学位論文要旨



No 110942
著者(漢字) 浅井,祥仁
著者(英字)
著者(カナ) アサイ,ショウジ
標題(和) 新しい方法によるオルソポジトロニウム寿命の精密測定
標題(洋) New measurement of orthopositronium lifetime
報告番号 110942
報告番号 甲10942
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2855号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 鈴木,洋一郎
 東京大学 教授 兵頭,俊夫
 東京大学 教授 山崎,泰規
 東京大学 助教授 蓑輪,眞
 東京大学 教授 小林,富雄
内容要旨

 ポジトロニウムは、電子と陽電子が束縛された準安定的な二粒子系であり、この系の寿命を測定することは、量子電磁力学を検証する上で、極めて重要である。ポジトロニウムの内、3重項状態のオルソポジトロニウム(o-Ps)は、通常3体の線に長い寿命で崩壊する為、寿命を直接測定出来る数少ない例である。ところが、過去20年に渡り測定され続けているo-Psの寿命は、一貫してQEDの予言する値より1000ppm(4.3)も短く、統計的ふらつきの範囲を遥かに逸脱している。これが「オルソポジトロニウム寿命問題」と言われている問題である。

 測定値が、理論の予言値よりも短いと言うことは、未知の素粒子現象に起因する崩壊モードが1000ppmの寄与をしている可能性がある。それ故に、様々な未知の崩壊モードの探索実験を行なわれてきたが、如何なるモードも厳しい制限が得られ、未知の素粒子現象により寿命問題が解決される可能性は低いものとなった。

 過去に行われた寿命測定実験を検証してみると、これらは全てタイムスペクトラムのみの測定と外挿を基本にしている。物質中では、生成されたo-Psが崩壊する前に、物質を構成する他の電子と対消滅する"pickoff"と呼ばれるバックグラウンドがある為に、測定される寿命は真空中の寿命よりも必ず短くなる。しかし、o-Psを生成する必要上、物質は不可欠であり、この効果を適切に補正して、真空中の寿命を得るしかない。過去に行われた測定実験は、ガスの圧力やキャビティーの大きさを色々変えて、各点でタイムスペクトラムを測定し、それぞれの点での"pickoff"の効果を含めた崩壊率を測定し、物質の効果が零になると推定される所まで外挿して真空中の寿命を得ている。この方法には、o-Psの熱化に伴う重大な問題がある。生成された直後のo-Psは、1eVぐらいの運動エネルギーを持っており、物質と弾性散乱を繰り返しながら、常温にまで熱化されてゆく。まだ熱化されていないo-Psは、高速で運動している為、単位時間あたりの物質との衝突回数が多く、従ってpickoffの確率も高い。外挿を用いる従来の方法では、十分に熱化した後の崩壊率を測定しなければならないが、物質の効果が低い程、熱化に要する時間が飛躍的に長くなり(o-Psの寿命よりもかなり長い)、崩壊率が大きめに測定される可能性がある。しかも、外挿で得られる真空中の寿命は、物質の効果の低いところの影響を受け易く、結果として寿命が短めに評価されている可能性がある。

 この様に、過去の測定には熱化に伴う重大な問題点をある。そこで本研究では、タイムスペクトラムと同時に、エネルギースペクトラムも測定し、外挿を用いずに真空中の寿命を測定した。物質中のo-Psの崩壊率obs(t)は、

 

 となる。ここで、0,pick(t)は、それぞれ真空中のo-Psの崩壊率並びに、pickoffする崩壊率を表す。pickが、o-Psが生成されてからの時間tの関数になるのは、上述した熱化過程によるものである。この関係式より、期待されるo-Psのタイムスペクトラムは、

 

 となる。(Cは、オルソポジトロニウムに無相関な現象による部分である。)

 まず、エネルギー分解能の高いGe半導体検出器により測定されたエネルギースペクトラムを用いて被積分関数中のpick(t)/0を直接測定する。連続分布の3崩壊に対して、pickoffによる線は2体崩壊であり、511keVに集中するので、この比を容易に時間の関数として求めることができる。しかも、この量は10-2以下と小さいので、この誤差が最終結果に与える影響も小さい。この比として得られたpick(t)/0(図1)には、熱化の情報が含まれている。

 次に、測定したpick(t)/0を代入した関数形(1)で、CsIシンチレーターのタイムスペクトラム(図2)をフィッテングし、真空中の崩壊率0を決定する。ここで、CsIシンチレーターを用いた理由は、検出効率が高く、エネルギーと同時にタイミング(時間分解能±5nsec)が測定出来るからである。エネルギーを測定し絞ることで、o-Psに付随した現象を選択的に取り出すことが可能であり、結果として実験の精度が上がるからである。

図表図1 pick/0の時間変化(実線はフッティングした結果) / 図2 タイムスペクトラム(点線はフッティングした結果)

 この方法は、pick(t)/0を測定し、ピックオフ崩壊率を直接、時間の関数として測定しているので、外挿を用いずにo-Psの真空中の寿命を求めることが出来、更に時間の関数としている為、熱化に伴う不定性にも結果は左右されない。

 異なる2種類のSiO2パウダーを用いて、この全く新しい方法による測定を行い、互いに無矛盾な結果が得られた。これらの結果を合わせて得られたo-Psの真空中の寿命は、

 

 であり、誤差の前者は統計誤差であり、後者は系統誤差である。この測定値は、電磁量子力学の予言する値と一致し、最近のガスを用いた実験値と4.0、キャビティーを用いた実験の測定値と2.9ずれている。

審査要旨

 本論文は、新しい手法によりオルソポジトロニウムの寿命を精密測定したものである。

 電子と陽電子の束縛系であるポジトロニウムは準安定な二粒子系であり、その寿命の測定は量子電磁気学(QED)の検証に非常に重要である。特に、その3重項状態であるオルソポジトロニウムは、主に3本のガンマ線に長い寿命で崩壊するため、崩壊を直接観測することが可能である。しかし、過去20年渡って行われたオルソポジトロニウムの寿命の測定結果は、一貫してQEDの予想に比べて920ppm(4.3)以上も短く、「オルソポジトロニウムの寿命問題」として長く知られている。ポジトロニウムが未知粒子を含む崩壊や未知の素粒子現象による崩壊をしている可能性もあり、その探索も行われたが厳しい上限が得られ、未知の崩壊モードによりこの問題が説明される可能性は少ない。

 オルソポジトロニウムの寿命の測定には、オルソポジトロニウムが崩壊する前に物質電子との相互作用により対消滅するpick-offと呼ばれる現象を避けることは出来ない。このpick-offの頻度は物質の密度とオルソポジトロニウムの速度に関係する。したがって物質中の寿命は真空中の寿命に比べて必ず短くなる。又、オルソポジトロニウムは生成されたとき1eV程度の運動エネルギーを持っており物質との弾性散乱でそのエネルギーを失い熱化して行く。過去の実験では、オルソポジトロニウムが十分熱化し一定の速度になったと思われるところからタイムスペクトラムの測定を行なっている。そして、pick-offの効果を補正するためガス圧や物質の密度などを変えた各点でpick-offを含めた崩壊率を測定し、ゼロ密度まで外挿して真空中の寿命を求めていた。しかし、熱化の過程は複雑であり現在まで定量的な理解には至っていない。特に密度が低いほど熱化に長い時間がかかるので、十分に熱化していないうちに測定すると、過去の実験では崩壊率が大きめに測定され、結果として寿命が短めに評価されてしまう可能性があった。

 本論文では、pick-offの崩壊率とオルソポジトロニウムの崩壊率の比を時間の関数として測定し、外挿に依らず直接真空中の寿命を求めるという今までにない新しい手法を用いている。

 ポジトロニウムは、0.02Ciの22Naから放出される陽電子によりシリカ粉体(SiO2)内で形成される。ガンマ線測定器として、ゲルマニウム半導体検出器が1台、CsIシンチレーターが4本、立体角の67%を覆うように配置されている。pick-offは2体のガンマ線崩壊であるため、511keV付近に集中するガンマ線を検出することで同定できる。これと連続分布であるオルソポジトロニウムの3体ガンマ線崩壊を、エネルギー分解能の良いゲルマニウム半導体検出器をもちいて測定することにより、熱化の過程に伴うpick-offと3体ガンマ線崩壊の崩壊率の比の時間変化を直接測定できる。こうして得られた崩壊率の比の時間変化と、検出効率の高いCsIシンチレーター4本で得られたタイムスペクトラムを直接フィッティングをすることで、真空中の崩壊率が得られる。

 本論文では、ポジトロニウム形成用の粉体のサイズと密度を変えた独立な2つの実験を行い結果の再現性をテストしている。さらに、考えうるあらゆる系統的誤差にたいして綿密な考察が与えられている。独立な2つの実験から得られた結果は一致しており、2つを結果を合わせて、オルソポジトロニウムの寿命として142.05±0.05(統計誤差)±0.03(系統誤差)nsecを得ている。これはQEDの予言と良く一致しており、逆に、過去の実験結果とは2.9〜4.1離れている。

 以上のように本論文は、熱化によるpick-offの変化の割合を直接測るという今までにない斬新なアイデアにより、系統的誤差の少ない実験を行い、「ポジトロニウムの寿命問題」の解決の可能性を与えた。したがって、本論文の学術的意味は非常に大きく、学位論文に十分値するものと認められる。なお本研究の公表は共同研究者との共著としてなされているが、論文提出者は、実験の発案、準備、測定解析全般に渡って中心的な寄与をしており、学位を受けるのに十分な資格があるものと認める。

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