学位論文要旨



No 111015
著者(漢字) 木下,大成
著者(英字)
著者(カナ) キノシタ,タイセイ
標題(和) サイトカインシグナル伝達経路を介した細胞死の抑制機構
標題(洋) Suppression of apoptotic death in hematopoietic cells by signaling through the IL-3/GM-CSF receptors
報告番号 111015
報告番号 甲11015
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2928号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 横田,崇
 東京大学 助教授 伊庭,英夫
 東京大学 教授 渋谷,正史
 東京大学 教授 山本,雅
 東京大学 教授 横山,茂之
内容要旨

 血球細胞の増殖と生存は、サイトカインと総称される蛋白性分子や隣接する支持細胞によって厳密に制御されている。多くのlineageの血球細胞は適当なサイトカインの存在に強く依存し、サイトカインの非存在化では、増殖を停止するのみならず速やかにアポトーシスを起こして死滅する。この際だったサイトカイン要求性は血球細胞に特異的で、接着性細胞においては通常みられない。接着性細胞の場合、癌細胞を除き、過剰な増殖は細胞間の接着によって強く抑制され(contact inhibition)、足場の全くない状態では増殖できないようになっている(anchorage-dependent growth)。しかし血球細胞においては、その性質上、他細胞との接着を介した負の増殖制御機構は特定の場合を除き見いだされていない。したがって、血球細胞のサイトカイン依存性(cytokine dependency)を、接着性細胞におけるcontact inhibitionを代償する負の増殖制御機構の一端と捉えることが可能である。逆に、サイトカインが血球細胞の増殖を促進する際には、標的細胞上の受容体分子を介して血球細胞の内在的(intrinsic)な死のメカニズムを抑制していると考えることができる。

 リガンド分子の同定に始まったサイトカイン研究は、標的細胞上の受容体分子の同定、さらには受容体分子を介したシグナル伝達機構の解析へとその主流が移り変わっていった。最近では受容体分子から核内の遺伝子発現に至るまでの経路の全貌が明らかにされつつある。IL-3やGM-CSFなどのサイトカインは標的細胞上の受容体分子を介して、c-mycやc-fosなどの核内蛋白質の遺伝子発現の誘導、Ras、Raf、MAP kinase、PI3kinaseなどのシグナル分子の活性化を行う。しかし、それぞれのシグナル伝達分子の生理的意義は、主に細胞増殖、特にDNA合成促進との関連においてのみ解析されてきた。本研究では、IL-3ならびにGM-CSFが活性化するシグナル伝達経路を介した、血球細胞死の抑制機構を明らかにする目的で以下の実験を行った。

1.キナーゼ阻害剤を用いたシグナル伝達経路の分解

 サイトカインの機能発現においてチロシンキナーゼやセリン/スレオニンキナーゼの活性化は重要な役割を演じている。事実、Herbimycin Aやgenistein、staurosporinなどのキナーゼ阻害剤は、サイトカインの生理機能を効果的に抑制する。これら阻害剤の標的分子は明らかにされていないが、構造上の違いから、異なる細胞内分子を阻害すると考えられる。したがってこれらの阻害剤が、サイトカインの生理機能に対しても異なる影響を及ぼすことが予想された。そこでgenistein及びstaurosporinを用いて、IL-3依存性血液細胞(Ba/F3、32D)の増殖と生存に対する抑制効果を検討した。いずれの阻害剤もBa/F3と32D細胞のIL-3に応答した[3H]thymidineの取り込みを完全に抑制した。一方、阻害剤存在下での細胞の生存(viability)を観察するとstaurosporin存在下では増殖抑制と並行してviabilityの低下を認め、細胞はアポトーシスを起こして死滅した。これに対しgenisteinはIL-3からのシグナルを部分的に阻害し、DNA合成を阻害したが細胞死を誘導せず、細胞は増殖が停止しただけの状態を長期間保った。すなわち、genisteinは細胞増殖につながるシグナルと細胞死を抑制するためのシグナルを明確に区別し、増殖に必要なシグナルのみを特異的に抑制していることが示唆された。従ってgenistein存在下でも活性化する細胞内シグナル分子を明らかにすれば、細胞死を抑制するために必要なシグナル経路につながると考えられた。そこで様々なシグナル分子のIL-3刺激後の動態を、genisteinとstaurosporinの存在下において比較検討した。その結果、c-myc-cyclin Eにつながる経路はgenistein、staurosporinの両者によって抑制され、SHC-Ras-Raf1-MAPKの経路はstaurosprinによってのみ阻害されgenisteinでは阻害されないことが明らかとなった。これにより、Rasを介したシグナル伝達経路が細胞死を抑制するために重要であることが示唆された。

2.GM-CSF受容体の変異体を用いた解析

 つぎに、Rasのシグナル経路の細胞増殖の促進における重要性を明らかにするために、GM-CSF受容体の変異体を用いた解析を行った(IL-3受容体とGM-CSF受容体はサブユニットの一つを共有しているので、細胞内シグナル伝達機構はほぼ等価であるとされる)。544、517という二つの変異受容体はC末端側のアミノ酸の一部を欠失し、ヒトGM-CSFの刺激に応答してc-mycの発現を誘導するが、RasやMAPKを活性化することができない。この変異受容体を恒常的に発現するBa/F3細胞株を樹立し、GM-CSFに応答した短期・長期の増殖、ならびに細胞死の様子を観察した。544、517共にGM-CSFの濃度依存的に[3H]thymidineを取り込みDNA合成を誘導する能力をもつことがわかった。ところが、DNAのfragmentationにより細胞死の経過を調べると、これらの変異体はDNA合成を行う一方でアポトーシスを起こしていることが明らかになった。さらにこの細胞の長期的な増殖(long-term proliferation)を調べると、544と517は一過的な増殖を示したが最終的には死滅し、継続的に増殖することができなかった。これに対し、受容体の全長を発現し、GM-CSFに応答してRasシグナルを活性化することができる細胞では、GM-CSFは細胞死を完全に抑制し、継続的に増殖した。以上の結果はRasシグナルが細胞死を抑制する機能をもつことを強く支持し、それが細胞のlong-term proliferationにおいて不可欠であることを示唆している。そこで、Rasの経路を恒常的に活性化し、544からのdefectiveなシグナルをcomplementできるかどうかを調べた。544発現細胞にconditionalなプロモーターで制御しうる活性型Ras(RasVal12)を導入したところ、RasVal12は単独でIL-3除去後の細胞死をほぼ完全に抑制し、544からのシグナルと協同して細胞のlong-term proliferationを引き起こした。以上の結果から、Ras経路の活性化は、血球細胞の細胞死を抑制し、長期的な増殖を維持するために必須のシグナルであると結論した。

3.RasによるBcl-2及びその関連分子の発現調節

 Rasを介したシグナルがどのようにして細胞死を抑制しているのかは興味深い問題である。一つの可能性として、Rasのシグナルによって細胞の生存に必要な分子が誘導されるということが考えられる。例えばBcl-2は細胞の生存に関与する蛋白質で、最もよく解析されている分子である。最近では構造的に類似し、細胞死の抑制や促進に関与する分子がいくつか同定されている。そこで、Rasの経路がこれらの分子の発現または機能を調節している可能性を考え、Rasの活性化とbcl-2とその関連分子の発現との関係を解析した。その結果、Rasシグナル経路の活性化は速やかにbcl-2やbcl-xの発現を誘導することが明らかになった。これに対し、baxのような細胞死を誘導する分子の発現には影響がなかった。bcl-2やbcl-xLは単独で発現させても細胞の生存を増強することが示されているので、Rasによる細胞死の抑制は、Bcl-2様のsurvival蛋白質の発現調節を介して行われている可能性が示唆された。

4.考察

 本研究により、DNA合成を引き起こすためのシグナル経路と、細胞死を抑制するためのシグナル経路は、サイトカイン受容体の別々の領域を介してindependentに発信されることが示唆された。そして血球細胞のlong-term proliferationを誘導するためにはDNA合成を促進するだけでは不十分で、それに加えて細胞死を抑制することが必須の条件と考えられる。また血球細胞ではRasを介したシグナル伝達経路が細胞死の抑制において中心的な役割を果たしていることが明らかとなった。さらにRasによるBcl-2やその関連分子の発現誘導が、Rasの生理作用において何らかの役割を担っていることが示唆された。

 これまでの研究では、DNA合成の促進はそのまま細胞増殖につながるかのように考えられていた。特にサイトカイン受容体による増殖促進においては、Rasのシグナル伝達経路の重要性は充分に解析されておらず、その生理的意義も明らかにされていなかった。本研究は、血球細胞の増殖促進におけるRasシグナル経路の活性化の重要性とその生理的意義を明らかにした。また細胞増殖促進において、異なる二つのシグナルが必要不可欠であるという結果は、細胞の癌化におけるtwo hit theoryとの関連を想起させ、発癌のメカニズムを探るうえでも興味深いと考えられる。

審査要旨

 血球細胞の増殖は適当なサイトカインの存在に強く依存し、サイトカインの非存在下では増殖を停止するのみならず、細胞死を起こして速やかに死滅する。本研究は、サイトカインによる細胞死抑制の機構を以下に述べる手法により解析し、細胞死を抑制するために必要なサイトカイン受容体の領域、並びにシグナル伝達経路を同定した。また、細胞が増殖するためにはDNA合成を促進するだけでは不十分で、細胞死を抑制することが不可欠であることを明らかにした。さらに細胞の生存に関与する蛋白質の発現を調べ、サイトカインシグナルによるそれら蛋白質の発現調節の可能性を指摘している。

 研究の前半はキナーゼ阻害剤を用いた解析を報告している。このなかで重要な点は、血球細胞のDNA合成を抑制することで知られるキナーゼ阻害剤(genisteinとstaurosporin)が、細胞の生存に対しては異なった効果を示すことを見いだしたことにある。すなわちDNA合成を抑制する濃度で、staurosporin存在下で細胞は死滅してしまうのに対し、genisteinの存在下ではIL-3は細胞死を抑制する機能を失わず、細胞は長期間生存することができた点である。この結果から、genisteinに抵抗性をもつシグナル分子が細胞死抑制機能に関与するとの仮説をたて、サイトカインシグナル伝達に関与する幾つかの分子を解析した。その結果、Rasを介したシグナル伝達経路がgenisteinに抵抗性を示すことを突き止め、細胞死抑制におけるRas経路の重要性を示唆した。

 次に、以上の結果を検証するために、細胞内領域の一部を欠失し、Rasのシグナルを活性化できないGM-CSF受容体を用いた解析を行なった。この変異受容体は細胞内領域の膜近傍部分を残しており、Rasの経路を活性化することはできないが、c-myc遺伝子発現を誘導する。この受容体分子をIL-3依存性細胞に発現させ、DNA合成、細胞死、細胞の長期増殖を解析したところ、この受容体を発現する細胞は、GM-CSFの刺激に応答してDNA合成を誘導したが、細胞死を抑制することができず、最終的には死滅してしまった。この結果はRasを介したシグナルが細胞死抑制において重要な役割を担い、それが細胞の長期増殖促進において不可欠であることを示唆した。

 次に、受容体からのシグナルと独立にRasの経路を活性化することによって、変異受容体からのシグナルを相補できるかどうかを検討した。この目的でDex誘導型のRas(活性型)を受容体発現細胞に導入し、受容体とRasを同時に刺激したときの細胞の長期増殖能を解析した。まず、Rasの経路を単独で活性化すると細胞死が抑制されることがわかった。そして細胞をGM-CSFとDex共存下で培養すると、この細胞は細胞死を起こすことなく長期的に増殖することが明らかとなった。

 さらにRasによる細胞死抑制機構の実体を明かにするために、Ras経路の活性化と細胞の生存に関与する蛋白質の発現との関連を調べた。ここではサイトカインによるRasの活性化がBcl-2様蛋白質の発現調節を担う可能性を考え、Ras経路とBcl-2並びに類縁蛋白質との関連を解析した。その結果、Ras経路の活性化は、IL-3除去に伴うbcl-2やbcl-x遺伝子の発現量の低下を抑制することが明かとなった。

 以上の結果に基づき次に述べる点が結論付けられている。IL-3/GM-CSF受容体は生理的な機能の観点から、異なるドメインに分けることができる。c-mycの遺伝子発現に関与する領域はDNA合成の誘導において必要かつ十分で、RasからのシグナルがなくともDNA合成を誘導することができる。一方、膜から離れた領域を介して活性化されるRasからのシグナルは細胞死抑制に深く関与し、血球細胞の長期増殖を引き起こすために必要不可欠である。そしてRasによる細胞死抑制機構の一つとしてBcl-2やその類縁蛋白質の発現制御が考えられる。

 本論文に記載されている解析は、上記の結論を正当化するために必要な質と量を満たしており、研究を進めた手順も的確であった。これまでに多くのサイトカイン受容体の細胞内領域の解析が行なわれてきたが、C末端側の生理機能を明らかにした例はなく、増殖においてはあまり重要でないと考えられてきた。その原因の一つにはDNA合成の誘導をそのまま増殖と結び付けてきたことがあげられるが、それをDNA合成と細胞死抑制の二つの面から捉えなおし、シグナル経路と対応付けた点を高く評価できる。またこれまで漠然とサイトカインの機能として考えられてきた細胞死抑制能を詳細に解析した例はなく、研究の新規性としても意義深い。

 学位論文審査会は、提出された論文および発表に基づき学位授与の是非を検討した結果、論文提出者、木下大成は博士(理学)の学位を受けるのに充分な資格があると判断した。

 なお、本論文は横田崇博士、新井賢一博士、宮島篤博士との協同研究であるが、論文提出者が主体となって分析並びに検証を行なったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断した。

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