学位論文要旨



No 110959
著者(漢字) 孤嶋,慎一郎
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,シンイチロウ
標題(和) ショウジョウバエのミオシン軽鎖キナーゼ遺伝子の解析
標題(洋) Molecular characterization of a Drosophila myosin light chain kinase gene
報告番号 110959
報告番号 甲10959
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2872号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川戸,佳
 東京大学 助教授 桑島,邦博
 東京大学 教授 若林,健之
 東京大学 助教授 陶山,明
 東京大学 教授 馬淵,一誠
内容要旨 <導入>

 ミオシンIIは、ATPの持つ化学エネルギーを運動エネルギーに変換するモーター分子であり、筋収縮を始め、細胞質分裂、細胞移動、神経伝達物質の放出、などの様々な生体内の運動に関与することが知られている。ミオシンIIは、2本の重鎖、2個の調節軽鎖、2個の必須軽鎖からなる。脊椎動物の平滑筋、および非筋細胞のミオシンIIにおいては、ミオシン軽鎖キナーゼ(MLCK)による調節軽鎖のリン酸化が、ミオシンのATPaseの活性化に必要である。MLCKは、Ca2+・カルモジュリン依存的にミオシン軽鎖をリン酸化する、70〜150kDaの酵素であり、骨格筋型及び平滑筋型の2種類に分けられる。非筋細胞に存在するMLCKは、平滑筋型のものと同一な遺伝子から転写・翻訳されている。MLCKの機能については、anti-sense RNA、部分ペプチド断片、及び特異的阻害剤などを用いた細胞生物学的研究を通じ、上記の様々な運動の制御への関与が示唆されている。私は、生体内での役割を研究するため、ショウジョウバエをモデル生物に選んだ。ショウジョウバエにおいては、すでに非筋細胞型及び筋肉特異的ミオシンの2つが同定され、その構成成分のいくつかについては突然変異体も得られている。非筋細胞型ミオシンは、脊椎動物の平滑筋のミオシンと高い相同性を示し、その調節軽鎖においてMLCKリン酸化サイトが保存されていた、ショウジョウバエでのMLCKの分子遺伝学的な研究は、いまなお不明な点の多い非筋細胞におけるミオシンのリン酸化による制御に対し、様々な知見を与えることが期待される。また、ショウジョウバエにおいては、飛翔筋でのミオシン調節軽鎖のリン酸化が、飛翔の機能に必須であることが示されており、筋肉におけるリン酸化の意義についてもよいモデル系であると考えられる。そこで、私は、ショウジョウバエのミオシン軽鎖キナーゼ遺伝子を単離し、分子生物学的及び大腸菌発現組換え蛋白質を用いた生化学的研究を行った。

<結果>

 牛胃由来の平滑筋型MLCKの遺伝子を、小林久男博士から頂き、ショウジョウバエのゲノムライブラリーをスクリーニングし、1つのMLCKホモローグをコードするDNA断片を得た。それを用い、cDNAライブラリーから、cDNAクローンを単離し、そのエクソン構造を決定した。その結果から、2種類のalternative splicingが存在することが、示唆された。1つは、5’末端におけるエクソン使用の相違であり、もう1つは、1つのエクソンを使用するか否かの相違であった。alternative splicingにより、少なくとも3つのアイソフォームの存在が予想されたので、それらをアイソフォームa,b,cと命名した。アイソフォームaは、cDNAクローンの塩基配列より、929アミノ酸からなる蛋白質と予想された。そして、平滑筋型のMLCKのものと高い相同性を示すリン酸化触媒領域(アミノ酸は55%同一)、種々の筋原線維構成蛋白及び平滑筋型MLCKに見られる2種類のモチーフが存在した。また、予想調節領域において、平滑筋型のものと非常に高い相同性を示した(29アミノ酸のうち19個が一致)。アイソフォームcにおいては、調節領域のC-末端側をコードするエクソン(エクソンC)が使用されないため、カルモジュリン結合部位に相当する部分が異なるアミノ酸配列に置き換っていた(塩基配列からの予想)。

 ノザンブロットを行った結果、主要な転写産物は3.6kbであった。この転写産物は発生の全時期を通じ発現していた。アイソフォームa特異的エクソンを用いたノザンブロットから、少なくともに成虫期おいては、この転写産物はアイソフォームaをコードしていると考えられた。この3.6kb転写産物は、初期蛹の時期に発現量が著しく増大した。この時期は、非筋細胞型ミオシンの発現が増加する時期に相当する。また、よりマイナーな転写産物として、後期蛹特異的に見られる5.2kb、後期蛹・成虫特異的な13kb、及び非常に微量な18kbが存在した。18kbについては、エクソンCを用いたノザンブロットでは検出されず、アイソフォームcをコードしていることが示唆された。

 in situハイブリダイゼーションにより、胚期での発現部位を特定した。プローブとしては、3種類のアイソフォームで共通して使われているエクソンを用いた。形態形成運動が終了するステージ13までは、発現を示すシグナルは観察されなかった。ステージ14に、体壁の筋肉の前駆体での弱い発現が観察され、この発現は以降のステージにおいても確認された。また、ステージ15に、頭部の筋肉での発現、及び昆虫の排出器官であるマルピーギ氏管での発現が開始し、以後継続していた。

 生化学的性質を調べるため、大腸菌で2種類の組換え蛋白質を発現させた。これらは、アイソフォームaのN-末端及びC-末端が欠失させ、1つはリン酸化触媒領域のみで調節領域を含まないもので、もう1つは触媒領域及び調節領域を含むものである。両者とも発現蛋白質の大部分は、非可溶画分に存在したが、可溶画分を用いリン酸化のアッセイを試みた。ショウジョウバエのMLCKは、平滑筋型のものと高い相同性を示したので、ニワトリ筋胃由来のミオシン軽鎖を基質として用いた。その結果、触媒領域及び調節領域を含む組換えMLCKでは、Ca2+・カルモジュリン存在下において、調節軽鎖のみをリン酸化し、必須軽鎖へのリン酸の取り込みは見られなかった。また、EGTA存在下では、リン酸化活性は消失した。

<考察>

 私が単離したショウジョウバエのMLCKホモローグは、脊椎動物の平滑筋型のものと、以下の点で相似な性質を示している。構造的には、触媒部位で高い相同性が存在するのに加え、ファイブロネクチンIII型様モチーフ及びイムノグロブリンC2set様モチーフという骨格筋型のものには存在しない構造が見出される。生化学的には、Ca2+・カルモジュリン依存性及び基質特異性(調節軽鎖のみへのリン酸の取り込み)の2点においてMLCKの性質を持っている。脊椎動物で非筋細胞型と平滑筋型MLCKとは、触媒領域及び調節領域において同一のアミノ酸配列を持つ。さらに、脊椎動物平滑筋型ミオシン調節軽鎖とショウジョウバエ非筋細胞型のものと間には非常に高い相同性(80%以上同一)がある。これらのことから、ショウジョウバエにおけるこのMLCKの役割の1つは、非筋細胞型ミオシンの調節軽鎖をリン酸化通じての細胞運動の制御であることが予想される。このことは、細胞分裂及び細胞移動が激しく起こる時期である初期蛹での発現の増大(この時期はまた基質であると考えられる非筋型ミオシン調節軽鎖の発現も増加する)、及び筋肉組織を持たないマルピーギ氏管での発現をよく説明する。

 さらに胚では筋肉における発現も同時に観察された。このことは、非筋型のみならず筋肉特異的ミオシン調節軽鎖をもリン酸化する可能性を示唆している。脊椎動物の平滑筋型MLCKは、平滑筋の軽鎖のみならず骨格筋の軽鎖をもin vitroの条件下で、基質とし得る。よって、ショウジョウバエMLCKが、両方のタイプの調節軽鎖をリン酸化する可能性は十分考えられ得る。飛翔筋において調節軽鎖のリン酸化が著しく減少する突然変異体myofibrillar defectが我々の研究室で見出されている。この変異の座位(11A)は、MLCK遺伝子の存在座位(52D)と異なっている。変異体でのMLCK蛋白質の発現や活性制御、もしくは別のキナーゼの可能性などは今後の研究課題であろう。

 またこのショウジョウバエのMLCKは、スプライシングの違いにより、長さの異なる幾つかの転写産物が作られている。これらのalternative splicingは、コーディング領域で起きている。その結果、N-末端及びC-末端の異なる幾つかのアイソフォームが同一遺伝子より作られている可能性が考えられる。蛋白質レベルの確証には、共通アミノ酸配列及び特異的アミノ酸配列に対する抗体を用いたウェスタンブロットの実験が必要であろう。

 アイソフォームaに存在するCa2+・カルモジュリン結合領域は、アイソフォームcでは存在しない。対応する置換アミノ酸配列は、報告のあるカルモジュリン結合部位の共通性質(amphiphilic -helix)を満たしていなかった。細胞性粘菌のMLCKはCa2+・カルモジュリン非依存的であり、別のシグナルにより活性化すると考えられており、アイソフォームcも同様なことがあるのかもしれない。同一遺伝子から活性化のシステムの異なるアイソフォームが作られる可能性は、様々な組織・細胞での多様なミオシンの機能及びその制御を考え併せると、たいへん興味深い。アイソフォームaと同様に、大腸菌の組換え蛋白質を用いた研究が有効であるかもしれない。

審査要旨

 本研究では、ショウジョウバエを用いてミオシン軽鎖キナーゼ(MLCK)の生体内で役割をより詳細に探ることを目的として、ショウジョウバエのMLCK遺伝子を単離し、これを解析する事に成功した。

 論文提出者は、まず、小林久男博士(新技術開発事業団)から供与された牛胃平滑筋型MLCKの遺伝子を用い、ショウジョウバエのゲノムライブラリーをスクリーニングした。その結果、1つのMLCK遺伝子のDNA断片を得た。それを用い、cDNAライブラリーから、計7個のcDNAクローンを単離し、そのエクソン構造を決定した。その結果、2つのエクソン(エクソンA、エクソンC)の使用が異なる3つのタイプの転写産物が存在する事を明らかにした。それらがコードするアイソフォームをアイソフォームA,B,Cと命名した。アイソフォームAは、cDNAクローンの塩基配列より、929アミノ酸からなる蛋白質と予想される。アイソフォームAは、平滑筋型MLCKのものと非常に高い相同性を示すリン酸化触媒領域(アミノ酸は55%同一)及び調節領域(29アミノ酸のうち19個が一致)を含んでいた。また、種々の筋原線維構成タンパク質及び平滑筋型MLCKに見られ、ミオシン重鎖への結合に関与すると考えられている2種類の繰り返しモチーフ(ファイブロネクチンIII型モチーフ、イムノグロブリンC2モチーフ)が存在した。アイソフォームB及びCは、リン酸化触媒領域・2種類の繰り返しモチーフをアイソフォームAと共有していた。アイソフォームBは、調節領域もアイソフォームAと共有していた。アイソフォームCでは、エクソンCが使用されないため、カルモジュリン結合部位が異なるアミノ酸配列に置き換っていた。そのアミノ酸配列は、報告のあるカルモジュリン結合部位の共通性質(amphiphilic a-helix)を満たしていなかった。この様にスプライシングの違いによりカルモジュリン結合部位を欠いたアイソフォームが作られる事例は、脊椎動物のMLCKでは、今のところ報告はなく、新たな知見である。

 ノザンブロットを行った結果、主要な転写産物は3.6kbであった。この転写産物は発生の全時期を通じ発現していた。アイソフォームA特異的エクソン(エクソンA)を用いたノザンブロットから、少なくともに成虫期おいては、この転写産物はアイソフォームAをコードしていると考えられた。この3.6kb転写産物は、細胞分裂及び細胞移動が激しく起こる初期蛹の時期に発現量が著しく増大していた。この時期ではまた非筋型ミオシン調節軽鎖の発現も増加していた。この結果より、ショウジョウバエにおけるこのMLCKの役割の1つは、非筋細胞型ミオシンの調節軽鎖をリン酸化し、それを通じて細胞運動を制御することが予想された。マイナーな転写産物として、後期蛹特異的に見られる5.2kb、後期蛹・成虫特異的な13kb、およびほぼ全ての時期で見られる18kbのものが存在した。18kb転写産物については、エクソンCを用いたノザンブロットでは検出されず、アイソフォームCをコードしていることが明らかとなった。5.2kb及び13kb転写産物はアイソフォームBをコードしていた。

 in situハイブリダイゼーションにより、胚期でMLCKが強く発現している部位を特定した。プローブには各アイソフォームで共通して使われているエクソンを用いた。形態形成運動が終了するステージ13までは、発現を示すシグナルは観察されなかった。ステージ14に、体壁の筋肉の前駆体での弱い発現が観察され、この発現は以降のステージにおいても確認された。また、ステージ15に、頭部の筋肉での発現、および昆虫の排出器官であるマルピーギ氏管での発現が開始し、以後継続していた。筋肉における発現は、このMLCKが、非筋型のみならず筋肉特異的ミオシン調節軽鎖をもリン酸化する可能性を示唆している。

 生化学的性質を調べるため、論文提出者は、大腸菌で組換えタンパク質を発現させた。これは、アイソフォームAのN-末端及びC-末端を欠失させ、触媒領域及び調節領域のみを含むものである。形質転換大腸菌の細胞抽出液を用いリン酸化のアッセイを行った。基質にはニワトリ砂嚢のミオシン調節軽鎖(ショウジョウバエの非筋型調節軽鎖とは81%のアミノ酸が同一)を用いた。その結果、調節軽鎖へのリン酸の取り込みは、Ca2+・カルモジュリン存在下においてのみ認められ、EGTA存在下ではほとんど認められなかった。この結果は、ショウジョウバエMLCKの主要な産物であるアイソフォームAがCa2+・カルモジュリン依存的にミオシン調節軽鎖をリン酸化することを示している。

 以上要約すると、本研究では、脊椎動物以外で初めて、Ca2+・カルモジュリン依存性MLCKの存在を明らかにした。また、ショウジョウバエのMLCK遺伝子の複雑な転写パターンの一端を明らかにした。ミオシン軽鎖のリン酸化の細胞内での意義をショウジョウバエを用いて研究する際に必要な基本的知見を明らかにしたという点で、細胞生物学上有意義な貢献したものと認められる。よって審査委員一同、博士(理学)にふさわしい研究と判断した。

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