学位論文要旨



No 110970
著者(漢字) 西村,淳
著者(英字) Nishimura,Jun
著者(カナ) ニシムラ,ジュン
標題(和) 量子重力のダイナミクスに対する数値的アプローチ
標題(洋) Numerical Approach to the Dynamics of Quantum Gravity
報告番号 110970
報告番号 甲10970
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2883号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 佐藤,勝彦
 東京大学 助教授 早野,龍五
 東京大学 教授 米谷,民明
 東京大学 教授 風間,洋一
 東京大学 教授 和達,三樹
内容要旨

 素粒子論の歴史を振り返ると,標準模型にいたるまでの大きな進展は常に,場の理論のダイナミクスに関する新しい理解によってもたらされたと言っても過言ではないだろう.現在,場の理論のダイナミクスのうち,摂動論で調べられることは非常によく理解されており,それが標準模型の実験による検証の基礎にもなっているが,非摂動効果にかかわる問題は,必ずしもよく理解されているとはいえない.重力の量子論をふつうの場の理論の枠内で構成する試み(量子重力),特にそのダイナミクスを具体的に解いてみることは,場の理論における非摂動効果に対する新しい理解を与えるものと期待される.それはまた理論物理学のさまざまな問題,例えば超弦理論のような統一理論や,宇宙初期,ブラックホールの物理,あるいは,膜の統計力学などと深く関わっており,これらの問題に対しても進展を与えるであろう.

 88年から89年にかけて2次元重力が厳密に解かれたことにより,量子重力に関する基礎的な理解はかなり進んだ.しかし,ここでの知見は,物理的な応用ということに関する限り,まだおもちゃの模型の域をでていない.まず,2次元重力を弦理論に応用する立場からは,いわゆるセントラル・チャージ1の壁を越えなければならない.一方,重力をふつうの場の理論として定式化する立場から言えば,高次元を調べていかなければいけない.それらの難しい課題に向けて,解析的な手法を開発する努力は惜しむべきではないが,一方で,数値的な方法を押し進めるということは,不可欠のように思われる.

 本論文では,量子重力のダイナミクスに対する数値的なアプローチについて議論した.現在量子重力の正則化として用いられている方法は,力学的単体分割とレッジェ・カリキュラスの二つがある.ところがレッジェ・カリキュラスについては,連続極限において一般座標不変性を実現するという保証がないという問題がある.第二章では,この問題に関する我々の研究について,詳述した.また,第三章では,高次元量子重力の研究の現状についてまとめた.

2次元レッジェ・カリキュラスにおけるフラクタル構造

 レッジェ・カリキュラスでは,単体分割のしかたを固定して,辺の長さについて積分する.従って力学的単体分割と異なり,プログラムのベクトル化が可能であるという長所があり,高次元でそれが役に立つ可能性がある.ところがレッジェ・カリキュラスでは,単体分割のし方を固定してしまっているので,連続極限における一般座標不変性の回復は極めて非自明である.そのようなことを研究することは,量子重力のユニバーサリティを理解するのにも役立つであろう.

 2次元の場合は力学的単体分割により多くの結果が知られているから,これを再現できるかどうかを調べるという方法が考えられる.今までのシミュレーションでは,Bock-Vinkによりストリング・サセプティビリティが,Holm-Jankeによりイジング模型に2次元重力を結合させたときの臨界指数が測られており,いずれも否定的な結論が得られていた.しかし上のような量は,レッジェ・カリキュラスにおいては,その定義に曖昧さがあり,明確な結論を与えることはできないと私は考えている.

 2次元面をその上の一点から測地的距離が一定のところで切った切り口は,一般にいくつかの閉じたループになるが,そのループの長さの分布(以下単にループ長分布と呼ぶ)が最近,川合・河本・最上・綿引によって力学的単体分割において調べられ,連続極限を持つことが示された.我々はループ長分布がレッジェ・カリキュラスでも曖昧さなく定義でき,シミュレーションでも精度良く求めることができることに着目し,これを用れば上に述べたような問題に明確な答を与えられると考えた.そこで,我々は2次元レッジェ・カリキュラスのモンテカルロ・シミュレーションを行ない,ループ長分布を測定して川合らの結果と比較した.その結果,辺の長さの積分における積分測度を一様測度にしたときはまったくスケーリングが見られなかったが,スケール不変な測度を用いたときは,子宇宙のふちをなすループに関しては,正しいスケーリングを得た.一方母宇宙のふちをなすループに関しては,スケーリングが見られなかったが,これは系の大きさがまだ十分でないためであると我々は考えている.以上の結果は,レッジェ・カリキュラスでも連続極限で一般座標不変性を回復できるという可能性を示唆する初めての成果として,大きな意義があると思われる.

高次元量子重力の現状

 高次元量子重力は摂動論的にはくりこみ不可能であり,また経路積分の測度をきちんと定義するためにユークリッド化を行うと,作用が底なしになってしまうなどの問題がある.

 アインシュタイン項は2次元でちょうどくりこみ可能になるので,2+∈次元でアインシュタイン重力を考え∈展開で高次元量子重力を調べるという方法が考えられる.このような試みは,Weinbergら以来,いろいろな人により続けられてきたが,最近,川合・北沢・二宮により,コンフォーマル異常に関係した重力固有の問題が認識されるようになった.彼らは,それを解決するような枠組を相田とともに1ループで解析し,その範囲で矛盾なくくりこみが実行できることを示した.これが∈のすべての次数で矛盾のない理論になっているかどうかは,決して自明ではない.私は,相田・北沢・土屋とともに2ループの計算をコンフォーマル・チャージの主要な寄与にのみ限定して行った.まず,各ダイアグラムの1/∈の極に現れる赤外発散や非局所的な項がどのようにして相殺しているかを具体的に確認することができた.また,固定点においてコンフォーマル異常が消えている事も確認した.これらの状況から,量子重力は少たくとも2次元のまわりの∈展開の範囲内では,矛盾なく定義されているように思われる.

 さて,上のような結果は非常に有望ではあるが,3次元ないしは4次元で量子重力が構成できるかどうかは,非摂動的に調べないと明確にはわからない.力学的単体分割による正則化の方法は,2次元では連続極限がとれて,リウビウ理論と等価であることが解析的に知られており,一般の次元でも連続極限がとれれば,一般座標不変性が回復すると期待されている.高次元量子重力を力学的単体分割に基づくモンテカルロ・シミュレーションで数値的に調べる研究は,既にAmbjornのグループ,Agishtein-Migdal,Brugmann-Marinari,Catterall-Kogut-Renken,de Bakker-Smit,と多くのグループがシミュレーションをやっており,興味深い結果を報告している.まず3次元でも4次元でも,重力定数の値を変えていくと,あるところで相転移があるが,その次数は3次元では一次,4次元では二次であろう,ということが,かなり前から言われている.(重力定数の大きい方の相と小さい方の相をそれぞれ,強結合相,弱結合相と呼ぶことにする.)3次元で一次相転移というのは,はっきりしたヒステリシスが観測されているからで,これをもってふつう,3次元では連続極限はとれないだろう,と考えられている.一方四次元では,二次相転移点で連続極限がとれると期待されているが,実際にまともな連続極限がとれるかどうかは,明らかにされていない.これは,イジング模型などの場合と違い,相転移の性質がよく理解されていないためだと思われる.

 私は,堀田・出渕とともに,高次元量子重力のシミュレーションを行ってきた.まず強結合相と弱結合相での配位の特徴を詳しく調べた.強結合相では,一つの頂点のまわりに非常にたくさんの単体が集まるという状況が起こっていて,それが一つの大きな母宇宙を形成し,そのまわりに小さな子宇宙がついているというような構造をしている.一方,弱結合相では,結合度が低く(ハウズドルフ次元が2程度),また母宇宙がなく子宇宙だけが鎖状につながったような構造(ブランチ・ポリマー構造と呼ぼう.)をしている.我々はさらに,強結合相でおこっている現象を抑えるような項を作用に入れてシミュレーションを行った結果,相転移が消失し,重力定数のすべての領域でブランチ・ポリマー構造になっているという結果を得た.これは,今まで観測されていた相転移が,頂点のまわりの4単体の個数のゆらぎが非常に大きくなることによって起こっていたことを示す事実として興味深い.また,弱結合相で,ブフンチ・ポリマー構造になることが,連続理論で問題になるいわゆるコンフォーマル・モードの不安定性と関係していることを示唆する結果を得た.これらの結果により,相転移の性質がかなり明らかになってきたと思われ,今後高次元量子重力で連続極限がとれるかどうか,というような重要た問題に取り組む上で,大きな示唆を与えているといえる.

審査要旨

 量子重力のダイナミクスを理解する事は,素粒子理論の次なる大きな発展のために是非とも必要であると思われる。特に、物質場のセントラル・チャージが1以下の場合における2次元重力の最近の発展をふまえて,さらに物理的に重要なセントラル・チャージが1以上の場合や,高次元の場合を数値的に調べていくことは,重要である。現在量子重力の正則化として用いられている方法は,力学的単体分割とレッジェ・カリキュラスの二つがある.力学的単体分割の方法は,2次元で厳密に扱われており,連続理論で得られている結果を再現している。したがって,この方法は連続極限がとれれば一般座標不変性を回復すると期待することができる。高次元でこの系をモンテカルロ・シミュレーションで数値的に調べる研究は92年ごろから,多くの人により盛んに研究され,4次元において2次相転移点が見つかるなどの成果が得られているが,その2次相転移点で連続極限が実際にとれるかどうかなど,重要な問題に関してはまだ理解がされていない。また,力学的単体分割では格子の構造を次々に変えていかなければいけないため,計算時間が膨大になって,あまり大きな系を扱えないという現実的な困難もある。一方レッジェ・カリキュラスは,格子の構造を固定して,辺の長さに関する積分で計量のゆらぎを表現するので,普通の統計系と同じように計算機で扱うことができる。しかし、連続極限において一般座標不変性を実現するという保証がなく,また,正則化に必要なカット・オフが明確に定義されていないなど,原理的な問題がある。

 まず第2章ではレッジェ・カリキュラスに関する上のような原理的な問題に関する研究が報告されている。2次元の場合は力学的単体分割により多くの結果が知られているから,これを再現できるかどうかを調べるという方法が考えられる.今までのシミュレーションでは,Bock-Vinkによりストリング・サセプティビリティが,Holm-Jankeによりイジング模型に2次元重力を結合させたときの臨界指数が測られており,いずれも否定的な結論が得られていた.しかし上のような量は,レッジェ・カリキュラスにおいては,その定義に曖昧さがあり,明確な結論を与えることはできない。ところで,2次元面をその上の一点から測地的距離が一定のところで切った切り口は,一般にいくつかの閉じたループになるが,そのループの長さの分布(以下単にループ長分布と呼ぶ)が最近,川合・河本・最上・綿引によって力学的単体分割において調べられ,連続極限を持つことが示されている。ループ長分布がレッジェ・カリキュラスでも曖昧さなく定義でき,シミュレーションでも精度良く求めることができることに着目し,これを用いて上に述べたような問題に明確な答を与えようとしているところが本研究の独創的な点である。数値計算の結果は,辺の長さの積分における積分測度を一様測度にしたときはまったくスケーリングが見られなかったが,スケール不変な測度を用いたときは,子宇宙のふちをなすループに関しては,正しいスケーリングを示している。一方母宇宙のふちをなすループに関しては,スケーリングが見られなかったが,これは系の大きさがまだ十分でないためであると考えられる.以上の結果は,レッジェ・カリキュラスでも連続極限で一般座標不変性を回復できるという可能性を示唆する初めての成果として,大きな意義があると思われる.

 次に第3章では,力学的単体分割による4次元量子重力のシミュレーションを用いた研究が報告されている.一般に量子重力は2次元以上では摂動論的にはくりこみ不可能であり,また経路積分の測度をきちんと定義するためにユークリッド化を行うと,作用が底なしになってしまうなどの問題があるため,数値シミュレーションにより,非摂動論的に調べることは重要である.そのような研究は既にいろいろな人々によりなされているが,連続極限がとれるかどうかを明らかにするためには,相転移の性質についての理解が不可欠に思われる.また,これまでは主に,アインシュタイン作用を素朴に格子化した作用を用いて調べられてきたが,作用のとりかたには任意性がある.本研究では強結合相で一つの頂点のまわりに単体が集中してしまっていること,また,弱結合相ではブランチ・ポリマー的な構造になること,など2つの相における配位の性質が明らかにされている.また強結合相における上のような現象を抑える作用を付け加えてシミュレーションを行った結果,相転移そのものが消失し,重力定数の全ての領域でブランチ・ポリマー的な構造になってしまうことが報告されている.これは連続理論を構成する立場からは一つの否定的な結果と言えるが,今まで観測されていた相転移が,頂点のまわりの4単体の個数のゆらぎが非常に大きくなることによって起こっていたことを示す事実としても興味深い.また,弱結合相で,ブランチ・ポリマー構造になることが,連続理論で問題になるいわゆるコンフォーマル・モードの不安定性と関係していることを示唆する結果も報告されている.これらの結果は,これまで知られていた相転移の性質を明らかにするものであり,今後高次元量子重力で連続極限がとれるかどうか,というような重要な問題に取り組んでいく上での,重要な指針を与えているといえる.

 以上,本論文では量子重力のダイナミクスに関わる本質的な問題が,数値的な手法を用いて明らかにされている.これは,素粒子理論に残されたもっとも重要な課題である重力の量子論の構成に寄与するばかりでなく,理論物理学のさまざまな問題,例えば場の理論における非摂動効果に対する理解,宇宙初期,ブラックホールの物理,あるいは,膜の統計力学などと深く関わっており,これらの問題に対しても進展を与えるものである.

 なお,本論文第2章は,押川正毅氏との共同研究であり,第3章は,堀田智洋氏,出渕卓氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって研究を行ったもので,同提出者の寄与が十分であると認められる.

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54440