微細加工技術はここ数年飛躍的な進歩を遂げ、原子スケールで物質を制御できるまでになっている。特に、分子線エビタキシー(MBE)を始めとする結晶成長技術の進歩はめざましい。そのような結晶成長のメカニズムを探っていくことは、結晶性を高めるだけでなく、新物質の開発を行う際の指針を得る点でも重要である。 本論文では、荒い結晶成長表面の長距離・長時間における振る舞いを、統計力学的な観点から、モンテカルロ・シミュレーションによって調べた。結晶成長の理論は、おもに平衝近傍を中心に調べられてきた。平衡状態の表面の荒さに関して、サーマルラフニング転移がある。これは、表面がラフニング温度(TR)を境にして、それよりも低温ではなめらかであるが、高温では荒くなるというものであり、平衡近傍の成長も大まかにこのラフニングによって決まっている。すなわちTRよりも低温では、表面のなめらかさを保ちつつ進む層状成長が起こり、高温では表面が荒いまま進む連続成長が起こる。これとは逆に、温度は低温のままで非平衡度(吸着速度)を大きくしていくと表面が荒くなる、カイネティック・ラフニングがある。結晶成長における基本的なパラメタは、基板温度と吸着速度であり、この2つのパラメタ空間における成長は、おおまかにこの2つのラフニングによって、決められていると考えられている。しかし、サーマルに荒い表面とカイネティックに荒い表面がこの空間上でどう接続されているか、まだはっきりとわかっていない点がある。 さらに近年、成長する表面を非平衡統計力学的にとらえることが興味を集めている。即ち成長表面の荒さに対するダイナミカル・スケーリング仮説が提唱され、これは、高さの標準偏差で定義される表面の荒さの時間発展が、成長のミクロなルールやその系のサイズによらずに、系の次元性だけで決まる普遍的な関数で表されるというものである。この仮説に従えば、成長は表面の荒さの振る舞いを特徴づける2つのエクスポネントとで分類されるさらに近年の興味の高まりは、成長する表面一般を記述できるのではないかとして、Kardar,Parisi,Zhangによって提唱された非線形ランジュバン方程式(KPZ equation),に端を発している。1次元表面の成長については、計算機実験のエクスポネントとKPZ方程式から求めた値が一致しており、KPZ方程式によって記述されることがわかっている。しかし現実の2次元表面については、KPZ方程式の臨界次元であることから解析的に解けず、またランジュバン方程式化しない原子的模型での計算機実験の結果も一致しておらず、いまだ決着がついていない。それゆえ、上の2つのラフニングを含めて、結晶成長を平衡から離れたところまで統一的に捉え直すことが必要になってくる。 また、現実のMBEなどの成長では、表面拡散が重要な表面緩和機構であり、そこでは今一つの緩和である蒸発の効果は無視できるほど小さい。KPZ方程式に動機付けられて、拡散のある場合の表面の荒さも一つの方程式(ユニバーサリティ)で記述されるのではないかという期待が持たれた。そのような拡散のある成長は、蒸発はほとんど無く、吸着・蒸発系を記述するKPZ方程式とは異なるタイプの方程式で記述されると考えられている。しかしながら、計算機実験の結果はミクロな拡散ルールに依存してエクスポネントの値が連続的に変化していくことを示しており、拡散のある場合の成長の複雑さを示している。実際には、拡散ルールも成長パラメタ(例えば温度)に依存して徐々に変化しているはずであり、したがってエクスポネントもパラメタに依存して変化していくことが予想される。ここでも、ランジュバン方程式よりは元来の原子的模型に戻って調べる必要が強く示唆される。 以上は、3次元的な成長の形態についてであったが、表面に添った2次元的な成長についても多種多様なパターンの現れることが知られている。最近、C60の遷移金属ダイカルコゲナイド上での成長で、ミクロン・スケールの成長パターンが基板温度を上げると共に丸い島が多数、というパターンから異方的なデンドライトが小数へと変化を示すことが小間等のファンデルワールス・エピタキシーの実験で明らかにされた。これは通常、温度が上がるほど表面がなめらかになる傾向と反しているというパズルを与える。また、C60は等方的なファンデルワールス相互作用で結合しており、下地の遷移金属ダイカルコゲナイドとの相互作用も非常に弱いことから、デンドライトに見られる6回対称的異方性の原因も疑問である。 はじめに、結晶成長に対する疑問に答えるべく、我々は原子的なモデルに基づいて成長のモンテカルロ・シミュレーションを行った。モデルとしては、単純立方格子でSolid-on-Solidモデル(オーバーハングを禁じる)を用い、成長過程としては、吸着、蒸発、そして拡散を考える。基本的な成長パラメタは、気相の固相に対する化学ポテンシャル(平衡状態からのずれを表し、吸着頻度を与える)と基板温度Tである。単純な熱浴モンテカルロ法では、なにも起こらないという事象を選ぶ確率があり、それが低温または小さなでは頻繁に選ばれるために計算時間がかかることから、ここでは待ち時間法を用いた。その方法ではすべての起こりうる事象に待ち時間が与えられており、その小さな事象から実行されていく。成長はグイナミカル・スケーリングに基づいて、エクスポネントを求めることで特徴付けを行った。 結晶成長の統一的な相図を得るために、最初に拡散の無い場合(蒸発のみ)の場合について、-T空間でエクスポネントを求めた。相図はおおまかに、連続成長、層状成長、ランダム成長の3つの領域に分けることが出来る。先ず、連続成長領域は高温部分(T>TR)全体から低温部分の〜J(Jボンド・エネルギー)辺りにかけた広い範囲を占めており、エクスポネントが一定値〜0.15,〜0.08をとる。この領域は、高温の平衡近傍のサーマルに荒い部分と低温のカイネティックに荒い部分を含んでいることと、厳密に平衡での高温エクスポネントはゼロであることから、高温(T>TR)でもゼロでないに対して表面はすでにカイネティックに荒いことを示している。 次に層状成長領域は、低温でかつ小さなの部分で、なめらかな1層毎の成長が起こる部分であり、エクスポネントは大きな値をとる(>0.2)。通常、大きなエクスポネントは荒い表面を意味するので、この層状成長領域での大きな値とカイネティックに荒い表面での小さな値は、一見矛盾しているように見える。しかし、スケーリングの観点で見れば、カイネティックに荒い表面は原子スケールで凸凹しているが、それを大きなスケールでならしてみれば比較的なめらかである。一方、層状成長表面はテラスサイズよりも小さなスケールでは平らであるが、大きなスケールで見ると表面は大きく波打っており、比較的荒いことがわかる。 最後に大きなかつ低温のランダム成長領域では、吸着速度が大きいために隣り合うサイト間でさえ相関を持つことが出来ず、成長は完全にランダムな吸着によって起こる。エクスポネントは、が大きくなるにつれて、理論値=0.5に近づいていっている。 われわれの計算で得られた連続成長領域でのエクスポネントの一定性は、ここで唯一のユニバーサリティ・クラスが存在することを示唆するが、その値は他のモデルの計算機実験で得られた値よりもかなり小さい。実際、KPZ方程式の数値積分では、非線形パラメタの値が小さいときに、小さなエクスポネントの値を与える漸近的な領域が現れることが知られていることから、同じような漸近的な部分を見ている可能性がある。また、他の計算機実験では蒸発が入っていないことから、蒸発が実際にエクスポネントを小さくしている可能性も考えられる。これを調べるため、単純な成長モデルであるRestricted-solid-on-solidモデル(ランダムに降ってきた粒子は、最近接との高さの差が1以下であれば吸着する)に蒸発を入れて、より大きな系のサイズで計算した。実際、蒸発確率を大きくしていくとエクスポネントの値は小さく、上で得た値0.08に近づいていく。しかし、対数依存である可能性はぬぐいきれず、残された問題である。 層状成長領域については、エクスポネントの値が大きいこと、ステップ端から原子が取り込まれていく様子が,KPZ方程式の記述している沿面成長に似ていることから、KPZ方程式で記述されると考えられる。 拡散が無い場合の以上の結果をふまえて、次に現実的な場合である拡散のある成長を調べた。この場合についても、同じようにエクスポネントのパラメタ依存性を調べた。拡散のみの成長のエクスポネントは、拡散の無い(蒸発のみ)場合と違って、に依存して緩やかだがはっきりと変化していく。この上に蒸発を加えるとエクスポネントの値は全体的に小さくなる。また温度を固定した場合、エクスポネントはの関数としてピークをもつ。どのような物理的過程がエクスポネントを最大にしているかを調べるために、事象の比率と表面に降りた原子が固化するまでに実際に拡散した距離(入力パラメタの拡散距離とは別)を計算した。エクスポネントが最大になるところでは、吸着と拡散が同じ比率で実現され、また拡散距離が1原子間隔程度であることから、吸着した原子が1回程度拡散して固化してしまうときに、エクスポネントは大きくなると考えられる。このような拡散があるときの成長で見られたエクスポネントの依存性は、実験でビーム・フラックスを変化させて計ったエクスポネントと比較できると考えられる。 さらに、そのようなエクスポネントが最大となるところでは、系全体に広がる大きな山構造が見られた。これと似た構造が、近年GaAsの成長のAFMによる観察でも数十ミクロンに及ぶものが得られており、「マウンド」と呼ばれている。そのような「マウンド」は、拡散のある成長で起こる不安定性の結果と考えられるが、理論的には計算機実験によって、ステップ端にテラスの上から下へ拡散原子が降りにくくなるような非対称性を導入すると発生することが知られていた。しかしながら、われわれの計算にはそのような非対称性を与えるステップ・エネルギーは入れておらず、ステップ障壁がなくても特別なパラメタの値においてそのような不安定性が起こる可能性を示している。 最後に、C60の成長パターンについて、われわれは拡散律速凝縮(DLA)モデルを援用した。3角格子上にランダムに降りてきた原子は、ランダムにxs回拡散するか、すでにある原子の最近接サイトに到達しかつその到達でそのサイトが持っているカウンタが最大値に達していれば固化し、そこで止まる。このカウンタは、既にある核の周縁サイトが持っていて、他の原子がそのサイトに来るたびに1つづつ増すが、表面張力の効果をある意味で取り入れることに対応し、DLA成長のランダム性を平均化し、成長する腕にある程度の太さを持つようにする作用を持つ。カウンタの最大値を固定して、xsを大きくしていくと実験で得られているような、高密度の丸い核のパターンから低密度のデンドライトなパターンへと変化していく。拡散距離は一般に温度と共に増加していくので、シミュレーションでの島の形状と密度の双方の変化は、定性的に実験を説明していると考えられる。もっとも、ここで得られたデンドライトなパターンは6回対称を示していないが、格子の異方性はサイズがより大きな系で現れることがわかっており、ここでもサイズを大きくしていけば6回対称的なパターンが得られるという予備的な結果を得ている。さらに一見、丸いパターンからデンドライトへの温度変化が一見直観と逆なのは、見ているスケールの違いから来るものであり、実際、高温でのデンドライトも局所的にはなめらかな境界を持っている。この意味でデンドリティック成長にもある種のスケーリングがあることが想像され、将来の課題になろう。 |