学位論文要旨



No 110944
著者(漢字) 池邊,靖
著者(英字)
著者(カナ) イケベ,ヤスシ
標題(和) X線を用いた銀河団中の質量分布の測定
標題(洋) X-ray measurements of the mass distribution in clusters of galaxies
報告番号 110944
報告番号 甲10944
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2857号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 須藤,靖
 東京大学 助教授 有本,信雄
 東京大学 教授 小林,富雄
 東京大学 助教授 鈴木,洋一郎
 東京大学 教授 井上,一
内容要旨 1はじめに

 銀河団は力学平衡に達している宇宙で最も大きな天体であり、その質量および質量分布は宇宙の進化と密接に結びついたもっとも重要な物理量のひとつである。銀河団の質量を測定する試みは、従来おもに可視光観測によって行なわれ、光で実際に観測されている銀河の質量の和よりも、銀河団の総質量の方が数十から数百倍大きいことを示し、ミッシングマス問題と言われる大きな謎を提示した。一方X線を放射しているホットガスは銀河団の星に含まれる質量を越えており、宇宙で最も優勢なバリオン成分であり、またX線観測は銀河団の重力ポテンシャル構造を知る最も有力かつ精密な方法である。X線観測によるこれまでの研究によれば、ホットガスのもつ質量を考えに入れてもミッシングマス問題は解決されず、むしろ重力のみをおよぼすダークマターの存在がさらに確立されるにいたった。

 銀河を構成している星と銀河団全体に広がっているホットガス、そして重力の主な担い手であるダークマターの3成分がどのように空間に分布しているのかを調べることで、ダークマターの正体についての手掛かりが得られるものと期待される。本論文では特にこれらの質量の成分が銀河のスケールから銀河団のスケールにかけてどのように分布しているかを解き明かすことを目的とした研究を行なった。この目的のため、我々はX線天文衛星「あすか」を用いてケンタウルス座銀河団"Centaurus Cluster"(以下Cen銀河団)、と炉座銀河団"Fornax Cluster"(以下Fornax銀河団)の観測をおこない、銀河団および銀河に付随するホットガスの構造を解明した。Cen銀河団もFornax銀河団も近傍(それぞれz=0.01およびz=0.004)の比較的poorな(メンバー銀河の個数の少ない)銀河団である。両者ともその中心にcD(central dominant)銀河を持っており(それぞれNGC4696,NGC1399)、銀河スケールのX線放射と銀河団スケールのX線放射とを同時に詳しく観測することができると期待される。

2「あすか」衛星を用いた画像解析法の開発

 「あすか」は1993年2月に打ち上げられ現在稼働中の日本では4番目のX線天文衛星であり、多重薄板斜入射X線反射望遠鏡(XRT)とガス蛍光比例計数管(GIS)およびX線CCDカメラ(SIS)を搭載している。過去のイメージングに優れたEinsteinやROSATなどの衛星に比べて、角度分解能では劣るものの、広いエネルギーバンド(0.5-10keV)と高いエネルギー分解能により、銀河団の温度構造の決定には過去最高の感度を有している。

 一方で、「あすか」のX線望遠鏡のPSF(Point Spread Function)は、検出器上での位置や入射X線のエネルギーに強く依存した非常に複雑な特性を持っている。そのため銀河団のようにX線放射が大きく広がり、場所ごとに異なるスペクトルを持った天体を解析するためには、あるモデルにもとづいたシミュレーションデータと、実データとを比較することでモデルの是非を評価する"FORWARD METHOD"をとらねばならない。そこで我々は「モンテカルロシミュレーションによるマルチパラメータフィット」という方法に乗っ取った新しい解析の枠組を開発した。この方法は、モデルに対して、検出器上の位置とフォトンのエネルギーによってPSFが異なることを考慮してシミュレーションを行い、得られた分布を直接データと比較するもので、複雑な検出器やモデルの特性を含んだフィッティングを行うことができる。

3Cen銀河団

 「あすか」によるCen銀河団の観測は合計で3回おこなわれ、CD銀河NGC4696の位置する中心から最大で40’(=800kpc)の領域をカバーした。始めに、中心からの半径に応じてリング状の領域でパルスハイトを集積して半径ごとに9つのスペクトルをつくり、XRTの平均的な有効面積とGISのエネルギーレスポンスマトリックスのみを用いてスペクトルフィットをおこなった。その結果はすでにFukazawa et al.(1994)で述べられているが,各々のスペクトルが単一温度の熱的な放射モデル(ここではRaymond-Smith Modelを使用している)では説明できず、2温度必要であることが示された。しかもその2つの温度は場所によらずどこでも〜1keVと〜4keVであり(図1:○印)、Emission Measureの比のみが変化し、中心ほど1keVの低温成分が多くなるという傾向を示した。このことは温度構造が例えばcooling flowモデルのいうような多温度構造ではなく、2温度から成っていることを強く示唆している。しかしながら、正確な温度構造を定量的に知るには、XRTの複雑なレスポンスを考慮したモンテカルロ法によらなければならない。

 我々は、温度が半径の一価関数である(Single-phase model)という仮定に基き、モンテカルロ法によるシュミレーションを用いて、「あすか」のデータを説明することを試みた。シュミレーションとデータとの違いを定量的に評価するため、シミュレーション結果を、実データの解析と同様にリング状領域のスペクトルに分け2温度モデルでフィットした結果、高温成分の温度が中心に向かって降下する傾向がみられ、1-4keVの間に連続した温度構造をもつ限り、中心付近では「あすか」のデータを再現できないことがわかった(図1:△印)。以上の解析から、Cen銀河団の中心部の温度構造は多温度構造ではなく、〜1keVと〜4keVの2つの温度成分がDominantで、他の温度成分のもつemission measureは低いことがわかった。これはCen銀河団の中心部でcooling flowが生じているという説に否定的な答えを与える結果である。

 そこで、低温成分と高温成分がおのおの単一の温度をもち、同じ空間に同時に存在しているというtwo-phase modelを導入し、モンテカルロ法によるフィットを行なった。はじめに高温成分のみ定量化するため、等温モデルで表される密度分布をもった銀河団モデルで、3.5keV以上のエネルギーバンドに限った半径ごとに作った9つのスペクトルの同時フィットを行なった。その結果、RC=3.8’,=0.50のモデルで与えられる密度を持った、温度がT=4keVのモデルで実データをよくフィットできた。このことは、高温成分が中心に向かって決して減少していってはおらず、中心まで分布していることを確認したことになる。つぎに低温成分も含めたtwo-phase modelで全エネルギーバンドの実データをフィットした。低温成分の占める体積の割合(filling factor)をパラメータとして導入し、高温成分と圧力平衡にあることを仮定した。その結果、半径〜3’以内に低温成分が分布し、圧力も中心部でsingle モデルよりも超過しているモデルでデータをよく説明することができた(図1:□印)。圧力分布が中心でモデルよりも超過を示すという事実は、重力ポテンシャルも単一のKingモデルに比べて中心で超過を示すということで多り、cD銀河のまわりの重力ポテンシャルの階層構造が明らかになった。

図1:2温度フィットの結果
4Fornax銀河団

 「あすか」によるFornax銀河団の観測は3回行なわれた。得られたX線イメージは個々の銀河(cD銀河NGC1399と楕円銀河NGC1404)に付随する成分と、銀河団全体に広がった成分との存在を明確に示している。

 場所ごとのスペクトルは、熱的なX線放射に加えて、銀河内のX線連星起源と思われるハード成分を含めることで説明することができた。フィッティングで得られた温度はいたる所〜1keVであることから、NGC1399も含めてFornax銀河団全体はほぼ等温のプラズマで満たされているとみなし、X線輝度分布のみから重力ポテンシャルの構造を評価した。

 モンテカルロ法を用いたフィッティングによりNGC1399およびFornax銀河団に対応する2つの等温ガス球体でX線輝度分布を説明することに成功した。その際、簡単のためNGC1404はデータから排除した。得られたポテンシャル分布は、cD銀河であるNGC1399が半径〜60kpcまで固有のポテンシャル領域を持つ一方、そのまわりに銀河団スケール(数百kpc)のポテンシャルが存在していることを示しており、ポテンシャルが少なくとも2つの典型的なスケールを持つことが始めて確認された(図2)。NGC1399まわりの銀河スケール(R<60kpc)では、星、ガス、全重力質量はそれぞれ7×1011、2×1010、1.8×1012で、バリオンとしては星が優勢であり、M/L〜20となるので、明らかにダークマターも必要である。M/Lは中心からの距離に応じて増加傾向にあり、「あすか」の観測した半径30’(〜170kpc)の領域内ではM/L〜60に達する。さらに外側の銀河団のスケールでは、星よりもガスがバリオンとして卓越してくる。

図2:Fornax銀河団の質量分布
5結論

 我々は「あすか」を用いた銀河団のX線観測により、Cen銀河団および、Fornax銀河団のホットガスの温度および密度構造を解明した。特にCen銀河団は、〜4keVの高温成分が銀河団全体に満ちていて、中心付近では〜1keVの低温のプラズマが高温プラズマと共存している2相混合状態であることがわかった。そして各々の場合について、重力ポテンシャルの構造を明らかにし、銀河団スケールの重力ポテンシャルのなかに、銀河スケールの重力ポテンシャルが存在するというポテンシャルの階層構造の存在を示し、それがおもにダークマターによって形成されているという証拠を、観測から直接に提示することができた。

審査要旨

 本論文"X線を用いた銀河団の質量分布の測定"は、「あすか」衛星を用いた新たな画像解析法を開発し、その手法に基づいてケンタウルス座銀河団(Cen銀河団)と、炉座銀河団(Fornax銀河団)のX線天文衛星「あすか」による観測データから銀河団および銀河に付随する高温ガスの構造を解明した結果をまとめたものである。

 銀河団は力学平衡に達している構造としては宇宙で最大級のものであり、その力学的進化の時間スケールが宇宙年齢そのものと同じオーダーであることから、宇宙の初期条件の手がかりをより忠実にとどめているものと期待される。この銀河団の質量を測定する試みは、可視光のみならずX線天文学における重要な観測テーマの一つである。実際これらを通じて、銀河団には温度が107〜108Kの希薄な(10-4〜10-2protons cm-3)高温ガスが満ちていることが発見されるとともの、その空間分布からダークマターの存在が確立されている。さらに銀河を構成している星と銀河団全体に広がっている高温ガス、そして重力の主な担い手であるダークマターの3成分がどのような空間分布にしたがっているのかを詳細に調べることで、ダークマターの正体についての観測的な制限が得られることが期待される。本論文では特にこれらの質量の各成分が銀河のスケールから銀河団のスケールにかけてどのように分布しているかを解き明かすことを目的とした研究を行なった。

 今回X線天文衛星「あすか」によって観測したCen銀河団とFornax銀河団はともに近傍の比較的poorな(メンバー銀河の個数の少ない)銀河団である。両者ともその中心にcD(central dominant)銀河を持っており、銀河スケールのX線放射と銀河団スケールのX線放射とを同時に詳しく観測することができると期待される。この研究を可能にしたのは、「あすか」衛星の搭載している多重薄板斜入射X線反射望遠鏡(XRT)とガス蛍光比例計数管(GIS)およびX線CCDカメラ(SIS)であり、イメージングに優れたEinsteinやROSATなどの衛星に比べて、角度分解能では劣るものの、広いエネルギーバンド(0.5-10keV)と高いエネルギー分解能により、銀河団の温度構造の決定には過去最高の感度を有している。しかしながら、「あすか」のX線望遠鏡のPSF(Point Spread Function)は、検出器上での位置や入射X線のエネルギーに強く依存した非常に複雑な特性を持っている。この問題を解決するために論文提出者は「モンテカルロシミュレーションによるマルチパラメータフィット」という方法に乗っ取った新しい解析の枠組を開発した。この方法は、出発点として仮定した銀河・銀河団の密度と温度に対するモデルに基づいて、検出器上の位置とフォトンのエネルギーによってPSFが異なることを考慮してシミュレーションを行い、得られた分布を直接データと比較する。その結果から仮定したモデルパラメータをiterativeに決定するため、複雑な検出器やモデルの特性を含んだ信頼性の高いフィッティングを行うことができる。

 本論文では、この手法を、X線天文衛星「あすか」を用いたCen銀河団とFornax銀河団の観測データに対して適用した。その結果、Cen銀河団に対しては、その中心部は〜1keVと〜4keVの2つの温度成分が卓越しており、他の温度成分のもっemission measureは低いことがわかった。つまり、Cen銀河団の中心部は多温度構造ではないことが示され、従来の解釈であるcooling flow説に否定的な結果を得た。さらに、低温成分と高温成分がおのおの単一の温度をもち、同じ空間に同時に存在しているというtwo-phase modelを導入し、モンテカルロ法によるフィットを行なった。はじめに高温成分だけを定量化するため、等温モデルで表される密度分布をもった銀河団モデルで、3.5keV以上のエネルギーバンドに限った半径ごとに作った9つのスペクトルの同時フィットを行なった。その結果、コア半径3.8’,=0.50のモデルで与えられる密度を持った、温度が4keVのモデルで実データをよくフィットできた。このことは、高温成分が中心に向かって決して減少していってはおらず、中心まで分布していることを確認したことになる。つぎに低温成分も含めたtwo-phase modelで全エネルギーバンドの実データをフィットした結果、半径〜3’以内に低温成分が分布し、圧力も中心部で単一成分のsingleモデルよりも超過しているモデルでデータをよく再現することを発見した。圧力分布が中心でモデルよりも超過を示すという事実は、重力ポテンシャルも単一のKingモデルに比べて中心で超過を示すということであり、cD銀河自身の作る重力ポテンシャルを銀河団全体のものから分離する事に成功したものと考えられる。

 同一の手法を用いたFornax銀河団に対する解析から得られたポテンシャル分布は、cD銀河であるNGC1399が半径〜60kpcまで固有のポテンシャル領域を持つ一方、そのまわりに銀河団スケール(数100kpc)のポテンシャルが存在していることを示しており、ポテンシャルが少なくとも2つの典型的なスケールを持つことを初めて示すことができた。

 以上まとめてきたように、本論文において提案された銀河・銀河団の質量分布に関する新しい知見は、学位論文にふさわしい科学的な意義を有するものと考える。また、この解析において使用された「モンテカルロシミュレーションによるマルチパラメータフィット」という方法は、X線望遠鏡のPSF、検出器上での位置や入射X線のエネルギーに強く依存した非常に複雑な特性を正しく採り入れる上で重要なものであり、特に銀河団のようにX線放射が大きく広がり、場所ごとに異なるスペクトルを持った天体を解析するためには必要不可欠である。したがって、今後の「あすか」衛星の観測データを解析する上で広く用いられる手法となるであろう。これらの成果の一部は、「あすか」観測グループとの共同研究に基づくものではあるが、論文提出者が中心となり解析手法を開発、データの解析を行ってきたものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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