近年、有機超伝導体の開発を中心として様々な機能を持った有機導体の研究開発がなされているが、Hunig、Aumullerらによって新しく開発された(DM-DCNQI)2CUは従来の有機導体にはみられない特異な性質を示すため注目をあつめている。この有機導体は図1の様な結晶構造をもつ。DCNQI分子は銅原子に分子末端の窒素原子を介して4面体的に配位している。実際の結晶構造は図1の様な構造が紙面垂直方向に積層したかたちをとり、多くの有機導体にみられるようにDCNQI分子のc軸方向の重なりが1次元の伝導バンドを形成している。銅のほかに銀などの金属錯体も同じ結晶構造をもつが、銅錯体の場合は他にはない非常に特徴的な性質をしめす。銅原子は1次元バンドを構造的のみでなく電気的にもつなぐ役割をはたしているのである。つまりDCNQIバンドのフェルミレベルと銅原子の3d軌道のエネルギーレベルが非常に近い状態にある。そのため低次元性からくる不安定性が抑えられ、超伝導にはならないものの低温まで高い電気伝導性を示す。この物質は加圧あるいはDCNQI分子につく置換基の種類を変えることにより大きく特性を変化させることが知られている。その特性により次の3グループに分類できる。 グループ1:低温まで安定した金属状態を示す。 グループ2:低温で金属非金属転移を示す。 グループ3:金属-非金属-金属とリエントラントな転移を示す。 (DM-DCNQI)2Cuの金属状態は加圧とともに不安定化しグループ1からグループ2へと変化する。またこの中間の領域(100〜300barの低い圧力領域)ではグループ3の性質をしめす。 図1 (DM-DCNQI)2Cuの結晶構造 この金属非金属転移では3倍周期のCDWが形成されるが、同時にCu2+がCu2+:Cu+=1:2の比で出現し、また転移は1次でおおきなヒステリシスをともなうため通常のパイエルス転移とは異なる。このリエントラントな振る舞いについては、金属領域でDCNQIのp軌道と銅原子の3d軌道が混成していることと、非金属域でCu2+が局在していることがら"重い電子系"の存在が指摘されており、実際この付近で電子比熱の増大が観測されている。 この物質については、これまで多くの研究がなされてきたが圧力下という特殊な状況が必要であるという困難さも加わり、転移の機構、リエントラント転移の機構、圧力の効果、"重い電子系"との関係など多くの部分がいまだ明らかではない。 我々はこれらの現象の解明を目的とし、圧力、磁場、温度をパラメータとしてリエントラント領域をふくむ広い領域で以下のような電気、磁気的な性質の測定を行った。 1)圧力-温度平面での1H-NMRの測定 2)圧力-温度-磁場立体中でのサンプルをコイル中に含んだLC共鳴回路のQ値の変化の測定。 金属中の核スピンの緩和はコリンハの関係式T1TK2=const.に従う。Kはナイトシフトでパウリ帯磁率、つまり状態密度に比例する。従ってリエントラント付近で電子が重くなるなどの異常があれば、T1が圧力に依存したふるまいをみせるであろう。また磁気的な変化や内部の運動(メチル基などの)や構造変化があればT1や吸収線幅などに変化が現われる。 2)はサンプルの電気的な性質を調べるための測定である。サンプルが非金属から金属へと転移したとき、コイルのつくる交流磁場によりサンプルに渦電流を生じエネルギーを散逸する。この散逸がQ値を低下させ、LC共鳴回路のインピーダンスを低下させる。通常の抵抗測定の場合、金線やペーストなどのプローブが直接サンプルに接触するが、この有機導体(DM-DCNQI)2Cuの場合、転移温度が圧力に非常に敏感であるため大きな誤差を生む原因となる。Q値の変化を利用したこの方法の場合この影響が避けられ、また結晶全体の様子を同時に見られるという利点がある。 圧力はヘリウムガスを媒体とした静水圧である。試料は(DM-DCNQI)2Cu(h8体)とDCNQI分子につくプロトン1つと2つのメチル基のプロトン1つずつ、計3つを重水素に置換したd3[1,1;1]体を用いた。最近このような選択的な重水素置換が加圧と同じような効果をもつことが加藤らによって明らかにされた。d3[1,1;1]体の場合には常圧下で約160barの圧力のがかかった状態にあると考えられる。実験装置は約150barまで加圧可能であるのでこれら2つのサンプルを用いればグループ1、2、3にわたる広い領域を連続的にカバーできる。 以下実験結果をしめす。 図2(a)に(DM-DCNQI)2Cuの測定結果を示す。T1に2つの成分がみられるがこれは金属相と絶縁相が混在していることを示す。T1の長い成分は金属相をあらわし、短い成分は非金属相をあらわす。60K付近のT1-1の増大はメチル基の回転からくる影響である。〜7K以下でT1の短い成分は消滅するがこれは混在している絶縁相が磁気的な秩序状態にあることを示す。 同様な測定を加圧下でも行ったが常圧下での測定結果の誤差を超えるような変化は見られなかった。ただし図2(b)で示すようにT1の短い成分の全強度比、つまり非金属相の混在比は大きく変化する。これより加圧により常圧下の低温金属相はリエントラント金属相へ移動したとみなすことができるが、T1に変化がないことから両金属相には大きな違いはないと考えられる。これらの結果は"重い電子系"の存在について否定的である。 図表図2(a)h8体のT1の温度変化(常圧下) / 図2(b)h8体のT1短成分の圧力下での(P)100bar)全強度比 d3[1,1;1]についてもも同様な測定をおこなったが、圧によるT1の絶対値の変化は見られず、T1の2成分の存在比のみが変化した。また加圧により存在比が増大したT1の短い成分が〜10K以下で信号が激減することからリエントラント金属相に接する〜10K以下の絶縁相は磁気的秩序状態にあることがわかる。 Q値の変化圧力の効果 図3にd3[1,1;1]をコイル中にいれたLC共鳴回路のインピーダンスの温度変化を示す。図の破線に近づくほど非金属的で下に離れるほど金属的である。測定は4.2Kで80barに加圧された後おこなわれてた。点線は常圧下での変化である。図にあるようにリエントラント金属相と非金属相との間には大きなヒステリシスが存在する。加圧により転移温度は〜10K程低下する。4.2Kでの加圧の間、|Z|に変化はほとんど見られないが昇温転移後冷却した場合には図にあるように|Z|はもとの値に戻らない。圧が高い程このずれはおおきくなる。 図4にこの方法で得られた圧力-温度相図を示す。加圧とともに転移温度は低下する。転移温度は冷却のプロセスに大きく依存する。図3のように測定した冷却時の転移温度と高温金属領域から冷却した転移温度では図にあるように大きな違いがある。これは転移時の結晶の状態が異なっていることを示している。高温金属領域から冷却した場合10K以下での転移はみられない。これはこの温度付近以下の非金属相が磁気的秩序状態にあることと関係していると考えられる。局在スピンCu2+のエントロピーはスピン間相互作用により〜10K付近で急速に小さくなるため、自由エネルギーの傾きが金属相の自由エネルギーに近づくためと考えられる。 図表図3 d3[1,1;1]をコイル中に入れたLC共鳴回路のインピーダシスの温度変化。説明本文参照。 / 図4 d3[1,1;1]体の温度-圧力相図磁場の効果 転移温度は図5にあるように10T程度の磁場でおよそ2〜3度低下し、転移温度が下がるに従い大きくなる。この原因として考えられるのは絶縁相に存在するCu2+の存在である。電子だけのシステムを考えた場合、局在スピンの存在する絶縁相の自由エネルギーはCu2+間の相互作用を無視した場合、 とかけるが、フェルミ縮退した金属相では磁場や温度による影響はこれほど大きくないと考えられる。上の自由エネルギーに対する金属相の自由エネルギーを温度、磁場に対して一定と仮定したとき、計算から求めた転移温度の変化は、実験結果と非常に良い一致を見せる。これよりリエントラントな振る舞いの原因は、非金属相に存在するCu2+による大きなエントロピーとこれに比べて小さな金属相のエントロピーの差が、温度上昇とともにリエントラント金属相を不安定化するためではないかと考えられる。 図6に高磁場中(10T)での圧力-温度相図を示す。転移温度が低温側にシフトしたため零磁場中でみえなかった冷却過程におけるリエントラント金属相の消失がみえる。 図表図5 圧力下での転移温度の磁場依存性 / 図6 d3[1,1;1]の磁場中(10T)での圧力-温度相図破線は零磁場下。 このように磁場はCu2+に作用しエネルギーを下げることにより絶縁相を安定化させていると考えることができる。もし圧力の効果が同じように非金属相を金属相に対して安定化していると仮定すると、その大きさは1barあたり0.1×107erg/molと見積もられる。この場合、Cu2+の周りの4面体的な構造の歪みの増大がこの安定化に作用していると考えられる。 |