血球細胞の増殖は適当なサイトカインの存在に強く依存し、サイトカインの非存在下では増殖を停止するのみならず、細胞死を起こして速やかに死滅する。本研究は、サイトカインによる細胞死抑制の機構を以下に述べる手法により解析し、細胞死を抑制するために必要なサイトカイン受容体の領域、並びにシグナル伝達経路を同定した。また、細胞が増殖するためにはDNA合成を促進するだけでは不十分で、細胞死を抑制することが不可欠であることを明らかにした。さらに細胞の生存に関与する蛋白質の発現を調べ、サイトカインシグナルによるそれら蛋白質の発現調節の可能性を指摘している。 研究の前半はキナーゼ阻害剤を用いた解析を報告している。このなかで重要な点は、血球細胞のDNA合成を抑制することで知られるキナーゼ阻害剤(genisteinとstaurosporin)が、細胞の生存に対しては異なった効果を示すことを見いだしたことにある。すなわちDNA合成を抑制する濃度で、staurosporin存在下で細胞は死滅してしまうのに対し、genisteinの存在下ではIL-3は細胞死を抑制する機能を失わず、細胞は長期間生存することができた点である。この結果から、genisteinに抵抗性をもつシグナル分子が細胞死抑制機能に関与するとの仮説をたて、サイトカインシグナル伝達に関与する幾つかの分子を解析した。その結果、Rasを介したシグナル伝達経路がgenisteinに抵抗性を示すことを突き止め、細胞死抑制におけるRas経路の重要性を示唆した。 次に、以上の結果を検証するために、細胞内領域の一部を欠失し、Rasのシグナルを活性化できないGM-CSF受容体を用いた解析を行なった。この変異受容体は細胞内領域の膜近傍部分を残しており、Rasの経路を活性化することはできないが、c-myc遺伝子発現を誘導する。この受容体分子をIL-3依存性細胞に発現させ、DNA合成、細胞死、細胞の長期増殖を解析したところ、この受容体を発現する細胞は、GM-CSFの刺激に応答してDNA合成を誘導したが、細胞死を抑制することができず、最終的には死滅してしまった。この結果はRasを介したシグナルが細胞死抑制において重要な役割を担い、それが細胞の長期増殖促進において不可欠であることを示唆した。 次に、受容体からのシグナルと独立にRasの経路を活性化することによって、変異受容体からのシグナルを相補できるかどうかを検討した。この目的でDex誘導型のRas(活性型)を受容体発現細胞に導入し、受容体とRasを同時に刺激したときの細胞の長期増殖能を解析した。まず、Rasの経路を単独で活性化すると細胞死が抑制されることがわかった。そして細胞をGM-CSFとDex共存下で培養すると、この細胞は細胞死を起こすことなく長期的に増殖することが明らかとなった。 さらにRasによる細胞死抑制機構の実体を明かにするために、Ras経路の活性化と細胞の生存に関与する蛋白質の発現との関連を調べた。ここではサイトカインによるRasの活性化がBcl-2様蛋白質の発現調節を担う可能性を考え、Ras経路とBcl-2並びに類縁蛋白質との関連を解析した。その結果、Ras経路の活性化は、IL-3除去に伴うbcl-2やbcl-x遺伝子の発現量の低下を抑制することが明かとなった。 以上の結果に基づき次に述べる点が結論付けられている。IL-3/GM-CSF受容体は生理的な機能の観点から、異なるドメインに分けることができる。c-mycの遺伝子発現に関与する領域はDNA合成の誘導において必要かつ十分で、RasからのシグナルがなくともDNA合成を誘導することができる。一方、膜から離れた領域を介して活性化されるRasからのシグナルは細胞死抑制に深く関与し、血球細胞の長期増殖を引き起こすために必要不可欠である。そしてRasによる細胞死抑制機構の一つとしてBcl-2やその類縁蛋白質の発現制御が考えられる。 本論文に記載されている解析は、上記の結論を正当化するために必要な質と量を満たしており、研究を進めた手順も的確であった。これまでに多くのサイトカイン受容体の細胞内領域の解析が行なわれてきたが、C末端側の生理機能を明らかにした例はなく、増殖においてはあまり重要でないと考えられてきた。その原因の一つにはDNA合成の誘導をそのまま増殖と結び付けてきたことがあげられるが、それをDNA合成と細胞死抑制の二つの面から捉えなおし、シグナル経路と対応付けた点を高く評価できる。またこれまで漠然とサイトカインの機能として考えられてきた細胞死抑制能を詳細に解析した例はなく、研究の新規性としても意義深い。 学位論文審査会は、提出された論文および発表に基づき学位授与の是非を検討した結果、論文提出者、木下大成は博士(理学)の学位を受けるのに充分な資格があると判断した。 なお、本論文は横田崇博士、新井賢一博士、宮島篤博士との協同研究であるが、論文提出者が主体となって分析並びに検証を行なったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断した。 |