学位論文要旨



No 110986
著者(漢字) 小屋口,康子
著者(英字)
著者(カナ) コヤグチ,ヤスコ
標題(和) 地球内部におけるシングルフォース地震の発生とそれをもたらす部分溶融物質の力学的不安定性に関する理論的・実験的研究
標題(洋)
報告番号 110986
報告番号 甲10986
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2899号
研究科 理学系研究科
専攻 地球惑星物理学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学地震研究所 教授 深尾,良夫
 東京大学地震研究所 助教授 川勝,均
 東京大学地震研究所 教授 井田,喜明
 東京大学 教授 松浦,充宏
 東京大学 教授 浜野,洋三
内容要旨

 従来、地震とは断層により歪みエネルギーを解放する現象であると考えられてきた。断層運動によって励起される地震波は、震源域においてダブルカップルと呼ばれる力のシステムが加わったことにより励起されるものと等価である。したがって震源の解析とは、即ちこのダブルカップルを求めることであった。

 しかし、ここ数年、波の励起がダブルカップルでは説明できない地震が、数は非常に少ないが確かに起こっているという事実が注目され始めた。特に火山の深部では、顕著な特異性を持つ地震が発生することが観測から報告された。共通する特徴は(1)観測される波の周波数が非常に低周波(1〜5Hz)である(2)普通の地震が起こらない震源深さ(〜30km)で起こる、(3)震源域で働いた力がシングルフォースであるらしい、(4)単色である、などである。これらのうち、本研究では、特に(1)物理法則に反するかに見える地球内部でのシングルフォースの発生、及び、(2)ダクタイルだと考えられる高温の部分溶融媒質中で、ブリトルでないと発生しないと考えられてきた地震波が励起されること、の二つの原理的な不思議さに関わった「why?」に、物理的な必然性に基づいて答えることを目標とした。

 普通の断層によって生じるダブルカップルとは、作用と反作用が対になった力であり、その合力も合トルクも常に0である。このことは、地球の内部で生じた力である限り、地球の運動量・角運動量保存則から当然だと考えられていた。ところが、シングルフォースというのは対になっていないから"シングル"であり、合力が0でない。したがって、シングルフォース地震の発生は、地球の運動量保存則に反するように見えるのである。

 Kanamori and Given(1981)は、地滑りによって励起された地震波を観測した際、それが震源でシングルフォースが加わったとして説明されると報告した。これは一見地球の運動量保存則に反するかのような印象を与えたが、地球から離れて運動する質量が関与する現象の際にはシングルフォースが発生しうることが間もなく直感的に理解された。これは、リンゴが木から落ちることを考えると分かりやすい。リンゴが木から離れる瞬間には、木はリンゴの質量分だけ軽くなるから地球には上向きのシングルフォースが加わり、リンゴが地面に落ちる瞬間には地面に下向きのシングルフォースが加わる。(隕石の落下とは異なって、地滑りやリンゴの落下ではイベントの前後で地球の運動量は変化しないはずだから、地球に加わったシングルフォースは時間的に積分すると必ず0になるといえる。)このようにして一旦理解されると、火山の噴火に伴って励起された地震や、海底の地滑りで起こった地震など、地球から離れて運動する質量の関与する地表付近での現象がつぎつぎにシングルフォースで解析されはじめた(e.g.,Eissler and Kanamori,1987,Kawakatsu,1989,Takeo et al,1990)。

 このような中にあって、30kmの深さでシングルフォースが励起されているかもしれないというUkawa and Ohtake(1987)の報告は、この問題がまだ原理的決着に至っていないことを示したものである。30kmの深さで地球から離れて運動する質量があるとは考えられないからである。そのため、この深さの地震をシングルフォースで解析することがそもそも間違っているのだと言う地震学者もいた。確かにリンゴの例で言われるように、地球から離れて運動する質量があればシングルフォースが励起される。地球から離れた質量はシングルフォースを励起するための十分条件ではある。しかしそれは必要条件なのか?シングルフォース地震は地表付近でのみ起こる例外的な現象なのか?地球の内部でも起こりうる現象なのか?起こるとしたらどのようなメカニズムが可能なのか?という疑問を私は抱いた。

 この疑問に対する答えが、本論文のChapter2〜4である。この3つのChapterを通して、地球の内部におけるシングルフォースとトルク(モーメントテンソルの反対称成分)発生の物理的可能性とその地球科学的意義を示した。

 Chapter2では、ダブルカップルやシングルフォースといった「地震時に震源で働いた力」の定義に立ち戻り、震源の表現定理の導出から行なった。力学的に閉じた地球の内部で、一見地球の運動量が変化したかに見えるシングルフォースの発生は、震源域の質量とその周囲の媒質との間での「運動量交換」に因るものであろうという物理的直感に基づいて、地球を「震源域」と「震源域を除いた残りの地球」という二つのシステムに分け、「地震時に震源で働いた力」の定義を「二つのシステムの間での相互作用」として与えた。この中で,シングルフォースやトルクは二つのシステムの間での運動量や角運動量の「交換」により生じる力として定義され、地球内部におけるこれらの力の発生が運動量保存則に反しないことを示した。また、これらの力を生じる震源域内部の運動をキネマティクスを行なって明らかにし、これらの力の発生の物理像を与えた。火山の深部では固相よりも密度の小さいメルトの存在により重力的に不安定な状態にあり、このような状況では、「重力エネルギーを解放する地震」や「圧力勾配を解消する地震」といった、従来の「歪みエネルギーを解放する地震」とは異なったカテゴリーの地震が起こる必然性があることを指摘し、これらがシングルフォースなどの「ベクトルタイプ」の励起パターンを持つ地震になることを明らかにした。

 地滑りなどによるシングルフォースの発生が地表付近での例外的な現象として扱われてきた背景には、1976年のBackus and Mulcahy(1976)の論文がある。彼らはこの論文で、Chapter2に述べる私のとは全く異なった方法で「地震時に震源域で加わった力」の定義を与え、シングルフォースとトルク成分は常に0になるという結果を得た。彼らはこの結果が地球の運動量と角運動量の保存則から当然の結果であると解釈したが、この解釈があやまりであることをChapter3において示した。即ち、Backus and Mulcahy(1976)のフォーミュレーションが地球の内部で起こりうる全ての震源現象をカバーしていないことを示し、彼らのフォーミュレーションの中で、暗に無視されていた質量の移流の効果を考慮することによって、シングルフォースとトルクの発生が導けることを証明した。

 Chapter4では、断層により歪みエネルギーを解放する普通の地震の際にもシングルフォースやトルク成分が励起される可能性があることを指摘し、この成分が震源域内部の不均質に関する情報を持つことを示した。これにより、普通の断層地震のみを観測・解析する地震学にとっても、従来無視されてきたシングルフォースとトルクが無視できなくなる日がまもなく来ると予想される。

 火山の深部ではシングルフォースなどのベクトルタイプの放射パターンを持つ地震が発生する力学的な必然性が存在することを示したが、これらの現象が地震学的に観測可能なタイムスケール(サイスミックレンジ)で発生するかどうかを決めるのは媒質の物性である。そもそもこれらの奇妙な地震の起こっている領域では普通の地震が起こらないので、媒質が高温で部分熔融しダクタイルになっていると考えられてきた。このような場所で、なぜ地震波を励起するようなカタストロフィックなイベントが起こり得るのか?これが本研究の動機となった二つ目の疑問である。

 地震波を励起するようなサイスミックレンジのイベントが起こるという上記の観測事実は、部分熔融物質に物性的な不安定性が存在していることを示唆する。この不安定性の物理的実体を明らかにすることが、本研究のもう一つの大きな理念的目標である。これにより、地球内部の部分熔融領域での地震発生の問題を場の原動力と媒質の物性という基本的な物理に基づいて理解することが可能になるだろう。

審査要旨

 本研究は、火山の深部で発生する特異な低周波地震について、特に(1)物理法則に反するかに見える地球内部でのシングルフォースの発生、及び、(2)ダクタイルだと考えられる高温の部分溶融媒質中で、ブリトルでないと発生しないと考えられてきた地震波が励起されること、の二つの原理的な不思議さに関わった「why?」に、物理的な必然性に基づいて答えること全目標としたものである。

 以下に本研究の具体的な成果を述べる。

 (1)力学的に閉じた地球の内部で一見地球の運動量が変化したかに見えるシングルフォースの発生は震源域の質量とその周囲の媒質との間での「運動量交換」に因るものであるという物理的直感に基づいて、「二つのシステムの相互作用としての震源の表現定理」を開発した。具体的には、震源域の外に地震波を励起する「現象論的な震源」を、震源域を囲む仮想的な球面に加わるトラクションの各一般化球面調和関数成分として与えた。震源域内部の運動を一般的な形で与え、各モードの励起を震源域内部の運動に結び付ける具体的な式を導いた。これによって、従来の表現定理がカバーしていなかったシングルフォースとトルクを含む可能な全ての震源のタイプの数学的表現とその物理像とを与える最も一般的な表現定理を確立した。

 (2)地球の内部におけるシングルフォースとトルクの発生に関して、物理法則に反するのではないかという間違った理解が一部の地震学者の間に存在することを指摘し、この原因を解明して混乱を収拾する理論を提示した。具体的には、地球の内部においてシングルフォースとトルクの発生が物理的に不可能であることを証明しているかに見えるBackus and Mulcahy(1976)の理論の中で、震源域における質量の移流の効果が暗に無視されていることを指摘した。そして、彼らの理論を質量の移流まで含めたもっと一般的なフォーミュレーションに拡張すると、シングルフォースとトルクの発生が導けることを示した。

 (3)(1)で得られた結果を用い、火山の深部で発生するシングルフォース地震の実体として「重力エネルギーを解放する地震」や「圧力勾配を解消する地震」という新しい物理的描像を与えた。特に火山深部の場では、これらの地震が発生する力学的な必然性が存在することも指摘した。

 (4)火山性の地震のようにメカニズムが未知の地震を解析する具体的な手段として、(1)で得られたモードを用いた「放射パターンの空間スペクトル展開」を新たに提案した。

 上記(1)から(4)の成果により、従来の地震学で扱われてこなかったシングルフォースやトルクが地球の内部でも物理的に存在することとその地球科学的な意義とが初めて理論的に示された。ここに挙げた結果は、本研究によって初めて得られた独創的な成果である。

 実際に実現する現象の時・空間スケールや具体的な空間様式などを決めるのは、上記のような「重力エネルギー」や「圧力勾配」といった場の原動力に加えて、媒質の物性や不均質などの多様な現実的要因である。特に、上記の特異な低周波地震の発生にみられるような火山深部での不安定現象の存在は、従来ダクタイルだと思われていた部分溶融物質の力学物性に不安定性が存在することを示唆している。本研究では、この不安定性の物理的実体は、部分溶融集合体が持つミクロな内部自由度の応力下での振るまいにあると推理し、それの解明を目標とした。そのためにまず、部分溶融物質のマクロな物性を内部状態変数ウエットネスの関数として表す具体的な式を導出して、理論的なフレームワーを確立した。応力下でのウエットネスの時間発展をアナログ実験によって調べるため、適切な変形実験装置の開発と適切なアナログ試料の探索・確保を行った。以下にその成果を具体的に述べる。

 (5)理論的には、まず、部分溶融物質のミクロな内部構造のうち、マクロな物性最もクリティカルに効くのは固体粒子同士の接触状態であるとの考察に基づき、これを物理的に記述するための「ウエットネス」を導入した。「集合体の力学」の理論を作り、内部状態変数としてウエットネスを含むマクロな構成方程式の導出を行った。得られた式を2、3の場合について数値的に解き、部分溶融物質のマクロな物性がウエットネスに敏感であることを確認した。

 (6)装置と試料のカップリングが確実に取れ、変形中の試料の状態(特に異方性)を横波二成分の超音波でその場観察できる新型の変形実験装置を、設計から金属加工まで実際に行って開発した。

 (7)本実験に用いるアナログ試料として反応混合系が適切であるとの考察に基づき、常温付近に共融点を持ち、適切な固相液相間の界面エネルギーを持つ二成分共融系(有機物)の探索・確保を行なった。探索の過程で、界面エネルギーを間接的に測定できるニードルセンサーを独自に開発した。また、薄片作成が困難な有機物試料についてミクロな組織を反射顕微鏡によって観察する手法を確立し、ニードルセンサーで得た結果を実際に目で確認した。

 (8)試料探索の過程で、「メルト中に固相物質の成分が多いほど固相がメルトにぬれやすい」という経験的な関係を発見した。この関係を用いると、ある温度でのメルトによる固相のぬれ具合が相図のみからある程度分かることになり、極めて有用である。この関係は、また、地球科学的現象へのたくさんの示唆に富む。

 部分溶融物質のマクロな強度の不安定性や間欠的な変化について、本研究のような理論的フレームワークに沿った系統的な研究はこれまでに例がない。内部状態変数として導入されたウエットネスは本研究によって初めて導入されたものである。平行して行なう実験的研究において実際にウエットネス(とその時間発展)を観測・測定する手法が確立さており、実験の結果を用いて理論を修正・発展することが可能である。開発した変形実験装置も従来にない極めてユニークなものであり、探索・確保されたアナログ試料と合わせて、部分溶融物質のマクロな強度の間欠性・不安定性を実験的に調べるための具体的な手法が本研究によって確立できたといえる。

 さらに本研究の発展的延長として、シングルフォース型の人工震源の波の放出効率に関する研究を行い、地球内部の構造と状態を精密に観測・モニターする新しい手段とし極めて強力と考えられる精密制御常時震源装置(ACROSS)の開発も行っている。ACROSSネットワークの開発は、本研究で得られる地震発生領域の描像を実際の地球について観測データに基づいて検証する最も直接的で有力な手法を提供するものである。

 したがって、本論文は、博士(理学)の学位を受けるにふさわしいものであると判断した。

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