学位論文要旨



No 110957
著者(漢字) 菊地,淳
著者(英字)
著者(カナ) キクチ,ジュン
標題(和) ペロフスカイト型バナジウム酸化物における電子状態の核磁気共鳴法による研究
標題(洋) NMR Studies of the Electronic State in Perovskite-type Vanadium Oxides
報告番号 110957
報告番号 甲10957
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2870号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 十倉,好紀
 東京大学 教授 小谷,章雄
 東京大学 助教授 吉沢,英樹
 東京大学 教授 毛利,信男
 東京大学 助教授 辛,埴
内容要旨

 銅酸化物高温超伝導体の発見を契機として強相関電子系に対する関心が再び高まり、銅酸化物と構造上の類似性を持つペロフスカイト型の遷移金属酸化物が重点的に研究されてきている。銅酸化物などの重い遷移金属酸化物は、Ti,Vなどの軽い遷移金属酸化物が属するMott-Hubbard型物質ではなく電荷移動型物質と呼ばれる物質群に分類されるが、強相関電子系に対する理解を深めるためには、これらの物質群の物性の類似点・相違点、電子状態の様相を明らかにすることが重要と考えられる。核磁気共鳴(NMR)に関して言えば、銅酸化物については高温超伝導体を中心として研究が進んでいるが、銅酸化物以外のペロフスカイト系、特にMott-Hubbard型に属する遷移金属酸化物の実験的研究は少なく、電荷移動型物質、あるいは比較的良く調べられている非ペロフスカイト型の酸化物との対比という意味でも重要と考えられる。

 こうした観点から、本研究では、Mott-Hubbard型に属するペロフスカイト型酸化物であるLaVO3とSrVO3、非ペロフスカイト型のV2O3をとりあげ、その電子状態の特徴を明らかにするためにバナジウム原子核のNMRを行なった。また、Mott-Hubbard型と電荷移動型の差異として指摘されている酸素原子の電子状態に注目し、磁性イオンと酸素イオンとの共有結合性を酸素原子核のNMRによって評価した。これらの結果を、ペロフスカイト系と非ペロフスカイト系、Mott-Hubbard型と電荷移動型の類似点・相違点という立場から、銅酸化物高温超伝導体および関連する銅酸化物を含めて比較・検討を行なった。

 LaVO3はTN〜141Kの反強磁性絶縁体であるが、常磁性状態における有効磁気モーメントやワイス温度といった基本的物理量を含めその磁気的性質は良く分かっていなかった。本研究では酸素組成を厳密に制御した試料を用い、51V核のナイトシフトと帯磁率の温度依存性を測定した。この結果から軌道帯磁率とスピン帯磁率のそれぞれの寄与を分離したところ、高温のスピン帯磁率はS=1の局在スピンとして記述できることが分かった。反強磁性相においては51V核の零磁場NMRを観測し、TNでの構造転移によって非等価な原子サイトが生じていることを明確に示した。また、反強磁性相の超微細相互作用定数を-168kOe/Bと評価した。これに対し常磁性相の超微細相互作用定数は-42.3kOe/Bであり、3d遷移金属イオンでの実験あるいは理論計算から知られている常識的な値(-100〜200kOe/B)よりもかなり小さかった。この減少は核スピン-スピン緩和率の結果と合わせて解析すると酸素との共有結合性だけでは説明できず、別の機構を必要とすることが分かった。これを説明するために通常の一イオン的な寄与に加えて隣接磁性イオンサイトからの寄与が存在すると考え、51V核スピンに対する超微細相互作用のハミルトニアンとして次式を仮定して解析を行なった。

 

 第1項が通常の不対d電子スピンによる内核偏極効果(core-polarization effect)による寄与、第2項は隣接磁性イオンサイトからの寄与(supertransferred hyperfine interactionと呼ばれる;以下STHIと略記)である。常磁性状態の実験結果を用いて(1)式中のパラメータを評価するとAは-130kOe/Bとなり、3d遷移金属イオンとして妥当な値が得られた。一方Bは15kOe/Bとなり、高温超伝導関連の銅酸化物以外の遷移金属化合物としてはかなり大きな値が得られた。これらの結果を用いると反強磁性相の超微細相互作用定数は-160kOe/Bと見積もられ、実験と良い一致を示した。

 SrVO3,V2O3に対しても51V核のナイトシフトと帯磁率を測定し、超微細相互作用定数を決定した。SrVO3の超微細相互作用定数は正で小さく(11.5kOe/B)、符号の逆転(+であること)は51V核の超微細相互作用がもはや通常の一イオン的な寄与のみでは理解できないことを示している。上記の値は絶対値を含め、B項の寄与があってA項のそれと打ち消し合っているためと解釈できる。実際AにV4+イオンとして妥当な値(-85kOe/B)を用いることにより、B=16kOe/Bと、LaVO3と同程度の値が得られた。V2O3でも(1)式を用いた解析を行ない、表1に示す結果を得た。表に示すように、B項の寄与はペロフスカイト型のLaVO3とSrVO3で大きく、非ペロフスカイト型のV2O3では小さいことが分かる。この傾向は比較のために示した高温超伝導関連の銅酸化物でもみられる。銅酸化物と同様な大きなB項の存在はペロフスカイト型バナジウム型酸化物の特徴であると考えられる。

表1 バナジウム酸化物におけるsupertransferred hyperfine interaction

 次に、上に述べた大きなB項の存在を実験的に確かめる目的で、バナジウム原子を非磁性、したがってA項の寄与がないアルミ原子に一部置換した系La(V0.98Al0.02)O327Al核のNMRを行なった。しかしながら得られたBの値は負でおよそ-0.3kOe/Bと非常に小さかった。この結果は、(i)アルミ原子サイトに超微細磁場を及ぼす原因が非置換系の大きなB項には支配的でない、(ii)バナジウム原子、すなわちd電子の存在が本質的であり、アルミ原子置換によってSTHIの過程が大きく乱されている、の2点を示唆していると考えられる。

 酸素原子核のNMRの測定では磁性イオンと酸素イオンの共有結合性を評価した。17O核のナイトシフトと帯磁率の解析から超微細相互作用定数を求め、その異方性から酸素2s,2p軌道の不対電子スピン密度fs,をそれぞれ見積もった。その結果を表2に示す。バナジウム系ではペロアスカイト型であるか否かによらず不対電子スピン密度は銅系に比べ概ね小さいことが分かる。バナジウム系で2s軌道の不対電子スピン密度が銅系に比べ小さいのは2s軌道とV3d軌道の対称性が異なるためと考えれば理解できる。また、零でない有限の値であるのはV3d軌道への電荷移動による2s軌道の交換分極効果(exchange-polarization effect)によるものと考えられる。2p軌道の不対電子スピン密度にも同様の傾向がみられ、銅系の方が一見共有結合性が大きいように思われる。一方、最近の高エネルギー分光の理論計算からはむしろ軽い遷移金属化合物の方が共有結合性は大きいとの指摘があり、実験結果と逆の傾向を示している。両者の食い違いは、酸素イオンからバナジウムイオンへの電荷移動に関与する+スピンと-スピンの寄与がいずれも大きく、互いに打ち消し合った結果不対電子スピン密度としては小さくなっていると考えれば解消できる。しかしながら、不対電子スピン密度のみの解析では+スピンと-スピンのそれぞれの寄与を分離することは難しく、さらに進んだ実験・解析が必要と思われる。同じ理由によってLaVO3とV2O3の共有結合性の強さを酸素原子上の不対電子スピン密度の大きさから判断するのは難しいと考えられる。

表2 バナジウム酸化物の酸素サイトにおける不対電子スピン密度

 以上得られた実験結果、特に51V核のNMRで観測された大きなSTHIの起源について考察を行なった。等方的で大きなB項の寄与はV原子s軌道の偏極が可能性として考えられるが、d軌道とp軌道の共有結合を利用した従来の過程は隣接したV原子のs軌道を偏極させることはできない。s軌道の偏極が可能なのは置換系の27Alサイトに超微細磁場を生じる過程と同じp軌道を使った交換分極効果であるが、これは負で小さく、観測された符号・大きさを説明できない。p軌道の関与する過程としてV4p軌道を使ったSTHIが考えられるが、酸素サイトでの不対電子スピンの向きを考慮するとやはりSTHIは正にはなりえず、バナジウム酸化物における大きなSTHIの微視的機構に関しては結論が得られなかった。

審査要旨

 銅酸化物高温超伝導体の発見を契機として強相関電子系に対する関心が再び高まり、銅酸化物と構造上の類似性を持つペロフスカイト型の遷移金属酸化物が重点的に研究されてきている。銅酸化物などの重い遷移金属酸化物は、Ti,Vなどの軽い遷移金属酸化物が属するモット・ハバード型物質ではなく電荷移動型物質と呼ばれる物質群に分類されるが、強相関電子系に対する理解を深めるためには、これらの物質群の物性の類似点・相違点、電子状態の様相を明らかにすることが重要と考えられる。核磁気共鳴(NMR)に関して言えば、銅酸化物については高温超伝導体を中心として研究が進んでいるが、銅酸化物以外のペロフスカイト系、特にモット・ハバード型に属する遷移金属酸化物の実験的研究は少なく、電荷移動型物質、あるいは比較的良く調べられている非ペロフスカイト型の酸化物との対比という意味でも重要と考えられる。

 菊地氏の論文では、こうした観点から、モット・ハバード型に属するペロフスカイト型酸化物であるLaVO3とSrVO3、非ペロフスカイト型のV2O3、をとりあげ、その電子状態の特徴を明らかにするためにバナジウム原子核のNMRを行った。また、モット・ハバード型と電荷移動型の差異として指摘されている酸素原子の電子状態に注目し、磁性イオンと酸素イオンとの共有結合性を酸素原子核のNMRによって評価した。これらの結果をペロフスカイト系と非ペロフスカイト系、モット・ハバード型と電荷移動型の類似点・相違点という立場から、銅酸化物高温超伝導体および関連する銅酸化物を含めて比較・検討を行っている。

 LaVO3はTN〜141Kの反強磁性絶縁体である。本論文では酸素組成を厳密に制御した試料を用い、51V核のナイトシフトと帯磁率の温度依存性を測定し、軌道帯磁率とスピン帯磁率のそれぞれの寄与を分離して求め、高温のスピン帯磁率はS=1の局在スピンとして記述できることを明らかにした。反強磁性相においては51V核の零磁場NMRを初めて観測し、TNでの構造転移によって非等価な原子サイトが生じていることを明確に示した。また、反強磁性相の超微細相互作用定数を-168kOe/Bと評価した。これに対し常磁性相の超微細相互作用定数は-42.3kOe/Bであり、3d遷移金属イオンでの実験あるいは理論計算から知られている常識的な値(-100〜200kOe/B)よりもかなり小さかった。菊地氏は、この異常に小さな観測値が通常の不対d電子スピンによる内核偏極効果(core-polarization effect)に加えて隣接磁性イオンサイトからの寄与(supertransferred hyperfine interaction;以下STHIと略記)によるものとの作業仮説を立て、常磁性、反強磁性双方の超微細相互作用定数を統一的に説明した。SrVO3,V2O3に対しても、51V核のナイトシフトと帯磁率を測定し、超微細相互作用定数を決定した。SrVO3の超微細相互作用定数は正で小さく(11.5kOe/B)、この場合もまたSTHIの効果が重要であることを結論した。

 また、本論文では、菊地氏は酸素原子核のNMRの測定によって磁性イオンと酸素イオンの共有結合性を評価した。17O核のナイトシフトと帯磁率の解析から超微細相互作用定数を求め、その異方性から酸素2s,2p軌道の不対電子スピン密度fs,をそれぞれ見積もった。強い共有結合性が期待されるにもかかわらず、異常に小さなが観測されたが、LaVO3においてはその原因として、不対電子スピン密度を逆向きスピンの関与する別の過程が打ち消し、見かけ上小さな値を与えるような軽い遷移金属酸化物特有の機構が働くことを指摘した。

 以上、本論文は、強相関電子系として重要なバナジウム酸化物のスピン状態と電子状態について、核磁気共鳴法を用いてその特徴を定量的に明らかにし、また、種々の異常な様相・問題点を指摘し、この分野の研究に新生面を開いたと評価できる。よって、本論文は、博士(理学)の学位論文として合格と認める。なお、本論文の相当部分は、指導教官である安岡弘志教授ほかとの共同研究であるが、論文提出者が主体となって測定から解析にいたるまで行ったものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53839