学位論文要旨



No 110952
著者(漢字) 大木,泰造
著者(英字)
著者(カナ) オオギ,タイゾウ
標題(和) (DM-DCNQI)2Cuの金属-非金属転移への圧力磁場効果
標題(洋) Effects of Pressure and Magnetic Field on Metal-Insulator Transition in(DM-DCNQI)2Cu.
報告番号 110952
報告番号 甲10952
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2865号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 寿栄松,宏仁
 東京大学 教授 福山,秀敏
 東京大学 助教授 大塚,洋一
 東京大学 助教授 河野,公俊
 東京大学 助教授 常行,真司
内容要旨

 近年、有機超伝導体の開発を中心として様々な機能を持った有機導体の研究開発がなされているが、Hunig、Aumullerらによって新しく開発された(DM-DCNQI)2CUは従来の有機導体にはみられない特異な性質を示すため注目をあつめている。この有機導体は図1の様な結晶構造をもつ。DCNQI分子は銅原子に分子末端の窒素原子を介して4面体的に配位している。実際の結晶構造は図1の様な構造が紙面垂直方向に積層したかたちをとり、多くの有機導体にみられるようにDCNQI分子のc軸方向の重なりが1次元の伝導バンドを形成している。銅のほかに銀などの金属錯体も同じ結晶構造をもつが、銅錯体の場合は他にはない非常に特徴的な性質をしめす。銅原子は1次元バンドを構造的のみでなく電気的にもつなぐ役割をはたしているのである。つまりDCNQIバンドのフェルミレベルと銅原子の3d軌道のエネルギーレベルが非常に近い状態にある。そのため低次元性からくる不安定性が抑えられ、超伝導にはならないものの低温まで高い電気伝導性を示す。この物質は加圧あるいはDCNQI分子につく置換基の種類を変えることにより大きく特性を変化させることが知られている。その特性により次の3グループに分類できる。

 グループ1:低温まで安定した金属状態を示す。

 グループ2:低温で金属非金属転移を示す。

 グループ3:金属-非金属-金属とリエントラントな転移を示す。

 (DM-DCNQI)2Cuの金属状態は加圧とともに不安定化しグループ1からグループ2へと変化する。またこの中間の領域(100〜300barの低い圧力領域)ではグループ3の性質をしめす。

図1 (DM-DCNQI)2Cuの結晶構造

 この金属非金属転移では3倍周期のCDWが形成されるが、同時にCu2+がCu2+:Cu+=1:2の比で出現し、また転移は1次でおおきなヒステリシスをともなうため通常のパイエルス転移とは異なる。このリエントラントな振る舞いについては、金属領域でDCNQIのp軌道と銅原子の3d軌道が混成していることと、非金属域でCu2+が局在していることがら"重い電子系"の存在が指摘されており、実際この付近で電子比熱の増大が観測されている。

 この物質については、これまで多くの研究がなされてきたが圧力下という特殊な状況が必要であるという困難さも加わり、転移の機構、リエントラント転移の機構、圧力の効果、"重い電子系"との関係など多くの部分がいまだ明らかではない。

 我々はこれらの現象の解明を目的とし、圧力、磁場、温度をパラメータとしてリエントラント領域をふくむ広い領域で以下のような電気、磁気的な性質の測定を行った。

 1)圧力-温度平面での1H-NMRの測定

 2)圧力-温度-磁場立体中でのサンプルをコイル中に含んだLC共鳴回路のQ値の変化の測定。

 金属中の核スピンの緩和はコリンハの関係式T1TK2=const.に従う。Kはナイトシフトでパウリ帯磁率、つまり状態密度に比例する。従ってリエントラント付近で電子が重くなるなどの異常があれば、T1が圧力に依存したふるまいをみせるであろう。また磁気的な変化や内部の運動(メチル基などの)や構造変化があればT1や吸収線幅などに変化が現われる。

 2)はサンプルの電気的な性質を調べるための測定である。サンプルが非金属から金属へと転移したとき、コイルのつくる交流磁場によりサンプルに渦電流を生じエネルギーを散逸する。この散逸がQ値を低下させ、LC共鳴回路のインピーダンスを低下させる。通常の抵抗測定の場合、金線やペーストなどのプローブが直接サンプルに接触するが、この有機導体(DM-DCNQI)2Cuの場合、転移温度が圧力に非常に敏感であるため大きな誤差を生む原因となる。Q値の変化を利用したこの方法の場合この影響が避けられ、また結晶全体の様子を同時に見られるという利点がある。

 圧力はヘリウムガスを媒体とした静水圧である。試料は(DM-DCNQI)2Cu(h8体)とDCNQI分子につくプロトン1つと2つのメチル基のプロトン1つずつ、計3つを重水素に置換したd3[1,1;1]体を用いた。最近このような選択的な重水素置換が加圧と同じような効果をもつことが加藤らによって明らかにされた。d3[1,1;1]体の場合には常圧下で約160barの圧力のがかかった状態にあると考えられる。実験装置は約150barまで加圧可能であるのでこれら2つのサンプルを用いればグループ1、2、3にわたる広い領域を連続的にカバーできる。

 以下実験結果をしめす。

 

 図2(a)に(DM-DCNQI)2Cuの測定結果を示す。T1に2つの成分がみられるがこれは金属相と絶縁相が混在していることを示す。T1の長い成分は金属相をあらわし、短い成分は非金属相をあらわす。60K付近のT1-1の増大はメチル基の回転からくる影響である。〜7K以下でT1の短い成分は消滅するがこれは混在している絶縁相が磁気的な秩序状態にあることを示す。

 同様な測定を加圧下でも行ったが常圧下での測定結果の誤差を超えるような変化は見られなかった。ただし図2(b)で示すようにT1の短い成分の全強度比、つまり非金属相の混在比は大きく変化する。これより加圧により常圧下の低温金属相はリエントラント金属相へ移動したとみなすことができるが、T1に変化がないことから両金属相には大きな違いはないと考えられる。これらの結果は"重い電子系"の存在について否定的である。

図表図2(a)h8体のT1の温度変化(常圧下) / 図2(b)h8体のT1短成分の圧力下での(P)100bar)全強度比

 d3[1,1;1]についてもも同様な測定をおこなったが、圧によるT1の絶対値の変化は見られず、T1の2成分の存在比のみが変化した。また加圧により存在比が増大したT1の短い成分が〜10K以下で信号が激減することからリエントラント金属相に接する〜10K以下の絶縁相は磁気的秩序状態にあることがわかる。

Q値の変化圧力の効果

 図3にd3[1,1;1]をコイル中にいれたLC共鳴回路のインピーダンスの温度変化を示す。図の破線に近づくほど非金属的で下に離れるほど金属的である。測定は4.2Kで80barに加圧された後おこなわれてた。点線は常圧下での変化である。図にあるようにリエントラント金属相と非金属相との間には大きなヒステリシスが存在する。加圧により転移温度は〜10K程低下する。4.2Kでの加圧の間、|Z|に変化はほとんど見られないが昇温転移後冷却した場合には図にあるように|Z|はもとの値に戻らない。圧が高い程このずれはおおきくなる。

 図4にこの方法で得られた圧力-温度相図を示す。加圧とともに転移温度は低下する。転移温度は冷却のプロセスに大きく依存する。図3のように測定した冷却時の転移温度と高温金属領域から冷却した転移温度では図にあるように大きな違いがある。これは転移時の結晶の状態が異なっていることを示している。高温金属領域から冷却した場合10K以下での転移はみられない。これはこの温度付近以下の非金属相が磁気的秩序状態にあることと関係していると考えられる。局在スピンCu2+のエントロピーはスピン間相互作用により〜10K付近で急速に小さくなるため、自由エネルギーの傾きが金属相の自由エネルギーに近づくためと考えられる。

図表図3 d3[1,1;1]をコイル中に入れたLC共鳴回路のインピーダシスの温度変化。説明本文参照。 / 図4 d3[1,1;1]体の温度-圧力相図
磁場の効果

 転移温度は図5にあるように10T程度の磁場でおよそ2〜3度低下し、転移温度が下がるに従い大きくなる。この原因として考えられるのは絶縁相に存在するCu2+の存在である。電子だけのシステムを考えた場合、局在スピンの存在する絶縁相の自由エネルギーはCu2+間の相互作用を無視した場合、

 

 とかけるが、フェルミ縮退した金属相では磁場や温度による影響はこれほど大きくないと考えられる。上の自由エネルギーに対する金属相の自由エネルギーを温度、磁場に対して一定と仮定したとき、計算から求めた転移温度の変化は、実験結果と非常に良い一致を見せる。これよりリエントラントな振る舞いの原因は、非金属相に存在するCu2+による大きなエントロピーとこれに比べて小さな金属相のエントロピーの差が、温度上昇とともにリエントラント金属相を不安定化するためではないかと考えられる。

 図6に高磁場中(10T)での圧力-温度相図を示す。転移温度が低温側にシフトしたため零磁場中でみえなかった冷却過程におけるリエントラント金属相の消失がみえる。

図表図5 圧力下での転移温度の磁場依存性 / 図6 d3[1,1;1]の磁場中(10T)での圧力-温度相図破線は零磁場下。

 このように磁場はCu2+に作用しエネルギーを下げることにより絶縁相を安定化させていると考えることができる。もし圧力の効果が同じように非金属相を金属相に対して安定化していると仮定すると、その大きさは1barあたり0.1×107erg/molと見積もられる。この場合、Cu2+の周りの4面体的な構造の歪みの増大がこの安定化に作用していると考えられる。

審査要旨

 本論文は、有機伝導体、(DM-DCNQI)2CU(DM-DCNQI;Dimethyle Dicyanoquinon Diimine)における金属-非金属転移の圧力および磁場効果を詳細に研究し、相転移に著しい磁場効果があることを明らかにしたものである。

 近年、多くの有機導体が発見されてきたが、これらはその結晶の低次元性と柔らかい格子系の故に、伝導電子間の相互作用か、極めて顕著に現われる系であり、そのいくつかは低温で超伝導体となり、いくつかは金属-絶縁体転移(パイエルス転移)を持つ極めて興味深いものであり、多くの研究がなされてきた。

 本論文が対象とする化合物は、小さな圧力下、低温で、一度、金属-絶縁体転移を経た後、さらに低温で金属相に戻る、いわゆるリエントラント転移を持つ特異な系であり、さらに銅イオンの3d軌道とDCNQI分子の軌道との混成が考えられることから、重い電子系としての可能性が指摘されている点でも興味深い系である。

 本論文は、5章からなり、序論、DCNQI-Cu塩の特徴、実験方法、実験結果および考察、結論から成っている。第1、2章では、有機導体の従来の研究および本研究対象物質の記述と位置づけが、簡潔に概観されている。第3章、実験方法については、圧力下での核磁気共鳴(NMR)測定装置を独自に製作し、圧力媒体にヘリウムガスを用いることにより、微小圧力領域での圧力のその場制御を初めて可能とした点が重要である。さらに、結晶の伝導度測定の手法として、圧力下でのLC共鳴コイルのQ値から試料のインピーダンスを測定する無接点法を採用し、従来の直流伝導度測定で致命的であった接点による圧力効果の問題を解決した。これら2つの測定方法における工夫は、この物質における相転移が圧力に対し極めて微妙で複雑であり、これらの改善か測定データの信頼性を非常に高めた点は高く評価できる。

 第4章、実験結果でまず注目すべきは、圧力下におけるQ値の測定で、低温側のリエントラント非金属-金属転移をQ値の変化として明瞭に観測できることに成功し、圧力-温度面内における詳細な相図を完成させたことである。従来の実験では、メチル分子など構成分子の重水素化などによって見かけの圧力を変えていたのに対し、本研究は直接的加圧により圧力依存性を系統的に明瞭に観測した初めての実験である。この結果、圧力と共に転移温度は減少すること、さらに、転移温度は温度履歴に依存し、高温金属相から冷却した場合、100Bar以上の圧力で金属相への転移は観測されないことなどを明らかにした。後者の金属相の消失は、非金属相が磁気秩序状態に転移したことを示す証拠の一つであると考えられる。

 次に、この非金属-金属転移の磁場強度依存性が研究され、10テスラの磁場では転移温度は2-3K減少することが観測された。この磁場効果は、100Bar以上の圧力ではさらに著しく、p<100BarでTc=10Kに観測される金属相への相転移(通常の冷却過程では観測される)が消失し、低温まで非金属相のまま残留する。この顕著な磁場効果について、本論文ではその起因に関する現象論的考察がなされた(第5章)。即ち、非金属相では、Cu2+の局在スピンのために、自由エネルギーは磁場と共に減少するが、一方、金属相では自由エネルギーはほとんど変化しない。この結果、非金属相が磁場中では、より安定化し非金属-金属転移の転移温度が低下する。このモデルは、測定された転移温度の磁場依存性を定量的にも説明できることが示された。この種の物質系において、転移温度の磁場依存性を明瞭に観測し、その機構を考察した初めての研究である。

 第2の実験結果は、1H-NMRのスピン格子緩和時間に長・短2種類の異なるT1からの寄与があり、(1)それぞれの温度依存性は、金属-非金属転移点を越えた圧力領域でも変化しないこと、および(2)T1の短い成分の長い成分に対する相対強度が、非金属相が安定となる温度・圧力領域で、増加すること、を見いだした。本論文は、これらの結果から、T1の短い相とT1の長い相の2種類の相が存在し、それぞれが、非金属相および金属相であると結論した。また、温度および圧力の変化によって、これら2相の相対体積は変化するが、各相の性質は本質的に変化しない事、さらに、相転移の臨界圧力近傍で金属相のT1に特に有意な変化が観測されないことを明らかにした。これは、電子状態密度に圧力変化がなく、電子質量など電子構造に転移点近傍で特段の変化がないことを示している。即ち、従来の電子比熱実験から推察された「重い電子系」の存在を否定する結果を得た。

 以上、本論文は、低温で圧力を詳細に制御できる高周波インピーダンス測定装置およびNMR測定装置を独自に開発し、有機伝導体、(DM-DCNQI)2Cu結晶(2つの誘導体h8およびd3)におけるリエントラント非金属-金属転移を、特にその圧力依存性を研究したものである。これにより、相転移の詳細な相図を決定し、その転移温度が磁場によって低下すること、この磁場依存性が非金属相の自由エネルギー変化で定量的に説明できること、転移温度以下では金属相と非金属相の2相が共存し、これらの電子的性質は相転移点近傍で変化せず、従来から提唱されてきた「重い電子」モデルは否定されること、などを極めて興味深い事実を明らかにした。

 審査委員会は、測定手法に従来にない工夫が払われ、十分注意深い実験によりそのデータの信頼性は高く、またその解析および考察が適切な手法でなされていると判断し、さらに、本研究によって明らかにされた結果が、有機伝導体の電子相転移の機構解明に重要な寄与をするものであることを評価した。よって、本論文は、本学博士(理学)学位論文として合格に相当するものと、審査委員全員が認めた。

 なお本研究は、池畑誠一郎助教授(指導教官)、島津佳弘助手および加藤礼二教授(試料提供)との共同研究による部分を含むが、著者が研究計画から実施および解析・考察の全ての段階で主導的な役割を果たしており、主体的寄与があったものと認められた。

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