学位論文要旨



No 110984
著者(漢字) 荒木,博志
著者(英字)
著者(カナ) アラキ,ヒロシ
標題(和) 月震発生様式の解明とそのLUNAR-A計画における月震観測への適用
標題(洋)
報告番号 110984
報告番号 甲10984
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2897号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 笠原,順三
 東京大学 教授 浜野,洋三
 東京大学 教授 水谷,仁
 東京大学 助教授 ゲラー,ロバート
 東京大学 助教授 松井,孝典
内容要旨

 本論文は、宇宙科学研究所のLUNAR-A計画で主要探査項目となる月震観測を適切かつ効率的に実行するための基礎研究を集成したものである。LUNAR-A計画は1997年夏に打ち上げ予定であり、3台のペネトレータを月の裏側を含む3箇所に貫入させて月震、熱流量の観測を行い、現在謎に包まれている月深部構造、コアの存在に関する情報を得ることをめざしている。これはアポロ計画時に行なわれた月震観測では達成できなかった課題であり、月そのもの、ひいては地球-月系の起源を研究するにあたってきわめて重要な情報が得られると期待されている。本論文の第1章は導入部として惑星内部構造探査におけるLUNAR-A計画の意義及び論文内容の紹介を行った。第2章は、過去の月内部構造探査の成果を振り返り、アポロ以後残された月震探査の課題を整理検討した。第3章では、LUNAR-A月震計開発の経緯と現状についてまとめた。さらに第4章以降ではLUNAR-A月震観測を実施、運用するにあたって不可欠となる基礎資料を作成した。第4章では、アポロ月震データをもとに月震用イベントトリガー法の基本方式を決定した。これはLUNAR-Aの月震観測方式として取り入れられることになっている。第5章では深発月震予報表の作成を行ない、LUNAR-Aで重要な観測ターゲットの一つである深発月震の取得をより確実にすることを試みた。すなわち、地球に由来する月内部潮汐応力変動の周期性を検討し、アポロの月震発生記録を参考にして、1998年に起こると期待される深発月震グループの発生予報表の形でまとめた。

第1章.緒言

 ここでは導入部として月起源と進化の問題に答えんとするLUNAR-A計画の意義をまとめ、本論文のLUNAR-A計画における位置づけ及び内容紹介も同時に行った。月をはじめ惑星起源、進化の問題の解明には惑星全体の構造、組成に対する制約条件が不可欠である。しかしアポロの月震探査などで先駆的な成果が得られていたにも関わらず、従来は内部構造を主要なターゲットにした探査計画は立てられることがなかった。その意味でLUNAR-A月震観測はアポロ以来途絶えていた惑星内部構造探査を復活させ、将来の惑星探査が進むべき一方向を示すものでもあり、その基礎を固める本研究は重要な意義を持つ。

第2章.過去の月内部構造探査と将来の課題

 この章は、まず月内部構造論のレビューとして、アポロ月探査を中心とした過去の月震観測アポロ(11,14,15)と旧ソ連のルノホート2号によって月面に設置されたコーナーキューブを用いたレーザーレンジング(LLR)の最新の結果を振り返り、それを踏まえて月内部構造探査のみならず月震観測の展望を述べ、LUNAR-A探査計画全体の概要紹介も合わせて行った。また2章付録としてテキサス大学の中村吉雄先生から送られたアポロ月震データのフォーマットも紹介した。将来の月内部構造探査の主要な目標は以下のようにまとめられる。LUNAR-A計画で3以外を目標にしているが特に1,2が主目標である。

 1.コアのサイズ、速度構造、Q、これから、月の平均的構成物質を押えられ、月岩石中の親鉄元素挙動から月起源を探る研究に寄与することができる。月全体の弾性的、熱的構造決定にも大きな影響をおよぼす。

 2.深部マントルの速度構造、Q、これは月内部の弾性的、熱的構造を押えるのに重要な役割を果たす。1と合わせ、月の熱史を考察するための重要な情報となる。

 3.月地殼の厚さの非対称性、この正確な評価は、Al,Caなどの難揮発性元素の存在量の正確な見積もりにも欠かせない。

 4.深発、浅発震源分布の不均一性、この問題の追求から月内部の水平方向不均質性の有無に関する手がかりが得られる可能性がある。

 この他、内部構造とは直接つながらないが興味深い問題として、5.流星群と隕石衝突の関連がある。特に1998年に33年ぶりに回帰するテンペルタットル彗星に伴って活動が予想される獅子座流星群にLUNAR-A月震計で感知される隕石が存在するかなど、この観測から流星群構成粒子のサイズ分布に関する情報が得られることが期待される。

第3章.LUNAR-A月震計

 この章ではLUNAR-A用月震計の開発状況、現状について述べる。まず、アポロ月震データのスペクトル解析を行なったところ深発月震のスペクトルピークは0.5〜1Hzにあることがわかった。深発月震は月深部の情報を定期的にもたらすものとして、LUNAR-A計画で重視されているターゲットである。この結果をもとに月震計の固有周期を2sec,にすることが目標とされた。この目標に対し、非線形バネの利用、及びバネ振り子に取り付けた鉄片と月震計磁石間に働く磁力の利用、という2方針を組み合わせた長周期化が進められ、現状では1sec.まで達成されている。また耐衝撃性の確立には各種ペネトレータ実験を行い、月震計内部バネ振り子の拘束条件が求められた。小型軽量化には月震計内部の永久磁石の削り込みなどで1つ当たり330g以下を達成し、サイズも50×51にまで小さくなった。さらにバネ振子に巻き付けるコイル線直径を20mまで細くしても耐衝撃性が損なわれないことが実証され、感度は10V/kine(20Hz)にまで達成できた。これら耐衝撃性、小型軽量化、高感度化の成果に加え、月震計固有周期が目標の2sec.を達成できると、周期1sec.の振動をアポロ月震計の3倍の感度で観測できる(Fig.1)。

第4章.LUNAR-A月震データ取得法

 この章では、LUNAR-A月震観測におけるイベントトリガー法、さちに取得したデータのデータ処理、種類判別の方法を論じている。まず地球の地震観測でよく用いられているSTA/LTA法をもとにアポロ月震データを用い、有効かつ簡便なイベントトリガー法を探した。その結果、Fig.2に示すようなLTAの中にSTAが組み込まれている方式を提案し、STAの長さ(Ts)は経験的に数十秒程度、LTAの長さ(TL)は500〜600秒がよいことを見いだした(e.g.Fig.3)。次にアポロの長周期月震計の連続記録データを数ヶ月間調べ、そこにしばしば現れる継続時間10秒程度のノイズと片側振幅ノイズをによるトリガー誤動作を避けるため、トリガー後に数秒以上あとに4秒間の振幅レベル、片側振幅度をチェックする方法を提案した。さらにトリガーをかけた月震データの取得時間を前半の256秒で判断する方法として、トリガー後128秒と256秒付近の振幅レベル(それぞれA1,A2)を計算しA2/A1とA2を組み合わせておこなう方法が提案されているが、各種月震について実際に計算し、この方法に必要なパラメータ決定に役立てた。また取得した月震データの後半部を16Hzサンプリングから4Hzに落とすとき必要となるディジタルフィルターの設計、検討を行い実機搭載用として23次FIR(非再帰型数値)フィルターを提案した。最後に月震データの地上伝送順序決定のために種別判定を簡単に評価できるかを見るために、各種月震についてrise-time(初動より振幅が最大となるまでの時間)を計算し、震央距離との関係を調べた。この結果、1.深発月震のrise-timeは角距離によらず3〜8分で一定していること(Fig.4)、2.浅発月震、隕石衝突については、角距離と正の相関が存在すること、が認められた(Fig.4)。一方、3.熱月震のrise-timeはほぼ2分以内に収まっている。このため、熱月震は他の3種類の月震とはrise-timeによって明確に区別することが可能である。これら3つの結果を使えば、rise-timeを月震の種類の判別に利用することができる。

図表Fig.1 アポロ月震計(長周期(LP)peaked、長周期flat、短周期(SP))の3種類とLUNAR-A計画で搭載予定の月震計感度。 / Fig.2 STA/LTA法によるイベントトリガー法の一例。時間的に前のLTA(t=TL)における振幅平均と時間的に後のSTA(t=Ts)における振輻平均の比をモニターして閾値(r)を超えた時トリガをかける。 / Fig.3 上図の月震模擬データにFig.2のトリガー法を試し、TLとrによっていくつトリガーがかかるかをみたもの。ただしTs=60秒で固定。
第5章.月内部潮汐応力の周期性と応用

 深発月震の発生に周期性が複数みえていることは、以前よりアポロ月震データの解析により判明している。最も短い27日周期については月潮汐の周期であると考えられている。これとは別に約6年の周期で深発月震の活動度が変化するという現象がアポロデータから経験的に見いだされているが、これについては必ずしも明確な説明が与えられていなかった。この章では、震源位置が既知の深発月震20グループについて震源における潮汐応力を10年分(1969年〜1977年と1998年)の計算を行った結果、この6年周期の活動度変化は潮汐応力の6年周期性と密接な関係があることが確認できた。さらにこれらの各深発震源における潮汐応力テンソルの変動周期性から1998年の初日は1974年の通算112ないし114日に相当することがわかった。この対応関係をもとにアポロ当時の月震発生データを使って1998年における深発月震活動を推定し、LUNAR-A用深発月震予報表を作成した。1998年には、少なくとも深発月震グループA1,A5,A6,A9,A20,A24,A30,A33,A40,A42,A44,A50,A61の13グループが活動していることがわかった。12ヶ月の総数は63イベントである。この予報表は、約6年の周期性が月震活動においてアポロの記録どうり正確に繰り返すことを前提に置いたものであり、LUNAR-A月震計のようにアポロ月震計より高性能であればさらに多くの深発月震が観測されることが予想される。これらの結果はLUNAR-A月震観測においてターゲットの1つとなるべき深発月震の予報に役立てられ、運用計画策定のための基礎資料とされる(Fig.5)。

図表Fig.4 各種月震(深発月震(DMQ)、浅発月震(HFT)、隕石衝突(Impact))の震源距離とrise-timeの関係。 / Fig.5 1998年の深発月震予定表。黒点がそれそれの発生時に相当する。1998年50日から1年のLUNAR-A観測期間に少なくとも63の深発月震発生が予想される。
審査要旨

 本論文は1)緒言、2)過去の月内部構造探査と将来の課題、3)LUNAR-A月震計、4)LUNAR-A月震データ取得法、5)月内部潮汐応力の周期性と応用、からなる.LUNAR-A計画は宇宙科学研究所が1997年打ち上げ予定の惑星探査衛星による日本初の月に関する調査研究計画である.本論文はその研究の中核となる月の内部構造の研究をするための月震計に関する研究と、月震に関する発生予測の研究である.

 月震計を用いた研究は1960-70年代、米国アポロ計画によって行われたが月の内部構造に関しては未知の部分が多い.月の地震波速度分布、地震波Q構造、月の核の大きさと構造、月震の発生原因や発生場所の詳細などがその代表的なものである.月震計は月震を捕らえ、地球における内部構造の研究と同様な手段によって月を調べるものであり、そのためには現在得られれている月震に関するデータでは充分でない.より詳細な研究をするためには、月震の精密な波形を得ること、微小な月震まで捕らえ過去のデータと合わせ詳細な解析に資することなどである.

 LUNAR-A計画では月震計をペネトレーターによって月面に打ち込むことによって月面付近に存在するレゴリスの影響を避けることを計画している.この打ち込みの際の衝撃は10、000Gにも及ぶ.また、使用可能な電力、地球までのデータ伝送容量なども限られている.このためには月震だけ効果的に選び出すアルゴリズムを低消費電力下で設計する必要がある.また、できるだけ多くの月震を取得するためには月震計の感度をアポロ当時の月震計のそれより増大するする必要がある.これらの要請は現在地球上で地震観測に使用している仕様を遥かに越え、特別の地震計(月震計)を新たに開発する必要がある.この開発によって月の構造、生成史に関する知識が格段と進歩する事が期待される.

 第2章では本研究の重要性を過去の月に関する研究の上でとりまとめたものである.

 第3章は月震計のハードウエアーに関する開発の詳細を記したものである.消費電力を減らすために月震計はムービングコイルタイプの速度型が選ばれた.また、過去の月震の周波数特性を調べた結果、深発月震や浅発月震を初めとする月震は0.5-1.0Hz付近にそのピークを持っている.従って、この周波数範囲に感度のピークがあるよう設計する.電気系の雑音を考慮して得られる最大感度が選ばれた.これにアポロの月震計感度の10倍程度の感度を得ている.これらの制限のもとで、この月震計を特に耐ショック性を月面衝突の10、000Gに耐えられる様に設計された.この試作品は想定される衝撃下で試験された.

 第3章では月震の選別に不可欠なアルゴリズムが記されている.地震観測にも地震波の長時間平均(LTA)、短時間平均(STA)の比を用いたイベントトリガーアルゴリズムを用いているが、月震は継続時間、波形の特徴など地震波形と著しく異なった波形をしている.このため地震判定のSTA/LTAでは月震をトリガーする事はできない.アポロのデータを用い最適なアルゴリズムが見つけられた.これによれば、それぞれ500-600秒、数十秒が良いことが見つけられた.また過去のデータに見られる数種のノイズを除去する方法も開発された.地球に伝送するには月内部構造研究上重要と考えられる月震タイプから優先的に伝送するアルゴリズムも開発された.

 以上のハードウエアー、ソフトウエアーは実際に打ち上げられるLUNAR-Aで採用される予定である.

 アポロでとられた月震データを見るとその発生場所、発生時刻にはいくつかの特徴がある.過去の10年分のデータに相当する期間、深発月震20グループに対する発生場所、月構造を仮定して、潮汐応力を計算し月震の発生との相関が調べられた.その結果、深発月震と6年周期との極めて良い相関が見られた.特に、深発月震"A33"震源に対して計算されたタンジェンシャル応力とノーマル応力は地震発生と極めて良い相関を示した."A33はタンジェンシャル応力が最小の時にしか発生しない.

 各深発月震における潮汐応力テンソルの変動周期から1998年の初日は1974年の112日、ないしは114日に相当することがわかった.この対応表をもとにアポロ当時の月震発生データを用いて1998年における深発月震予報表がつくられた.

 以上述べたように、本研究は日本最初の月探査衛星で主たる研究となる月震観測に不可欠な月震計の開発をハード、ソフト両面にわたって行ったものである.この研究は他の研究者、関連企業との共同開発の性格が強いが、その中でも著者は指導的な役割を果たした.その成果は将来打ち上げ予定の月震計に取り入れられる予定である.

 また、月震と地球による月潮汐応力テンソルを用いた月震の解析は月震が潮汐力により発生していることを明らかにした.特に、今まで明らかでなかった6年周期の存在とその原因は特筆されるべきものである.

 しかし、審査委員の中から月震計の月内部構造への応用に関してより広範な見知からの研究が進められた方が良いとの意見がでた.これは今後実際のデータの取得を通じて望まれるものである.また、ハードウエアー、ソフトウエアーの開発が細分化される現在ある程度仕方がないが、全体のハードウエアーの構成に関する広い知識が望まれた.

 全体を総合して、月震計の開発は地味ではあるがその将来の科学的意義は疑う余地が無いものであり、それに対する貢献は特筆すべきものであるとの一致した意見である.また、月震の周期性に関する理論的考察は6年周期の存在と地球-月潮汐応力テンソルのが密接な関連を持っていることを明らかにした.この成果は優れたものである.

 以上本研究は博士の学位を授与するに足るものである.

 主査 東大教授 笠原順三

 副査 東大教授 水谷 仁

 同 浜野洋三

 東大助教授 ゲラー・ロバート

 同 松井孝典

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54441