本研究では、磁気的に濃厚な系におけるハイゼンベルグスピングラスの振舞いを調べるため、新たな系NixMn1-xTiO3を取り上げた。 NiTiO3とMnTiO3は、ともに六方晶イルメナイト型結晶構造をもつ反強磁性体であろ。NiTiO3(TN〜23.2K)の秩序相におけるスピンは、面内で強磁性的に、面間で反強磁性的に配列し、Ni2+の1イオン異方性とスピン間に働く双極子相互作用によってスピン容易軸がc面内にある。異方性定数Dは0.58Kと小さく、その振舞いはハイゼンベルグ的である。一方、MnTiO3(TN〜63.6K)の秩序相におけるスピンは、面内、面間ともに反強磁性的に配列し、Mn2+スピン間に働く双極子-双極子相互作用によってスピン容易軸はc軸に平行である。また、異方性定数Dは0.065Kと小さく、この場合にもその振舞いはハイゼンベルグ的である。したがって、NiTiO3とMnTiO3の磁気構造の違いから、両者の混晶NixMn1-xTiO3には交換相互作用の競合が存在しスピングラス系となることが期待される。また、NiTiO3とMnTiO3の異方性がそれぞれの交換相互作用に比べて非常に小さいことから、その振舞いがハイゼンベルグ的であると予想した。 本研究ではNixMn1-xTiO3系の単結晶試料作製、および、磁気相図の解明を行った。また、ハイゼンベルグ型スピングラス系としての振舞いを調べる目的で、スピングラス転移温度について磁場依存性を調べ、平均場理論から得られるAT線との比較を行った。 本研究から得られた結果は、以下のようにまとめられる。 ◇NixMn1-xTiO3系の濃度-温度相図の研究。 NixMn1-xTiO3系の濃度-温度相図には、中間濃度領域に常磁性-スピングラス転移が、また、Mn高濃度側にMnTiO3型の、Ni高濃度側にNiTiO3型の反強磁性秩序相からのリエントラントスピングラス転移が存在することが明らかになった。中性子散乱実験の結果、この系のリエントラントスピングラス相はそれぞれMnTiO3型、および、NiTiO3型反強磁性長距離秩序とスピングラス状態の共存相であることが明らかになった。また、このことから、この系のリエントラントスピングラス相とスピングラス相の間には相境界線が存在し、その境界線が温度軸にほぼ平行に降りていることが明らかになった。この結果は、Toulouseが導いたリエントラントスピングラス相に対する描像に一致するものである。 さらに、NixMn1-xTiO3系の常磁性-スピングラス転移、また、MnTiO3型、および、NiTiO3型の反強磁性秩序相からのリエントラントスピングラス転移は、逐次転移を起こすことが明らかになった。すなわち、高温側で容易面内のスピン成分が、また、低温側でc軸に平行なスピン成分が(リエントラント)スピングラス転移を起こす。このような逐次スピングラス転移はCraggらが予言した弱い1イオン異方性によるものと解釈された。このことからNixMn1-xTiO3系が理想的なハイゼンベルグ系ではなく、わずかに面内型の異方性をもつことが明らかになった。 MnTiO3型反強磁性秩序相からのリエントラント転移に関して、磁化測定により決められたリエントラントスピングラス転移温度が、中性子散乱測定における磁気プラッグ散乱の散乱強度が減少を示し始める温度ではなく、より低温の磁気散漫散乱の散乱強度の温度変化がピークを示す温度に対応していることがわかった。このことは、リエントラント転移を起こす前から系内にフラストレーションが蓄積し、スピンが長距離秩序から離脱していることを示している。すなわち、NixMn1-xTiO3系で観測された現象から、リエントラントスピングラス転移に関して、次のような描像が得られた。 (a)リエントラントスピングラス転移を起こす前から系内のフラストレーションが徐々に増大して、スピンが長距離秩序網から離脱し始める。 (b)温度の低下に伴いスピンのモーメントが伸び、系内のフラストレーションがさらに増大してある"しきい値"を越すと、リエントラントスピングラス転移を起こす。 さらに、NixMn1-xTiO3系のMnTiO3型反強磁性秩序相では次のような2種類のスピン軸の回転が観測された。1つめは0.10≦x≦0.34濃度領域の試料において観測されたc軸に平行な状態から垂直な状態への回転である。このスピン軸の回転の原因はMnTiO3反強磁性構造による双極子-双極子相互作用とNi2+イオンのもつ1イオン異方性の間の競合であると解釈される。2つめのスピン軸の回転は0.34≦x≦0.39濃度領域の試料において観測されたc軸に垂直な状態から平行な状態への系の異方性に逆らったスピン軸の回転である。この回転については、よりフラストレーションが強い領域での振舞いであることから、系内の双極子-双極子相互作用と1イオン異方性、交換相互作用の競合によるフラストレーションの微妙なエネルギーバランスによる現象であると考えられる。この現象は本研究で初めて観測されたものであり、今後、理論的にその存在、および、性質の研究がなされることが期待される。 以上に述べたように、NixMn1-xTiO3系には濃度、および、温度に依存して複雑な磁気的秩序相が現れろことが明らかになった。また、この系に観測された振舞いは、この系のスピングラス試料が理想的なハイゼンベルグ系ではなく、わずかに異方的な性質を持つことを示した。その振舞いの中には、これまで知られていなかった新しい磁気的逐次相転移や、リエントラントスピングラスの出現機構の本質に迫ると考えられる情報も含まれている。今後のこの系に関する研究はランダム磁性体の研究分野において、さらに大きく発展する可能性を秘めていると考えている。 ◇NixMn1-xTiO3系のスピングラス系としての振舞いの研究。 スピングラス試料Ni0.45Mn0.55TiO3は逐次スピングラス転移を示す。この系について逐次スピングラス転移温度の磁場依存性を測定しH-T相図を得た。その結果、その磁気相図は平均場理論から期待される相図に定性的には一致することがわかった。さらに、逐次スピングラス転移温度の磁場依存性をハイゼンベルグ系に期待されるAT線と比較したところ定性的には理論のH3/2に近い指数をもったべき乗則に従い、また前係数については理論値の約1/3の値をもつことが明らかになった。この値は、±J型イジングスピングラス系Fe0.50Mn0.50TiO3で観測された値とほぼ等しい結果を与えている。本研究の結果は、これまで報告されたハイゼンベルグ系で観測された前係数の理論値との対応が悪かった原因がスピン次元の違いではないことを示唆している。また、本研究の結果、希釈系、希薄合金系といつたSKモデルとは異なる形態の相互作用をもつ系では磁気的に濃厚な混晶系よりも理論値との一致が悪いことが示唆された。この結果は、理論に、新たなファクター、例えばフラストレーションの大きさなどを取り入れる必要があることを示唆していると考えられる。 図表図1 NixMn1-xTiO3系の濃度-温度相図。磁化測定により決められた磁気相転移温度を塗りつぶし記号、中性子散乱測定の結果決められた磁気相転移温度を白抜き記号で表わす。(各温度記号の意味は、本文を参照のこと。) / 図2 Ni0.45Mn0.55TiO3における逐次スピングラス転移温度の磁場依存性、H-T相図。 (a)磁場を容易面内のa軸に平行にかけた場合の相図。 (b)磁場を容易面に垂直なc軸に平行にかけた場合の相図。 実線・点線はガイドライン。白抜き記号と塗りつぶし記号はそれぞれ強い不可逆性の立ち上りと弱い不可逆性の立ち上りが観測された温度を表わす。Hcは系が異方性に支配されている領域(低磁場領域)から磁場に支配されているハイゼンベルグ的な領域(高磁場領域)へのクロスオーバーを起こした磁場を表わす。 |