学位論文要旨



No 110956
著者(漢字) 川野,はづき
著者(英字)
著者(カナ) カワノ,ハヅキ
標題(和) 濃厚絶縁体混晶3次元ハイゼンベルグ型スピングラスNixMn1-xTiO3系の研究
標題(洋)
報告番号 110956
報告番号 甲10956
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2869号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 後藤,恒昭
 東京大学 助教授 加倉井,和久
 東京大学 教授 鈴木,増雄
 東京大学 教授 藤井,保彦
 東京大学 教授 武居,文彦
内容要旨

 本研究では、磁気的に濃厚な系におけるハイゼンベルグスピングラスの振舞いを調べるため、新たな系NixMn1-xTiO3を取り上げた。

 NiTiO3とMnTiO3は、ともに六方晶イルメナイト型結晶構造をもつ反強磁性体であろ。NiTiO3(TN〜23.2K)の秩序相におけるスピンは、面内で強磁性的に、面間で反強磁性的に配列し、Ni2+の1イオン異方性とスピン間に働く双極子相互作用によってスピン容易軸がc面内にある。異方性定数Dは0.58Kと小さく、その振舞いはハイゼンベルグ的である。一方、MnTiO3(TN〜63.6K)の秩序相におけるスピンは、面内、面間ともに反強磁性的に配列し、Mn2+スピン間に働く双極子-双極子相互作用によってスピン容易軸はc軸に平行である。また、異方性定数Dは0.065Kと小さく、この場合にもその振舞いはハイゼンベルグ的である。したがって、NiTiO3とMnTiO3の磁気構造の違いから、両者の混晶NixMn1-xTiO3には交換相互作用の競合が存在しスピングラス系となることが期待される。また、NiTiO3とMnTiO3の異方性がそれぞれの交換相互作用に比べて非常に小さいことから、その振舞いがハイゼンベルグ的であると予想した。

 本研究ではNixMn1-xTiO3系の単結晶試料作製、および、磁気相図の解明を行った。また、ハイゼンベルグ型スピングラス系としての振舞いを調べる目的で、スピングラス転移温度について磁場依存性を調べ、平均場理論から得られるAT線との比較を行った。

 本研究から得られた結果は、以下のようにまとめられる。

NixMn1-xTiO3系の濃度-温度相図の研究。

 NixMn1-xTiO3系の濃度-温度相図には、中間濃度領域に常磁性-スピングラス転移が、また、Mn高濃度側にMnTiO3型の、Ni高濃度側にNiTiO3型の反強磁性秩序相からのリエントラントスピングラス転移が存在することが明らかになった。中性子散乱実験の結果、この系のリエントラントスピングラス相はそれぞれMnTiO3型、および、NiTiO3型反強磁性長距離秩序とスピングラス状態の共存相であることが明らかになった。また、このことから、この系のリエントラントスピングラス相とスピングラス相の間には相境界線が存在し、その境界線が温度軸にほぼ平行に降りていることが明らかになった。この結果は、Toulouseが導いたリエントラントスピングラス相に対する描像に一致するものである。

 さらに、NixMn1-xTiO3系の常磁性-スピングラス転移、また、MnTiO3型、および、NiTiO3型の反強磁性秩序相からのリエントラントスピングラス転移は、逐次転移を起こすことが明らかになった。すなわち、高温側で容易面内のスピン成分が、また、低温側でc軸に平行なスピン成分が(リエントラント)スピングラス転移を起こす。このような逐次スピングラス転移はCraggらが予言した弱い1イオン異方性によるものと解釈された。このことからNixMn1-xTiO3系が理想的なハイゼンベルグ系ではなく、わずかに面内型の異方性をもつことが明らかになった。

 MnTiO3型反強磁性秩序相からのリエントラント転移に関して、磁化測定により決められたリエントラントスピングラス転移温度が、中性子散乱測定における磁気プラッグ散乱の散乱強度が減少を示し始める温度ではなく、より低温の磁気散漫散乱の散乱強度の温度変化がピークを示す温度に対応していることがわかった。このことは、リエントラント転移を起こす前から系内にフラストレーションが蓄積し、スピンが長距離秩序から離脱していることを示している。すなわち、NixMn1-xTiO3系で観測された現象から、リエントラントスピングラス転移に関して、次のような描像が得られた。

 (a)リエントラントスピングラス転移を起こす前から系内のフラストレーションが徐々に増大して、スピンが長距離秩序網から離脱し始める。

 (b)温度の低下に伴いスピンのモーメントが伸び、系内のフラストレーションがさらに増大してある"しきい値"を越すと、リエントラントスピングラス転移を起こす。

 さらに、NixMn1-xTiO3系のMnTiO3型反強磁性秩序相では次のような2種類のスピン軸の回転が観測された。1つめは0.10≦x≦0.34濃度領域の試料において観測されたc軸に平行な状態から垂直な状態への回転である。このスピン軸の回転の原因はMnTiO3反強磁性構造による双極子-双極子相互作用とNi2+イオンのもつ1イオン異方性の間の競合であると解釈される。2つめのスピン軸の回転は0.34≦x≦0.39濃度領域の試料において観測されたc軸に垂直な状態から平行な状態への系の異方性に逆らったスピン軸の回転である。この回転については、よりフラストレーションが強い領域での振舞いであることから、系内の双極子-双極子相互作用と1イオン異方性、交換相互作用の競合によるフラストレーションの微妙なエネルギーバランスによる現象であると考えられる。この現象は本研究で初めて観測されたものであり、今後、理論的にその存在、および、性質の研究がなされることが期待される。

 以上に述べたように、NixMn1-xTiO3系には濃度、および、温度に依存して複雑な磁気的秩序相が現れろことが明らかになった。また、この系に観測された振舞いは、この系のスピングラス試料が理想的なハイゼンベルグ系ではなく、わずかに異方的な性質を持つことを示した。その振舞いの中には、これまで知られていなかった新しい磁気的逐次相転移や、リエントラントスピングラスの出現機構の本質に迫ると考えられる情報も含まれている。今後のこの系に関する研究はランダム磁性体の研究分野において、さらに大きく発展する可能性を秘めていると考えている。

NixMn1-xTiO3系のスピングラス系としての振舞いの研究。

 スピングラス試料Ni0.45Mn0.55TiO3は逐次スピングラス転移を示す。この系について逐次スピングラス転移温度の磁場依存性を測定しH-T相図を得た。その結果、その磁気相図は平均場理論から期待される相図に定性的には一致することがわかった。さらに、逐次スピングラス転移温度の磁場依存性をハイゼンベルグ系に期待されるAT線と比較したところ定性的には理論のH3/2に近い指数をもったべき乗則に従い、また前係数については理論値の約1/3の値をもつことが明らかになった。この値は、±J型イジングスピングラス系Fe0.50Mn0.50TiO3で観測された値とほぼ等しい結果を与えている。本研究の結果は、これまで報告されたハイゼンベルグ系で観測された前係数の理論値との対応が悪かった原因がスピン次元の違いではないことを示唆している。また、本研究の結果、希釈系、希薄合金系といつたSKモデルとは異なる形態の相互作用をもつ系では磁気的に濃厚な混晶系よりも理論値との一致が悪いことが示唆された。この結果は、理論に、新たなファクター、例えばフラストレーションの大きさなどを取り入れる必要があることを示唆していると考えられる。

図表図1 NixMn1-xTiO3系の濃度-温度相図。磁化測定により決められた磁気相転移温度を塗りつぶし記号、中性子散乱測定の結果決められた磁気相転移温度を白抜き記号で表わす。(各温度記号の意味は、本文を参照のこと。) / 図2 Ni0.45Mn0.55TiO3における逐次スピングラス転移温度の磁場依存性、H-T相図。 (a)磁場を容易面内のa軸に平行にかけた場合の相図。 (b)磁場を容易面に垂直なc軸に平行にかけた場合の相図。 実線・点線はガイドライン。白抜き記号と塗りつぶし記号はそれぞれ強い不可逆性の立ち上りと弱い不可逆性の立ち上りが観測された温度を表わす。Hcは系が異方性に支配されている領域(低磁場領域)から磁場に支配されているハイゼンベルグ的な領域(高磁場領域)へのクロスオーバーを起こした磁場を表わす。
審査要旨

 1972年に希薄磁性合金AuFe中で初めて見いだされたスピンがランダムに凍結する現象は、実験および理論の両面から数多く研究がなされ、競合する交換相互作用がランダムに分布しているランダム磁性体に共通して現れることが明らかにされた。しかし現在でも、この転移が熱平衡相転移であるか否かについての最も基本的な問題は、実験的にも理論的にも依然として未解決であり、その解明が求められている。

 本論文は、ハイゼンベルグ型スピングラス転移が熱平衡相転移であるか否を明らかにすべく、現在提唱されている理論モデルにできるだけ近いハイゼンベルグ型の濃厚スピングラス物質としてNixMn1-xTiO3の単結晶試料を作製し、磁気相図の解明を行った。さらにハイゼンベルグ型のスピングラス系としての振る舞いを調べるために、スピングラス転移温度の磁場依存性を研究した。

 本論文は6章からなる。第1章ではスピングラスの簡単な解説と問題提起、第2章ではNixMn1-xTiO3系の基本となるNiTiO3とMnTiO3の結晶構造と磁気的性質が記載されている。第3章ではNixMn1-xTiO3系の単結晶試料作の製法が説明されている。第4章では中性子散乱と弱磁場磁化測定によって得られたNixMn1-xTiO3系の濃度-温度相図の実験結果とそれらの考察が記載されている。また第5章では磁化測定によって得られた逐次スピングラス転移温度の磁場依存性の実験結果とその考察が記載されている。最後の第6章はまとめである。以下に、この論文の主たる業績である第4章と第5章の内容を要約する。

[I]NixMn1-xTiO3系の濃度-温度相図

 この系の基本となるMnTiO3とNiTiO3は弱い磁気異方性をもつ層状の反強磁性体である。前者はc面内、面間ともに反強磁性構造をとる容易軸型の反強磁性体、後者はc面内が強磁性、面間が反強磁性構造をとる容易面型の反強磁性体である。

 中性子散乱と弱磁場磁化測定の結果から、中間濃度側にスピングラス転移が、またMn高濃度側にMnTiO3型の、Ni高濃度側にNiTiO3型の反強磁性秩序相からのリエントラントスピングラス転移が存在することを見い出した。このリエントラント相はそれぞれMnTiO3型およびNiTiO3型反強磁性秩序とスピングラス状態の共存相であることを明らかにした。この結果から、スピングラス相とリエントラントスピングラス相の間に相境界が存在し、その境界線が温度軸とほぼ平行に下りていることを見い出した。この結果はToulouseが導いたリエントラントスピングラス相に対する描像と一致する。

 さらに、スピングラス転移および反強磁性秩序相からの二つのリエントラントスピングラス転移が、逐次転移を起こすことを見い出した。すなわち、c面内のスピン成分の凍結の後にc軸方向のスピン成分が凍結する。この現象は本研究で初めて見い出されたもので、Craggらが予想した弱い面内型異方性によるものと解釈された。このことからNixMn1-xTiO3系が弱い面内型異方性をもつハイゼンベルグ系であることが明らかにされた。

 MnTiO3型の反強磁性秩序相では次の2種類のスピン軸の回転を見い出した。0.1≦x≦0.34の領域では、温度を下げるとスピン軸はc軸方向からc面内に回転する。このスピン軸の回転はMnTiO3型の反強磁性構造による双極子-双極子相互作用とNi2+イオンのもつ1イオン異方性の競合によって生じると解釈された。一方0.34≦x≦0.39の領域では、スピン軸は系の異方性に逆らってc面内からc軸方向に回転するという現象を初めて観測した。

[II]逐次スピングラス転移温度の磁場依存性

 磁化測定によってスピングラス試料Ni0.45Mn0.55TiO3の逐次スピングラス転移の磁場依存性を求め、磁場-温度相図を明らかにした。この磁気相図は平均場理論から期待されるものと定性的に一致する。さらに逐次転移の磁場依存性をハイゼンベルグ系に期待されるAT線と比較すると実験結果は定性的に平均場理論の予想するH3/2のべき法則に従うことから、この系のスピングラス転移が熱平衡相転移であると結論した。

 以上に述べたように本論文では、NixMn1-xTiO3系の良質の単結晶を作製し、この系の磁気相図とスピングラス転移温度の磁場依存性を詳細に研究することによって、これまで不明であったハイゼンベルグ型の濃厚スピングラスの振る舞いを初めて明らかにした。このように本論文は磁性物理の分野に対する貢献は大きく、博士(理学)の学位論文としてふさわしい内容をもつものとして審査員全員が合格と判定した。

 なお、本論文の内容の一部は、指導教官を含む7名の共同研究者との共著の形で公表済み、あるい公表予定であるが、実際の実験の遂行や結果の解析などにおいて、学位申請者の重要な寄与が認められた。

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