学位論文要旨



No 110982
著者(漢字) 安田,直樹
著者(英字)
著者(カナ) ヤスダ,ナオキ
標題(和) Bバンド・タリー・フィッシャー関係によるおとめ座銀河団の距離
標題(洋) The distance to the Virgo cluster from the B-band Tully-Fisher relation
報告番号 110982
報告番号 甲10982
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2895号
研究科 理学系研究科
専攻 天文学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 宮本,昌典
 東京大学 教授 祖父江,義明
 東京大学 教授 岡村,定矩
 東京大学 助教授 梶野,敏貴
 東京大学 助教授 柴橋,博資
内容要旨

 我々の宇宙はフリードマンモデルによって2つのパラメータで記述されている。銀河の距離測定は、そのパラメータの1つであるハップル定数の決定に必要であり、天文学の基本的な問題の一つである。特に、我々に一番近い銀河団であるおとめ座銀河団の距離は、より遠くの銀河団の距離の基礎になっており重要である。1990年頃までは、この銀河団の距離については、約16Mpcと約20Mpcの2つの大きく異なる結果が得られており、大きな論争になっていた。ただ、近年の新しい手法の開発と観測性能の向上により、約16Mpcの近い距離を支持する結果が積み重ねられている。しかし、渦巻銀河の距離決定法であるTully-Fisher関係(以下TF関係)を用いた結果は、依然として観測者によって異なった値を与えている。同じ方法が同じ対象に適用されているにもかかわらず異なる結果を与えていることは、TF関係自体の手法としての基礎が確立していないことを意味する。また、TF関係が他の方法に比べてより遠方の銀河に適用できる重要な手法であることからも、この問題の解決はハッブル定数の決定にとって本質的である。

 データの不十分さがこの問題が解決されていない原因として挙げられる。十分に問題を検討するには、おとめ座銀河団のすべての渦巻銀河の明るさと傾きについての正確なデータが必要であるが、これまでの銀河の測光の多くは写真乾板を人間が目で見て行なわれている(Kraan-Korteweg,Cameron and Tamman 1988,以下KCT;Fouque et al.1990,以下FBGP)。一方、CCDを用いた精度の高い測光は比較的明るい、少数の銀河に限られていた(Pierce and Tully 1988,以下PT)。そこで、まず我々は、すべての銀河について十分に精度の高いデータを得るために、均質な観測を行ない、写真乾板をデジタル化したデータをもとにして測光を行なった。サンプルはおとめ座銀河団の完全なカタログであるVirgo Cluster Catalog(Binggeli,Sandage and Tammann 1985,以下VCC)の中の渦巻銀河を用いた。その結果、図1のように銀河の等級に関してはCCDを用いた結果と非常に良く一致した。それに対し、写真乾板の目による測定には大きな誤差があることが分かった。銀河の傾斜角については、測定する等輝度線のレベルによって値が大きく異なるものがあり、等級よりも傾斜角の方が大きな誤差を生ずる銀河があった。

図1:銀河の全等級の比較。(a)PTによる測定との比較。(b)FBGPによる測定との比較。

 これまでのTF関係によるおとめ座銀河団の距離決定の問題として次のようなことが知られていた。PTなど明るい少数の銀河だけを用いた場合には約16Mpcの近い距離が得られ、TF関係の分散も小さい(約0.3等)。KCTやFBGPなど暗い銀河まで含めたおとめ座銀河団の完全なサンプルを用いた場合には約20Mpcの遠い距離が得られ、TF関係の分散も大きい(約0.7等)。この違いの原因として、測光精度の違いと銀河団の視線方向の奥行きの効果が指摘されていた(Burstein and Raychaudhury1989)。

 今回我々の測定したデータを使い、TF関係を用いて銀河団の距離を測定すると、PTと同じサンプルを用いれば、PTと同じ結果が得られ、FBGPと同じサンプルを用いれば、FBGPと同じ結果が得られることが確認された。つまり、FBGPらの測光データの誤差がこの問題の原因の可能性の1つとして考えられていたが、測光精度の悪さは主要な原因ではないことが明らかになった。また、個々の銀河の距離を各著者の推定する値と比較すると、測光精度の良いPTの値との一致はよく、精度の悪いFBGPらの値との比較では分散が大きいが系統的な違いはなく、TF関係そのものによる個々の銀河の距離の推定には原理的な問題はないことが確認された。

 図2は見かけの明るさをTF関係で求めた距離指数に対してプロットした図である。この図は遠くの銀河ほど見かけ上暗くなっていることを表している。点線は奥行き効果による予想を表しており、おとめ座銀河団の渦巻銀河の分布はこの線とよく一致している。また、近傍銀河の分布とも矛盾なくつながっている。つまり、おとめ座銀河団は視線方向に、距離指数で30.5から33まで、大きく伸びた分布をしていることが明らかになった。

図2:TF関係で求めた距離指数に対する見かけの等級の変化。アスタリスクは別の方法で距離の決められた近傍の銀河を表す。黒丸、白丸、十字はそれぞれVCCで"certain member","possible member","background"に分類されている銀河を表す。バツ印はHI Deficient銀河。

 このおとめ座銀河団に対する描像はこれまで考えられてきたおとめ座銀河団に対する描像、特に楕円銀河の距離の測定結果(明るい楕円銀河は約15Mpcの同じ距離に存在する)、とは大きく異なるものである。しかし、このようにおとめ座銀河団が視線方向に大きく伸びているとすると、PTのように見かけの明るい銀河だけを使えば、当然その平均の距離は近くなる。また、FBGPのように暗い銀河までサンプルに含めると、その平均の距離は遠くなり、これまでの観測結果が自然に説明できる。

 我々の距離の測定の信頼性とそれから導かれるおとめ座銀河団が大きく伸びて分布しているという結論は図3によって支持される。図3は銀河のHI Deficiency(平均の銀河に対するHIガスの少なさの指標)の銀河の距離に対するプロットである。HI Deficientな銀河は、銀河間ガスまたは銀河との相互作用に起源を持つと考えられているので、HI Deficientな銀河は銀河の密度の高いところ、すなわち銀河団の中心に多く存在することが期待される。図3から分かるように高いHI Deficiencyを示す銀河は14-20Mpcの距離だけに存在し、この距離は楕円銀河の距離と一致する。楕円銀河の数が多い領域は銀河の密度が高いことが知られているので、図3の結果は上の予想と一致し、我々の求めた距離の信頼性を補強するものと考えられる。

図3:TF関係で求めた距離に対するHI deficiencyの分布。シンボルは図2と同じ。

 FBGPによれば、おとめ座銀河団の距離はすべての銀河を含むサンプルの平均の距離として求めなければならないとされている。これはすべての銀河がほぼ同じ距離にあることが確かな場合には、観測的なバイアスを回避するために考慮すべき議論である。しかし、今回明らかになったように、広い範囲の距離に銀河が分布している場合には、その領域にある銀河すべての距離の平均値を求めることには物理的な意味はない。むしろ、楕円銀河で構成される銀河団のコアに相当するものの距離を求めることが正しいおとめ座銀河団の距離を与えること考えられる。そこで、HI Deficientな銀河の多く存在する領域がコアに対応すると考えると、おとめ座銀河団の距離は16±2Mpcとなる。この距離とかみのけ座銀河団とおとめ座銀河団の相対距離、かみのけ座銀河団の後退速度を用いて、ハッブル定数を求めると82±10kms-1 Mpc-1となり、これは他の距離決定法を用いた最近の結果と誤差の範囲で一致する。

参考文献Binggeli,B.,Sandage,A.& Tammann,G.A.1985,AJ,90,1681(VCC).Burstein,D.,and Raychaudhury,S.1989,ApJ,343,18.Fouque,P.,Bottinelli,L.,Gouguenheim,L.,and Paturel,G.1990,ApJ,349,1(FBGP).Kraan-Korteweg,R.C.,Cameron,L.M.,and Tammann,G.A.1988,ApJ,331,620(KCT).Pierce,M.J.,and Tully,R.B.1988,ApJ,330,579(PT).
審査要旨

 我々の住む膨張宇宙を記述する標準的な理論模型はフリードマンモデルである。このモデルによると宇宙の時間発展は、ハッブル定数H0と密度パラメータ0の二つで決定される。ハッブル定数は現在の宇宙の膨張率を表し、宇宙年令と宇宙の大きさのオーダーを決める。

 ハッブル定数は、遠方の銀河の後退速度vと銀河の距離rの間の比例関係(ハッブルの法則)、v=H0r、の比例定数として観測的に求められる。ハッブル定数の決定には、銀河の後退速度と距離を測定する必要があるが、多数の銀河が狭い領域に密集する銀河団はこのため格好の対象である。なかでもおとめ座銀河団は我々に最も近い銀河団であり、より遠方の銀河団の距離決定の基準となっている。ところがその距離は、手法に依存して約16Mpcと約20Mpcという二つのグループに大別される。そのうちTully-Fisher(TF)関係と呼ばれる手法にだけは、同じ手法であるにも拘らず、研究者により16Mpcと20Mpcの距離を与える矛盾が存在する。

 TF関係は渦巻銀河の距離決定法として、最も遠方まで届くものであり、ハッブル定数の決定に大きな影響をもっている。したがって、おとめ座銀河団の距離の矛盾を解明しないと、この手法自体の信頼性、ひいてはそれに基づくハッブル定数の決定に大きな不定性が残るという状況であった。本論文の主目的はこの矛盾の原因を解明し、TF関係自体は信頼度の高い有効な距離決定法であることを示すことである。

 論文の第一章では研究の歴史的背景と意義、第二章では銀河のサンプルの定義と観測データの収集及び精度検定、第三章ではおとめ座銀河団のTF関係の解析と距離決定、第四章では宇宙論的意義が述べられ、結論が第五章にまとめられている。付録部は主にデータを提示している。

 本研究の第一の特長は、おとめ座銀河団領域にある全ての渦巻銀河246個をサンプルに含めたことである。TF関係は、渦巻銀河の明るさと、銀河中の中性水素ガスの出す電波輝線の速度幅(銀河の回転速度の指標)との経験的相関関係である。この関係を構築するには、銀河の明るさと中性水素線の速度幅の他に、視線に対する銀河の傾斜角の三種のデータが必要である。明るさと傾斜角は可視光の撮像測光観測から、速度幅は電波観測から求める。従来の測光データは写真乾板の眼視測定に基づくものが多く、その精度の悪さが先の矛盾の原因ではないかとも推測されていた。本研究では東京大学木曽観測所のシュミット望遠鏡ですべての銀河を観測し、写真濃度測定機を用いてディジタル化したデータを画像処理し、均質で高精度の測光データを得た。これが第二の特長である。

 慎重に検討されたこれらのデータに基づき、おとめ座銀河団に対するTF関係を構築しそれぞれの銀河の距離を求めた。その結果、個々の銀河の距離に関しては、従来のどの研究の間にも系統的な差異はないことが判明した。それでは矛盾の原因はどこにあったのだろうか。著者は、銀河の距離と見かけの明るさ、および距離と見かけの大きさの相関図に現れる系統的特徴をもとに、おとめ座銀河団が10-40Mpcにわたって奥行き方向に大きく延びた伸長構造をしていることが矛盾の原因であろうと着眼した。これらの図に現れる系統的特徴は、伸長構造をしていないとしても、TF関係の内部分散が大きければ現われ得る。ここで著者は中性水素ガス欠乏銀河に着目した。ガス欠乏現象は銀河団の中心部に集中する銀河間ガスにより渦巻銀河内のガスがはぎ取られる結果と考えられている。正しい距離が得られていれば、ガス欠乏度の高い銀河が銀河団の中心部に集中し、大きな内部分散により見かけ上伸長構造が現れているとするとガス欠乏銀河も伸長構造内に一様に分布すると予想される。結果は前者となり、著者の求めた銀河の距離は正しく、おとめ座銀河団の伸長構造は実証された。

 伸長構造の結果、見かけ上明るい銀河に限ったサンプルを使えば、近距離の銀河を選択的に多く含むため16Mpcという近い平均距離が求まり、多くの暗い銀河(系統的に遠距離にある)まで含むサンプルを使えば平均距離は20Mpcと遠くなる。こうして従来の矛盾の原因は明らかとなり、TF関係自体に問題はないことが示された。銀河団コアにある渦巻銀河のみを用いれば、おとめ座銀河団の距離は楕円銀河から決定された距離と同じ16±2Mpcとなり、これを基準とすればハッブル定数は82±10km/s/Mpcとなる。

 以上述べたように本論文は、ハッブル定数の決定に関わる一つの最も基本的な問題に明確な解答を与え、観測的宇宙論の分野に大きな貢献をしたものと評価できる。本論文は共同研究の成果であるが、どの章の内容についても申請者が中心的な役割を果たしていると判断できる。よって審査員は全員一致で、本論文は申請者が博士(理学)の学位を取得するための要件を充分満たしていると判定した。

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