【序】 結晶相でのダイナミックな挙動を明らかにすることは、新しい物性の開拓にとって重要な研究課題である。私はその研究対象として、包接体結晶に注目し、一連の新しいホスト化合物を合成した。また、大きさ・形ともにほぼ同じでともに構造造異性体の間係にあるチエノアセン誘導体ホスト1、2を合成し、これらをホストとする包接体結晶におけるゲスト脱離、ゲスト交換、ホストーゲスト間反応などの動的挙動を明らかにした。構造類似の1と2は、結晶構造を支配する因子にも知見を期待して分子設計した。 【包接挙動】 1と2は異なったホストーゲスト比の包措体結晶を与え(表1)、結晶構造は互いに異なっていた。これらの包接体結晶は側鎖のヒドロキシル基と中心部の硫黄原子が重なり型に近い配座をとる傾向が観測された。DMSOをゲストとした場合だけは、同型の結晶構造であった。これは、強い水素結合の存在が上記の静電的相互作用による優位配座の効果を上回ったためと推定した。DSCの測定により、同型結晶にもかかわらずゲストの脱離温度に20度程度の差があることを認めた。これは、一方の結晶に見いだされた構造的乱れのためと考えた。また、ベンゼン包接体はどちらも、結晶構造がパッキング力により支配される、いわゆる"true clathrate"であることがわかった。(1)3(Benzene)4では常温でゲストが徐々に脱離したのに対し、(2)(Benzene)では128℃まで保持されたのは、ゲスト分子が水素結合により2量化したホスト分子によってより堅固に囲まれているためと考えられる(図1)。 図表Table 1 Host-Guest Ratios of Inclusion Clathrates. / Figure 1 Crystal Structure of(2)(Benzene). 【結晶変換反応】 ホスト1がゲストとしてエタノールを取り込んだ包接体結晶(1)(EtOH)2をプロパノール蒸気中にさらすと完全にゲストが交換され、1:PrOH=1:2の結晶へと変換された。交換の時間変化を追跡したところ、ゲスト交換は常に結晶表面で進行することが示唆された。粉末X線回折の結果、交換後の試料はプロパノールからの再結晶により得られた包接体結晶(1)(PrOH)2と同じであった。また、X線結晶構造解析により(1)(EtOH)2には、チャンネル型の包接空間が存在することがわかった(図2)。変換後の(1)(ProH)2にもチャンネル型の包接空間があり、固相一気相反応によるチャンネル型からチャンネル型への珍しい変換例であることが明らかになった(図2)。一方、この逆変換は完全には進行しなかった。(1)(PrOH)2をエタノール蒸気にさらしたところ、ゲストのプロパノールが40%程度エタノール置換された結晶が得られた。この粉末X線回折バターンが原料のものとほぼ一致したことから、この変換ではホスト分子の作る包接空間はほとんど変化せず、ゲストがほぼ半分置きかわっているだけであることがわかった(式1)。 図表Scheme 1 / Figure 2 Channel structures of clathrate crystals of(1)(EtOH)2(left)and (1)(PrOH)2)(right). 他方、包接体結晶(2)2(EtOH)では溶媒蒸気によるゲストの交換・脱離はおこらなかった。こちらには、チャンネル型の包接空間は存在しなかったため、チャンネル型包接空間の存在が、ゲスト交換に効いていることが示唆された。また、どちらの包接体結晶もメタノール蒸気中にさらすとゲスト分子の脱離が起こり、1のみの結晶へと変換された。これらの挙動の違いは、チャンネル空間の大きさと蒸気分子の大きさが関係した現象と解釈した。 【包接体結晶の光ソルボリシス反応】 エタノールをゲストとする包接体結晶(1)(EtOH)2、(2)2(EtOH)を結晶のまま数時間光照射すると、側鎖のヒドロキシル基が1つあるいは2つエトキシル基に置換された化合物が高收率で得られた(式2)。この反応は、他のアルコールをゲストとした包接体結晶でも同様に進行した。 Scheme 2 X線結晶構造解析の結果、(2)2(EtOH)の結晶内でジエーテルが生成するためには、5.06Å離れた炭素-酸素原子間で結合ができる必要があることがわかった。この距離は結晶内でトポケミカル支配で反応がおこる距離としてはやや大きすぎる値である(図3)。さらに、光反応には誘導期が見いだされたことから(図4)、反応は格子欠陥から拡散的に進行するものと推定した。砕いた試料では反応速度が著しく加速されることも、これを支持する。 図表Figure 3 C・・O(Et)distance in (2)2(EtOH). / Figure 4 Time dependence of photosolvolysis of(1)(EtOH)2. 包接体結晶(1)(EtOH)2の光照射後の赤外、固体13C NMR(CP-MAS)スペクトル、および粉末X線回折パターンは、原料とほとんど変化しなかった。また、光照射後の試料をメタノール蒸気中にさらしたりところ、エトキシ体は全く得られずに、メトキシ体のみが得られた。これらの実験結果から、C-O(Et)結合は光照射後の結晶内では生成しておらず、溶解あるいは加熱により生成するものと考えた。光照射後の試料にESRシグナルが観測されたことと、光照射後の試料をスピントラップブ剤と混合したところ、エトキシ体の収率は大きく減少したことから、光照射後の結晶にはラジカルカが安定に存在していて、溶媒との接触により電子移動などを経て置換体が生成するものと考えた。 |