本論文(論文題名:波面補償システムの最適適応制御)は全4章からなり、第1章では補償光学の概念、大気乱流理論、サーボ制御の基礎など本論文の背景となる重要事項について概説がなされ、第2章では論文提出者が開発した波面の傾斜成分補償光学系とその新しい適応制御アルゴリズムについて、また第3章では国立天文台がハワイ島に建設中の8mすばる望遠鏡の補償光学制御系に本論文で開発した適応制御法を応用する可能性についての検討が述べられている。最終の第4章では本論文の結論が簡潔に要約されている。 国立天文台はハワイ州ハワイ島のマウナケア山頂に口径8mの望遠鏡「通称すばる」を建設中である。望遠鏡の大口径化の目的は、集光力の増大と回折限界の同上である。しかし、大気中の温度ゆらぎによる屈折率の非一様性のため、大望遠鏡の空間分解能は回折限界に比べ10倍以上も劣化しているのが通常である。大気ゆらぎによる像の広がりは、望遠鏡の感度低下にもなり、地上観測における大きな障害となっている。 地上からの天体観測の宿命と考えられていた大気ゆらぎによる望遠鏡解像力の劣化を打ち消す方法として、最近「補償光学」の実用化の研究開発が急ピッチで進められている。「補償光学系」は、大気ゆらぎによる天体からの電磁波の波面の乱れを波面測定装置で高速に連続計測し、計算機制御の可変形薄鏡で反射面形状を実時間制御して波面を補正するサーボ光学系のことであり、光検出器の高感度化、可変形鏡の開発、計算機制御の高速化により実現の見通しが開けてきたものである。 測定した波面の情報から可変形鏡の変位量を決定するためには、それらを関係づける制御行列と呼ばれる行列が用いられる。制御行列は、可変形鏡の変位量と波面検出器の出力との関係を表す応答行列を計測し、その逆行列を解いて求めているのが一般的である。このため制御行列は事前に較正し、またサーボコントローラに対しては古典的なPI(比例要素及び積分要素)制御を用いるのが一般的である。補償光学システムは欧州南天天文台やハワイ大学で試作され天体観測に試験的に用いられ始めているが、その制御システムの調整は、装置製作者が使用の度に試行錯誤的に経験に基づいて行っているのが現状であり、装置運転に多数のスタッフを要する上、安定な動作を確保する上で実際的には色々と問題が残されている。 また、補償すべき大気ゆらぎは気象条件によって緩やかに変動しており、またバースト的に大気ゆらぎが大きくなる現象が間欠的に起こることが知られている。従って、事前に制御行列及びサーボ制御パラメータを較正していても、それを固定したままでは最適な制御を維持することができない。 本論文では、このような状況変化に対応して、自動的に安定かつ適切に制御パラメータの調節を行う適応制御方式の開発と応用について述べている。実際の実用レベルの装置試作と実験は補償光学系の中でも最も低次の波面誤差を補償するTip-Tiltシステムに対して行った。また、すばる望遠鏡のカセグレン補償光学系を具体例として適応制御を適用することについて考察を行った。 製作したtip-tiltシステムは国立天文台岡山天体物理観測所(OAO)188cm望遠鏡の近赤外線用クーデ分光器(F/29)の前光学系として装備する目的で製作された。実用化を前提とした装置であるため、光学素子数をできる限り少なくして実効的な透過率を向上させ、観測波長と波面傾斜測定の波長を分離するなどの工夫がなされている。制御方式はパラメータ調節可能なPID(比例・積分・微分型)コントローラを使用し、観測時に波面傾斜誤差の残差が最小になるようにPIDパラメータを随時自動調節されるようにした。実際に恒星 Tauを観測した結果、もっとも波面傾斜誤差の残差が減少する方向にPIDパラメータを調節されることを確認した。システムバンド幅は100Hz,光学系による光量の損失は25%程度、本装置を使用することによりスリットに入射する光量が約1.3倍程度増加することが確かめられた。 このシステムの開発により、自動的に最適な制御状態を検索する適応制御方式を補償光学系に導入する具体的な展望を拓くことができた。適応制御を用いたAOシステムは今後、天文学的に意味のある観測を行うために実用上必要不可欠である。本論文における実験及び考察は、それに対する具体的で実現可能な設計指針を示したものである。 これらは論文提出者の独自の考案によるものであり、試作器を実現することによりこの適応制御の有効性を立証したことは、論文提出者の光学理論と新しい制御理論に関する深い理解に基づき、実験における独創性を証明した優れた業績である。なお、本論文は共同研究の結果を記述したものであるが、全章にわたって論文提出者が主体となって進められたもので、論文提出者の寄与が十分であると判断され、本論文が博士(理学)の学位を受けるにふさわしいものと判断し、審査員全員で合格と判定した。 |