本研究は、非常に高い励起状態(振動・回転・電子励起状態)にあるクラスターおよび分子の化学反応過程(電子移動過程、解離過程、イオン化過程、振動緩和過程、エネルギー移動・散逸過程など)を解明することを目的として、準安定励起原子衝突法、光吸収法、固体表面衝突法などを用いることにより、これら反応過程を動力学的観点に基づいて解明した。 本論文は8章からなり、第1章は本学位論文の序論、第2章から第5章はシアン化アルカリ分子(MCN)の電子励起状態における解離過程、第6章はクラスター負イオン、(CO2)n、と固体表面との衝突過程、第7章はC60分子の光吸収・光イオン化・振動緩和過程、第8章は結論および将来展望について述べている。 特に、第2章では、アルゴン準安定励起原子、Ar(3P2,0)、との衝突によるNaCN、KCNの解離励起反応について述べている。生成したCN(B2+)の振動分布は、2つの振動領域(v’=0-3および11-19)に分れていることを発見した。CN(B2+,v’=0-3)は、M(2S)+CN(B2+)に相関する反発状態上での直接解離により、また、CN(B2+,v’=11-19)は、著しくCN核間距離の長い励起イオン対状態、M+・(CN-)*、を経由する前期解離により生成すると結論した。 第3章では、Ar(3P2,0)とRbCNとの衝突により生成したCN(B2+)の振動分布と第2章の結果とを比較することにより、アルカリ金属に対する直接解離および前期解離過程の依存性を議論した。直接解離過程に対しては分子動力学計算を、また、前期解離過程に対しては状態交差モデルを用いて、アルカリ金属の役割を定量的に考察した。アルカリ金属のイオン化エネルギーは(CN-)*のポテンシャルエネルギーおよびM+・(CN-)*の励起エネルギーに対して大きな寄与を及ぼすことから、アルカリ金属のイオン化エネルギーにより、CN(B2+)生成物の振動分布を制御できることを明らかにした。 第4章では、Kr(3P2,0)とMCN(M=Na,K,Rb)との衝突によるCN(B2+)生成過程について述べている。励起エネルギーを変えることにより、MCNの解離励起反応は著しく変化し、CN(B2+)生成物は、v’=1に極大を持つ逆転振動分布を示した。状態交差モデルを用いて、実験結果を定量的に考察した。 第5章では、4.1-11.4eVの領域におけるMCN(M=Na,K,Rb)の吸収スペクトルについて述べている。M*+CN*に相関する反発状態、および励起イオン対状態、M+・(CN-)*、に対応する吸収ピークを発見し、これら励起状態が直接解離や前期解離に寄与していることを示した。 第6章では、(CO2)nとSi表面との衝突過程について述べている。(CO2)nの表面衝突により誘起されるとCO2とのクラスター内衝突により、の解離が促進(CO2分子のくさび効果)もしくは抑制(CO2分子のかご効果)されることを発見した。これらCO2分子の動的溶媒効果の大きさは、クラスターイオン中のに対するCO2の位置に大きく依存することから、クラスターの幾何構造により解離過程を制御できることを示唆した。分子動力学計算を行ない、CO2分子のくさび効果を理論的に検証した。一方、(CO2)nの解離に伴うI-(CO2)の生成に着目し、固体表面との衝突過程を議論した。衝突に際して、(CO2)nが準平衡になっていると考えることにより結果を解釈した。固体表面上にクラスターが拡散する領域は、クラスターサイズによらず、衝突エネルギーのみに依存することを示唆した。 第7章では、C60分子の吸収スペクトルについて述べている。光吸収絶対断面積を3.5-11.4eVの領域で測定し、超励起Rydberg状態に対応する吸収ピークを発見した。超励起Rydberg状態に励起した場合にはC60のイオン化効率が大きいのに対し、連続状態ではイオン化効率が小さく、振動緩和の速度が大きいことを発見した。 なお、本論文第2章は近藤保、鈴木薫、第3章および第4章は近藤保、第5章は近藤保、鈴木薫、正畠宏祐、田林清彦、第6章は近藤保、永田敬、寺嵜亨、佃達哉、菅井俊樹、第7章は近藤保、正畠宏祐、田林清彦、北川宏諸氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究したものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 以上より、本論文の提出者である安松久登は、東京大学博士(理学)の学位を受けるに十分な資格を持つものと認める。 |