学位論文要旨



No 110975
著者(漢字) 大谷,知行
著者(英字)
著者(カナ) オオタニ,チコウ
標題(和) 活動銀河中心核におけるX線照射された物質の性質
標題(洋) Properties of X-ray Irradiated Material in Active Galactic Nuclei
報告番号 110975
報告番号 甲10975
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2888号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 尾崎,洋二
 東京大学 教授 杉本,大一郎
 東京大学 教授 槙野,文命
 東京大学 教授 奥田,治之
 東京大学 教授 井上,一
内容要旨

 活動銀河中心核(Active Galactic Nucle:AGN)は、銀河の中心領域の太陽系程度の小さな領域から太陽放射の1兆倍以上のエネルギーを放出する宇宙の中で最も活動的な天体の一つである。その放射光度の大きさや放射強度変動の速さなどから、中心核には太陽質量の百万倍以上のブラックホールとそれを取り巻く円盤状物質(降着円盤)が存在し、中心へ落ち込んでいく物質が解放する重力エネルギーが放射エネルギー源となっていると考えられている。

 AGNのX線放射は、中心核周辺物質のイオン化源となる。強いイオン化放射にさらされた物質の状態の研究は、これまで光学域の許容線輝線を放射する領域(Broad Line Region:BLR)の研究として幅広く行なわれてきた。BLRの「標準モデル」によると、イオン化平衡と熱平衡のもとでは、中心核の強いイオン化放射にさらされたガスは、低温・高密度の低電離雲(温度は約104K)とそれを取り巻く高温・低密度の完全電離ガス(温度は107-8K)という2つの相でのみ安定であり、これらの中間的な温度では不安定であると考えられてきた。ところが、近年のX線観測で、6-7階電離した酸素イオン(O VII,O VIII)のK殻吸収端構造が検出され、2つの相の中間的なイオン化状態の相(warm absorber)の存在が示唆された。しかし、現在のところ、その存在を説明する決め手となる観測はなく、存在機構は未解明である。特に密度と場所が不確定で、観測的な手がかりが求められていた。

 AGNの放射は、電波からX線・線の幅広いエネルギーバンドにわたるが、特にX線放射は速くて激しい強度変動を示す。このため、X線放射はブラックホール近傍の非常に小さな領域で生じ、中心近傍物質、特に降着円盤を強く照らしていると予想される。実際、X線天文衛星「ぎんが」は、数多くのAGNで6keV付近の強い鉄K殻輝線と10keV以上のbumpを検出した。これは降着円盤からの反射成分でうまく説明される。この鉄輝線が降着円盤による反射の成分ならば、輝線強度や形状は、降着円盤の分布・運動・イオン化状態を反映する。しかし、「ぎんが」衛星による観測では、エネルギー分解能の悪さから輝線の形状は分解できなかった。

 科学衛星「あすか」は、我が国4番めのX線天文衛星である。「あすか」衛星には、相補的な役割を果たす2種類の焦点面検出器が搭載されているが、その1つであるX線CCDカメラ(SIS)は、0.5-10キロ電子ボルト(keV)のエネルギー域で約1,000cm2の有効面積と半値幅50-100eVという高い分光能力を有し、宇宙X線源のエネルギースペクトルをかつてない精度で調べられる。本論文では、「あすか」衛星によって観測された8つの1型セイファート銀河(NGC3227,NGC4051,NGC5548,NGC7213,MCG-6-30-15,Mrk841,Fairall9,IRAS13224-3809)と1つのクエーサー(MR2251-178)を取り上げた。これらはすべて、光学的に厚い物質に遮られることなく、中心核周辺における物質とX線との相互作用が直接観測できるAGNである。そのX線スペクトル構造とX線強度変動に伴う構造変化の解析から、AGNの強いX線照射を受けている物質の性質について調べた。特に、0.7-0.9keVのO VII,O VIIIのK殻吸収端構造を手がかりにした高電離物質の研究と、5-7keVに現れる鉄のK殻輝線構造を手がかりにした降着円盤の研究を重点的に行なった。

 9つの観測天体のうち6つからはO VII,O VIIIののK殻吸収端構造が検出された。これらの天体のX線光度は1042-45erg sec-1にわたるが、観測されたO VII,O VIII吸収端での吸収の深さや比は各天体で同程度の値を示した。このことは光度によらない共通の存在機構の存在を示唆する。NGC4051,MCG-6-30-15,MR2251-178では観測期間中に有意なX線強度変動を検出したが、NGC4051とMR2251-178では吸収端の深さに有意な変化は見られなかった。MCG-6-30-15では、X線強度の減少に伴ってO VIII柱密度量が半日程度の時間スケールで増加するのが初めて観測された。しかし、O VIIの吸収端構造に目だった変化は見られなかった。

 これらの結果のうち、MCG-6-30-15で観測された柱密度の変化から、増加した酸素イオンの存在領域は、密度が106cm-3以上、中心核からの距離が0.1pc程度以下と導かれた。これは、warm absorberの密度と存在位置に制限を加えた初めての例である。一方、O VIIとO VIIIの存在領域のイオン化の度合は非常に似通っており、イオン化や再結合の時間スケールも同程度であり、O VIIIの量だけが変化した事実は単純な描像では理解できない。これには2つの可能性が考えられる。一つは、X線強度減少にともなって新たに現れたO VIIIの相は中心核に近い領域の比較的密度の高い物質中に存在しているが、O VIIの相は中心核から違い低密度の領域に存在していると考えるものである。イオン化の時間スケールは物質に入射するイオン化フラックスに反比例し、再結合の時間スケールは物質密度に反比例するので、O VIIIの相ではイオン化も再結合も時間スケールが短くてイオン化状態の移行は速いが、O VIIの相では時間スケールが長く、移行はゆっくりと起こる。このようにして、O VIIIの変化とO VIIの無変化は説明される。しかしながら、距離や密度が極端に違う領域で、同じような柱密度量とイオン化状態が実現していると考えることは不自然かもしれない。O VIIとO VIIIが近接した領域に存在するにも関わらず、何らかの理由でO VIIの変化が検出されなかった可能性もある。O VIIIが存在する高密度領域ではガスの冷却時間が比較的早く、常に熱平衡に近い状態にあると予想される。安定な熱平衡状態はある決まった温度でのみ実現が可能である。従って、熱平衡によってイオン化強度の変動に対してO VIIの相を安定させられれば、O VIIの量は変動を起こさない可能性もあるだろう。今後、観測・理論の両面からの詳しい研究が望まれる。

 有意な鉄のK殻輝線は9つの観測天体のうちの7つで検出された。このうち、MCG-6-30-15,NGC4051,Fairall-9では、半値幅にして1keV程度に広がった輝線形状が初めて検出された。この広がった鉄輝線は、(1)輝線強度は等価幅にして300-600eVである、(2)輝線の中心エネルギーが赤方変移している、(3)輝線の高エネルギー側での強度が相対的に強い、(4)高エネルギー側でカットオフを示す、(5)低エネルギー側で緩やかに強度が減少する、といった特徴をもつ。上記3つの天体とは対照的に、NGC5548では、それぞれ等価幅が100eVの2本の細い輝線が5.85keVと6.40keVに検出された。NGC7213とMrk841では6.4keVに輝線が検出されたが、輝線幅には上限値だけが得られた。

 MCG-6-30-15,NGC4051,Fairall-9では、輝線強度と視線上の物質による吸収量の少なさから、輝線放射物質の分布は非等方であることが再確認された。つまり、輝線放射物質は、視線方向を遮ぎることなくX線源を大きな立体角(〜2)で覆っている。また、輝線幅が広いことや輝線中心のエネルギーが6.4keVより低いことから、中心核近傍の領域(数10RG程度;1RGはシュパルツシルト半径の1/2)で鉄輝線の大部分が生じていると考えられる。これらの事実は、輝線放射物質は降着円盤であるとする従来の説を強く支持する。この描像と観測された輝線形状をもとに、降着円盤と輝線放射領域の特徴について検討した。まず、観測された輝線の高エネルギー側のカットオフには、降着円盤軸と視線方向とがなす角度(傾斜角度)と静止系における輝線エネルギーに応じた上限が与えられる。これを使って、降着円盤の傾斜角度が30度以下と求められた。また、輝線の低エネルギー端のエネルギーの上限値から、輝線放射領域の内縁の半径が、Fairall-9とNGC4051では30RG以下、MCG-6-30-15で10RG以下と求められた。鉄輝線の強度は、NGC4051とMCG-6-30-15では冷たい降着円盤とさほど矛盾しないが、Fairall-9の大きな等価幅は冷たい降着円盤では説明がつかない。可能性として考えられるのは、降着円盤表層部がイオン化を起こしている場合で、Fairall-9での等価幅の60-70%程度は説明が可能である。しかしながら、イオン化降着円盤からの鉄輝線強度はパラメータの選び方に大きく左右される。今後、X線強度変動に伴う鉄輝線の変化を調べるなどして、観測的に制限を強めていくことが必要であろう。

 NGC5548には6.4keVの輝線だけでなく、5.8keVにも輝線が存在することから、中心核に近い領域からの寄与があることは明らかであるが、可能性は大きく分けて2つ考えられる。2本の輝線がともにKepler回転している降着円盤で生じているとすると、上の3つと同様にして、降着円盤の傾斜角度が20度以下、輝線放射領域の内縁の半径が30RG以下と求められる。輝線が2つに分離するのは、Doppler効果の大きい内側の領域でのみ輝線への寄与が大きいことと、傾斜角度が10度程度以上であることによると考えられる。一方、5.8keVの輝線が降着円盤内側の領域で生じたもの、6.4keV輝線は中心核から遠く離れた領域からの寄与、という解釈も成り立つ。この場合、輝線幅の細さから、5.8keV輝線を放射する降着円盤の傾斜角度は0度に近い。また、輝線が5.8keVに現れていることから、円盤上の輝線放射領域はやはり内側の領域に偏っているだろう。遠くの6.4keV輝線放射領域としては、例えば、降着円盤の外縁やもっと外側に存在するトーラス状の物質構造などが考えられる。

 IRAS13224-3809の連続成分は、1keV以下で支配的な0.13keVの強い黒体輻射成分と、1keV以上の弱いベキ型成分で表される。1.1keV付近には〜1の深い吸収端構造が見られるが、2日間の間のfactor-50の強度変動にも関わらず、軟X線成分の温度、吸収端の深さやエネルギーはほぼ一定であった。

 IRAS13224-3809のスペクトル構造には謎が多い。特に1.1keVの深い吸収端は、エネルギーとしては鉄イオンのL殻やネオンのK殻の吸収端に相当するが、組成比が1桁高い酸素イオンのK殻吸収端構造は検出されず、単純に鉄やネオンの吸収端と考えて良いか疑問である。相対論的速度で吹きだした物質のつくる青方変移した酸素吸収端、鉄がL殻に電子を残して存在する特殊なイオン化状態の実現、などの可能性が考えられるが、決定的な証拠はない。あるいは、コンプトン効果によって黒体輻射成分の温度が高く見えているとすれば、黒体輻射成分に刻まれた炭素か酸素の吸収端構造が高い温度にずれて見えてきているのかもしれない。

 結論として、次の事柄が明らかになった。AGNにはwarm absorberはX線光度によらずに存在しうる。特に、MCG-6-30-15では、O VIII存在領域の密度と位置に対して初めて制限を与えることができた。また、4つのAGNで鉄のK殻輝線に構造を見い出し、降着円盤の傾斜角と輝線放射領域に制限を与えることができた。

審査要旨

 活動銀河核は銀河の中心にある恒星状の非常に明るい天体で電波からガンマ線に至るすべての波長の電磁波を放射する。スペクトルは一般には非熱的で、時間程度以上の時間スケールで強度変動を示す。1045erg/sに及ぶ強い放射や速い強度変動から、巨大質量のブラックホールの存在とこれに対する物質の降着によるエネルギーの発生とする説が有力である。しかし、中心核近傍の物質分布に関する観測的な証拠は少ない。申請者はX線天文衛星「あすか」を用いて、8個のセイファート銀河と1個のクェーサーを観測し、X線スペクトルを詳しく解析することにより、この研究を進めた。

 申請者は、X線スペクトロメーターであるCCDの入射X線に対する応答が予想外に複雑で、観測条件だけでなく、時間的にも変化していることに注目して、この原因と補正方法およびデータの選別方法を詳しく検討した。特に、この研究では輝線のエネルギーを正確に決める必要があり、エネルギースケールの系統的誤差の原因として、(1)エコー効果(CCDの右側のピクセルの信号の一部が付加される)、(2)信号の零点の変動(主に太陽光の漏れによる)、(3)電荷の転送効率の影響、(4)CCD素子毎の相違、を挙げ定量的に明らかにした。これをデータ解析に用いることによって、信頼度の高いスペクトルを得た。

 この観測で明らかになった主要な新しい事実は二つあり、(1)高階電離の酸素原子による吸収スペクトルと(2)広がった鉄の輝線の存在である。

 高階電離のガスによる中心核からのX線の吸収は高温吸収体という名称で提唱されていたが、これはエネルギー分解能の悪い観測に基づくもので、その存在は必ずしも明確ではなかった。この観測は0.4から10keVの広いエネルギー帯を同一のしかも分解能の高い検出器で行い、電離酸素原子のK殻吸収端を明瞭に検出した。6階電離の酸素(OVII)と7階電離の酸素(OVIII)による吸収は観測した活動銀河核のうち6個から検出された。それぞれの柱密度はX線の光度によらず、ほぼ同じで、水素原子に換算して2×1021cm-2程度であった。またセイファート銀河MCG-6-30-15からは吸収体の量がX線の強度変化に伴って変化することが観測された。これらの観測事実に基づいて、この電離ガスの成因と存在場所について考察した。X線の強度の変化に伴って吸収量が変化したことは、酸素イオンがX線による電離によってつくられたと考えるのが適当であろう。光電離されたガスとしてはセイファート銀河の特徴の一つである可視光で広がった輝線の放射領域(BLR)が知られている。光電離ガスの安定性の研究から可視光の輝線を放射する104K程度の低温の成分と107K以上の高温成分の存在が許されることがわかっている。高電離の酸素が安定に存在できる物理的な条件は光電離のパラメーター値の狭い範囲に限られる。一方、MCG-6-30-15のX線強度の減少に伴うOVIIIによる吸収の増加の時間スケールは2×104s程度であった。これをOIXの再結合と考えると、その反応の時間スケールから、水素に換算したガス密度は106cm-3程度以上でなければならない。これと光電離パラメターの条件からOVIIIの存在領域は中心から3×1017cm以内と推定され、その体積の占める割合は1/100以下となった。これは高電離酸素の存在域をBLRと考えてもよいことを示しているが、OVIIが変化しないことやOVIIIが安定に存在するために取り得る光電離パラメーターの値が狭いにも関わらず多くのセイファート銀河に観測される理由等の新たな問題を提起している。

 セイファート銀河が強い鉄のK-X線を放射することは「ぎんが」衛星の観測で知られ、連続スペクトルの高エネルギー成分とあわせて降着円盤による反射モデルが提唱されていた。しかし、輝線のプロファイルは不明であった。この観測では7つの天体から鉄の輝線が観測されたがそのうち3つは1keV程度の非対称な幅を持ったものであった。銀河の赤方変位を補正した平均エネルギーは6keVで鉄の蛍光X線より明らかに低い。この事実を説明できるモデルは降着円盤輝線と称するもので円盤の回転に伴う赤方および青方変位と中心のブラックホールによる重力変位を受けた円盤からの特性X線の放射とするものである。これによる輝線のプロファイルは円盤の観測者に対する傾斜角と放射X線のエネルギーの関数として表わすことができる。このモデルを用いると、傾斜角が30度以下、発生領域の内縁はシュワルツシルド半径の5〜15倍以下と推定される。セイファート銀河NGC5548からは5.85keVと6.4keVに狭い輝線が観測され、同様の考察から、傾斜角10度以下、発生域の内縁はシュワルツシルド半径の15倍以下、外縁は150倍以下と推定することができる。観測された鉄輝線の強度は等価幅で300〜600eVと大きく、宇宙組成の低温ガスから成る降着円盤では説明困難で高電離の鉄原子からの放射を示唆している。しかし、変位を受ける前のX線のエネルギーを決定できないので、鉄の状態については将来の研究にまたなけれならない。このように、未解決の問題はあるが、観測結果は降着円盤からの反射説を支持する新たな証拠を提供した。

 上記の主要な結果の他、特異なセイファート銀河IRAS13224-3809の観測についても述べた。X線スペクトルの特徴は(1)2日間で50倍の強度変動を示した、(2)スペクトルは軟X線成分が強いがエネルギー指数が1程度のべき関数型の硬成分も存在する、(3)1.2keV付近に光電吸収端と見られる構造がある、等で、これまでに知られているセイファート銀河とは著しく異なっている。これは今後の研究対象として興味あるものであろう。

 以上のように、申請者はX線観測による事実に基づいて考察し、活動銀河核の中心付近の構造に関する研究に新しい進展をもたらした。また観測に先だって行われたCCDの特性の研究結果は、この論文だけでなく広く観測者に有効に利用されていることも評価すべき点と考える。審査員一同は本論文が博士(理学)の学位論文として合格であると判定する。

 なお、この研究には申請者の観測だけではなく、共同観測による結果も含まれているが、結果に関する申請者の貢献度は大きく、この論文に使用することについての共同研究者の同意も得られている。

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