学位論文要旨



No 111006
著者(漢字) 徐,勝
著者(英字)
著者(カナ) ジョ,ショウ
標題(和) 中国の天然ガスの希ガス同位体組成の研究
標題(洋) Studies on noble gas isotopic compositions of natural gas in China
報告番号 111006
報告番号 甲11006
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2919号
研究科 理学系研究科
専攻 化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 脇田,宏
 東京大学 教授 富永,健
 東京大学 教授 梅澤,喜夫
 東京大学 教授 野崎,義行
 東京大学 助教授 高野,穆一郎
内容要旨 [序論]

 天然ガスは地球内部から大気圏へ放出されていく揮発性成分であり、その化学組成や同位体組成から地球内部の構造や組成、内部で生じているプロセスを知ることができる。特に、希ガス元素は化学的に不活性な気体であるため化学的なプロセスによる組成変化を考慮する必要がない。そのため,希ガスの存在度,同位体組成は混合,分配,核反応などの物理的なプロセスをそのまま反映していると考えることがてきる。さらに,各希ガス元素には安定同位体が複数存在するので,様々な同位体組成を組み合わせた考察が可能である。したがって,希ガス同位体組成は揮発性成分の起源を推定するのに有効である。希ガス同位体組成の中で,3He/4He、20Ne/22Neおよび129Xe/130Xe比の異常(大気と比較して過剰)はマントル物質[例えば、中央海嶺玄武岩(MORB)や海洋島玄武岩(OIB)]に特徴的なものである。3Heの過剰は大陸の試料にも検出されるが、アメリカ合衆国ニューメキシコ州のHarding Countyの炭酸ガス井などの例を除き,ヘリウム以外の同位体比異常はほとんど報告されていない。このため,大陸下のマントルの希ガスの存在状態はほとんど解明されていない。

 中国大陸には多くの天然ガス田と地熱地帯が分布している。本研究の第一の目的は、中国大陸に産出する天然ガスのヘリウムの同位体組成を測定し,同位体比の分布と地質構造との関係を調べることである。中国東部には、Tancheng-Lujiang大断裂帯に沿って中生代-新生代の堆積盆地に天然ガス田が分布しており、そのうちいくつかの試料はマントル起源の希ガスを含むことがヘリウム同位体比の測定結果から明らかになった。これらの試料の全希ガスの同位体測定により大陸下のマントルの化学的性質を考察することを第二の目的とした。本研究の第三の目的は炭素同位体組成により天然ガス主成分として二酸化炭素,炭化水素の起源を考察することである。

[分析試料および実験]

 本研究で分析を行った油田ガスと温泉ガス試料173個の採取地点の分布を図1に示す。採取した試料は金属製あるいは鉛ガラス製の容器に保存した。

Fig.1 Distribution of sampling sites of natural gases and 3He/4 He ratios in China.

 希ガス同位体組成の測定のため,約0.5〜2ccSTPの採取試料を金属製の精製ラインに導入した。Ti-Zrゲッターにより希ガス成分を精製したのち、各希ガス成分をライン内のリザーバおよび冷却温度の異なる吸着トラップなどで精製し、それぞれ高精度磁場型質量分析計を用いて,希ガス同位体比とアルゴン,クリプトンおよびキセノンの存在度を測定した。ヘリウムとネオン存在度の測定は精製ライン中に設置された四重極質量分析計によって行なった。試料の希ガスの存在度と同位体比は大気の値を基準として決定された。

 炭素同位体組成は水素炎イオン化検出器付のガスクロマトグラフと燃焼炉および安定同位体比用質量分析計から構成される測定装置を用いて測定された。ガスクロマトグラフ部でキャピラリーカラムによって,分離された炭化水素は燃焼炉に導入され,酸化銅によって燃焼される。燃焼により生じた二酸化炭素は水蒸気から分離されて,質量分析計に導入される。試料の炭素同位体比は標準二酸化炭素の同位体比と比較して求めた。

[結果と考察]1.ヘリウム同位体組成

 中国の天然ガスのヘリウム同位体比(3He/4He)は、大気(1.4×10-6)の0.004倍から5.2倍の値である。ヘリウムの起源はマントル,地殻および大気起源ヘリウムの三つ成分の混合で説明できると考えられる。図1にヘリウム同位体比の地域分布を示す。マントル起源のヘリウムを示唆する高い3He/4He比(大気の0.1倍より高い)は東部と南西部の新生代火山活動地域さらに東部地域の伸張作用で形成された盆地に分布している。それに対して3He/4Heの低い比は中央部と北西部の安定地域に分布し、これは地殻内部のウランやトリウムなどの放射壊変による4Heの付加の結果と考えられる。

2.大陸下のマントルの希ガス同位体組成

 中国東部地域の天然ガスの3He/44He比は大気の0.7倍から5倍の値であり、その最高値はMORB(大気の8倍程度)の値より低いことが分かった。この原因として地殻中の放射壊変起源の4Heの付加も考えられるが、大陸下のマントルに固有の値である可能性が考えられる。また,大陸下のマントルのHe/U比はMORB源のマントルより低いことが示唆される。

 ネオン同位体比の測定結果は,いくつかの試料の20Ne/22Neと21Ne/22Ne比が大気の値(9.8と0.0290)より高い値を示した。図2に東部の断裂地帯の試料のネオン同位体比の分布を示す。本研究で分析した試料の20Ne/22Neと21Ne/22Ne比は大気の値を通る直線上に分布しており、二つの端成分(大気とマントル成分)の混合である可能性を示している。また,アメリカ合衆国ニューメキシコ州Harding Countyおよび他の大陸地域の天然ガスの報告値もこの直線上に分布する。20Neは地球上の核反応では生成しないため、大気より高い20Ne/22Ne比は地球形成時に取り込まれたSolarネオンの存在を示唆する。21Ne/22Ne比の異常は18O(,n)21Ne反応による21Neの付加が原因であり,ウラン、トリウム濃度に依存する。マントルのネオン同位体比がSolarネオンの存在と核反応起源21Neの付加により大気の値と異ることは,MORBやOIBの結果など海洋下のマントルに関してのみ報告されている。本研究から21Ne/22Ne比についてはMORB源のマントルより,大陸下のマントルのが高いことが明らかにされた。また,図2の天然ガスの直線の傾きがL-K線とMORB線の傾きより小さいことから、大陸下のマントルのNe/U比はMORB源のマントルより低いことが示唆される。

 大部分の天然ガス試料の38Ar/36Ar比は大気の値(0.1880)と等しいが,東北部の松遼(Songliao)盆地の試料に38Arの過剰が見られた。38Ar過剰(5%)は地殼中の35Cl(,p)38Ar反応による38Arの付加を受けた結果と考えられる。測定した試料の40Ar/36Ar比はすべて大気の値(295.5)より高く,7700に達した。40Kの放射壊変による40Arの付加により,マントルも地殼物質も高い40Ar/36Ar比をもつが、東部の天然ガス試料の40Ar/36Arと3He/4He比(図3)および20Ne/22Ne比の間の正の相関から、マントル起源の40Arが含まれていることが考えられる。

図表Fig.2 Three-isotope plots for neon of natural gases in China.Previous data are also plotted for comparison. / Fig.3 Relation between 3He/4He and 40Ar/36Ar ratios of natural gases in China.

 クリプトンの各同位体比は、すべての試料について測定誤差範囲内で大気の値と有意な差は見られなかった。このことは今回測定した試料が大きな質量分別効果を受けていないことを示唆している。

 キセノンの各同位体比のうち、124-128Xe/130Xeの同位体比はすべての試料が誤差範囲内で大気の値と等しいのに対し、東北部松遼、東南部三水(Sanshui)および蘇北(Subei)盆地の試料の129Xe/130Xe、132-136Xe/130Xe比は大気の値より有意に高いことが分かった。天然ガス試料の129Xeの過剰(3%)は,原始太陽系において生成され,その後消滅した129Iの壊変(半減期1.7×107年)によって生じたものと考えるとができる。132-136Xeの過剰の原因については238Uの自発核分裂(半減期4.5×109年)によるのか,消滅核種244Pu(半減期8.2×107年)によるかについては同位体比異常が小さいため,判断することは困難である。129Xe/130Xeと136Xe/130Xe比の関係(図4)は大気の値を通る直線上に分布しており、二つの端成分(大気とマントル成分)の混合の可能性を示している。ネオンに見られる相関と同様、天然ガスのキセノン直線の傾きがMORB線の傾きより小さいことから、大陸地殼下のマントルのI/U比はMORB源のマントルより低いことを示唆している。

Fig.4 Relation between 129Xe/130Xe and 136Xe/130Xe of natural gases in China.Previous data are also plotted for comparison.

 これまで報告されている中国東部地方の火山岩と捕獲岩の深度,希土類元素組成およびSr,Nd,Pb同位体比の研究から、中国大陸東部のマントルは層構造をなしていると考えられている。すなわち,岩石圏のマントルには希土類元素などイオン半径の大きな元素が濃集し,その下の岩流圏のマントルはMORB源のマントルに似た組成が考えられている。本研究で分析された天然ガスの希ガスの源物質(大陸下のマントル)は,MORB源のマントルと比べて3He/4He比が低く,高21Ne/22Ne比,低He/U,Ne/UおよびI/U比をもつことは,岩石圏のマントルの影響を受けた結果と解釈することができる。

3.炭化水素と二酸化炭素の炭素同位体組成

 大部分の天然ガス試料のメタン,エタン,プロパン,n-ブタン,n-ペンタンの炭素同位体比の間には,13C1<13C2<13C3<13C4<13C5という関係が成立する(図5)。このことは,ケロゲンや石油のような高分子炭化水素の熱分解反応によってこれらの分子が生成する場合に予想される同位体分別効果を反映しており,炭化水素が熱分解起源であることを支持している。一部の試料に見られるメタン,エタン,プロパン,n-ブタン,n-ペンタンの間の炭素同位体比の逆転は炭化水素の混合(微生物起源のメタンと熱分解起源のメタン,および熟成度違う熱分解起源の炭化水素の間の混合),選択酸化,移動などで説明される。

Fig.5 Distribution patterns of typical 13C values of hydrocarbons in China.

 二酸化炭素の炭素同位体比は大きく変動しているが,二酸化炭素の濃度が20%以上の試料のの13Cは-2--8‰であり,マントル起源の二酸化炭素の値と一致する。また,これらの試料の3He/4He比はすべて高く,マントル起源ヘリウムが含まれている。こうしたマントル起源の二酸化炭素は東部と南西部盆地に存在する。

審査要旨

 本論文は中国大陸に産出する天然ガス中の希ガス,二酸化炭素と炭化水素の地球化学的研究である。全体は2章からなり,第1章は希ガスの存在度と同位体組成,第2章は二酸化炭素と炭化水素の炭素同位体組成の研究,となっている。

 第1章の冒頭で希ガス同位体地球化学について慨説を行なっている。近年の世界中の天然ガス中の希ガスの研究についてまとめ,本研究の目的・意義について述べている。その後,天然ガス試料の採集方法及び希ガス同位体組成の測定方法について述べている。実験結果が続き、中国大陸に産出する天然ガス中のヘリウムの起源及び地質・構造との関係が議論され,代表的な試料の全希ガスの存在度と同位体組成に基づいて中国東部大陸下のマントルの化学的性質を検討する本研究の主要部分が続く。

 中国大陸産の天然ガスのヘリウム同位体比の分布に関しては以下のような知見が得られた。3He/4He比の低いガスは中央部と北西部の新生代火山活動が存在しない地質・構造の安定地域に分布し,これは地殻内部のウランやトリウムなどの放射壊変による4Heの付加の結果と考えられる。それに対して,マントル起源のヘリウムの存在を示唆する高い3He/4He比(大気の0.1倍より高い)は東部と南西部の新生代火山活動地域さらに東部地域の伸張作用で形成された盆地に分布している。また,東部地域の3He/4Heの最高値は中央海嶺玄武岩(MORB)の値より低いことから,大陸下のマントルのHe/U比はMORB源のマントルより低いことが示唆される。

 天然ガス試料のネオン同位体組成(20Ne/22Ne-21Ne/22Ne)間の直線的な相関は大気と大陸下のマントルの二つの端成分の混合を示している。しかし,本研究からMORB源のマントルと比べて,大陸下のマントルの21Ne/22Ne比は高く,マントルのNe/U比が低いことが明らかにされた。

 アルゴンについては,40Ar/36Arと3He/4He比及び20Ne/22Ne比の間の正の相関が観察された。マントル起源の40Arが天然ガス中に含まれていることが考えられる。

 キセノンのうち、天然ガス試料の132-136Xeの過剰は238Uの自発核分裂(半減期4.5×109年)によるのか,消滅核種244Pu(半減期8.2×107年)によるかについては同位体比異常が小さいため,判断することは困難である。129Xeの過剰は,原始太陽系において生成され,その後消滅した129I(半減期1.7×107年)の壊変によって生じたものと考えている。129Xe/130Xeと136Xe/130Xe比の関係は大気とマントルの二つの端成分の混合を示している。ただし,大陸下のマントルのI/U比はMORB源のマントルより低いことが示唆された。

 以上の分析結果から中国東部産の天然ガスの希ガスの源物質(大陸下のマントル)は,MORB源のマントルと比べて3He/4He比が低く,高い21Ne/22Ne比,低いHe/U,Ne/UおよびI/U比を持つことが明らかになった。火山岩と捕獲岩の元素と同位体組成の研究から、中国東部の大陸下マントルは層構造をなし,岩石圏のマントルには希土類元素などイオン半径の大きな元素が濃集し,その下の岩流圏のマントルはMORB源のマントルに似た組成を持つと考えられている。本研究で分析された天然ガスの希ガスの源物質(大陸下のマントル)は,MORB源のマントルと比べて3He/4He比が低く,高い21Ne/22Ne比,低いHe/U,Ne/UおよびI/U比をもつことは,岩石圏のマントルの影響を受けた結果と解釈することができる。

 第2章では炭素同位体地球化学について慨説を行ない,炭素同位体測定の実験方法を述べている。次いで,二酸化炭素と炭化水素の存在度と同位体組成に基づいて,天然ガスの起源を議論している。大部分の試料のメタン,エタン,プロパン, n-ブタン, n-ペンタンの13Cの間には,13C1<13C2<13C3<13C4<13C5という関係が成立する。このことは,ケロゲンや石油のような高分子炭化水素が熱分解と微生物分解起源であることを支持している。炭化水素の間の13Cの変化は炭化水素の混合,選択的酸化,移動などで説明される。

 天然ガスのうち二酸化炭素を主成分とする試料の二酸化炭素は、炭素同位体比測定の結果からマントル起源と考えられるが、ヘリウム同位体比の分布と同じように,これらの試料は東部盆地と南西部地域に存在し,新生代火山活動及び伸張作用などに一致していることがわかった。

 以上に述べたように、本研究によって中国大陸に産出する天然ガスの起源及び地球化学的な意義が解明された。本論文第1章は,共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析及び考察を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する。したがって,本論文の提出者である徐勝は、東京大学博士(理学)の学位を受けるのに十分な資格を有すると認める。

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