学位論文要旨



No 110955
著者(漢字) 加藤,信行
著者(英字)
著者(カナ) カトウ,ノブユキ
標題(和) 強相関系におけるダイマリゼーションとスピンギャップの研究
標題(洋) Dimerization and Spin Gap in Strongly Correlated Systems
報告番号 110955
報告番号 甲10955
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2868号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 教授 福山,秀敏
 東京大学 教授 加倉井,和久
 東京大学 教授 上田,和夫
 東京大学 助教授 永長,直人
内容要旨

 銅酸化物高温超伝導体の問題のひとつに、超伝導転移点Tcよりも高温からみられる、擬スピンギャップ的な振る舞いがある。例えば、Tc〜60KのYBCO系(YBa2Cu3O7-x,x〜0.5)では、300K以上の温度から、ナイトシフトの温度依存性に指数関数的な減衰がみられ、またNMRで観測される1/T1Tでも、150K付近より低温でコリンハ則からはずれて指数関数的な減衰がみられる。中性子散乱の実験においても、同様々振る舞いがみられる。通常のBCS的なシングレット超伝導体なら、Tc直下からスピンギャップ的な振る舞いがみられるはずである。従って、銅酸化物高温超伝導体においては、BCS的な超伝導ペアリングによるスピンギャップとは独立にスピンギャップの機構を調べることは意味のあることである。

 また、整数スピンに起因してスピンギャップが起きるものに,NENPの物質に代表されるハルデーン系がある。更に、格子の構造を反映してスピンギャップができる物質に、例えば、梯子構造に代表される(VO)2P2O7やSrCu2O3や、パイエルス変位に代表される、有機化合物TTFMS4C4(CF3)4、MEM-(TCNQ)2や、無機化合物CuGeO3がある。これらすべての物質の帯磁率の実験において、低温に指数関数的な減衰が観測されていて、スピンギャップの証拠になっている。

 この論文は、絶対零度における二次元的なダイマーモデルを調べることによって、超伝導ペアリングとは全く同一ではない独立のスピンギャップの発生を明らかにし、これら一連の物質のスピンギャップの発現機構の理解を得ることを目的としている。以下にその要旨を述べる。

 最初に、以下に記述される正方格子上のダイマーモデルのハミルトニアンを調べた。

 

 このモデルを図1に示す。ここでSiはS=1/2のスピンオペレーター、は、ダイマリゼーションを特徴づけるパラメタである。このモデルの特徴は、=0では、通常の正方格子反強磁性ハイゼンベルグモデルに帰着され、絶対零度で反強磁性長距離秩序が存在すると信じられていて、系はギャップが無い状態である。また、=1では、局所的なシングレットの直積で波動関数が構成されるので、スピンギャップは存在する。ここでスピンギャップとは、シングレット基底状態とトリプレットの最低励起状態とのエネルギー差で定義される。従って、=0の相と=1の相は、対称性が異なるので、を変化させる時、有限ので相転移があることが予想される。このモデルを、スピン波近似、摂動展開、厳密対角化、量子モンテカルロ法を用いて調べた。図2に、基底状態エネルギーの依存性を示す。0ではスピン波近似の描像が、1では摂動展開の描像が非常に有効であることを示している。そして量子モンテカルロ法の結果は、その相反する描像を内挿する形で得られている。次に相転移点を見積もった。スピン波近似では反強磁性磁化mが0になる所をもって、摂動展開ではスピンギャップが0になるところをもって、転移点と定義した。また量子モンテカルロ法では、反強磁性スピン構造因子Sz(Q)の結果のサイズ依存性が、反強磁性長距離秩序がある時は、Sz(Q)/L2=Mz+のようにサイズLに依存し、スピンギャップがある時は、Sz(Q)/L2(1-e)のように振る舞うと仮定したときに、反強磁性長距離秩序相でのMzが0となり、スピンギャップ相でのスピン相関長が無限大になる点をもって、相転移点と定義した。図3にその相図を示す。この相図により、スピンギャップの定量的な振る舞いがわかった。一次元ダイマーモデルでは、反強磁性長距離秩序が存在しないので、転移点cが0であるのに対して、二次元系では、有限のcより大きいから、スピンギャップが現れ始めることが興味深い。この相転移は、スピン波的な古典的描像と、スピンギャップという量子的描像の両者の間の相転移として理解できる。また、トリプレットの励起状態の波数依存性も調べた結果、波数(,)のスピンギャップが、(0,0)のそれよりも小さいという結果が摂動論の範囲で得られた。これは、銅酸化物高温超伝導体のナイトシフト、1/T1T、中性子散乱実験の振る舞いの定性的な理解の助けになる可能性を暗示している。

図表図1:ハミルトニアン(1)で表されるモデルの図。黒線が<i,j>∈Sに属し、白線が<i,j>∈Wに属する。 / 図2:1サイトあたりの基底状態エネルギーの依存性。LSWの実線は、線形スピン波で得られた値、PEの破線は=1からの2次の摂動展開で得られた値、QMCの3個のシンボルは、量子モンテカルロ法で得られた値をプロットしたものである。L=4,8,12は、それぞれ4×4,8×8,12×12のサイズを示している。 / 図3:反強磁性長距雛秩序mとスピン相関長の逆数1/依存性。SW,PE,QMCは、それぞれスピン波近似、摂動展開、量子モンテカルロ法によって見積もられた転移点を表している。

 次に、前述のモデル(1)を拡張した以下のモデルを調べた。

 

 ここで、r’は、x軸方向では偶数サイトの格子点だけの和、rは、すべての格子点の和を表す。は、正方格子上でのx軸方向におけるダイマリゼーションを表すパラメタで、J’は、y軸方向の鎖間相互作用を表す。スピンギャップを生成させると、反強磁性長距離秩序を助長させるJ’の競合という形で、その相図を得た。それを図4に示す。

図4:スピン波近似と量子モンテカルロ法によって得られた相図。量子モンテカルロ法では、J’/J=0.3、0.7、1.0の3点について、S(Q)、(Q)の依存性から転移点を見積もった。

 次に、その相境界線上での臨界指数を調べた。スピン相関長が、のように振る舞うと仮定したとき、S(Q)と反強磁性帯磁率(Q)の有限サイズスケーリング法から、〜1という結論を得た。二次元量子系に対応すると信じられている三次元古典ハイゼンベルグモデルにおける臨界指数〜0.7と値が異なっている。この食い違いの原因は古典モデルでは無視されているトポロジカルな励起による効果の可能性もあり、議論の余地が残されていると思われる。

 磁化曲線も調べた。ダイマー鎖や梯子モデルでは、一次元的性質を反映してM〜なる振る舞いを示す。ここで、Mは磁化、Hは外部磁場、Hcはスピンギャップに起因する臨界磁場の大きさを表す。それに比べて二次元では、M〜H-Hcなる振る舞いが得られた。低励起状態がハードコア・ボゾン的であると仮定すると、その状態密度の次元性の相違から、これらの振る舞いが理解できる。

 モデル(2)の特徴は、ハミルトニアン(1)を含むだけではむく、いろいろなモデルを包含している点にある。=0では、J’=0の一次元反強磁性ハイゼンベルグモデルからJ’=Jの2次元のそれに移行する。J’=0では、一次元ダイマーモデル、=1では梯子モデルに帰着する。またが1以上になるとJ(1-)のボンドが強磁性的になり、強磁性-反強磁性交代ボンド鎖になり、更にその大きさが十分大きい時は、S=1反強磁性ハイゼンベルグモデルに帰着する。ただし、が1より大きいところでは、ハミルトニアン(2)を

 

 に変形したものを採用した。図5にスピンギャップのパラメタ依存性を示す。図5を見ると、スピンギャップを持つ系、ダイマー鎖、梯子モデル、S=1反強磁性ハイゼンベルグ鎖が、とJ’/Jのパラメタ空間上でなめらかに互いに移行できることを示している。つまり、上記のモデルのスピンギャップの発現機構は、基本的にダイマーシングレットであると結論できる。また、トリプレットの低励起状態も、最低励起状態の波数近傍で、一マグノンの孤立したモードになっているので、一連のモデルは、基底状態ばかりでなく、低励起状態も類似している。その事を反映して、最初に述べた物質の帯磁率の低温の振る舞いの類似は、明白であることが裏付けられる。

図5:(a)スピンギャップsとJ’/Jに対する依存性を立体図で示したものである。J’/Jが1より小さい時はJスケールで、J’/Jが1より大きい時はJ’スケールで計算している。また、塗られた領域は反強磁性長距離秩序が存在する領域である。1D AFH(一次元モデル)、D AFH(一次元ダイマーモデル)、F-AHchain(強磁性-反強磁性交代ボンド鎖モデル)、S=1AFH(S=1モデル)、Q1D AFH(擬一次元モデル)、2D AFH(二次元モデル)を表す。AFHは反強磁性ハイゼンベルグを意味する。(b)図(a)をJ’方向からみた射影図である。どちらの図も三角印は厳密対角化で、丸印、四角印は量子モンテカルロ法で得られたものである。
審査要旨

 固体物理学において、金属電子の問題と、スピン系での磁性の問題は2つの非常に重要な問題である。これらの問題はそれだけでも難しい問題を含んでいるが、高温超伝導体や低次元物質などの強相関電子系においては、この2つが密接に絡み合って、新しい物理現象が展開している可能性がある。つまり物質の電気的な性質は金属的であるが、一方磁性的な性質は金属電子論では理解されない場合があるという点である。

 例えば中性子散乱で調べられたように、高温超伝導体では低エネルギーの磁気励起が超伝導転移点Tcよりも高温から極度に抑えられている。また帯磁率も減少し、NMRで見られる1/T1Tも金属電子に対して期待されるコリンハ則からずれて、Tcより高温から減少を始める。これらのことは、なんらかのスピンギャップが開いていることを示唆している。これに対して、電気伝導などで見られるような電荷の運動に関しては、そのような温度領域で大きな変化は見られていない。通常のBCS理論に従うs-波超伝導体の場合、Tc以下で準粒子励起に対するエネルギーギャップが開くので、電荷に対してもスピンに対しても同時にギャップが開く。明らかに高温超伝導体では今までの理論では理解されないことが起こっている。

 この問題に関しては世界中で研究が続けられているが、本論文はその基礎となるべきスピン系におけるスピン・ギャップ発現の問題を取り上げている。もちろん実際の高温超伝導体などとの比較のためには、電荷を運ぶキャリア(この場合はホール)が導入された時でもスピン・ギャップが開いたままの状態が可能であるかどうか調べなければならない。しかし、この問題はもう一段階次の問題であり、この論文では議論されない。本論文で扱うスピン系の問題だけをとっても、まだわかっていない点が数多く残っている。また、低次元系で見られるハルデイン・ギャップ、梯子型ハイゼンベルグモデル、スピン・パイエルスの問題でのスピン・ギャップとの関連からも、非常に豊かな物理を内包した問題である。

 本論文では、第一章が序、第二章では格子変形によってスピン交換相互作用が周期的に変調した(dimerizationと呼ぶ)2次元ハイゼンベルグモデルを扱っている。第三章では、二章のモデルを拡張して任意の結合定数を持った2次元(擬1次元)dimerizeしたハイゼンベルグモデルを議論している。第四章はまとめと今後の課題に当てられている。

 モデルの解析は、スピン波近似(必要に応じてmodified spin waveを用いる)摂動計算などの解析的な方法、および小さいクラスターの厳密な対角化、量子モンテカルロなどの数値的な方法を組み合わせて行っており、現在考えられるかぎりの手法を用いている。その結果、基底状態のエネルギー、絶対零度での相図、つまりどのようなパラメータ領域でスピン・ギャップが開くかという点、相境界線上での臨界現象について明らかにされた。とくに

 ・反強磁性長距離秩序が消えると同時にスピン・ギャップが開き始めること、

 ・相図上では、いろいろな相でのスピン・ギャップが統一的に理解できるということ、

 ・2次元量子スピン系の臨界指数は、3次元古典スピン系から期待される指数と食い違う可能性があること、

 が明らかになった。

 具体的に、用いられたハミルトニアンは正方格子上のスピン・ハミルトニアン

 110955f09.gif

 とまてめて書くことができる。ここではi=(ix,iy)サイトでのスピン110955f10.gifのスピン演算子、はx-方向のdimeizationを表すパラメータである。第1項と第2項からわかるように、x-方向には1つおきに交換相互作用が大小となったボンドが並んでいる。またy-方向のボンドはすべて同じ大きさの交換相互作用J’としている。まず第二章ではJ’=J(1-)とおいてy-方向も小さい方の交換相互作用と同じ大きさとした簡単な場合を調べ、第三章では一般に,J’を変えて調べている。

 第二章のモデルでは、次のことが既にわかっている。(1)=0では、モデルは空間一様な2次元ハイゼンベルグモデルとなるので反強磁性長距離秩序が存在し、スピン・ギャップはない。(2)=1では基底状態は局所的なシングレットで表され、スピン・ギャップがある。これらのことから、を0から1まで変化させていった時、ある有限のcで反強磁性長距離秩序が消滅し、スピン・ギャップが開くという相転移が起こることが期待される。この相転移点は、反強磁性スピン構造因子Sz(Q=,)を量子モンテカルロ法を用いて求め、そのサイズ依存性から決定された。その結果、(1)0<0.32では絶対零度での反強磁性長距維秩序が存在し、0.32<<1では代わりにスピン・ギャップが現れることがわかった。反強磁性長距離秩序が消えると同時にスピン・ギャップが形成されるという点はmodifiedスピン波近似の結果と一致する。しかしスピン波近似ではc=0.8を与え、定量的に悪い結果を与えることがわかった。

 第三章では、J’とのパラメータを変えて、どのような領域でスピン・ギャップが開くか、反強磁性長距離秩序が生じるかという点を調べた。その結果、反強磁性長距離秩序ができるのは、が小さくJ’がある程度大きい領域であることが示された。このモデルハミルトニアンは特殊な場合として以下のモデルを含んでいる。

 110955f11.gif

 J’,のパラメータを変えて相図を調べることにより、これら全ての場合のスピン・ギャップが実は相図上で繋がっていることが明らかになった。つまり、スピン・ギャップの発現の機構は基本的に同じであり、局所的なdimerシングレット形成によってギャップが開くという観点から統一的に理解できることが示された。いろいろな物質での実験結果の類似性はこの意味で理解される可能性があることが議論されている。

 但しJ’〜0,〜0の付近での相図は微妙である。スピン波近似の範囲では、=0の場合に0J’Jc=0.04Jの領域でスピン・ギャップが開くことになる。一方、量子モンテカルロ法による解析はこのような小さなJ’では困難で、明確な結論を出すことは難しい。=0の場合は異方的2次元ハイゼンベルグモデルの問題であるが、最近Parolla等はJ’の小さい領域で、独立した1次元鎖の集まりになる相とスピン液体の相が実現すると主張している。本論文のモンテカルロの結果からは、J’0.05Jの領域では独立した1次元鎖の集まりという相は否定された。

 また相境界線上の臨界指数について詳しく調べられた。スピン・ギャップ相でのスピン相関長110955f12.gifと振舞うと仮定して、モンテカルロの結果を有限サイズスケーリング法によって解析すると、臨界指数として〜1という結論が得られた。これは2次元量子系に対応すると信じられている3次元古典ハイゼンベルグモデルでの臨界指数(〜0.7)と食い違っている。この点については詳しいことはまだわかっていない。また、磁化曲線の振舞は、低エネルギー励起状態がhard-coreボゾンであると仮定すると理解できることを示した。

 以上のように本研究では、スピン・ギャップ発現のメカニズムを統一的に理解しようという目的のために様々な手法を駆使して、1つの簡単化されたスピン系のモデルについて詳しく調べられている。実際に実験との比較を行うには、キャリアの導入、格子変形の起源、動的な格子変形の議論などが必要であり、まだ多くの問題が残っている。また本研究は絶対零度の性質だけを議論したものであり、有限温度で見られるような擬スピン・ギャップの問題も残された問題である。しかし上で述べてきたように、いくつかの重要な知見が本論文により得られた。とくにスピン・ギャップの形成が色々な興味あるモデルにおいて、同一のメカニズムによって生じているということが、相図の解析により示されたことは大いに評価される。本研究は今田正俊助教授との共同研究であるが、論文提出者は精密な量子モンテカルロ法の数値計算、結果の解釈、解析的な方法との比較など本質的な寄与をしていると認められる。よって審査員一同は本論文が博士論文にふさわしいものであると認定した。

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