学位論文要旨



No 111004
著者(漢字) 山本,秀樹
著者(英字)
著者(カナ) ヤマモト,ヒデキ
標題(和) 格子不整合系におけるエピタキシャル成長の研究
標題(洋)
報告番号 111004
報告番号 甲11004
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2917号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 小間,篤
 東京大学 教授 富永,健
 東京大学 教授 岩澤,康裕
 東京大学 教授 太田,俊明
 東京大学 助教授 小林,昭子
内容要旨

 単結晶基板上にその結晶軸と一定の関係を持って結晶が配向するエピタキシー現象は、アルカリハライドなどの系で古くから知られており、真空技術、電子線回折技術の進歩とあいまって、主に基礎科学の立場から活発に研究されてきた。一方、比較的最近になって、これを薄膜作製に積極的に活用する立場から分子線エピタキシー法(MBE法)が考案され、電子デバイスの開発や新物質創製に利用されている。

 MBE法を用いて薄膜を作製する意義の一つに、原子レベルでのヘテロ接合や超格子を作製できることがあるが、一般には、格子整合性がネックとなり、構成物質の格子定数が極めて近い場合にしか結晶性の優れたヘテロ接合は作製できない。これに対し、界面にダングリングボンドを持たない層状物質同士では、格子定数が大きく異なる場合でもヘテロエピタキシャル成長が可能であることが見い出され(van der Waals Epitaxy、(図1))、ヘテロ接合を形成できる組み合わせが増しつつある。

図1 van der Waals Epitaxyの概念図。(a)と異なり、(b)では格子定数の差が大きい物質間でもヘテロエピタキシャル成長が可能。

 このような背景をふまえ、本研究では、すでに成長可能な物質の結晶性の向上や成長可能な物質系の拡張など、薄膜作製技術上の寄与とともに、そのためにも不可欠な、格子不整合系におけるエピタキシャル成長自体に関する知見、とりわけエピタキシャル方位の決定要因についての知見を得ることを目指した。その方位を決定する要因の候補として、本研究では、成長薄膜と基板との格子定数の違いに特に着目し、基板および成長薄膜の格子定数を系統的に変化させてヘテロ成長を行うことにした。そのため、層状物質の中から、単一元素よりなるもの(グラファイト)、遷移金属ダイカルコゲナイド(NbSe2等)、III-VI族半導体(GaSe等)、重金属ハライド(PbI2等)を選び、分子である金属フタロシアニン(VOPc,AlPcCl;Pc=フタロシアニン)と併せて、格子定数の異なる様々な基板上で、それぞれの物質のヘテロエピタキシャル成長に取り組んだ。このうち、MBE的手法ではエピタキシャル成長できなかったグラファイトを除く結果について説明する。

 基板としては、従来から用いられてきた層状物質のバルクの劈開面に加え、表面のダングリングボンドをSe終端して疑似van der Waals表面化したGaAs(111)B面が使用可能であることを実証し、従来用いられてきた層状物質基板がもつマクロな領域でのうねりという問題を解決した。さらに、透明なAl2O3基板上への層状物質の成長にも取り組んだ。Al2O3は、イオン結晶であるが、その(0001)面は比較的不活性である。尚、成長した層状物質および基板はいずれも表面が6回対称であり、この面の格子定数を図2に示す。

図2 本研究で成長した層状物質および基板の格子定数。

 作製した薄膜は、種々の表面分析手法を用いて評価した。なかでも、基板表面および成長薄膜の結晶性・平坦性、並びに基板と薄膜との方位関係は、反射高速電子回折(RHEED)を用いて調べた。

【層状物質のヘテロエピタキシャル成長】(1)層状物質基板およびSe-GaAs(111)B基板上での成長遷移金属ダイカルコゲナイド

 遷移金属ダイカルコゲナイド(TX2)と呼ばれる物質群は、半導体、金属、超伝導体を含む多彩な層状物質からなり、ヘテロ接合の作製に興味が持たれる。本研究では、遷移金属の供給速度を極力抑えカルコゲンを活性化して供給する等の工夫を凝らすことにより、膜厚の増加による結晶性の劣化という難点を克服し、TX2中で最高の超伝導転移温度を持つNbSe2をはじめとするTX2薄膜を1000Åの厚さまで成長することを可能にした。また、RHEEDによるリアルタイム観測の結果、TX2薄膜が、第一層目から自身のバルクの格子定数を持つこと、図3に示されるように基板と主軸を揃えて成長することの2点がわかった。後者から、エピタキシャル方位の決定に基板表面のステップの関与が示唆されるが、ミクロな領域ではステップが存在しない天然鉱物のMoS2が基板の場合にも同様であることから、主軸が揃うのは薄膜が最も格子整合性の良い軸を揃えて成長するためと解釈される。

図3遷移金属ダイカルコゲナイド薄膜と基板との結晶軸の方位関係。黒丸の格子は基板と薄膜のうち格子定数の小さい方の、白丸の格子は大きい方の格子を、それぞれ表す。
GaSe(III-VI族半導体)

 GaSeは、層状物質やSe-GaAs基板上にTX2よりも低い基板温度(350-400℃)で、成長可能であった。また、格子定数や基板との方位関係に関する特徴は、上記のTX2の場合と同じであった。

PbI2(重金属ハライド)

 PbI2の場合には、図4に示すように基板の格子定数によって並び方に大きな差が生じた。これは、格子定数の差が大きいことにより主軸以外に格子整合性の良い軸が存在し、この軸に揃って成長するためであると考えられる。尚、この結果は、基板温度150℃の時に得られたもので、80℃、40℃と低い基板温度で成長を行った場合には、図4に示される以外のドメインも混在する。従って、PbI2薄膜は、活性化エネルギーを基板から得ることにより、最も安定な配置に落ち着くのだと考えられる。

図4 種々の基板上でのPbI2の配列白丸は基板表面の原子を、黒丸はPbI2のヨウ素原子を表す。NbSe2上では別の配例もわずかに混在する。
(2)Al2O3(0001)基板上での成長

 本研究では、また、Al2O3(0001)面上に層状物質をエピタキシャル成長できることを見い出した。GaSeは、Al2O3と主軸を揃えたドメインとそれと30°回転したドメインの2つからなり、PbI2はAl2O3と主軸を揃えてシングルドメイン成長する。TX2は、Al2O3上に直接成長するとc軸のみが揃い面内では任意の方向をもつドメインの集まりとなるが、TX2/GaSe/Al2O3という構造を作製することで、ドメインを2種に減らすことができる。このように透明な基板上への層状物質の成長が可能となったことで、有機分子/GaSe/Al2O3、CdI2/PbI2/Al2O3といったヘテロ構造を作製し光物性を探索する道が拓かれた。

【種々の層状物質上での金属フタロシアニンのエピタキシャル成長】

 有機分子である金属フタロシアニン(MPc,M=VO,AlCl等)の場合には、基板との相互作用のみならず隣接する分子同士の相互作用もvan der Waals的である点が層状物質とは異なる。このような場合に、格子定数の違いが膜の構造に与える影響を系統的に調べるため、様々な層状物質を基板としてMPcの成長を行った。RHEEDによる構造決定を容易にするため、基板には、広範囲で平坦なSe-GaAs上に層状物質をMBE成長したものを用いた(天然鉱物のMoS2を除く)。アルカリハライド基板を用いての研究の結果などから、VOPcの場合には、一辺約13.7の正方格子を組むのが安定な並び方であると考えられるが、ほぼこの格子を組んでcommensurateに並ぶことができるGaSe(格子定数3.76)上では、既知のH-Si(3.84)上と同様に、図5(a)の様なcommensurateな並び方を、その他(MoS2,MoSe2,NbSe2,Se-GaAs)の場合には、図5(b)の様な一辺を主軸にあわせた並び方をすることがわかった。RHEED像はcommensurateな並び方をしているときのほうがシャープである。また、AlPcClの場合、VOPcよりも大きな格子を組むため、Se-GaAs(4.00)上で図5(a)のような並び方をすることもわかった。これらのことから、エピタキシャル方位の決定にcommensurabilityが重要な役割を果たしていることが判明した。

図5 層状物質上でフタロシアニンが組む格子。対称性から、(a),(b)それぞれに、図中に示されないさらに2つのドメインが存在する。
【結論】

 本研究では、van der Waals界面を持つ多様な物質のヘテロエピタキシャル成長に取り組み、成長の最適条件を決定した。また、成長の特徴として以下の様な知見を得た。層状物質の成長では、基板と格子定数が大きく異なる場合にも、薄膜は成膜一層目から自身の格子定数を持つ。一方、エピタキシャル方位の決定には格子定数の違いが重要な役割を果たし、薄膜は格子整合性の最も良い軸を揃えてエピタキシャル成長する傾向がある。但し、基板表面にステップ等が高密度に存在する場合にはこれが成長方位に影響する。有機分子のMPcでは、commensurabilityが方位決定の第一要因であると考えられる。これらの知見は、単に現在成長可能な薄膜の結晶性の向上法を考える上だけではなく、今後、格子不整合系において新たなヘテロ構造を設計する際に、構成物質の組み合わせを選択する指針を与えるものと期待される。

 尚、本研究で用いた物質の特徴および得られたエピタキシャル成長に関する知見を定性的にまとめ表1に示す。

表1 本研究で行った層状物質および分子のエピタキシャル成長のまとめ
審査要旨

 本論文は6章からなり、第1章では本研究の背景と意義について、第2章では本研究に関連する基礎的事項について、第3章では実験装置並びに成長・評価手法について、第4章では層状物質のヘテロエピタキシャル成長について、第5章では層状物質基板上への有機分子性結晶のエピタキシャル膜成長について、第6章では本研究のまとめと今後の展望について述べられている。

 第4章では,本論文の主題の1つである層状物質系のヘテロエピタキシャル成長について詳しく述べている。本研究の大きな特徴は、対象とする層状物質の種類を広げ、層状物質のヘテロ成長の統一的解明を図った点で、絶縁体から超伝導金属に及ぶ種々の遷移金属ダイカルコゲナイド(TX2)、III-VI族半導体GaSe、さらには重金属ハライドであるPbI2を対象とし、基板物質にも各種遷移金属ダイカルコゲナイドに加え、表面のダングリングボンドをSe終端して疑似ファンデルワールス表面化したGaAs(111)B面が用いられている。またSe終端したGaAs基板の使用は,従来用いられてきた層状物質基板が持つマクロな領域でのうねりという問題も解決した。層状物質の表面にはダングリングボンドなどの活性なボンドがないために、ファンデルワールス力のみを介してヘテロ成長が進む(ファンデルワールス・エピタキシー)。このため、従来のように格子整合条件を満たさなくても良好なヘテロ成長が可能であり、上述のような多様な物質の間で良好なヘテロエピタキシャル成長が本研究で実証された。従来ファンデルワールス・エピタキシーでは、成長膜の主軸の方向は、基板結晶のそれに揃うことが報告されてきたが、格子定数が大きく異なる層状物質の組み合わせについても調べられた結果、主軸の向きが回転する例が初めて見出された。これらを総合的に検討した結果、ファンデルワールス・エピタキシーでは、基板と格子定数が大きく異なる場合にも、成長膜は1層目から自分自身の格子定数を持つ一方、エピタキシャル方位の決定には格子定数の違いが重要な役割を果たし、成長膜の主軸は基板と格子整合性が最も良くなる方向に並んでエピタキシャル成長する事実が明らかにされた。また基板表面にステップ等が高密度に存在する場合には、これが成長方位を決定する事実も明らかにされた。これらの知見は、ファンデルワールス・エピタキシーをより一般化する上で、大きな寄与をした。

 第5章では、層状物質基板上への有機分子結晶薄膜のエピタキシャル成長について述べられている。有機分子である金属フタロシアニン(MPc,M=VO,AlCl等)の場合には、基板との相互作用のみならず隣接する分子同士の相互作用もファンデルワールス的である点が層状物質とは異なる。このような場合に、格子定数の違いが膜の構造に与える影響を系統的に調べるため、様々な層状物質を基板としてMPcの成長を行った。反射高速電子線回折による構造決定を容易にするため、基板には、広範囲で平坦なSe-GaAs上に層状物質を分子線エピタキシャル成長したものが用いられた。アルカリハライド基板を用いての研究の結果などから、VOPcの場合には、一辺約13.Åの正方格子を組むのが安定な並び方であると考えられるが、ほぼこの格子を組んでcommensurateに並ぶことができるGaSe基板上では、既知のH-Si基板上と場合と同様に、commensurateな並び方を、MoS2,MoSe2,NbSe2,Se-GaAsの場合には、一辺を基板の主軸に合わせた並び方をすることがわかった。RHEED像はcommensurateな並び方をしているときのほうがシャープである。また、AlPcClの場合、VOPcよりも大きな格子を組むため、Se-GaAs上で回転することによりcommensurateな並び方をすることもわかった。これらのことから、有機分子結晶の場合にもcommensurabilityがエピタキシャル方位の決定に重要な役割を果たしていることが判明した。

 以上述べたように,本研究によって,無機層状物質から有機分子性結晶に及ぶ広範な物質について、ファンデルワールスエピタキシャル成長が可能であることが実証され、さらに結晶軸方位決定の要因が解明された。したがって,本論文の提出者である山本秀樹は東京大学博士(理学)の学位を受けるのに十分な資格を有すると認める。

 なお、本論文の第4章は、小間篤氏、斉木幸一朗氏、吉井賢資氏との共同研究であり、また第5章は、小間篤氏、多田博一氏、川口隆文氏との共同研究であるが、論文提出者が中心になって、装置の作製、エピタキシャル膜の成長、成長膜の評価並びに解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

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