学位論文要旨



No 110965
著者(漢字) 竹内,佐年
著者(英字)
著者(カナ) タケウチ,サトシ
標題(和) 超高速近赤外分光装置の開発と一次元共役高分子中の局在励起の動力学
標題(洋)
報告番号 110965
報告番号 甲10965
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2878号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 池畑,誠一郎
 東京大学 教授 松岡,正浩
 東京大学 助教授 黒田,寛人
 東京大学 助教授 末元,徹
 東京大学 教授 花村,榮一
内容要旨

 来るべき高度情報化社会に向けて高速性、超並列性など、優れた特徴を兼ね備えた光に、我々が寄せる期待は大きい。物質中に誘起される非線形分極を媒介にした物質と光、あるいは光同士の相互作用は、この新しい情報伝達媒体としての光を活用する上で鍵となり、現在それに適した候補材料の探索とともに、光学非線形性の微視的な発現機構の解明が待たれている。

 一次元共役高分子が機能性有機光材料として盛んに研究されている背景には、大きな三次光学非線形性と一ピコ秒にも達する極めて高速な応答を合わせ持つ特徴が挙げられる。この特徴は、一次元主鎖に沿って非局在化した電子の示す巨大な電気感受率と光励起状態の速やかな緩和特性にもとづいている。定常的な実験の結果、光励起による空間的局在励起状態の形成とその振舞いが重要であると認識されている。

 実励起に伴う光学非線形応答に関して、特にサブピコ秒領域での光励起状態の動的振舞いは、近年めざましい発展を遂げている超短パルスレーザーを用いて、精力的に研究されている分野である。しかし、発生できる検索光波長領域が限られていたため、従来のフェムト秒(=10-15秒)分光は極僅かな例外を除き、可視領域を中心に行われてきた。この実験上の制限は、一次元共役高分子中の光励起状態を理解する上で大きな支障となっていた。すなわち局在励起状態が関与した誘導遷移は近赤外域に現れるため、従来の測定波長領域外となり重要な情報が得られずにいた。この現状を踏まえ、本研究では近赤外全域での広帯域超短パルス光を発生させ、可視から近赤外におよぶ幅広い波長領域の過渡スペクトル形状を時間分解能300fs以下で初めて測定し、サブピコ秒の時間スケールで起こる光励起状態の動的振舞いに関して、微視的観点から考察を行なった。

 1.まずチタンサファイア(Ti:Al2O3)結晶を利得媒質とする、固体超短パルス光源の開発から取りかかった。固体利得媒質のエネルギー蓄積能力と、レーザー色素に比べ圧倒的に長い蛍光寿命を生かすためチャープパルス増幅法を採用した。図1に示す独自の共振器構成をもつ再生増幅器により高繰り返し、高出力のフェムト秒パルス光源を実現できた。また固体媒質ならではの高い安定性や操作性、再現性の良さも、非線形波長変換による近赤外光発生の上で重要である。最終的な仕様は中心波長800nmにおいて、パルスエネルギー0.45mJ、パルス幅160fs、繰り返し周波数8〜5000Hzである。

図1 チタンサファイア再生増幅器の構成。M1〜M4:高反射鏡、PC:ポッケルスセル、TFP:薄膜偏光板、L:レンズ、BS:ビームスプリッター(反射率95%)。

 再生増幅器のモデル共振器を考え、利得結晶中での利得飽和、有限利得寿命、レンズ効果などを考慮した数値解析により再生増幅動作を定量的にも再現し、その最適化条件を求めた。その結果、パルスエネルギーの急激な増加とともに次第に顕著になってくるレンズ効果と、利得飽和の進み方とのバランスをとることが、増幅効率を最適化する上で重要であることがわかった。そのバランスは共振器のパラメーターを変えることで制御可能であり(図2)、実測結果とも比較して議論した。

図2 レンズ効果が(a)ある場合と(b)ない場合での、被増幅光のパルスエネルギーと結晶-M3間隔(L2)との関係。

 2.次いでパラメトリック差周波光発生により、広帯域の近赤外超短光パルス発生に成功した。図3に示す通りKTP結晶(0.5mm厚)を用い、再生増幅した基本波(=0.8m)の一部をポンプ光、フェムト秒白色光をシグナル光とするパラメトリック光混合により、両者の差周波光を発生させた。フェムト秒白色光のうちチャープ特性の平坦な波長領域(=1.1〜1.5m)を利用すると、幅広い波長成分が同時に結晶中でポンプ光と相互作用できる。そこで白色光の結晶への集光角を大きくして非同軸位相整合過程を併用すると、差周波光のスペクトル幅を最大1300cm-1まで広帯域化することができた(図4)。位相不整合を非同軸角および周波数離調に関して最低次で展開し、入射光を平面波とみなした計算により、差周波光のスペクトル幅と集光角との関係をよく説明することができ、スペクトル形状についても実測結果をよく再現した。差周波光の中心波長は、結晶をそのx軸周りに回転することで1.6〜3.0mにわたって角度同調可能である。差周波光のパルス幅はこの波長領域内で0.26〜0.27psであり、パルスエネルギーは約1Jである。

図表図3 光パラメトリック混合による差周波光の発生。M1:凹面鏡(r=120mm)、M2,M3:平面鏡、L1〜L4:レンズ、HM:半透鏡、HW:/2板、VD:可変遅延路、SPM:白色光発生セル、DM:二色反射鏡、X:KTP結晶、F:フィルター、MC:分光器、PbS:PbS赤外検出器。 / 図4 二つの異なる集光角(a)=4.5°、(b)=3.6°における、中心波長2.4mでのアイドラー光のスペクトル。細線は測定データ、太線は計算結果を示す。

 3.フェムト秒白色光や差周波光を検索光とするポンプ・プローブ配置で、三種類の置換ポリアセチレン薄膜試料の過渡スペクトル形状を測定した。図5に示すように、これらの試料は単結合と二重結合が交替するトランスポリアセチレンと同様な主鎖構造をもつ。いずれも可視領域に*パンド間遷移による強い基礎吸収を示し、バンドギャップの大きさはEg=2=2.20eV(PMSPA)、2.33eV(PMBPA)、2.51eV(PPPA)である。ドーピングによる基礎吸収帯の褪色とギャップ内吸収帯の成長が確認されており、余剰電子によりバンドの電子状態が大きく変化し、局在励起状態を形成すると考えられる。

図5 三種類の試料(a)PMSPA、(b)PMBPA、(c)PPPAの化学構造。

 PMBPAの過渡吸収スペクトルを図6に示す。光励起直後には0.8〜0.9eV、1.4〜1.5eV、1.9〜2.0eVにピークをもつ幅広い誘導吸収帯が、基礎吸収帯の低エネルギー側に観測される。1.4〜1.5eVの誘導吸収ピークは=130fsの時定数で指数関数的に減衰するのに対し、他の二つのピークは光励起後むしろ増大し、その後も時間の冪乗則(〜f0.78)に従って緩やかに減衰する。過渡スペクトル形状は光励起後1ps以内に大きな変化を示す。

図6 PMBPA薄膜の室温における過渡吸収スペクトル。励起光から検索光までの遅延時間は右側に示した。励起光は波長0.4m(3.1eV)、パルス幅<250fsである。励起密度は約2×1016photons/cm2、励起光と検索光の偏光方向は互いに平行である。ABSはPMBPAの基礎吸収スペクトルを表す。

 検索光子エネルギー(v)によって時間的振る舞いが異なることを説明するために、誘導吸収(A)が上記二成分の時間的、スペクトル的重ね合わせであると考え、

 

 によるフィッティングを試みた。第一項(n=0.78,=3.9ps-1)は冪乗成分、第二項(=130fs)は指数関数成分、第三項は測定時間領域では一定とみなせる長寿命成分である。この結果得られる振幅A(v)、B(v)、C(v)は各成分の分解スペクトルを与え、図7に示した通りである。冪乗成分A(v)は、その時間的振る舞いから同一主鎖上の正・負荷電ソリトンから成る1Buソリトン対と考えられ、その分解スペクトルは0.87eVと1.98eVに二つのピークを示した。一方指数関数成分B(v)は、光励起と同時に立ち上がること、主鎖構造の異なる他の共役高分子にも共通してみられること等の理由から、光励起直後の電子・正孔対に対応すると考えられ、その分解スペクトルは1.47eVに一つのピークを示した。長寿命成分C(v)は、鎖間励起を経由して生じたソリトン対、または二光子励起により生じた1Agソリトン対と考えられる。冪乗成分の遅れ時間tdはソリトン対の生成時間と解釈でき、td=65±30fsと見積られた。

 他の試料で観測される誘導吸収も定性的に同じ傾向を示した(表1)。ソリトン対の分解スペクトルが二つのピークを示すことから、ソリトンの波動関数が部分的に重なり合い、対応するギャップ準位がバンドギャップの中央から測って±0に分裂していることが強く示唆される。この場合、系の実効的電子相関エネルギーをUcとすると、ギャップ準位とバンド状態間の誘導遷移エネルギーは±0+Ucと表される。観測した二つのピークエネルギーから計算した分裂幅(20)とUcは表2に示した通りである。p≡0/=0.450(PMSPA)、0.476(PMBPA)、0.490(PPPA)はソリトン対の閉じ込め強度の目安となり、バンドギャップの大きい試料中ほど強い閉じ込めを受けることがわかる。一方Ucは指数関数成分のピークエネルギー(Eex)と相関が見られる結果となった。

図表図7 PMBPAにおける冪乗成分A(v)、指数関数成分B(v)、および長寿命成分C(v)の各分解スペクトル。ABSは試料の基礎吸収スペクトルを示す。 / 表1 三種類の試料のバンドギャップ(Eg)、冪乗成分の冪(n)と遅れ時間(td).その分解スペクトルA(v)の高(低)エネルギー側のピークエネルギー(EH,EL)。指数関数成分の時定数()とその分解スペクトルB(v)のピークエネルギー(Eex)も示した。

 ソリトン対の閉じ込めは主鎖構造の歪みや捻れに起因した共役長の短縮化によると考えられる。主鎖構造欠陥によるバンドギャップの増加分(2e)は,閉じ込め強度pと直接関係付けられ評価可能である。一方、内的要因のみによるバンドギャップEg(0)=2(-e)は基底状態におけるパイエルス変位の大きさを反映するため、ソリトンの空間的広がりを決める。ソリトンの片幅()はEg(0)に反比例し、/a=4.7(PMSPA)、4.4(PMBPA)、4.1(PPPA)と計算される。またソリトン間隔(d)とその片幅との比(d/)の関数としてソリトン対の相互作用エネルギー、すなわちギャップ準位間の分裂量が決まるため、閉じ込め強度pからその比を見積ることができる。実験結果をもとに評価したこれらのパラメーターの値も表2にまとめた。

 図8からわかるようにソリトン間隔d/a=(d/)(/a)は1/eに比例し、その傾きは=0.39eVである。共役長(c)がaに比べて十分長い場合c1/eとなるから、この実験結果はソリトン間隔が共役長に比例し、その比はd/c=39.5%であることを意味する。ソリトン対全体の大きさについていえば、(2+d)/c=80%(PMSPA)、87%(PMBPA)、93%(PPPA)となり、各試料とも100%に近い値をとる。終端効果も考慮すればソリトン対の大きさと共役長がほぼ一致するため、これらの試料中に光励起で生じたソリトン対は、系の共役長で決まるセグメント内に閉じ込められているという微視的描像が適していると言える。

図表表2 三種類の試料のバンドギャップ(Eg)、ギャップ準位(w0)、実効的電子相関エネルギー(Uc)、ソリトンの片幅()、ソリトン間隔(d)。aは炭素原子間距離である。 / 図8 三種類の試料について、実験結果から見積ったソリトン間隔(d/a)を1/eに対してプロットした。▲:PPPA,■:PMBPA,●:PMSPA。点線は三データが比例関係にあることを示し、その傾きは=0.39eVである。

 本研究において、一次元共役高分子の示す過渡スペクトル形状全体を初めて明らかにするとともに、その測定手法を確立した。従来の可視域フェムト秒分光に比べ、得られる情報量は格段に増し、局在励起状態の系統的な解明を可能とした点を強調したい。

 以上。

審査要旨

 一次元共役高分子は現在機能性有機光材料として盛んに研究されている。その背景には、三次光学非線形性と一ピコ秒にも達する極めて高速な応答を合わせ持つ特徴が挙げられる。

 一次元共役高分子中の光励起状態を理解するためには、サブピコ秒領域での光励起状態の動的振舞いの理解が重要であるが、従来のフェムト秒(=10-15秒)分光は極わづかな例外を除き、可視領域を中心に行われてきた。

 しかしながら局在励起状態が関与した誘導遷移は近赤外域に現れるため、従来の測定波長領域外となり重要な情報が得られずにいた。この現状を踏まえ、本研究では近赤外全域での広帯域超短パルス光を発生させ、可視から近赤外におよぶ幅広い波長領域の過渡スペクトル形状を時間分解能300fs以下で初めて測定し、サブピコ秒の時間スケールで起こる光励起状態の動的振舞いに関して、微視的観点から考察を行った。

 まずチタンサファイア(Ti:Al2O3)結晶を利得媒質とする、固体超短パルス光源の開発を行った。固体利得媒質のエネルギー蓄積能力と、レーザー色素に比べ圧倒的に長い蛍光寿命を生かすためチャープパルス増幅法を採用し独自の共振器構成をもつ再生増幅器により高繰り返し、高出力のフェムト秒パルス光源を実現させた。

 再生増幅器のモデル共振器を考え、利得結晶中での利得飽和、有限利得寿命、レンズ効果などを考慮した数値解析により再生増幅動作を定量的にも再現し、その最適化条件を求めた。その結果、パルスエネルギーの急激な増加とともに次第に顕著になってくるレンズ効果と、利得飽和の進み方とのバランスをとることが、増幅効率を最適化する上で重要であることがわかった。そのバランスは共振器のパラメーターを変えることで制御可能であり、実測結果とも比較して議論した。

 次いでパラメトリック差周波発生により、広帯域の近赤外超短光パルス発生に成功した。即ちKTP結晶(0.5mm厚)を用い、再生増幅した基本波(=0.8m)の一部をポンプ光、フェムト秒白色光をシグナル光とするパラメトリック光混合により、両者の差周波光を発生させた。差周波光の中心波長は、結晶をそのX軸周りに回転することで1.6〜3.0mにわたって角度同調可能である。

 次にこのようにして得られたフェムト秒白色光や差周波光を検索光とするポンプ・プローブ配置で、三種類の置換ポリアセチレン薄膜試料の過渡スペクトル形状を測定した。その結果、過渡スペクトル形状は光励起後1ps以内に大きな変化を示し、三つの項で良く説明されることを明らかにした。即ち、第一項は、光励起と同時に立ち上がり、時定数130fs程度で指数関数的に減衰し、1.4〜1.5eVにピークを持つ成分、第二項は、光励起後60〜100fs後立ち上がり、時間のべき乗則に従って減衰し、0.8〜0.9eV、1.9〜2.0eVにピークを持つ成分、第三項は、測定時間領域では一定とみなせる長寿命成分である。又、それぞれ、光励起直後の電子正孔対、同一主鎖上の正、負荷電ソリトンから成る1Buソリトン対、又、第三項は鎖間励起を経由して生じたソリトン対、または二光子励起により生じた1Agソリトン対と考えられる。べき乗成分の遅れ時間tdはソリトン対の生成時間と解釈できる。ソリトン対の分解スペクトルが二つのピークを示すことから、ソリトンの波動関数が部分的に重なり合い、対応するギャップ準位がバンドギャップの中央から測って±0に分裂していることが強く示唆される。この場合、系の実効的電子相関エネルギーをUcとすると、ギャップ準位とバンド状態間の誘導遷移エネルギーは±0+Ucと表され、これらの試料中に光励起で生じたソリトン対は、系の共役長で決まるセグメント内に閉じ込められているという微視的描像が適していると言える。

 以上本研究において、一次元共役高分子の示す過渡スペクトル形状全体を初めて明らかにするとともに、その測定手法を確立した。又、従来の可視域フェムト秒分光に比べ、得られる情報量は格段に増し、局在励起状態の系統的な解明を可能とした。

 なお本研究は、小林孝嘉氏、増田俊夫氏、東村敏延氏、吉沢雅幸氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験及び解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54438