活動銀河中心核(Active Galactic Nucle:AGN)は、銀河の中心領域の太陽系程度の小さな領域から太陽放射の1兆倍以上のエネルギーを放出する宇宙の中で最も活動的な天体の一つである。その放射光度の大きさや放射強度変動の速さなどから、中心核には太陽質量の百万倍以上のブラックホールとそれを取り巻く円盤状物質(降着円盤)が存在し、中心へ落ち込んでいく物質が解放する重力エネルギーが放射エネルギー源となっていると考えられている。 AGNのX線放射は、中心核周辺物質のイオン化源となる。強いイオン化放射にさらされた物質の状態の研究は、これまで光学域の許容線輝線を放射する領域(Broad Line Region:BLR)の研究として幅広く行なわれてきた。BLRの「標準モデル」によると、イオン化平衡と熱平衡のもとでは、中心核の強いイオン化放射にさらされたガスは、低温・高密度の低電離雲(温度は約104K)とそれを取り巻く高温・低密度の完全電離ガス(温度は107-8K)という2つの相でのみ安定であり、これらの中間的な温度では不安定であると考えられてきた。ところが、近年のX線観測で、6-7階電離した酸素イオン(O VII,O VIII)のK殻吸収端構造が検出され、2つの相の中間的なイオン化状態の相(warm absorber)の存在が示唆された。しかし、現在のところ、その存在を説明する決め手となる観測はなく、存在機構は未解明である。特に密度と場所が不確定で、観測的な手がかりが求められていた。 AGNの放射は、電波からX線・線の幅広いエネルギーバンドにわたるが、特にX線放射は速くて激しい強度変動を示す。このため、X線放射はブラックホール近傍の非常に小さな領域で生じ、中心近傍物質、特に降着円盤を強く照らしていると予想される。実際、X線天文衛星「ぎんが」は、数多くのAGNで6keV付近の強い鉄K殻輝線と10keV以上のbumpを検出した。これは降着円盤からの反射成分でうまく説明される。この鉄輝線が降着円盤による反射の成分ならば、輝線強度や形状は、降着円盤の分布・運動・イオン化状態を反映する。しかし、「ぎんが」衛星による観測では、エネルギー分解能の悪さから輝線の形状は分解できなかった。 科学衛星「あすか」は、我が国4番めのX線天文衛星である。「あすか」衛星には、相補的な役割を果たす2種類の焦点面検出器が搭載されているが、その1つであるX線CCDカメラ(SIS)は、0.5-10キロ電子ボルト(keV)のエネルギー域で約1,000cm2の有効面積と半値幅50-100eVという高い分光能力を有し、宇宙X線源のエネルギースペクトルをかつてない精度で調べられる。本論文では、「あすか」衛星によって観測された8つの1型セイファート銀河(NGC3227,NGC4051,NGC5548,NGC7213,MCG-6-30-15,Mrk841,Fairall9,IRAS13224-3809)と1つのクエーサー(MR2251-178)を取り上げた。これらはすべて、光学的に厚い物質に遮られることなく、中心核周辺における物質とX線との相互作用が直接観測できるAGNである。そのX線スペクトル構造とX線強度変動に伴う構造変化の解析から、AGNの強いX線照射を受けている物質の性質について調べた。特に、0.7-0.9keVのO VII,O VIIIのK殻吸収端構造を手がかりにした高電離物質の研究と、5-7keVに現れる鉄のK殻輝線構造を手がかりにした降着円盤の研究を重点的に行なった。 9つの観測天体のうち6つからはO VII,O VIIIののK殻吸収端構造が検出された。これらの天体のX線光度は1042-45erg sec-1にわたるが、観測されたO VII,O VIII吸収端での吸収の深さや比は各天体で同程度の値を示した。このことは光度によらない共通の存在機構の存在を示唆する。NGC4051,MCG-6-30-15,MR2251-178では観測期間中に有意なX線強度変動を検出したが、NGC4051とMR2251-178では吸収端の深さに有意な変化は見られなかった。MCG-6-30-15では、X線強度の減少に伴ってO VIII柱密度量が半日程度の時間スケールで増加するのが初めて観測された。しかし、O VIIの吸収端構造に目だった変化は見られなかった。 これらの結果のうち、MCG-6-30-15で観測された柱密度の変化から、増加した酸素イオンの存在領域は、密度が106cm-3以上、中心核からの距離が0.1pc程度以下と導かれた。これは、warm absorberの密度と存在位置に制限を加えた初めての例である。一方、O VIIとO VIIIの存在領域のイオン化の度合は非常に似通っており、イオン化や再結合の時間スケールも同程度であり、O VIIIの量だけが変化した事実は単純な描像では理解できない。これには2つの可能性が考えられる。一つは、X線強度減少にともなって新たに現れたO VIIIの相は中心核に近い領域の比較的密度の高い物質中に存在しているが、O VIIの相は中心核から違い低密度の領域に存在していると考えるものである。イオン化の時間スケールは物質に入射するイオン化フラックスに反比例し、再結合の時間スケールは物質密度に反比例するので、O VIIIの相ではイオン化も再結合も時間スケールが短くてイオン化状態の移行は速いが、O VIIの相では時間スケールが長く、移行はゆっくりと起こる。このようにして、O VIIIの変化とO VIIの無変化は説明される。しかしながら、距離や密度が極端に違う領域で、同じような柱密度量とイオン化状態が実現していると考えることは不自然かもしれない。O VIIとO VIIIが近接した領域に存在するにも関わらず、何らかの理由でO VIIの変化が検出されなかった可能性もある。O VIIIが存在する高密度領域ではガスの冷却時間が比較的早く、常に熱平衡に近い状態にあると予想される。安定な熱平衡状態はある決まった温度でのみ実現が可能である。従って、熱平衡によってイオン化強度の変動に対してO VIIの相を安定させられれば、O VIIの量は変動を起こさない可能性もあるだろう。今後、観測・理論の両面からの詳しい研究が望まれる。 有意な鉄のK殻輝線は9つの観測天体のうちの7つで検出された。このうち、MCG-6-30-15,NGC4051,Fairall-9では、半値幅にして1keV程度に広がった輝線形状が初めて検出された。この広がった鉄輝線は、(1)輝線強度は等価幅にして300-600eVである、(2)輝線の中心エネルギーが赤方変移している、(3)輝線の高エネルギー側での強度が相対的に強い、(4)高エネルギー側でカットオフを示す、(5)低エネルギー側で緩やかに強度が減少する、といった特徴をもつ。上記3つの天体とは対照的に、NGC5548では、それぞれ等価幅が100eVの2本の細い輝線が5.85keVと6.40keVに検出された。NGC7213とMrk841では6.4keVに輝線が検出されたが、輝線幅には上限値だけが得られた。 MCG-6-30-15,NGC4051,Fairall-9では、輝線強度と視線上の物質による吸収量の少なさから、輝線放射物質の分布は非等方であることが再確認された。つまり、輝線放射物質は、視線方向を遮ぎることなくX線源を大きな立体角(〜2)で覆っている。また、輝線幅が広いことや輝線中心のエネルギーが6.4keVより低いことから、中心核近傍の領域(数10RG程度;1RGはシュパルツシルト半径の1/2)で鉄輝線の大部分が生じていると考えられる。これらの事実は、輝線放射物質は降着円盤であるとする従来の説を強く支持する。この描像と観測された輝線形状をもとに、降着円盤と輝線放射領域の特徴について検討した。まず、観測された輝線の高エネルギー側のカットオフには、降着円盤軸と視線方向とがなす角度(傾斜角度)と静止系における輝線エネルギーに応じた上限が与えられる。これを使って、降着円盤の傾斜角度が30度以下と求められた。また、輝線の低エネルギー端のエネルギーの上限値から、輝線放射領域の内縁の半径が、Fairall-9とNGC4051では30RG以下、MCG-6-30-15で10RG以下と求められた。鉄輝線の強度は、NGC4051とMCG-6-30-15では冷たい降着円盤とさほど矛盾しないが、Fairall-9の大きな等価幅は冷たい降着円盤では説明がつかない。可能性として考えられるのは、降着円盤表層部がイオン化を起こしている場合で、Fairall-9での等価幅の60-70%程度は説明が可能である。しかしながら、イオン化降着円盤からの鉄輝線強度はパラメータの選び方に大きく左右される。今後、X線強度変動に伴う鉄輝線の変化を調べるなどして、観測的に制限を強めていくことが必要であろう。 NGC5548には6.4keVの輝線だけでなく、5.8keVにも輝線が存在することから、中心核に近い領域からの寄与があることは明らかであるが、可能性は大きく分けて2つ考えられる。2本の輝線がともにKepler回転している降着円盤で生じているとすると、上の3つと同様にして、降着円盤の傾斜角度が20度以下、輝線放射領域の内縁の半径が30RG以下と求められる。輝線が2つに分離するのは、Doppler効果の大きい内側の領域でのみ輝線への寄与が大きいことと、傾斜角度が10度程度以上であることによると考えられる。一方、5.8keVの輝線が降着円盤内側の領域で生じたもの、6.4keV輝線は中心核から遠く離れた領域からの寄与、という解釈も成り立つ。この場合、輝線幅の細さから、5.8keV輝線を放射する降着円盤の傾斜角度は0度に近い。また、輝線が5.8keVに現れていることから、円盤上の輝線放射領域はやはり内側の領域に偏っているだろう。遠くの6.4keV輝線放射領域としては、例えば、降着円盤の外縁やもっと外側に存在するトーラス状の物質構造などが考えられる。 IRAS13224-3809の連続成分は、1keV以下で支配的な0.13keVの強い黒体輻射成分と、1keV以上の弱いベキ型成分で表される。1.1keV付近には〜1の深い吸収端構造が見られるが、2日間の間のfactor-50の強度変動にも関わらず、軟X線成分の温度、吸収端の深さやエネルギーはほぼ一定であった。 IRAS13224-3809のスペクトル構造には謎が多い。特に1.1keVの深い吸収端は、エネルギーとしては鉄イオンのL殻やネオンのK殻の吸収端に相当するが、組成比が1桁高い酸素イオンのK殻吸収端構造は検出されず、単純に鉄やネオンの吸収端と考えて良いか疑問である。相対論的速度で吹きだした物質のつくる青方変移した酸素吸収端、鉄がL殻に電子を残して存在する特殊なイオン化状態の実現、などの可能性が考えられるが、決定的な証拠はない。あるいは、コンプトン効果によって黒体輻射成分の温度が高く見えているとすれば、黒体輻射成分に刻まれた炭素か酸素の吸収端構造が高い温度にずれて見えてきているのかもしれない。 結論として、次の事柄が明らかになった。AGNにはwarm absorberはX線光度によらずに存在しうる。特に、MCG-6-30-15では、O VIII存在領域の密度と位置に対して初めて制限を与えることができた。また、4つのAGNで鉄のK殻輝線に構造を見い出し、降着円盤の傾斜角と輝線放射領域に制限を与えることができた。 |