ポジトロニウムは、電子と陽電子が束縛された準安定的な二粒子系であり、この系の寿命を測定することは、量子電磁力学を検証する上で、極めて重要である。ポジトロニウムの内、3重項状態のオルソポジトロニウム(o-Ps)は、通常3体の線に長い寿命で崩壊する為、寿命を直接測定出来る数少ない例である。ところが、過去20年に渡り測定され続けているo-Psの寿命は、一貫してQEDの予言する値より1000ppm(4.3)も短く、統計的ふらつきの範囲を遥かに逸脱している。これが「オルソポジトロニウム寿命問題」と言われている問題である。 測定値が、理論の予言値よりも短いと言うことは、未知の素粒子現象に起因する崩壊モードが1000ppmの寄与をしている可能性がある。それ故に、様々な未知の崩壊モードの探索実験を行なわれてきたが、如何なるモードも厳しい制限が得られ、未知の素粒子現象により寿命問題が解決される可能性は低いものとなった。 過去に行われた寿命測定実験を検証してみると、これらは全てタイムスペクトラムのみの測定と外挿を基本にしている。物質中では、生成されたo-Psが崩壊する前に、物質を構成する他の電子と対消滅する"pickoff"と呼ばれるバックグラウンドがある為に、測定される寿命は真空中の寿命よりも必ず短くなる。しかし、o-Psを生成する必要上、物質は不可欠であり、この効果を適切に補正して、真空中の寿命を得るしかない。過去に行われた測定実験は、ガスの圧力やキャビティーの大きさを色々変えて、各点でタイムスペクトラムを測定し、それぞれの点での"pickoff"の効果を含めた崩壊率を測定し、物質の効果が零になると推定される所まで外挿して真空中の寿命を得ている。この方法には、o-Psの熱化に伴う重大な問題がある。生成された直後のo-Psは、1eVぐらいの運動エネルギーを持っており、物質と弾性散乱を繰り返しながら、常温にまで熱化されてゆく。まだ熱化されていないo-Psは、高速で運動している為、単位時間あたりの物質との衝突回数が多く、従ってpickoffの確率も高い。外挿を用いる従来の方法では、十分に熱化した後の崩壊率を測定しなければならないが、物質の効果が低い程、熱化に要する時間が飛躍的に長くなり(o-Psの寿命よりもかなり長い)、崩壊率が大きめに測定される可能性がある。しかも、外挿で得られる真空中の寿命は、物質の効果の低いところの影響を受け易く、結果として寿命が短めに評価されている可能性がある。 この様に、過去の測定には熱化に伴う重大な問題点をある。そこで本研究では、タイムスペクトラムと同時に、エネルギースペクトラムも測定し、外挿を用いずに真空中の寿命を測定した。物質中のo-Psの崩壊率obs(t)は、 となる。ここで、0,pick(t)は、それぞれ真空中のo-Psの崩壊率並びに、pickoffする崩壊率を表す。pickが、o-Psが生成されてからの時間tの関数になるのは、上述した熱化過程によるものである。この関係式より、期待されるo-Psのタイムスペクトラムは、 となる。(Cは、オルソポジトロニウムに無相関な現象による部分である。) まず、エネルギー分解能の高いGe半導体検出器により測定されたエネルギースペクトラムを用いて被積分関数中のpick(t)/0を直接測定する。連続分布の3崩壊に対して、pickoffによる線は2体崩壊であり、511keVに集中するので、この比を容易に時間の関数として求めることができる。しかも、この量は10-2以下と小さいので、この誤差が最終結果に与える影響も小さい。この比として得られたpick(t)/0(図1)には、熱化の情報が含まれている。 次に、測定したpick(t)/0を代入した関数形(1)で、CsIシンチレーターのタイムスペクトラム(図2)をフィッテングし、真空中の崩壊率0を決定する。ここで、CsIシンチレーターを用いた理由は、検出効率が高く、エネルギーと同時にタイミング(時間分解能±5nsec)が測定出来るからである。エネルギーを測定し絞ることで、o-Psに付随した現象を選択的に取り出すことが可能であり、結果として実験の精度が上がるからである。 図表図1 pick/0の時間変化(実線はフッティングした結果) / 図2 タイムスペクトラム(点線はフッティングした結果) この方法は、pick(t)/0を測定し、ピックオフ崩壊率を直接、時間の関数として測定しているので、外挿を用いずにo-Psの真空中の寿命を求めることが出来、更に時間の関数としている為、熱化に伴う不定性にも結果は左右されない。 異なる2種類のSiO2パウダーを用いて、この全く新しい方法による測定を行い、互いに無矛盾な結果が得られた。これらの結果を合わせて得られたo-Psの真空中の寿命は、 であり、誤差の前者は統計誤差であり、後者は系統誤差である。この測定値は、電磁量子力学の予言する値と一致し、最近のガスを用いた実験値と4.0、キャビティーを用いた実験の測定値と2.9ずれている。 |