学位論文要旨



No 110969
著者(漢字) 西田,公昭
著者(英字)
著者(カナ) ニシダ,キミアキ
標題(和) 準弾性散乱領域におけるスピン-アイソスピンモードに対するデルタ・アイソバーの影響
標題(洋) Effects of the delta-isobar on the spin-isospin modes in quasi-elastic scattering region
報告番号 110969
報告番号 甲10969
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2882号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 大塚,孝治
 東京大学 教授 大西,直毅
 東京大学 助教授 酒井,英行
 東京大学 教授 石原,正泰
 東京大学 助教授 太田,浩一
内容要旨

 原子核のスピン、アイソスピンに伴う諸性質は、近年の原子核物理学における主要な課題の一つである。原子核のスピン-アイソスピン応答の研究において、実験技術の進歩、理論的研究の発展が見られる。スピン、アイソスピンの自由度を伴う原子核の応答函数を議論する際、移行運動量qに対するスピン演算子の方向に応じて、その応答をスピン縦応答RL()、スピン横応答RT(×)に分けるのが普通である。準弾性散乱領域での()による偏極移行量Dijの測定がLAMPFで行われ、応答の比RL/RTが抽出された。その比は準弾性散乱領域で1か1より小さい程度で、これはAlbericoらによる理論的な予測と反し、注目を集めた。Albericoらは、乱雑位相近似(RPA)を用いて核物質のスピン-アイソスピン応答の計算を行い、核内の相関がない場合に比べて核の励起エネルギーの小さい領域ではRLが増大しRTが減少することを予測した。その結果、この応答の比はの小さい領域で1よりはるかに大きくなる事が予測されていたのである。

 こうした矛盾を解決するために多くの理論的研究が行われいるが、私たちは、まず構造面については、核内にバーチャルに励起される粒子の効果に注目し、核内での核子-空孔(ph)と-空孔(h)間の有効相互作用に対する応答函数の依存性について研究した。反応面については、歪曲波インパルス近似(DWIA)を用いて、歪曲、吸収の効果を取り入れ、断面積、Dij等のスピン観測量の計算を行い、実験との比較を行った。

 構造面における私たちのアプローチは有限核に対するRPAを基礎とし、核内の有効相互作用として(++g’)模型、すなわち中間子交換力+中間子交換力+接触相互作用という模型を用いている。の効果をあからさまに確認できるように3種類の接触相互作用項の結合定数、ph-ph間のg’NN,ph-h間の,h-h間のをそれぞれ独立に取り扱っている事が、私たちのアプローチの特徴である。つまり、universality ansatz g’NNは取り除かれている。

 まずの自由度を取り入れる事による応答函数への影響であるが、RLのピーク位置の低エネルギー側への移行(softening)、およびそのピーク値の増大(enhancement)、RTのピーク位置の高エネルギー側への移行(hardening)、およびそのピーク値の減少(quenching)に対して、の効果が本質的に作用していることがわかる。つまり、ph-h間の有効相互作用を通して、スピン縦成分の強度がhセクターからphセクターへ押し下げられ、スピン横成分の強度は逆にphセクターからhセクターへ押し上げられたという事である。こうした状況をより詳しく見るために、それぞれの応答函数をそのバーテックスに応じた3種類の応答函数に分けてそれぞれの寄与を確認した。ここでいう3種類の応答函数というのは、phの組で始まりphの組で終わるR[NN]、phの組で始まりhの組で終わるhの組で始まりhの組で終わるである。縦成分、横成分、いずれについても、主要な寄与はR[NN]が担い、は無視できる程小さい。は、縦成分については正の寄与を持ち、縦成分については負の寄与を持っている。つまり、応答函数の縦成分のsoftening及びenhancement横成分のhardening及びquenchingは、このの寄与によるものである。こうしたの振る舞いは、RPA方程式、有効相互作用の性質から、ある程度定性的に説明することができる。

 次に有効相互作用のうちの接触相互作用項の結合定数に対する応答函数の依存性であるが、縦成分、横成分共にg’NN、及びの値を変える事により、エネルギースペクトルに変化が見られる。特に縦成分については、その影響が顕著である。g’NNを小さくすると、応答函数の縦成分の強度は低エネルギー側では増大、高エネルギー側では減少し、結果的にenhancement及びsofteningの効果が強まることがわかる。一方、横成分も同様の振る舞いを示し、結果的にquenching及びhardeningの効果が弱くなる。を小さくした場合には、縦成分、横成分共にその強度は考えている全エネルギー領域で増大する。つまり縦成分のenhancementは強く、横成分のquenchingは弱くなる。バーテックスの形に応じた3種類の応答函数に分けた解析では、R[NN]はg’NNに主として依存していることがわかる。こうした応答函数の結合定数g’に対する依存性もRPA方程式、有効相互作用の性質から定性的に説明できる。

 次に(e,e’)散乱から抽出されるアイソベクトルスピン横応答RT(e,e’)について実験データとの比較を行った。まず核内の相関を無視した計算では、実験データと比べて強度は十分であるが、ピークの位置は低エネルギー側にシフトしている。実質universality ansatzに相当する形で核内の相関を取り入れた場合には、相関を無視した場合に比べて、強度は減少し、ピークの位置は高エネルギー側にシフトするので、実験データと比べると、ピークの位置は改善されるが強度については不足してしまう。に小さな値(0.4)を用いた計算ではピーク位置はさらに高エネルギー側にシフトし、実験データとよく一致する。強度については、さらに大きくなるので、実験データとの隔たりは小さくはなるが、依然として隔たりはある。但し、オーダーとしては実験データを再現している。

 これらの応答函数に関しての解析から、接触相互作用項の結合定数g’については、universality ansatzにたよらず、適切な値を用いる必要があることがわかる。

 次に歪曲波インパルス近似(DWIA)を用いて、断面積、Dij等のスピン観測量等の計算を行い、LAMPFでの実験データとの比較を試みた。私たちの計算では、NNt行列については、Kerman,McManus,Thaler流で言うところのA,B,C,E,Fの全ての項の寄与、及びそれらの干渉項の寄与が原理的には取り入れられている。NN-N transitiont行列については、現時点では一部の項、およびそれらの干渉項の寄与のみが取り入れられている。

 まずIDjの解析については、RLと本質的には比例関係にあるIDqはそのオーダーとしては実験データを良く再現している。これに対してRTと比例関係にあるIDpについては、その強度は全く不足しいて実験データとの間には大きな隔たりがある。この事はRTの計算に不備がある事を示唆しているようであるが、(e,e’)散乱の解析においてRT(e,e’)がオーダーとしては実験データを再現していた事と照らし合わせると、必ずしもそうとは言えない。これは私たちの解析が提起している一つのパズルである。universality ansatzを取り除く事により最も大きな影響を受けたのはIDqであった。

 断面積については、もともとuniversality ansatzの下での計算では、十分な強度が得られず、実験データとは大きな隔たりがあった。今回のnon-universalityの計算では、いくぶん改善はされるものの依然として実験データとの隔たりを埋めるには全く不十分であった。IDjについての解析でみたように、IDpに実験データを再現するだけの十分な強度がない事が、この断面積における強度の不足の主な原因である。

 Dijから抽出された応答函数の比RL/RTについては、低エネルギー側でuniversality ansatzを用いた場合にくらべてさらに大きくなり、残念ながら実験値との隔たりはむしろ大きくなってしまった。

 以上の成果をふまえた上で、今後は以下のような課題に取り組み、理論の発展を目指すつもりである。まず反応面では、現在の計算では取り入れられていないmultistep processを考慮する必要がある。構造面ではRPAを超えた核内相関を取り入れる事が重要である。この点に関しては、Pandharipandeらによる和則に基づいたenergy-non-weighted及びenergy-weightedの和の計算があるが、彼らの数値は私たちの応答函数から計算した同じ和に比べて、energy-non-weightedで10-20%、energy-weightedで55-75%大きくなっている。この差は、私たちのRPA計算では取り入れられていない核内相関によるものと考えられる。multistep process、RPAを超えた核内相関を取り入れる事により、断面積における理論値と実験値との隔たりが改善される事が期待される。NN-N transition t-matrixについては、今回の解析では一部の項のみを取り入れている。残りの項も取り入れた解析が必要である。また今回の解析では、スピン0チャネルの応答函数については、核内相関を無視した応答函数を用いている。スピン0チャネルの有効相互作用を計算に取り入れ、改善する必要がある。また平均場と残留相互作用のconsistencyという点からみると、Hatree-Fock場、及び核子に対する密度依存性を持った有効質量の導入が望まれる。現在の計算では平均場としてWoods-Saxon型を用いており、核子の有効質量は考慮されていないからである。

審査要旨

 本論文は9節から成る。第1節は、導入(Introduction)であり、第9節はまとめ(Summary)である。それらの間の7節に渡って議論が展開されている。先ず、第2節は「Formalism-Response Function」、第3節は「Formalism-DWIA」、とされておりこの論文で採られている方法論が述べられている。第4節は「Effects of the -Hole Mixing」という題名で、この論文の最も主要な結果が示されている。それ以降では、各論的な内容に移り、第5節は「Dependence on Effective Interaction」,第6節は「Electron Scattering」,第7節は「Cross Section and Spin Observables」,第8節は「Discussion」という構成である。

 本論文で扱っているテーマは、原子核のスピンアイソスピン励起と大きく言われるもので、原子核物理学の大きなテーマの一つであり、理論及び実験面から精力的に研究されてきた。指導教官の市村宗武教授はこの分野の理論的研究の世界的権威であり、本論文は市村教授の指導のもとにそのような伝統に於いて行われたものである。

 本論文で主に扱っている物理量は、スピンアイソスピン応答の研究に於いて現れる、スピン縦応答(RL)、及び、スピン横応答(RT)と呼ばれる量である。横、及び、縦というのは移行運動量に関してである。ロスアラモスでの実験によるRL/RTの値は準非弾性領域で1ないしはそれ以下であるのに、以前Albericoらによって成された理論的予測は逆に1よりはるかに大きいというものであった。

 この問題に挑戦したのが、本論文であって、特に原子核内部にバーチャルに励起される粒子の効果について、新しい取り扱いをしている。それについて議論する前に、全体的な枠組みについて触れると、原子核の基底状態を通常の方法で求める。実際には、12Cや40Caなどを考える。乱雑位相近似(RPA)によって計算を行うのであるが、有効相互作用としては(++g’)模型を用いている。すなわち、中間子交換力+中間子交換力+接触相互作用という模型である。これの是非についても、議論があり得るが、よく使われているものである。この模型の中の接触相互作用について、その結合定数g’には3種類ある。粒子-空孔励起(ph)と粒子-空孔励起(h)の組み合わせによるものであり、ph-ph間のもの、ph-h間のもの、及び、h-h間のものである。従来は、universality ansatz という名前のもとに、この3つのg’の強さは等しいとして計算されてきた。それは、計算を可能にするために行われた近似であり、あまり物理的に正当化できるものではない。実際、べつの計算によればこれらは等しくないことは既知のことである。本論文では、この点を特に重視してこのuniversality ansatzなしに計算する手法を開発し、実行した。この点が、本論文のオリジナルな点である。

 以上述べたのは、構造面についてであるが、反応面に関しては歪曲波インパルス近似(DWIA)によって計算が行われた。

 それによって上述のスピン縦応答(RL)についてはかなりの改善が得られた。その際に用いられた(++g’)模型に於けるg’の強度の比は、例えば、(0.6,0.4,0.5)である。これは、スピン応答に実験データに合わせた結果であるが、g’そのものを評価した研究の結果とも大筋において矛盾しない。このように、g’をより正確に扱うことにより、スピン縦応答(RL)がかなり良く再現できるようになった。つまり、これ以前の理論的研究では、好ましくない近似を入れてそのかわりに簡単に計算してきた。ただし、それは実験と食い違う結果を生み出していた。好ましくない近似を取り去ったことにより、実験との一致が増すという大変望ましい結論である。

 ただし、それはスピン縦応答(RL)に関してだけでありスピン横応答(RT)については問題が残っていることが、次に本論文で示されている。つまり、(e,e’)散乱から得られるアイソベクトルスピン横応答についてはオーダーとしては実験データを再現できるのに、ロスアラモスで得られた12C(p,n)のデータについてはほとんど改善されない。むしろDWIAと平面波インパルス近似(PWIA)との差が目立っている。残念ながら、この問題に対する答えを与える所までは本論文での研究は進んでいないが、幾つかの示唆はされている。

 このように、当初の問題点を全て解決できた訳ではないものの、非常に重要な帰結を含んだ研究であり、博士論文として十分な価値のあるものである。なお、本論文は全体に渡って指導教官の市村宗武教授との共同研究であるが、実際の計算などで論文提出者が主体となって研究してきたもので、論文提出者の寄与が十分であると認められる。

 そこで、審査委員全員により博士論文として十分な内容を持つものであると認定された。

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