No | 111005 | |
著者(漢字) | 吉田,弘幸 | |
著者(英字) | Yoshida,Hiroyuki | |
著者(カナ) | ヨシダ,ヒロユキ | |
標題(和) | 光電子分光法によるクラスター負イオンの電子状態の研究 | |
標題(洋) | Electronic Structures of Cluster Anions Studied by Photoelectron Spectroscopy | |
報告番号 | 111005 | |
報告番号 | 甲11005 | |
学位授与日 | 1995.03.29 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(理学) | |
学位記番号 | 博理第2918号 | |
研究科 | 理学系研究科 | |
専攻 | 化学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 原子・分子が数個から数百個会合したクラスターは、孤立原子・分子や凝集相では見られない特異的な性質を持ち、その性質は、クラスターの会合数(クラスターサイズ)によって顕著に変化する。特に、その電子状態の変化を調べることは、クラスターの物理的・化学的性質と関連して重要な課題である。このようなクラスターの電子状態を実験的に調べるもっとも高感度な研究手段は、光電子分光法である。サイズ選別した負イオンクラスターに対して光電子分光法を適用すれば、サイズによる電子状態の変化を定量的にとらえることができる。これらの結果と理論計算の結果を比較することにより電子状態を同定し、その特性を解明することができる。 本研究では、電子が特定の構成分子に局在している(コアイオン)例として、水分子を含む二酸化炭素クラスター負イオンを詳しく調べた。この場合、溶媒分子とコアイオンとの電荷一双極子、誘起双極子相互作用がコアイオンの電子状態にあたえる影響に着目した。また、電子相関が中心的な役割をすると考えられ、反応性の観点からも興味のある遷移金属クラスターに注目し、その典型的な例としてコバルトおよびバナジウムクラスター負イオンを取り上げその電子状態、および反応性を調べた。 本研究では、実験に必要なクラスター負イオン源、光電子分光装置、電気回路を設計・制作した。これらについて詳述する。 微量のH2Oを含むCO2をパルスノズルから真空中に噴出し、膨張領域で電子付着することにより、目的とするクラスター負イオンを生成した。こうして生成したクラスター負イオンを、リフレクトロン飛行時間型質量分析装置によりサイズ選別した。これを飛行時間型光電子分光装置に導入し、355nmレーザー光により光電子スペクトルを測定した。この飛行時間型光電子分光装置は今回新たに設計・製作した。 まず、金属クラスター源、および光電子分光装置を新たに設計・製作した。金属クラスター源としては、蒸気圧の高い遷移金属のクラスター生成に適することから、レーザー蒸発法を採用した。一方、光電子分光装置としては、高捕集効率・高分解能であることから、磁気ボトル型を採用した。この装置のエネルギー分解能は、E/E<0.1であった。 実験装置全体の概略を図1に示す。金属クラスター源より生成したクラスター負イオンは、飛行時間型質量分析装置を用いてサイズ選別した。これを光電子分光装置に導入し、パルスレーザー光(532nm,355nm,308nm)を用いて光電子スペクトルを測定した。 一方、金属クラスターの反応性の実験では、金属クラスター負イオンにO2またはCO気体を交差させ反応させた。反応生成物は、リフレクトロン飛行時間型質量分析装置により分析した。 二酸化炭素クラスター負イオンn-では、余剰電子が1量体に局在化する1量体コアイオン状態と、2量体に局在化する2量体コアイオン状態が存在し、この二つの状態がエネルギー的に近い。このような負イオンに、電荷との相互作用の非常に大きな水分子を導入し、コアイオンの電子状態がどのように変化するかを解明することを試みた。そのため、二酸化炭素・水混合クラスター負イオン(CO2)nH2O-(2n8)について、その光電子スペクトルを測定した。 得られたスペクトルから、(CO2)nH2O-の垂直電子脱離エネルギー(VDE)を求めた。これを、(CO2)n-のVDEとともに図2に示す。この結果は、二酸化炭素クラスター(CO2)n-の場合とは異なり、(CO2)nH2O-では、n=2〜4で、1量体コアイオンと2量体コアイオンを持つ二つの異性体が安定に共存することを示している。これは、水分子がコアイオンと強く相互作用しており、クラスター負イオンに水分子を導入することによって2種類の異性体間の異性化の障壁が高くなるためと解釈できる。この原因としては、コアイオンと水分子との幾何構造が大きく関係しているものと予想される。 遷移金属は、磁性や反応性などに特徴的な性質を持っている。これらの性質には、d電子が重要な役割を果たしていると考えられている。なかでも、金属コバルトは、3d電子の交換相互作用や電子相関が大きいことが知られている。したがって、クラスターにおいても、大きな交換相互作用のためスピン状態により3d電子のエネルギー順位が分裂し、結果として大きなスピンモーメントを持つことが予想される。また、電子相関が大きいため電子が局在化しやすく、サイズが小さいクラスターでは金属的な自由電子を持たない可能性がある。このようなコバルトクラスターの電子状態を調べるため、コバルトクラスター負イオンn-の光電子スペクトルを、クラスターサイズn=3〜70の範囲で測定した。 測定した光電子スペクトルを解釈するため、Co3n-、Co34-について、その電子状態をスピン分極DV-X法により計算した。まず、コバルトクラスター負イオンの幾何構造をいくつか仮定し、これらの構造について電子状態の計算を行なった。この結果を実験結果と比較した(図3)。その結果、3d電子のエネルギー順位が上向きスピンと下向きスピンで1.0〜2.8eV分裂していること、コバルト1原子あたり1.5〜2.3個の不対電子を持っていることがわかった。このことは、Co33-、Co34-で約2Bの大きな磁気モーメントをもつことを示している。 光電子スペクトルの形状は、クラスター内電子の状態密度を反映する。また、光電子スペクトルの立ち上がりのエネルギーは、クラスターの電子親和力EAに対応すると考えられる。これらに注目し、クラスターサイズnの変化にともなうクラスターの電子構造の変化を調べた。まず、n6では、光電子スペクトルにいくつかの構造があらわれ、クラスターサイズとともにスペクトルの様子が大きく変化する。一方、n7では、スペクトルの様子があまり変化せず、また測定したエネルギー範囲で見る限り、はっきりとした構造はあらわれない。次に電子親和力EAとクラスターサイズnの関係を図4にで示す。nが大きくなると、電子親和力EAはコバルトの仕事関数W=5.0eVに近づく。この関係を、クラスターを古典的導体球と考えたときの理論値、
と比較した。クラスター半径Rは、固体中の金属結合半径1.25Åを用いてR=1.25n1/3(Å)の関係により求めた。この結果、測定したEAは、n7では(1)式で=5/8としたときの値(図4点線)と一致するのに対し、n6ではこの関係から外れることがわかった。 以上の結果は、n〜7を境として、クラスター負イオンの電子構造が大きく変化することを示している。また、実験結果が(1)式であらわされることから、n7では、クラスター内の電子が自由電子的になると推定される。 遷移金属は、触媒に用いられるようにその反応性が注目される。一方、反応性と電子状態には大きな相関がある。このことから、コバルトクラスター負イオンでは、クラスターサイズn〜7にみられる電子状態の変化に対応して、反応性にも大きな変化が起こることが予想される。そこでコバルトクラスター負イオンの反応性を調べた。 結果は、反応が
により起こるものと仮定し、反応生成物ConX-と反応物Co3n-の比をクラスターサイズに対して示した(図5)。この結果、n7では、O2とCOとでサイズ分布に大きな違いがみられないのに対し、n6では、O2とCOで反応性に大きな違いがみられることがわかった。このことは、電子状態の変化に対応して、反応性についてもクラスターサイズn〜7において、大きな変化が生じることを示している。 遷移金属クラスターの電子状態をさらに詳しく調べるため、バナジウムクラスター負イオンV3n-の光電子スペクトルを、クラスターサイズ(3n100)の範囲で測定した。バナジウムは、コバルトと同じ第一周期遷移金属で、価電子数がコバルトよりも少ない。また、コバルトと異なり固体では強磁性を示さない。このようなバナジウムクラスターにおいて、第4章で示したようなコバルトクラスターと同様の、クラスターサイズによる電子状態の変化があらわれるかという点が特に注目される。 まず、測定した光電子スペクトルの立ち上がりのエネルギーから電子親和力EAを求め、クラスターサイズのnとの関係を調べた。これを図4に○で示す。この結果、バナジウムクラスターのEAは、コバルトクラスターのEAとよく似たサイズ依存性をしめし、クラスターサイズnが大きくなると、電子親和力EAはバナジウムの仕事関数W=4.3eVに近づくことがわかった。そこで、測定した電子親和力EAを式(1)から予想される値と比較した。クラスター半径Rは、固体中の金属結合半径1.31Åを用いてR=1.31n1/3+0.1(Å)の関係から求め、この結果、n9では=5/8としたときの値(図4実線)と一致するのに対し、n8ではこの関係からはずれることがわかった。このことは、バナジウムクラスターにおいても、コバルトクラスターと同様にクラスターサイズによる電子状態の変化がおこることを示している。 一方、スペクトルの形状に注目すると、クラスターサイズn=17を境として大きな変化がおこることがわかった。n16では、光電子スペクトルにいくつかの構造があらわれ、クラスターサイズとともにスペクトルの様子が大きく変化する。これに対して、n17では、クラスターサイズによってスペクトルの様子があまり変化せず、また測定したエネルギー範囲で見る限り、はっきりとした構造はあらわれない。このような、n16にみられるスペクトルの形状には、バナジウムの4s、4p電子が関係していると考えられる。 | |
審査要旨 | 本研究では、光電子分光法を用いて、クラスター負イオンの電子構造を調べ、その構造がクラスター負イオンを構成する原子・分子数によってどのように変化するかを解明している。本論文は、7章からなり、第1章は本学位論文の序論、第2章は、本研究で設計・制作したクラスター負イオン源、光電子分光装置、電気回路を中心に実験装置について詳述されている。第3章では、電子が特定の構成分子に局在している例として、水分子を含む二酸化炭素クラスター負イオン(CO2)nH2O-の電子状態について述べている。まず、(CO2)nH2O-の光電子スペクトルを測定し、n=2〜4で、余剰電子がCO2-に局在化する1量体コアイオンと、C2O4-に局在化する2量体コアイオンを持つ二つの異性体が安定に共存することを明らかにしている。これら異性体間の異性化は、水分子の存在によって顕著に変化することが示された。これは、水分子がコアイオンと強く相互作用しており、クラスター負イオンに水分子を導入することによって2種類の異性体間の異性化の障壁が高くなるためと解釈される。 第4章以降では、主として遷移金属クラスター負イオンについて述べられている。まず、第4章でコバルトクラスター負イオンCon-の電子構造について述べられている。金属コバルトは強磁性をもつことから、クラスター負イオン中でのスピン状態およびクラスターサイズによる変化が注目される。ここでは、Con-の光電子スペクトルを、クラスターサイズn=3〜70の範囲で測定した。さらに、測定した光電子スペクトルを解釈するため、Co3-、Co4-、Co6-について、その電子構造をスピン分極DV-X法により計算し、この結果を実験結果と比較した。その結果、3d電子のエネルギー順位が上向きスピンと下向きスピンで1.0〜2.8eV分裂していること、Co原子あたり1.5〜2.3個の不対電子を持っていることが示された。このことは、Co3-、Co4-、Co6-、では、Co原子当たり約2Bの大きな磁気モーメントをもつことを示している。一方、光電子スペクトルの形状が、クラスター内電子の状態密度を反映し、また、光電子スペクトルの立ち上がりのエネルギーが、クラスターの電子親和力に対応することに注目し、クラスターサイズnの変化にともなうクラスターの電子構造の変化を調べた。この結果、n〜7を境として、クラスター負イオンの電子構造が大きく変化することが明らかとなった。さらに電子親和力とクラスターサイズnの関係を導体球モデルと比較した。これにより、n6ではクラスター内の電子が自由電子的な性質を持たないのに対し、n7では、自由電子的になることが示唆される結果を得た。 第5章では、コバルトクラスター負イオンとO2及びCOとの反応性について述べている。n7では、O2とCOとでCon-との反応性に大きな違いがみられないのに対し、n6では、O2とCOで反応性に大きな違いがみられることがわかった。このことは、電子構造の変化に対応して、その反応性に大きな変化が生じることを示している。 第6章では、バナジウムクラスター負イオンVn-の光電子分光について述べている。金属コバルトと異なり金属バナジウムは常磁性体である。しかし、最近の理論計算により、クラスターでは強磁性的になる可能性のあることが指摘されている。また、Vn-ではCon-と同様のクラスターサイズによる電子構造の変化があらわれるかどうかも注目される。ここでは、Vn-についてクラスターサイズn=3〜100の囲で光電子スペクトルを測定し、その電子親和力を求めた。この結果、Vnの電子親和力は、Conの電子親和力とよく似たサイズ依存性を示すことがわかった。すなわち、Vn-においても、n〜9付近で電子構造の変化がおこることが示された。これら全体の結論が第7章で述べられている。 なお、本論文の第3章は、近藤保、永田敬と、また第4章は、近藤保、寺嵜亨、塚田捷、小林功桂とまた第5章は、近藤保、寺嵜亨との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究したものであり、論文提出者の寄与が十分であると判断する。従って、本論文提出者である吉田弘幸は、東京大学博士(理学)の学位を受ける十分な資格を持つものと認める。 | |
UTokyo Repositoryリンク | http://hdl.handle.net/2261/54442 |