操作を行うことが可能であり、従来の表現体系では扱うことが困難だった現象が容易に記述できることが示される。第一に、複数のパス表現をつなげて複合的なパス表現を構成することが可能である。これにより、複合的な様相を単純な様相と同等に扱え、また知識記述が簡潔化される。第二に、パス表現を変数化することによって限量化を表現することができる。これにより、すべての文脈において成立する知識、すなわち常識を容易に表現することができる。第三に、パス表現間の単一化が可能である。言語表現の参照時点など未知の状況を新しく生成したパス表現によって表し、後に既存のパス表現に単一化することができる。

 推論機構は各心的世界に対し等しい方法で作用し、世界に命題を付加または除去する。許される基本的な推論手続きとして演繹、アブダクション、無矛盾性維持の3種類を採用し、これらを順番に適用していくことにより行為者の行うあらゆる推論が説明されると考える。演繹は論理的含意関係を順方向に適用する健全な手続きである。一方、アブダクションは含意関係を逆方向に用いて、観察結果に対する説明を見出す推論手続きである。対話行為者は論理的正しさが保証された推論のみを行う訳ではなく、アブダクションのような非決定的な手続きが不可欠である。無矛盾性維持手続きは心的世界構造に矛盾が発生した際に、無矛盾性を回復するために用いられる。

 さらに、この枠組を用いて協調的な応答を生成する行為者の推論過程に説明を与える。ここでは意図を将来についての信念の一種と見なすことによって、信念の様相と時間に関する様相を組み合わせてプランの推論が自然な形で実現できることを示す。推論制御の問題、すなわち基本推論手続きをどのような順番で適用するか、あるいはアブダクションでどの説明を選ぶか、という困難な問題について議論を行う。特にさまざまな選好を利用する必要があることを説明する。

 第2部において提案するモデルは、選好順序に基づく意味論をもつ心的態度の論理である。選好とは命題や世界の確からしさ、望ましさに対して行為者が与える評価のことを言う。対話行為者は言語理解や言語生成、プラン認識にさまざまな選好を用いる。従来の対話行為者のモデルでは、これらの選好は推論手続きの中に暗黙的に表現されていた。しかし、異なるタスクで用いられる選好の共用や相互作用を実現するためには、選好を共通の表現形式で明示的に記述する枠組が必要と考えられる。一方、心的態度と呼ばれる信念や意図などの概念が対話のモデル化において重要な役割を果たすことが近年明らかにされてきており、その論理的分析が活発に進められている。しかし選好という概念が欠けているために、手続き的なモデルと論理的分析との間にはいまだに大きな隔たりがある。

 本論文で提案する論理において選好は明示的に表現され、それを基に心的態度の定式化がなされる。扱われるのは、部分的な情報からも推論を行うことのできる定性的な選好であり、それらはモデル構造の間の半順序関係として表現される。行為者の心的状態は知識及び、確からしさ、望ましさに対応する2つの選好順序によって特徴づけられる。心的状態を記述するための言語は通常の命題論理に信念、意図、選択、そして文間の選好を表す演算子を加えたものであり、それらの演算子の解釈は選好順序を用いて与えられる。信念は確からしさが極大であるすべての構造で真となる文であり、選択は望ましさが極大なすべての構造で真となる文である。また意図は望ましい選択、すなわち望ましさが極小であるすべての構造で偽となる選択として定義される。この定義は今までに提案された意図の性質のほとんどを満たす。特に、意図は論理的推論に関して閉じていない。またある種の持続性をもつ。さらにサブゴールの概念を考慮に入れて、意図の定義の拡張を行う。文間の選好を一種の心的態度とみなし、モデル構造間の選好順序に基づいた定義を与える。それらの性質、特にほかの態度との関係を調べる。この論理では、世界の状態についての心的態度のみでたく、話し相手の心的状態に関する態度を扱うことができる。さらに、文間の選好を用いて行為者の選好順序を指定する方法を与える。

 そして、この論理をプランについての推論の定式化に応用する。まず、行為者のプラン生成、選択の過程に対して形式的説明を与える。複数の選好を用いたプラン生成、協調的なプラン生成などを扱う。次に、プラン認識モデルにおいて広く用いられるいくつかのヒューリスティックスに関する考察を行う。例えば行為の意図からその行為の効果の意図を導く規則が、ある形の選好によって正当化されることを示す。

 なお、本論文は、米澤明憲氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となて分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54434