学位論文要旨



No 110992
著者(漢字) 井口,眞
著者(英字)
著者(カナ) イノクチ,マコト
標題(和) 導電性有機結晶の高圧、磁場下の電気物性の研究
標題(洋) Studies on Electronic Properties of Organic Conductors under Pressure and Magnetic Field
報告番号 110992
報告番号 甲10992
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2905号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 教授 木下,實
 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 近藤,保
 東京大学 助教授 古川,行夫
内容要旨

 (序)導電性をもった有機結晶の発見以来、興味ある構造、物性をもつ新しい有機導体、有機超伝導体の開発、合成が精力的に進められている。一方、それらの電子構造を解明するための物性研究も不可欠である。本研究では、温度-圧力-磁場の3要素を組み合わせた条件で様々な物性測定を行い、導電性有機結晶の電気物性を明らかにすることを目的とした。そのために、新たに装置を製作し、相転移に注目しながら、極低温、高圧、高磁場下での電気抵抗の測定を行った。そして、その結果を低温での反射スペクトルの結果と合わせて相転移の考察、相図の作成を行い、相転移に伴う電子構造の変化と異方性の検討を行った。

I)極低温、高圧、磁場下の電気抵抗測定装置の開発

 磁気抵抗や超伝導の研究には極低温が必要となるが、液体4Heによる冷却では1.3K程度が限界である。より低い温度を得るために、3He用クライオスタットと3Heガスを完全に回収するためのガス導入系と排気系を一体にした閉鎖システムを設計製作し、超伝導磁石に組み込んだ。このシステムは、試料インサート部外側の減圧した液体4Heの低温(1.3K)により内壁で3Heガス(沸点3.19K)を液化させ、さらに溜まった液体3Heを減圧して冷却するもので、0.5Kに約2時間保つことができた。

 このクライオスタットに、圧力下で微小な有機結晶の電気伝導度を測定するために作製した高圧セルを組み込むと14Kbarまでの高圧下の電気抵抗、磁気抵抗を極低温まで測定できる。また、ステッピングモーターを用いた2軸回転試料台を組み込むと、磁場に対する結晶の向きを精密に合わせて極低温で磁気抵抗を測定することができる。

II)-(BETS)2I3-(BEDT-STF)2I3の物性

 BETS(=BEDT-TSF)およびBEDT-STFは、導電性電荷移動錯体の代表的なドナー分子:BEDT-TTFの内側のS原子を原子半径の大きいSe原子に置き換えた分子で、これら塩は、Se…Se及びSe…Sを通したBEDT-TTF塩よりも強い横方向の相互作用を持つことが期待される。-BETS2I3-(BEDT-STF)2I3-(BEDT-TTF)2I3と同型構造をもち、いずれも低温での金属-絶縁体転移(M-I転移)を起こすが、その機構は明らかになっていない。そこで、-BETS2I3及び-(BEDT-STF)2I3の偏光反射スペクトルと電気抵抗の高圧、磁気下での測定を行い、相転移と電子構造について考察した。

 

1)常圧での電気抵抗と偏光反射スペクトル

 電気抵抗の測定によると、M-I転移温度と活性化エネルギーが、-BETS2I3(50K,0.019eV)<-(BEDT-STF)2I3(80K,0.029eV)<-(BEDT-TTF)2I3(135K,0.14eV)の順序であり、-BETS2I3-(BEDT-STF)2I3の転移の挙動は、-(BEDT-TTF)2I3の圧力を加えたときに似ていることがわかった。これらのことは、-BETS2I3-(BEDT-STF)2I3が、-(BEDT-TTF)2I3より強い伝導面内の相互作用を持つことを示唆している。

 -BETS2I3-(BEDT-STF)2I3の赤外から可視領域の反射スペクトルの温度依存性を(001)結晶面の//b,⊥bの2偏光方向について測定した。室温での-BETS2I3の結果を図1に示す。金属的な分散が両偏光方向に現れており、電子構造が2次元的であることを示している。また、低温での測定では、転移温度以下でも金属的な分散が観測され、転移温度前後でのスペクトルの変化がほとんどみられない。これらのスペクトルの特徴は-(BEDT-STF)2I3と共通していた。これに対して、-(BEDT-TTF)2I3では、転移温度以下で絶縁体相に対応した低波数領域の反射率が減少するなどのスペクトル変化が報告されている。これは、-(BEDT-TTF)2I3の活性化エネルギーが-BETS2I3-(BEDT-STF)2I3よりかなり大きいことに起因していると考えられる。さらに、反射スペクトルの解析からトランスファー積分を見積ると、横方向の値が、-(BEDT-TTF)2I3<-(BEDT-STF)2I3<-BETS2I3であることが明らかとなった。これらの結果は、S原子のSe原子への置換、即ち、-(BEDT-TTF)2I3-(BEDT-STF)2I3-BETS2I3となるにしたがって横方向の相互作用が強くなることに対応している。

図1 -BETS2I3の反射スペクトル
2)高圧並びに磁場下の電気抵抗

 -BETS2I3-(BEDT-STF)2I3の高圧下の電気抵抗の温度依存性を測定した。いずれの塩でも、圧力を加えることでM-I転移に伴う抵抗の増加は抑えられ、転移温度は低下していく。-BETS2I3は、9kbarまで加圧すると、4K以下で抵抗がやや増加するが、室温から低温まで金属的な状態が得られる。これに対して、-(BEDT-STF)2I3は、9kbarでもM-I転移を完全には抑えられず、低温で抵抗が大きく増加する。

 -BETS2I3の電子構造をさらに調べるために、9kbarの金属的状態での磁気抵抗の測定を行った。その結果、低温域で、大きな正の磁気抵抗が観測され、8Tの磁場の効果は、80Kでさえ認められた。(40K、8Tの磁気抵抗R/R=0.2)この挙動は、圧力によって抑えられたM-I転移が、磁場により再び励起しているようにみえ,ローレンツ力以外の何らかの機構による新奇な現象であり、このことが常圧での相転移に関係している可能性がある。

III)超伝導体-(EDT-TTF)[Ni(dmit)2]の物性

 -(EDT-TTF)[Ni(dmit)2]は、b軸方向にスタックしたNi(dmit)2とa+b軸方向にスタックしたEDT-TTFそれぞれが形成する2種類の一次元の伝導面が交互に積み重なる特徴的な構造をしている。電気抵抗の温度依存性を測定すると、室温から金属的に減少し、14K付近に特徴的な抵抗極大が現れ、さらに1.3Kから抵抗が落ちはじめ超伝導状態になることを発見した。M(dmit)2(M=Ni,Pd)系では、これまでに6種類の超伝導体が高圧下で知られているが、常圧超伝導体は初めてである。そこで、超伝導転移と抵抗極大について調べるために、高圧下での電気抵抗の測定と超伝導の第二臨界磁場の測定を行った。

 

1)圧力効果と相図

 図2に電気抵抗の温度依存性を高圧下で測定した結果を示す。これによると、圧力を加えるにしたがって、常圧で1.3Kの超伝導転移温度は低下していき、7.7kbar付近で観測されなくなる。これに対して、14Kの抵抗極大は圧力で抑えられていくが、13.7kbarでも存在している。また、圧力を減ずると、抵抗極大は再び大きくなり、超伝導が観測されることを確認した。

 図3にこの結果をまとめた温度-圧力相図を示す。これまでの弱磁場磁気抵抗の角度依存性の結果によると、抵抗極大ではEDT-TTF伝導面に一次元物質に特徴的なCDW(または、SDW)転移が発生し、この温度以下では、Ni(dmit)2伝導面が電気伝導を主として担っていると考えられ、相図のCDW(or SDW)はその状態を表している。超伝導には、抵抗極大での電子構造の変化が関係していると考えれるが、相図からは、競合関係のような直接的な関連は見られない。

図表図2 高圧下の電気抵抗の温度依存性 / 図3 温度-圧力相図
2)第二臨界磁場(Hc2)の異方性

 常伝導状態の電気伝導が主としてNi(dmit)2に担われいるので、超伝導も同様であるすると、EDT-TTF鎖のCDWまたはSDW転移とNi(dmit)2鎖の超伝導は共存した状態にあると考えられる。このことを確かめるために2軸回転試料台を用いて1Kでab面内のHc2の測定を行ったが、いずれの方向でもHc2は約1.5Tであり、明確なab面内の異方性は観測されなかった。

 磁場をab面内および垂直方向に合わせて印加した状態で電気抵抗の温度依存性を測定した。その結果から面内と面に垂直ではHc2に大きな異方性があることがわかった。Tcの磁場の強さ対する傾きから、ab面内に異方性がないと仮定してGinzburg-Landauのコヒーレンス長を求めると⊥=13Å,//=340Åとなり、面内に比べて面に垂直方向が短く、ab面内に2次元に広がった超伝導であることがわかった。

IV)-Et2Me2N[Ni(dmit)2]2の強磁場下の磁気抵抗と圧力効果

 -Et2Me2N[Ni(dmit)2]2は、Ni(dmit)2分子が"spanning overlap"と呼ばれる特徴的な重なり方で伝導面を形成しているため、bc面内に2次元的な相互作用をもっている。電気抵抗は、245KにEt2Me2N+の秩序-無秩序相転移による抵抗のとびがあるが、それ以下では極低温まで金属的挙動を示す。この物質の磁気抵抗を、東北大金属材料研の23T超伝導磁石を用いて0.5,1.3Kでa*軸方向に磁場をかけて測定し、Shubnikov-de Haas(SdH)振動を観測した。その結果、これまでに知られていた(振動数10.6T)、(216.5T)のほかに(4021T)、(520T)の2種類の閉じた軌道がa*軸に垂直なフェルミ面に存在していることを新たに確認した。軌道は、Magnetic Breakdownを考えることで、11Kの結晶構造から計算されたフェルミ面と対応することがわかった。

 また、電気抵抗の圧力依存性を測定すると、245Kの秩序-無秩序相転移は圧力によりその転移温度は上昇し、1.8kbarでは室温で起こることが明らかとなった。

審査要旨

 本論文は5章から成る。第1章は序論、第2章では実験装置、第3章では-(BETS)2I3-(BEDT-STF)2I3の電気物性と光学的物性、第4章では超伝導体-(EDT-TTF)[Ni(dmit)2]の物性、そして、第5章では-Et2Me2N[Ni(dmit)2]2の強磁場下の磁気抵抗と圧力効果について述べられている。

 第1章では、導電性有機物の開発、研究のこれまでの概略が、1970年代からの電荷移動錯体TTF-TCNQ、TMTSF塩、BEDT-TTF塩を中心に述べられ、本論文で取り上げているBETS及びBEDT-STF塩、M(dmit)2塩についても触れられている。

 第2章では、本研究のために開発された極低温、高圧、磁場下の電気抵抗測定装置とその温度制御方法について述べられている。8T超伝導磁石に組み込む3He用クライオスタットと3Heガスの導入・排気系を設計、製作した。これは試料を0.5Kに約2時間保つことを可能にしている。このクライオスタットに、微小な有機結晶用に製作した高圧セルを組み込むことで、0.5K<T<300K,1bar<P<l4kbar,0T<B<8Tの範囲で電気抵抗、磁気抵抗を測定できるシステムの構築に成功している。また、2軸回転試料台を組み込むことで、磁場に対する結晶の向きを精密に合わせて極低温で磁気抵抗を測定することも可能にしている。

 第3章は-(BETS)2I3-(BEDT-STF)2I3の物性(相転移や伝導面内の相互作用)について述べられている。これらの塩はいずれも-(BEDT-TTF)2I3と同型構造をもち、低温で金属-絶縁体転移(M-I転移)を起こすことから、-(BEDT-TTF)2I3と比較しながら考察を行っている。本章は2つのPartより構成されている。Part Iでは、常圧での電気抵抗の温度依存性と偏光反射スペクトルの結果が述べられている。-BETS2I3-(BEDT-STF)2I3の(001)結晶面の低温での偏光反射スペクトルでは、-(BEDT-TTF)2I3で観測された転移温度前後でのスペクトル変化が見られなかった。これは、電気抵抗の温度依存性から求めた活性化エネルギーが-(BEDT-TTF)2I3と比較して著しく小さいことに起因していることを明らかにした。さらに、反射スペクトルの解析から移動積分を見積ると、横方向の値が、-(BEDT-TTF)2I3<-(BEDT-STF)2I3<-BETS2I3であることが分かった。この結果は、S原子をSe原子へ置換するにしたがって横方向の相互作用が強くなることを示唆しており、S原子からSe原子への置換の効果を、移動積分を用いて扱うことに成功している。Part IIでは、-BETS2I3-(BEDT-STF)2I3の高圧下の電気抵抗の温度依存性の結果から、相転移に対する圧力効果を考察し、相図を作成している。さらに、-BETS2I3ついては、9kbarで得られる室温から低温まで金属的な状態で、低温域で、非常に大きな正の磁気抵抗を観測している。

 第4章では、超伝導体-(EDT-TTF)[Ni(dmit)2]の物性について述べられている。この塩は、2種類の伝導面をもつ導電性結晶であり、14K付近にEDT-TTF伝導面にCDW(または、SDW)転移が発生することに関連した抵抗極大が現れる。本章では、はじめに、常圧での極低温までの測定の結果から、-EDT-TTF)[Ni(dmit)2]がM(dmit)2(M=Ni,Pd)系では初めて常圧超伝導体(転移温度1.3K)であることを発見、確認している。次に、この超伝導体の高圧下での電気抵抗の温度依存性とこれによる相図が示され、超伝導転移と抵抗極大に対する圧力効果が詳しく考察されている。さらに、超伝導状態の第二臨界磁場(Hc2)の異方性の精密な測定について述べられている。その結果、伝導面(ab面)に平行と垂直ではHc2に大きな異方性が見いだされたが、1Kでのab面内のHc2には、明確な異方性は観測されなかった。1.3Kまで常伝導状態でのab面内の明確な異方性が、超伝導状態では見られないことが明らかとなり、これに基づき超伝導状態とCDWまたはSDW転移の関係について考察している。

 第5章では、-Et2Me2N[Ni(dmit)2]2の強磁場下の磁気抵抗と圧力効果について2つのPartで述べられている。Part Iでは、東北大金属材料研の23T超伝導磁石を用いたShubnikov de Haas(SdH)振動の結果を述べている。すでに知られていた(振動数10.6T)、(216.5T)の他に(4021T)と(520T)の2種類の閉じた軌道の振動が観測され、11Kのフェルミ面に、に対応する軌道が存在し、Magnetic Breakdownを起こしていることを明らかにしている。Part IIでは、高圧下の電気抵抗、磁気抵抗について述べられている。これによると、245KのEt2Me2N+秩序-無秩序相転移は圧力によりその転移温度は上昇し、1.8kbarでは室温で起こることが明らかとされている。また、高圧下の磁気抵抗は小さく、SdH振動は観測されない。このことは、Et2Me2N+の無秩序状態が低温まで残っていることに関連していると考察している。

 以上を要約すると、本論文の提出者 井口眞は、極低温、高圧、磁場下の電気抵抗の測定システムを完成させ、これを用いて代表的な有機導体である-(BETS)2I3-(BEDT-STF)2I3-(EDT-TTF)[Ni(dmit)2]、及び、-Et2Me2N[Ni(dmit)2]2の測定を行い、偏光反射スペクトル測定結果を併せて考察を行い、電気物性、特に相転移と異方性について多くの注目すべき成果を得ている。この研究成果は導電性有機結晶の研究の今後の発展に寄与するところ大である。よって、井口眞は博士(理学)の学位を授与される資格を有するものと認める。

 なお、本論文に述べられている研究成果は、共著報文の形で公表ずみ、ないしは、公表予定であるが、共著者は研究の指導者ないしは試料の提供者であり、論文提出者の寄与が最も大きいと判断される。また、共著論文の内容を学位論文にすることについては、全ての共著者の承諾を得ている。

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