学位論文要旨



No 111000
著者(漢字) 松本,剛
著者(英字)
著者(カナ) マツモト,ツヨシ
標題(和) 安定なゲルマニウム-カルコゲン二重結合化学種の合成、構造、および反応
標題(洋) Syntheses,Structures and Reactions of Stable Germanium-Chalcogen Double Bond Species
報告番号 111000
報告番号 甲11000
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2913号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡崎,廉治
 東京大学 教授 奈良坂,紘一
 東京大学 教授 橘,和夫
 東京大学 教授 竹内,敬人
 東京大学 助教授 小川,桂一郎
内容要旨

 有機ゲルマニウム化合物の化学は、有機ケイ素化合物の化学の発展に伴い急速に進展しつつある研究分野である。特に有機化学で中心的役割を果たすケトンの類縁体であるゲルマニウム-カルコゲン二重結合化合物の化学は、その構造や反応性の興味から注目を集めているトピックスのひとつである。これらは高反応性の不安定化合物であることが知られており、中間体としての報告例は数多くあるもののその構造、性質についてはほとんど知られていない。そこで本研究では、嵩高い立体保護基を用いることにより初めてゲルマニウム-硫黄二重結合化学種すなわちゲルマンチオンをはじめとする一連のゲルマニウム-カルコゲン二重結合種の合成、単離およびその構造、性質の解明を目的とし、検討を行った。

1.ゲルマンチオンの合成と反応

 新規な環状ポリスルフイド1をゲルマニウム-硫黄二重結金種(ゲルマンチオン)の前駆体に用い、単離を目的としてヘキサン中3当量のトリフェニルホスフィンを加えて加熱した後アルゴン下で処理し、ゲルマンチオン2を橙黄色の結晶として単離することに成功した。またそのX線結晶構造解析を行い、ゲルマンチオンが単量体として存在していること、ゲルマニウム-硫黄間の距離は2.049(3)Åで一般的な単結合長より10%程度短くなっていること、そしてゲルマニウム原子周りの角度の和は、359.4゜であり、このゲルマンチオンがケトンと同様の二重結合としての構造的特徴を有していることがわかった。

 

 ゲルマンテオン2の付加環化反応について検討したところ、ジメチルブタジエン、メシトニトリルオキシド、フェニルイソチオシアナートとの反応においてそれぞれ期待される[4+2]、[3+2]、[2+2]付加環化生成物が高収率で得られ、2が二重結合化合物としての反応性を有していることが明らかとなった。

 

 [4+2]反応についてはいくつかの非対称なジエン類を用いて詳細に検討したところ、反応は配向選択的に進行し、例えばイソプレンとの反応では2つの異性体が9:1の比で生成した。またジエン付加体をさらに加熱すると逆[4+2]反応が進行し、2を再生することも見い出した。

 

2.ゲルマンセロンの合成

 ゲルマンセロンの前駆体としては、1のセレン類縁体である環状ポリセレニドが有用と考えられゐ。合成について種々検討したところ、ジブロモゲルマンにリチウムナフタレニドを作用させることによって発生させることのできるゲルマニウム2価化学種(ゲルミレン)に単体セレンを作用させることで、セレン4原子を含むテトラセレナゲルモラン3が良好な収率で得られた。そこで3の脱セレン反応を硫黄の場合と同様に検討したところ、ゲルマンセロン4を赤色の結晶として定量的に単離することに成功した。4はゲルマンセロンの初めての単離例である。また、そのX線構造解析により2と類似の構造的特徴をもつことを明らかにした。

 

 ゲルマンセロン4はゲルマンチオン2と同様の反応性を示したが、ジメチルブタジエンとの[4+2]付加環化反応は2と比べて容易に進行した。また、付加体を50℃に加熱したところ反応溶液は赤色を呈し、捕捉実験によって逆[4+2]反応が進行していることが判った。

 

3.ゲルマンテロンの合成

 次にさらに高周期16族元素であるテルルとの二重結合化学種(ゲルマンテロン)の合成を行う目的でゲルミレンに過剰量の単体テルルを作用させたが、目的の環状ポリテルリド化合物は得られなかった。そこで、より有用な前駆体を検討したところ、ゲルミレンとジフェニルアセチレンの反応によって得られる3員環化合物5を加熱するとゲルミレンが再生することを見い出した。そこで重ベンゼン封管中、5に1当量の単体テルルを共存させて加熱したところ約9日で反応は完結し、ゲルマンテロン6を緑色の結晶として定量的に単離できた。また、そのX線構造解析にも成功した。

 

4.グルマノンの合成の検討

 最後に、第2周期の16族元素である酸素との二重結合種、すなわちゲルマノンの合成について検討を行った。ゲルミレンに、酸素源としてメシトニトリルオキシドを作用させたところ、予想に反し、[3+1]付加体7が得られた。この化合物7のの炭素類縁体は、容易にケトンとニトリルに分解することが知られている。そこで7の熱分解反応を検討したところ、93%の収率でメシトニトリルが得られるのに伴って、ゲルマノン8のエン反応生成物9が得られ、また環化生成物10、11、12が下式に示すような収率で得られた。この結果より、ゲルマノン8は加熱条件下では容易に分子内環化反応をおこすことが判った。

 

 そこで、より穏やかな条件で反応を行う目的で、トリベンジルアミンオキシドをゲルミレンに室温で作用させ、次いで捕捉剤としてメシトニトリルオキシドを作用させたところ、化合物13が得られた。化合物13はゲルマノン8の[3+2]付加体であり、室温で初めて安定なゲルマノンの発生に成功した。しかし捕捉剤を加えずに処理すると、やはりこの場合にもTbt基の側鎖のトリメチルシリル基が酸素上に転位した化合物10、11が得られた。この転位反応は、非常に高い極性を有するGe=O結合の性質に由来すると考えられる。

 

5.脂肪族置換基を有するゲルマニウム-カルコゲン二重結合化合物の合成

 置換基の違いによる安定性やスペクトル的挙動の変化を研究する目的で、嵩高い脂肪族置換基であるDis基(Dis=CH(SiMe3)2)を有するゲルマニウム-カルコゲン二重結合化合物Tbt(Dis)Ge=X(X=S,Se,Te)を同様の手法で合成した。これらはいずれも対応するTbt(Tip)Ge=Xとほぼ同じ安定性を有していた。またTbt(Tip)Ge=Xとのスペクトル的比較を行ったところ、可視吸収スペクトルのn-*遷移に基づく吸収(表1参照)は短波長シフトし、また、77Se、125Te-NMRはいずれも高磁場側にシグナルを与えた。これは主にアリール置換基との共鳴の影響を反映した結果と考えられるが、差はあまり大きくなく、その寄与は小さいと考えられる。

表1.Tbt(R)Ge=Xの分光学的比較
審査要旨

 本論文は,7章からなっている。第1章は序論であり,第2〜7章において,ゲルマニウムと16族元素間の二重結合化合物の合成,構造,反応性について述べている。

 第1章では,低配位有機ゲルマニウム化合物とくに,ゲルマニウム-16族元素二重結合化合物(ゲルマノン,ゲルマンチオン,ゲルマンセロン,ゲルマンテロン)の化学に関する研究を総括し,本研究の位置づけを適切に行っている。また,本研究で活用された速度論的安定化の手法についてもその位置づけがなされている。

 第2章では,ゲルマンチオンの合成,構造,反応性について述べている。環状ポリスルフィド1とトリフェニルホスフィンとの反応により,ゲルマンチオン2を橙黄色の結晶として単離することに成功した。またそのX線結晶構造解析を行い,ゲルマニウム-硫黄間の距離は,2.049(3)Åで一般的な単結合長より10%程度短くなっていること,そしてゲルマニウム原子周りの角度の和は359.4°であり,このゲルマンチオンがケトンと同様の二重結合としての構造的特徴を有していることを明らかにした。

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 ゲルマンチオン2の付加環化反応について検討し,ジメチルブタジエン,メシトニトリルオキシド,フェニルイソチオシアナートとの反応においてそれぞれ[4+2],[3+2],[2+2]付加環化生成物を高収率で得た。

 第3章ではゲルマンセロンの合成,構造,反応性について述べている。テトラセレナゲルモラン3の脱セレン反応を硫黄の場合と同様に検討し,ゲルマンセロン4を赤色の結晶として定量的に単離することに成功した。4はゲルマンセロンの初めての単離例である。また,そのX線構造解析により4が2と類似の構造的特徴をもつことが明らかにされた。

 ゲルマンセロン4はゲルマンチオン2と同様の反応性を示したが,ジメチルブタジエンとの[4+2]付加環化反応は2と比べて容易に進行し,可逆反応であることが明らかとなった。

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 第4章ではゲルマンテロンの合成,構造,反応性について述べている。ゲルミレンに過剰量の単体テルルを作用させたが,ゲルマンテロン合成の原料となる環状ポリテルリド化合物は得られなかった。しかし,ゲルミレンとジフェニルアセチレンの反応によって得られる3員環化化合物5を加熱するとゲルミレンが再生することが見い出されたので,5に1当量の単体テルルを共存させて加熱させることにより,ゲルマンテロン6が緑色の結晶として定量的に単離され,そのX線構造解析が行われた。

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 第5章では,ゲルマノンの合成について検討した結果が述べられている。ゲルミレンに,酸素源としてメシトニトリルオキシドを作用させたが,目的としたゲルマノン8ではなく,[3+1]付加体7が得られた。7の熱分解反応による8の合成について検討したが,メシトニトリル,ゲルマノン8のエン反応生成物9と環化生成物10が得られた。この結果より,ゲルマノン8は加熱条件下では容易に分子内環化反応をおこすことが明らかにされた。

 ゲルミレンのトリベンジルアミンオキシドによる酸化反応で8を得ることも試みられた。捕捉剤としてメシトニトリルオキシドを作用させたところ,化合物12が得られた。化合物12はゲルマノン8の[3+2]付加体であり,室温で初めて安定なゲルマノンの発生に成功した。しかし捕捉剤を加えずに処理すると,やはりこの場合にも10が得られた。この転位反応は,非常に高い極性を有するGe=O結合の性質に由来すると考えられる。

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 第6章では,脂肪族置換基を有するゲルマニウム-カルコゲン二重結合化合物の合成,構造,反応性について述べられている。置換基の違いによる安定性やスペクトル的挙動の変化を研究する目的で,かさ高い脂肪族置換基であるDis基(Dis=CH(SiMe3)2を有するゲルマニウム-カルコゲン二重結合化合物Tbt(Dis)Ge=X(X=S,Se,Te)が同様の手法で合成された。これらはいずれも対応するTbt(Tip)Ge=Xとほぼ同じ安定性を有していることが明らかにされた。

 第7章では,第2〜5章で合成されたジアリール置換体と第6章で合成されたアルキルアリール置換体の構造的およびスペクトル的特徴が比較検討された。その結果,アルキルアリール体では可視吸収スペクトルのn-*遷移に基づく吸収は短波長シフトし,また,77Se,125Te-NMRはいずれも高磁場側にシグナルを与えることが示された。

 なお,本論文第2章は岡崎廉治氏,時任宣博氏,万丸恭子氏,後藤みどり氏,第3〜7章は岡崎廉治氏,時任宣博氏との共同研究であるが,論文提出者が主体となって合成,構造解析,反応性の検討を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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