大気や海洋の中には温度の違う2つの空気塊や水塊が接しあって前線面を形成している状況がよく見られる。このような前線面は一般的に不安定であり、しばしば擾乱が生じて渦が形成される。ノルウェー学派に始まる古典的な温帯低気圧発達理論では暖かい赤道域の気団と冷たい極域の気団とで形成される前線面の不安定性を低気圧発生の原因と考えたこともあり、このような前線不安定の問題に関しては古くから研究がある。しかし、得られている結果は最も基本的な線形安定性についても十分ではない。そこで、基礎的な前線モデルの安定性を調べるとともにその物理的解釈をはっきりさせておく必要がある。 まず、第1部では前線不安定の問題の中でも最も基本的な状況について線形安定性を調べ直した。この問題は「無限に広がる2つの水平面に挟まれた領域に、密度の異なる2つの流体がそれぞれ一様に流れて互いに接しあって前線面を形成している。この前線面の線形安定性を調べよ。」という設定で、もともとはKotchin(1932)が定式化したものである。彼はこの問題がRiとRoという2つの無次元パラメータで特徴づけられることを示した。しかし設定は単純であるものの、実際に解くのは数学的に困難であり、いろいろなパラメータについて網羅的に解かれたのはOrlanski(1968)によってである。彼の結果によると、この問題ではレーリー・シアー不安定(Rモード)、ケルビン・ヘルムホルツ不安定(Hモード)、傾圧不安定(Eモード)、そしてRモードとEモードの混合したもの(Bモード)など様々な種類の不安定が存在する。さらにどのようなRiとRoに対しても不安定モードが存在する結論づけている。ところが実はこの結果には幾つかの問題点がある。第1にこの問題を解くのにOrlanskiはshooting-methodを用いているため、全ての不安定モードを調べつくした保証がないということ。第2には、パラメータの組合せを十分に調べていないにも関わらず間を適当に内挿して結果を示しているため、振舞いが不自然と思われるモードが幾つかあるということである。 そこで本研究ではまずmatrix-methodを用い、また調べるパラメータを密にとってこの問題を検討し直した。数値計算の結果、Rモード・Eモードに関してはほぼOrlanskiが記述した通りであった。しかしOrlanskiはBモードが存在する領域とRモードが存在する領域は互いに接しあっていると記述しているが、実際にはBモードの存在領域とRモードの存在領域の間には不安定モードの存在しない領域があることが明らかにされた。さらにOrlanskiにおいてHモードが存在すると記述された領域に関しては、実際には様々なモードが複雑に重なりあったり隙間をおいたりしていて、Hモードと名付けるような単一のモードが広がっているのではない。従ってOrlanskiが結論づけたようにどのようなRiとRoに対しても不安定モードが存在するわけではなく、実際には不安定モードのない領域や、逆に複数個ある領域も存在することが明らかになった。 さて、こうして得られた不安定の性質を理解するには、不安定モードを客観的な方法で分類する必要がある。それにはSakai(1989)による共鳴の考え方が参考になる。つまり2層問題の不安定モードを考える時には、まず2層の中から1層だけを取り出した部分系を考えて中立波動を調べると、不安定モードはこれら中立波動の共鳴としてとらえることができるのである。さらには共鳴する波動の性質によって不安定の種類もわかる。この手法を今の問題にも適用してみた。つまり2層のうちの1層ずつを取り出してその中に存在する中立波の性質を調べた。この問題の場合、1層だけを取り出した状況というのは斜面とそれに続く平らな海底の上の流体におこる波動を調べるのに等しく、実際に解いてみると、地形性ロスビー波と慣性重力波およびそれらの混ざったモードが存在した。 1層問題で得られた分散曲線を2層問題の分散曲線と比べることにより、2層問題の不安定モードがどのようなものであるかが同定できる。その結果、Eモードはロスビー波どうしの共鳴による傾圧不安定であり、Rモードは混合モードどうしの共鳴による不安定で、その性質は波長によって異なる。Bモードは混合モードのうちのロスビー波的性質を持った部分とロスビー波との共鳴による傾圧不安定であることがわかった。またHモードの領域にある様々な不安定モードはケルビン・ヘルムホルツ不安定やロスビー・グラビティー不安定などであり、この領域では様々な次数のロスビー波および重力波が共鳴するために不安定モードの存在のしかたが複雑になる。 第1部で不安定モードを解釈するために1層の問題を考えたが、そこにはロスビー波とも慣性重力波ともつかないモード(遷移モード)が存在し、波の共鳴の際にも非常に重要な役割を果たしていた。この1層の問題というのは海洋物理学でエッジ・陸棚波として調べられている問題に非常によく似ている。エッジ・陸棚波の問題ではReid(1958)のモデル(傾きが一定で半無限に続く)にもロスビー波と慣性重力波のどちらともつかないケルビンモードが存在するのに対して、Mysak(1968)のモデル(途中から無限に深い海につながる)ではそのようなモードが存在しない。また、赤道波でも混合ロスビー重力波やケルビン波が存在する。第2部ではこのような遷移モードについての存在条件について考察した。 水路を横断する方向にはコリオリパラメータや深さの変化する一般的な水路内の回転浅水波方程式系を考え、そこに存在するモードを調べる。波数が0になる極限と無限大になる極限においてモードの分散曲線がどのようなふるまいをするかに注目し、ロスビーモード・ポアンカレモード・ケルビンモード・混合ロスビー重力モードを定義した。解析の方法としては、波数が0の極限・無限大の極限での簡単化された状況で問題を詳しく調べ、波数が変わっても固有関数の零点の数が保存することを利用してその間を結び付けるという方法をとった。その結果、このような状況下では無限個のロスビーモードの族とポアンカレモードの正負両方向に伝わる族が必ず存在することが示されるとともに、その他にケルビンモードや混合ロスビー重力モードの遷移モードが存在することもあり、その存在条件は表1のように両端での境界条件のみによって定まることが示された。 表1:各境界条件において存在する遷移モード。Kはケルビン波モードをMは混合ロスビー重力波モードを示す。 次に、これらの遷移モードと境界波との関係を調べることにより、その物理的な解釈を行なった。その結果、境界条件にはケルビン波を境界波として伴う閉境界、慣性振動を境界波として伴う開境界、境界波を伴わない中立境界があり、ケルビン波が遷移モードのケルビンモードに、慣性振動が混合ロスビー重力モードに対応することが示された。また、ケルビン波と慣性振動が同時に存在する時には波数が変化する途中でモードの乗り換えが起こり、このような遷移モードがなくなってしまうと解釈することによって、数学的に示された遷移モードの存在条件が全て理解ができる。また、この理論によって、エッジ・陸棚波、赤道波、地球潮汐などの理論で現れる遷移モードが統一的に理解できるようになった。 この理論は前線の不安定モードを理解する上でも重要な役割を果たす。2層の前線においてどのような不安定モードが存在するのかを知るには、昔は具体的に固有値問題を解いてみるしか方法がなかったが、Sakaiの波の共鳴の考えによって、1層の問題の分散関係を調べれば2層全体の問題においてどのような不安定モードがあるかが理解できるようになっていた。本理論ではさらに、1層の問題における各モードの存在条件を簡単に記述しており、Sakaiの理論と組み合わせると問題の状況設定を見ただけでどのような不安定モードが存在するかが定性的にわかるようになった。 第1部では、両層がともに一様な流れからなり、前線面が平面となるような最も簡単な前線モデルについての解析を行なったが、実際の大気や海洋中に見られる前線においては地面(海面)側の層内では速度のシアーがあり、前線面の傾きも地面(海面)に近付くにつれて大きくなる傾向にある。また、前線の形成過程を考えると、この層内では速度が一定というよりは渦位が一定になると考える方が自然である。そこで第3部では下層の渦位が一定であるような前線の基本場を考え、その線形安定性解析を行なった。 その結果は第1部の各層一様流からなる前線モデルと比べていくつかの異なる特徴が見られた。その中でも最も大きな違いは、下層の流速に近い位相速度を持った不安定モードが安定化することであった。これは、下層の中に存在するはずだったロスビー波が、渦位が一定になったために存在しなくなり、代わりに上層の波とは共鳴を起こさない連続モードになったためである。 速度分布からみると、各層の流速が一様なモデルより下層の渦位が一様なモデルの方が、実際の前線面の傾きや速度分布をよりよく表したモデルであるが、不安定の機構は渦位の分布が決めるのであり、そのため渦位一様のモデルはかなり特殊な状況を考えていることになる。第1部で考えた各層の速度一様なモデルのはその意味でかなり一般的な状況にも結論を当てはめることができることになる。 以上のように、本研究では前線の不安定モードを考える時に欠かせない浅水波のモードを調べ、前線モデルの設定を見ただけでどのような不安定モードが存在するかを推測できるようにするとともに、典型的な前線モデルの固有値問題を解き直し、今まで前線不安定の研究においてよく参照されてきた結果を正しく記述し直した。また、前線の不安定モードの性質が渦位分布によって大きく変わってくることを明らかにした。 |