学位論文要旨



No 111013
著者(漢字) 黒森,崇
著者(英字)
著者(カナ) クロモリ,タカシ
標題(和) 分裂酵母有性生殖変異株を相補するシロイヌナズナの遺伝子の単離と解析
標題(洋)
報告番号 111013
報告番号 甲11013
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2926号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 教授 渡辺,昭
 東京大学 助教授 榎森,康文
 東京大学 講師 飯野,雄一
 東京大学 教授 内宮,博文
内容要旨

 酵母を宿主とした「異種間相補(transcomplementation)」を用いたスクリーニングは、高等生物の遺伝子をクローニングする一つの有効な方法である。本研究は、分裂酵母内で発現できる形の高等植物シロイヌナズナのcDNAライブラリーを作製し、接合、減数分裂、胞子形成などに欠陥のある分裂酵母の有生生殖不能変異株の表現型を機能的に相補できるシロイヌナズナの遺伝子を単離して解析を行ったものである。分裂酵母の減数分裂過程ならびにそこへ至る細胞内シグナル伝達系に関わる因子の、シロイヌナズナにおける機能的ホモログの検索と、分裂酵母を宿主とした異種間相補による、高等植物の遺伝子の単離の可能性の追究を目的に実験を試みた。

 分裂酵母は、遺伝学的研究に優れた単細胞真核生物であり、研究材料として広く使われている。分裂酵母において、減数分裂を制御する因子や減数分裂の開始を促す機構に関する知見が蓄積されてきた。一方、多細胞生物における減数分裂開始の制御機構は、生殖細胞の分化などとも関係した興味深い問題であるが、知見の乏しい分野である。植物においても例外ではない。

 本研究で用いたシロイヌナズナは、植物分子生物学のモデル生物として広まりつつある実験材料である。これまでのシロイヌナズナの遺伝子に関する報告は大きく二種類に分けられる。注目すべき表現型をもつ変異株から変異の源の遺伝子をクローニングしたとする報告と、哺乳類など動物細胞で既に知られている遺伝子について相同な遺伝子をクローニングし、その遺伝子の植物の中での機能を調べたとする報告である。本研究では、これらとは違った方法によりシロイヌナズナの遺伝子クローニングを試みた。すなわち、分裂酵母内で発現できる形のシロイヌナズナのcDNAラ異種間相補を用いたスクリーニングイブラリーを作製し、分裂酵母変異株に対する異種間相補能を用いて遺伝子を得る方法で、酵母内での機能発現クローニングと言える。酵母の変異株を相補する植物の遺伝子は、少なくともその酵母の欠陥を補い得る機能を持つ遺伝子であり、この方法は現在比較的機能解析が困難な高等植物の遺伝子に対する一つの有効なアプローチとなり得ると考えた。

図 分裂酵母有性生殖変異株に対する

 結果は、5つの章に分けて示した。第1章では、分裂酵母ras1欠損二倍体株の胞子形成能の低下を相補するシロイヌナズナの遺伝子について調べた。この中には、分裂酵母のmei2遺伝子に部分的に高い相同性を持つcDNAクローン(AME6)が含まれていた。mei2遺伝子は、分裂酵母における体細胞分裂から減数分裂への移行に必須であり、減数分裂期に発現するRNA産物(sme2遺伝子産物)と特異的に結合して働くRNA結合タンパク質をコードすることが分かっている。様々な分裂酵母変異株への導入実験の結果より、AME6遺伝子産物は、分裂酵母内でmei2遺伝子産物の一部の機能を相補しているためにras1欠損二倍体株の胞子形成能を上げていると考えられた。AME6遺伝子の植物体内での発現場所を検討するため、つぼみを多く含む茎頂付近と若いロゼット葉からRNAを抽出しノザン解析を行った結果、どちらでも同程度の発現が見られた。さらに詳しく調べるため茎頂部を用いたインサイチューハイブリダイゼーションを行ったところ、シロイヌナズナのつぼみを含む茎頂部全体で特に局在なく発現していた。

 第2章では、mei2変異株などの減数分裂不能を相補する遺伝子について調べた。mei2温度感受性変異株を相補したcDNAクローンAME5は、一本鎖DNA結合タンパク質でDNA複製に関係すると報告されているヒトPUR因子と相同性を持っており、減数分裂前DNA合成後でのMei2-sme2RNA複合体のもつ機能を相補したと考えられた。mei2変異株(Jx155)を弱く相補するcDNAクローンAME7は、Tat結合タンパク質ファミリーの中の粘菌TBP10、出芽酵母SUG1などと非常に高い相同性を持っていた。Tat結合タンパク質は、HIVが増殖する際に必要とされるホスト側の転写因子と考えられている。AME7遺伝子は茎頂部で高い発現が見られた。

 第3章では、pde1欠損株の接合不能を相補する遺伝子について調べた。この中には、PP2Cに属するクローン(AME63)、TBP(AME66)、ヒトのTBP結合因子Dr1と相同性を持つクローン(AME67)などが含まれていた。TBP(TATA-box binding protein)が含まれていたことから、分裂酵母、出芽酵母の各TBPのpde1欠損株への導入を行ったところ、出芽酵母のTBPは強い相補能を、分裂酵母のTBPはわずかに相補能を示した。分裂酵母において、cAMPカスケードは接合・減数分裂に必要なste11遺伝子の発現を制御している。得られたクローンを導入した株におけるste11遺伝子の転写量の検討から、これらのクローンはste11遺伝子の発現量を上げる働きをもつ可能性があり、PP2Cに属するクローンAME63は、Aキナーゼと拮抗することで、各生物種のTBP、Dr1と相同性を持つクローンAME67は、転写機構に影響することでste11遺伝子の転写を介して相補能を獲得したと考えられた。また、Dr1は今までにヒトでしか見つかっておらず、Dr1の他の生物種での存在がここで初めて示された。

 第4章では、pat1変異株を用いて、分裂酵母の減数分裂を阻害するシロイヌナズナのクローンをスクリーニングした。この中には、14-3-3タンパク質ファミリーに属するクローンが5種類含まれていた。14-3-3タンパク質については、最近いくつかの生物種から報告が続いており、様々なタンパク質の構造安定化や結合を補佐する分子と考えられている。ここでの減数分裂阻害活性については、変異型Pat1タンパク質と結合した可能性を議論した。

 第5章では、PCRを用いてクローン化した、分裂酵母ssm2キナーゼのシロイヌナズナにおける構造・機能的ホモログ(AME1〜3)について述べた。分裂酵母ssm2は、減数分裂不能変異sme2欠損株のマルチコピーサブレッサーとして得られた遺伝子である。

 AME1、2について、分裂酵母内で同様のサブレッサー活性をもつことを示した。AME1〜3遺伝子産物は、既知のセリンスレオニンキナーゼ一般と相同性が見られたが、分裂酵母ssm2、ヒトのclk、マウスのclk/sty、出芽酵母のKNS1、ショウジョウバエのDoaなどがコードするキナーゼにはより高い相同性を示し、それらとともにキナーぜの中で新しいサブファミリーを形成すると考えられた。

表 本研究で得られたシロイヌナズナのcDNAクローンのまとめ今回得られたシロイヌナズナのcDNAクローンを第一章から登場順に並べた。(gene)、クローンの名前。(clone size)cDNAクローンのサイズ。(complemented strain)相補する分裂酵母の株。AME3については実験を行っていない。pat1-m.c.m.はpat1株の減数分裂を阻害する活性をもつことを、pat1はさらに細胞増殖を回復させる活性をもつことを表す。(sequence homology)各クローンの予想されるアミノ酸配列と相同性のあるもの。=は同一の遺伝子がすでにデータベースに登録されているものを、一は相同性なしを、N.D.はまだ塩基配列を決めていないことを表す。第四章のクローンについてはcDNAの一部分のみの塩基配列を決めた。 S.p.:S.pombe、RNP:RNA binding protein、PRP:prolin rich protein、SSB:single strand binding protein、PP2C:protein phosphatase 2C、TBP:TATA-box binding protein、TBPAP:TBP associated protein、S.c.:S.cerevisiae
審査要旨

 酵母を宿主とした「異種間相補(transcomplementation)」を用いたスクリーニングは、高等生物の遺伝子をクローニングする一つの有効な方法である。本研究は、分裂酵母内で発現できる形の高等植物シロイヌナズナのcDNAライブラリーを作製し、接合、減数分裂、胞子形成などに欠陥のある分裂酵母の有生生殖不能変異株の表現型を機能的に相補できるシロイヌナズナの遺伝子を単離して解析を行ったものである。分裂酵母の減数分裂過程ならびにそこへ至る細胞内シグナル伝達系に関わる因子の、シロイヌナズナにおける機能的ホモログの検索と、分裂酵母を宿主とした異種間相補による、高等植物の遺伝子の単離の可能性の追究が行われている。

 本研究で宿主として用いた分裂酵母は、遺伝学的研究に優れた単細胞真核生物であり、研究材料として広く使われている。分裂酵母においては、減数分裂を制御する因子や減数分裂の開始を促す機構に関する知見が蓄積されてきた。一方、多細胞生物における減数分裂開始の制御機構は、生殖細胞の分化などとも関係した興味深い問題であるが、知見の乏しい分野である。植物においても例外ではない。一方、遺伝子を単離する材料として用いたシロイヌナズナは、植物分子生物学のモデル生物として広まりつつある実験材料である。これまでのシロイヌナズナの遺伝子に関する報告は大きく二種類に分けられる。注目すべき表現型をもつ変異株から変異の源の遺伝子をクローニングしたとする報告と、哺乳類など動物細胞で既に知られている遺伝子について相同な遺伝子をクローニングし、その遺伝子の植物の中での機能を調べたとする報告である。本研究では、これらとは異なる方法によりシロイヌナズナの遺伝子クローニングが試みられている。すなわち、分裂酵母内で発現できる形のシロイヌナズナのcDNAライブラリーを作製し、分裂酵母変異株に対する異種間相補能を用いて遺伝子を得る方法であり、酵母内での機能発現クローニングというべきものである。酵母の変異株を相補する植物の遺伝子は、少なくともその酵母の欠陥を補い得る機能を持つ遺伝子であり、この方法は現在まだ機能の解析が比較的困難な高等植物の遺伝子に対する一つの有効なアプローチと考えられる。

 申請者は実験結果を5つの章に分けて示している。第1章では、分裂酵母ras1欠損二倍体株の胞子形成能の低下を相補するシロイヌナズナの遺伝子について調べられている。それらの中には、分裂酵母のmei2遺伝子に部分的に高い相同性を持つcDNAクローン(AME6)が含まれていた。mei2遺伝子は、分裂酵母における体細胞分裂から減数分裂への移行に必須であり、減数分裂期に発現するRNA産物(sme2遺伝子産物)と特異的に結合して働くRNA結合タンパク質をコードすることが分かっている。様々な分裂酵母変異株への導入実験の結果より、AME6遺伝子産物は、分裂酵母内でmei2遺伝子産物の一部の機能を相補しているためにras1欠損二倍体株の胞子形成能を上げていると考えられた。AME6遺伝子の植物体内での発現場所を検討するため、シロイヌナズナのつぼみを多く含む茎頂付近と若いロゼット葉からRNAを抽出しノザン解析を行ったところ、どちらでも同程度の発現が見られた。さらに詳しく調べるため茎頂部を用いたインサイチューハイブリダイゼーションを行ったところ、つぼみを含む茎頂部全体で特に局在なく発現していることが知られた。

 第2章では、mei2変異株などの減数分裂不能を相補する遺伝子について調べている。mei2温度感受性変異株を相補したcDNAクローンAME5は、一本鎖DNA結合タンパク質でDNA複製に関係すると報告されているヒトPUR因子と相同性を持っており、減数分裂前DNA合成後でのMei2-sme2RNA複合体のもつ機能を相補したと考えられた。mei2変異株(JX155)を弱く相補するcDNAクローンAME7は、Tat合タンパク質ファミリーの中の粘菌TBP10、出芽酵母SUG1などと非常に高い相同性を持っていた。Tat結合タンパク質は、HIVが増殖する際に必要とされるホスト側の転写因子と考えられている。AME7遺伝子は茎頂部で高い発現が見られた。

 第3章では、pde1欠損株の接合不能を相補する遺伝子が述べられている。それらの中には、PP2Cに属するクローン(AME63)、TBP(ARE66)、ヒトのTBP結合因子Dr1と相同性を持つクローン(AME67)などが含まれていた。TBP(TATA-box binding protein)が含まれていたことから、分裂酵母、出芽酵母の各TBPのpde1欠損株への導入を行ったところ、出芽酵母のTBPは強い相補能を、分裂酵母のTBPはわずかに相補能を示した。分裂酵母において、cAMPカスケードは接合・減数分裂に必要なste11遺伝子の発現を制御している。得られたクローンを導入した株におけるste11遺伝子の転写量の検討から、これらのクローンはste11遺伝子の発現量を上げる働きをもつ可能性があり、PP2Cに属するクローンAME63は、Aキナーゼと拮抗することで、各生物種のTBP、Dr1と相同性を持つクローンAME67は、転写機構に影響することでste11遺伝子の転写を介して相補能を獲得したと考えられた。また、Dr1は今までにヒトでしか見つかっておらず、Dr1の他の生物種での存在がこの研究で初めて示された。

 第4章では、pat1変異株を用いて、分裂酵母の減数分裂を阻害するシロイヌナズナのクローンをスクリーニングした結果が述べられている。得られたものの中には、14-3-3タンパク質ファミリーに属するクローンが5種類含まれていた。14-3-3タンパク質については、最近いくつかの生物種から報告が続いており、様々なタンパク質の構造安定化や結合を補佐する分子と考えられている。ここでの減数分裂阻害活性について、申請者は、変異型Pat1タンパク質と結合した可能性を議論している。

 第5章では、PCRを用いてクローン化した、分裂酵母ssm2キナーゼのシロイヌナズナにおける構造・機能的ホモログ(AME1〜3)について述べられている。分裂酵母ssm2は、減数分裂不能変異sme2欠損株のマルチコピーサプレッサーとして得られた遺伝子である。AME1、2について、分裂酵母内で同様のサプレッサー活性をもつことを示した。AME1〜3遺伝子産物は、既知のセリンスレオニンキナーゼ一般と相同性が見られたが、分裂酵母ssm2、ヒトのclk、マウスのclk/sty、出芽酵母のKNS1、ショウジョウバエのDoaなどがコードするキナーゼにはより高い相同性を示し、それらとともにキナーゼの中で新しいサブファミリーを形成すると考えられた。

 以上、上に述べた以外のクローンをも含めると、本研究において申請者はシロイヌナズナより28種にのぼる遺伝子をクローン化し、基本的な性格づけを終えている。申請者が単離した遺伝子の大半は新規のものであり、植物体におけるこれら遺伝子の機能、特にそれが減数分裂と関係しているか否かの解析はまだ今後に待つ部分が大きいとはいうものの、従来機能解析がなされてこなかった多くの新規遺伝子をシロイヌナズナより分離し、解析の方向性を与えたことは、この領域における極めて重要な貢献である。これらの業績によって申請者は博士(理学)の称号を得るに値すると委員会は全員一致で判断した。なお、共同研究としてなされた部分について、申請者が最も主要に寄与していることを確認した。

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