学位論文要旨



No 110972
著者(漢字) 桃井,勉
著者(英字)
著者(カナ) モモイ,ツトム
標題(和) 量子反強磁性体の基底状態と素励起
標題(洋) Ground states and elementary excitations of quantum antiferromagnets
報告番号 110972
報告番号 甲10972
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2885号
研究科 理学系研究科
専攻 物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,實
 東京大学 助教授 青木,秀夫
 東京大学 助教授 今田,正俊
 東京大学 助教授 小形,正男
 東京大学 助教授 吉岡,大二郎
内容要旨

 量子スピン系は、多くの磁性物質を良く記述するモデルとして広い分野から興味を持たれてきている。特に量子反強磁性体は、低温において量子ゆらぎが強く現れる事が予想されており、その低温における振る舞いが統計力学的観点から理解されるようになったのは、最近の事である。問題を難しくしている原因の一つは、モデルが複雑な量子多体問題を含んでいる点にある。また、もう一つの原因は、相転移(対称性の破れ)が無限体積極限においてのみ起こる現象であるため、取り扱いが難しい点にある。このため、厳密な結果が新たな理解の糸口を示す事が期待されており、さらに信頼のおける数値計算や近似理論等で慎重に取り扱う必要性がある。

 この論文では、主に量子反強磁性体の基底状態と素励起の特性について議論する。取りあつかうモデルは、反強磁性量子ハイゼンベルグ模型

 

 と反強磁性量子XXZ模型

 

 (<1)である。ここで(=x,y,z)はiサイト上のスピン演算子である。まず第一部において、様々な格子上のこれらのモデルの基底状態を議論する。

 第二章において、一次元鎖・二次元正方格子・三次元立方格子などの格子上のモデルを議論する。これらのモデルについては、これまでに様々な厳密な相関不等式が求められており、それらの不等式を用いることにより長距離秩序の有無が厳密に示されている。まず、これらの厳密な相関不等式を紹介する。さらに、これらの相関不等式を用いる事により、2次元・3次元ハイゼンベルグ模型のスピンのサイズを無限大にした極限を議論し、様々な物理量が古典極限の値になる事を厳密に示した。これによりS→∞極限が古典極限であるという事が、確かめられた。

 さらに、有限サイズの量子スピン系の低励起状態を議論した。数値計算等でモデル(1)あるいは(2)を調べるときには、有限サイズの系の基底状態が議論される。そのため、有限系の基底状態と低励起状態の特性についての厳密な情報は、数値計算を行う際の手助けとなる。有限系において、基底状態は対称性は破れていない状態になることが知られている。さらに、基底状態が長距離秩序を持つ場合には、系のサイズを大きくするにつれて、多くの低励起状態が基底状態に下りてくることがこれまでに示されてきている。我々は、有限サイズの2次元正方格子・3次元立方格子上の反強磁性ハイゼンベルグ模型を議論し、系のサイズNを大きくした時に少なくともN2個の低励起状態が基底状態と縮退することを厳密に示した。これらの状態はいずれもネール秩序と同じ空間対称性を持つ。無限系において、これらの状態の線型結合により対称性の破れた基底状態が得られる。

 第3章では、三角格子上の量子反強磁性体の基底状態を調べた。フラストレーション効果により量子揺らぎが低温において顕著に現れ、基底状態が秩序を持たないRVB状態になるのではないかとAnderson等が主張して以来、三角格子上の反強磁性量子スピン系の基底状態における秩序の有無は、広く興味を持たれている。これまで三角格子上のモデルについて厳密に示されて知られている事はほとんど無かった。又、数値計算も技術的な困難のために、扱える系のサイズが小さく、単に基底状態を調べるだけでは、長距離秩序の有無を結論する事は、現状では不可能であった。

 まず、三角格子上の反強磁性XXZモデルの異方性パラメタを-0.5としたとき、厳密な基底状態を求められる事を示した。この基底状態は120°構造で特徴づけられる長距離秩序を持つ。さらにこのXXZモデルの全異方性パラメタ(-0.51)での基底状態を、スピン波展開を用いて調べた。その結果、パラメタが大きくなりハイゼンベルグ模型に近づくほど量子揺らぎが強まることが明らかになった。(図1参照。)この様に、厳密な基底状態からの変化を見ることにより、ハイゼンベルグ模型の基底状態の理解に新しい視点を与えた。

図1:スピン波展開により求めた(a)部分格子磁化と(b)カイラリティーの値。*印が、厳密な基底状態から求まる値。点線は古典極限における値。

 また、有限温度におけるカイラル秩序相転移をスピン波近似を用いて調べ、相図を得た。異方性パラメタが、-0.5から1の間のモデルに有限温度で、カイラル秩序が存在するという結果を得た。

 さらに、三角格子上の量子反強磁性体における低励起状態を議論する事により対称性の破れ方を調べた。三角格子上の反強磁性体では、120°構造の磁性秩序とカイラル秩序の2種類の秩序が存在し得るため対称性の破れ方が複雑である。我々は低励起状態を非常に良く再現する近似状態を作り、これを用い2種類の対称性の破れのからくりを議論した。その結果わかった事は、以下の通りである。

 ・低励起状態にはC6-対称(type)とC6-反対称(type)な状態が対になって存在している。(図2参照。)

 ・typeに属する低励起状態が無限系で重なり合う事により部分格子磁化が作られる。

 ・typeの対が無限系で重なり合う事によりカイラル秩序が作られる。

 これらの議論から、それぞれの対称性の破れが起きるための必要条件が得られる。

図2:有限サイズの三角格子上の量子反強磁性モデルの低励起状態の二重構造。

 上で示したスピン波展開の結果を確かめるために、有限系の低励起状態を数値計算で調べた。その結果、対称性の破れが起こる事を示唆するいくつかの証拠が低励起スペクトルの中に存在することを見つけた。(対称性の破れた状態を作るのに必要な二重構造を持った低励起状態が存在し、それらが無限系において基底状態となる。)数値計算により、XY模型において対称性の破れが起こる事を示唆する結果が得られ、秩序変数の値もスピン波展開の結果とほぼ一致した。ハイゼンベルグ模型についても対称性の破れの必要条件は満たされている事がわかった。

 次に第二部において、量子反強磁性体の基底状態における素励起のスペクトルを議論する。第4章では反強磁性ハイゼンベルグ模型のスピン波励起スペクトルを調べた。2次元・3次元の反強磁性量子ハイゼンベルグ模型の基底状態における励起スペクトルは、スピン波理論により良く記述される事が知られている。また実験においても、スピン波理論から予言される励起スペクトルが観測されている。これまで、スピン波スペクトルについての厳密な評価が存在しなかった。我々は、スペクトルの上限を初めて厳密に評価した。この上限値は、基底状態がNeel秩序を持つときに、gaplessで波数kについて線形な分散関係を持ち、スピン波理論から予言されるスペクトルと全く同じ波数依存性を持つ。さらにS→∞でスピン波理論から予言される形と一致する。

 最後に、第5章では、ハバード模型のスピンと電荷の自由度についての励起スペクトルの構造を動的構造因子の総和則を用いて調べた。ハミルトニアンは

 

 で与えられる。(はiサイトのスピンを持つ電子の生成演算子。)ここでの議論は、ハバード模型がhalf-fillingでUを大きくした極限においてハイゼンベルグ模型と一致する事から、この論文のテーマと密接に関係したものである。

 まず、1次元ハバード模型の電荷とスピンの自由度の動的構造因子S(,)を厳密解を用いて調べ、k-線形な最低励起がどのような重みを持つか調べた。電子密度を変えると以下のような特異な振舞いをする領域がある事がわかった。まず希薄極限においてスピンの最低励起の持つスペクトル重みが小さくなり、その上に連続スペクトルが現れる事がわかった。これは、希薄極限においてクーロン相互作用によりスピンゆらぎが非常に大きくなる結果と思われる。また電荷の自由度については、half-filling近傍で最低励起上の重みが小さくなる事がわかった。これは、half-fillingで起こる金属・非金属転移に伴う特異性と思われる。

 また2次元・3次元のハバード模型の、磁性的な秩序相と超伝導相における南部・ゴールドストン励起のスペクトルを不等式を用いて厳密に評価し、その波数依存性を求めた。これらのモデルは、高温超伝導体の発見以来、それらの物質を良く記述するモデルであると期待されていることから広く興味を持たれてきている。しかし、厳密な結果が少なく理論的理解は乏しい。この様な状況において、厳密な結果を与える事は、近似理論の正当性を確かめるさいに役立つ。磁性秩序相においては、スピン波励起が南部・ゴールドストンモードとなりgaplessのスペクトルを持つ。我々の上限は、反強磁性相においてk-線形な分散関係、強磁性相においてk2のスペクトルを持つ。さらに波数qを持つspiral相においては、k=0、k=±qにgapless k-線形なモードが現れる。超伝導相においては電荷の自由度の励起がgaplessになる事が示された。また、このときCooper対を作る励起もgaplessになっている。

審査要旨

 この論文は五つの章からなり、第一章は全体の紹介、第二章は二つに別けられる格子で得られるの厳密な結果のレビュー、第三章は三角格子での量子反強磁性体について、第四章はXXZ反強磁性体のスピン波励起について、第五章はハバード模型のスピン及び電荷励起について述べられている。

 この論文では反強磁性量子ハイゼンベルグ模型、

 110972f04.gif

 と反強磁性量子XXZ模型

 110972f05.gif

 とハバード模型

 110972f06.gif

 の研究を精力的に行っている。

 bipartiteな格子上でのハミルトニアン(1、2)については不等式を使った厳密な定理が多数知られている。この分野は歴史も古く現在までにBogoliubov不等式を始めとして、様々な結果が第二章では要領良くまとめられている。この章は論文のなかでもとくに数学的厳密性にとくに注意を払ってまとめられている。基底状態における相関、無限小磁場における磁化が有限に残るかどうかの問題等が扱われている。

 第三章は三角格子上でのハミルトニアン(2)について研究を行っている。この問題については厳密に言えることはあまりなく数値的取り扱いが主となってくる。<-1/2では強磁性状態が基底状態であることを厳密に示した。=-1/2では120度構造も基底状態のひとつに入っていることが、論文提出者の仕事によって示された。また>-1/2では有限系のエネルギースペクトルの数値計算を行い、基底状態が殆ど縮退したもう一つの状態と対になっていることが示された。この領域では120度長距離秩序の存在及びカイラル秩序の存在が予想されているが、この結果はこの予想を支持するものである。この章の結果は論文提出者の独創性を示すものとして特に高く評価された。

 ハミルトニアン(1、2)であらわされる系の素励起については波数を固定した場合に基底状態とのエネルギー差の上限がある種の変分波動関数を使うと計算することが出来て、これはスピン相関関数に関係づけられる。このこと自体は古くから知られていることであるが、論文提出者は数学的厳密性に注意しながら解析を行っている。

 第五章では(3)であらわされるハバード模型の研究に当てられている。この模型でも厳密に示せることは多くないが、反強磁性長距離秩序または超伝導クーパー対長距離秩序があったとした場合の励起はギャップレスであることを示している。これはGoldstone定理と呼ばれているものの一つの応用であると考えられるが、論文提出者は数学的に厳密に取り扱っている。

 以上のように、本論文は、反強磁性XXX模型、XXZ模型、ハバード模型の研究で多数の新しい結果を導いた。特に三角格子XXZ模型については=-1/2で強磁性状態から他の状態(多分120度構造)への転移が起きることが厳密にしめすことができ、磁性理論における新しい知見を得て、この分野の進歩に貢献した。よって審査委員会は本論文が博士(理学)の学位論文として充分な内容を持つものと認定し、審査委員全員一致で合格と判定した。

 なお、本論文の一部分は、鈴木増雄氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

UTokyo Repositoryリンク