学位論文要旨



No 111016
著者(漢字) 國友,博文
著者(英字)
著者(カナ) クニトモ,ヒロフミ
標題(和) 分裂酵母の有性生殖に必須な転写因子をコードするstell遺伝子の転写調節機構の解析
標題(洋)
報告番号 111016
報告番号 甲11016
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2929号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 山本,正幸
 東京大学 教授 榊,佳之
 東京大学 助教授 伊庭,英夫
 東京大学 助教授 横田,崇
 東京大学 助教授 堀越,正美
内容要旨

 細胞の増殖、分化の過程において、遺伝子の転写レベルでの制御は非常に重要な役割を担っている。この制御は主として転写因子による転写装置の活性化、または抑制によって行われ、調節の原理は生物種を越えて保存されている。本研究は、分裂酵母Schizosaccharomyces pombeの栄養源の枯渇に対する細胞応答、有性生殖過程の開始に注目し、そこで働く転写調節機構に関与する遺伝子の機能解析を行った。

 分裂酵母は富栄養条件下では均等分裂による増殖を行っているが、培地の栄養源が枯渇すると有性生殖過程(接合および胞子形成)へと生活環を切り替える。栄養源枯渇の情報はcAMP-cAMP依存性プロテインキナーゼ(PKA)カスケードの不活性化により細胞内へと伝達され、最終的に有性生殖過程の開始を支配するHMG型転写因子の遺伝子、ste11の転写を誘導することが示されている。ste11遺伝子産物(Ste11p)は有性生殖過程の進行に必要なmei2、mat1-P、mat1-M、ste6などの遺伝子の転写を窒素源枯渇条件下で誘導する。Ste11pはこれらの遺伝子のプロモータ領域に共通して存在するTR boxという塩基配列に結合することが示されている。cAMP-PKA経路の活性化はste11遺伝子の転写を抑制し、不活性化はste11遺伝子の転写を誘導する。しかし、ste11遺伝子の転写を直接制御している因子はまだ不明で、窒素源枯渇による転写誘導の詳細な機構とともに、ste11遺伝子の転写調節は研究課題として残されていた。

 本研究は、分裂酵母の有性生殖過程の開始に必須で、かつ中心的役割を果たすste11遺伝子の転写調節機構を解明することを目的として、まずste11遺伝子のプロモーター構造の解析を行った。ste11遺伝子の主要な転写開始点を決定するとともに、転写調節領域に欠失を導入したste11-lacZ融合遺伝子の-ガラクトシダーゼ活性を指標として、ste11遺伝子の効率的な転写に必要なプロモーターの範囲を転写開始点の5’上流約230bpに限定した(図1)。また、-ガラクトシダーゼ活性の測定とノザンブロット分析の双方の結果から、プロモーター内の約40塩基対のUASst領域(ste11遺伝子の転写開始点の5’上流-229から-185)が、プロモーター活性に必須であることを明らかにした(図2)。

図1 -ガラクトシダーゼ活性測定のまとめホモタリック野生型株をste11-lacZ融合遺伝子を発現するブラスミドで形質転換し、対数増殖期(+N)および窒素源枯渇条件下(-N)の細胞を調製して-ガラクトシダーゼ活性を測定した。横軸は各ブラスミドに含まれるste11遺伝子断片の5’末端の塩基の位置を、転写開始点からの塩基数で示した。白抜きの楕円はTR box(TR1、TR2)の位置を、斜線の楕円はコンセンサス配列と1塩基ミスマッチのTR boxの位置を示す。効率的な転写に必要なUASst領域を長方形で示す。

 次にゲノム上のste11遺伝子プロモーターからの転写誘導がste11遺伝子産物(Ste11p)の活性に依存していること、Ste11pが自身のプロモーター内にあるTR boxに結合すること、そのTR boxにSte11pが結合できない変異を導入すると、プロモーターからの転写誘導が弱まることを示し、ste11遺伝子の転写誘導がSte11p自身によって正に制御されていることを明らかにした(図2と図3)。

図2 ste11遺伝子の転写調節領域ste11遺伝子ORF5’上流の転写調節領域を模式的に示す。制限酵素地図中の太線は、本研究で新たに塩基配列を決定した1.4kbpのSphI-Bam H1断片を示している。ste11遺伝子の主要な転写開始点をアスタリスクで、効率的な転写に必要なプロモーター領域をコの字型の囲いで示した。右端のATGはSte11pの翻訳開始点を示す。UASstを長方形で、TR boxを楕円で示す。斜線の楕円は1塩基ミスマッチのTR box。

 続いてPKAとste11遺伝子の転写との間を結ぶ因子を遺伝学的に検索した。分裂酵母でPKAの調節サブユニットはcgs1/rak1遺伝子にコードされ、rak1遺伝子破壊株は有性生殖不能の表現型を示す。その表現型を多コピーで抑圧するマルチコピーサプレッサーを単離し(表1)、遺伝子構造の決定と機能解析を行った。得られた2つの遺伝子、rst1、rst2は、どちらも真核生物の転写因子に見られるZn-fingerモチーフを持つタンパク質をコードすると予想された。ste11遺伝子の転写が抑圧されているrak1遺伝子破壊株でそれらの遺伝子を過剰発現すると、ste11遺伝子の転写誘導が回復した。遺伝子破壊実験の結果、rst1遺伝子の破壊株は顕著な表現型を示さなかったが、rst2遺伝子の破壊株は有性生殖不能の表現型を示した(表1)。rst2遺伝子破壊株の表現型は有性生殖過程が脱抑制されるpka1遺伝子の破壊およびpat1遺伝子の変異に対して上位であり、rst2遺伝子はpka1遺伝子よりも下流で、ste11遺伝子よりは上流で機能してることが示唆された。これを支持する結果として、rst2遺伝子破壊株ではste11遺伝子の転写誘導が著しく抑制されており、またste11遺伝子の過剰発現によりrst2遺伝子破壊株の有性生殖不能の表現型は抑圧された(表1)。

表1 種々の菌株における接合率、胞子形成率の測定接合率はホモタリック株、胞子形成率はへテロ二倍体株を用いて測定した。遺伝子型のWTは野生型、rak1はrak1遺伝子破壊を、rstaはrst2遺伝子破壊を示す。pREP1とpDB248’はベクターブラスミド、pRD2-8とpRD2-27はpREP1をベクターとしてそれぞれrst1遺伝子とrst2遺伝子を過剰発現するブラスミドである。prst2-D1とpDB-ste11+はpDB248’をベクターとしてそれぞれrst2遺伝子とste11遺伝子を過剰発現するブラスミドである。

 rst2遺伝子の過剰発現はste11遺伝子の転写を促進し、遺伝子破壊株ではste11遺伝子の転写が抑制された。rst2遺伝子産物(Rst2p)がste11遺伝子の転写因子として機能する可能性を考え、大腸菌から精製したRst2pの部分タンパク質を用いて、in vitroでste11遺伝子の転写調節領域に対する結合能を検討した。その結果、Rst2pはDNAに塩基配列特異的に結合し、DNA結合ドメインはZn-fingerモチーフであった。さらにDNaseIフットプリンティング解析によりRst2pの結合サイトを決定したところ、ste11遺伝子の効率的な転写に必要なUASst領域と重複する塩基配列であった。以上の結果から、rst2遺伝子はste11遺伝子の転写の増強に必要な転写因子であると結論された。

 以上の成果から、ste11遺伝子の窒素源枯渇による転写誘導は、効率的な転写に必要なUASstに結合するrst2遺伝子産物と、主として窒素源枯渇条件下での転写誘導に必要なTR boxに結合する自分自身の産物の二つの転写因子によって制御されていることが明らかとなった(図3)。栄養源枯渇の情報がこれらの転写因子にどのように伝達されているかの解析が今後興味深い。

図3 ste11遺伝子の転写調節機構のモデルrst2遺伝子産物(Rst2p)は栄養源の枯渇(-N)により活性化されてste11遺伝子の効率的な転写に必要なUASst内の結合サイトに結合し、ste11遺伝子の転写を促進する。転写、翻訳されたste11遺伝子産物(Ste11p)も栄養源枯渇条件下で活性化されて転写調節領域のTR boxに結合し、さらに転写を促進する。Rst2p、Ste11pが栄養源の枯渇の情報としてPKAによる制御を受けているかどうかは、まだ不明である。
審査要旨

 細胞の増殖、分化の過程において、遺伝子の転写レベルでの制御は非常に重要な役割を担っている。この制御は主として転写因子による転写装置の活性化、または抑制によって行われ、調節の原理は生物種を越えて保存されている。本研究は、分裂酵母Schizosaccharomyces pombeの栄養源の枯渇に対する細胞応答、有性生殖過程の開始に注目し、そこで働く転写調節機構に関与する遺伝子の機能解析を行ったものである。

 分裂酵母は富栄養条件下では均等分裂による増殖を行っているが、培地の栄養源が枯渇すると有性生殖過程(接合および胞子形成)へと生活環を切り替える。栄養源枯渇の情報はcAMP-cAMP依存性プロテインキナーゼ(PKA)カスケードの不活性化により細胞内へと伝達され、最終的に有性生殖過程の開始を支配するHMG型転写因子の遺伝子、ste11の転写を誘導することが示されている。申請者は第1章において、ste11遺伝子が自分自身の産物により自己の発現を制御していることを証明した。ste11遺伝子産物(Ste11p)は有性生殖過程の進行に必要なmei2、mat1-P、mat1-M、ste6などの遺伝子の転写を窒素源枯渇条件下で誘導する。Ste11pはこれらの遺伝子のプロモータ領域に共通して存在するTR boxという塩基配列に結合し、cAMP-PKA経路の活性化がste11遺伝子の転写を抑制し、その不活性化がste11遺伝子の転写を誘導することが示されていた。しかし、ste11遺伝子の転写を直接制御している因子は不明で、窒素源枯渇による転写誘導の詳細な機構とともに、ste11遺伝子の転写調節は研究課題として残されていた。申請者は、ste11遺伝子の転写調節機構の解明を目的として、ste11遺伝子のプロモーター構造の解析を行った。まず、プライマーエクステンション法により、ste11遺伝子の主要な転写開始点を決定した。次いで、転写調節領域に欠失を導入したset11-lacZ融合遺伝子の-ガラクトシダーゼ活性を指標として、ste11遺伝子の効率的な転写に必要なプロモーターの範囲を転写開始点の5’上流約230bpに限定した。また、-ガラクトシダーゼ活性の測定とノザンプロット分析の双方の結果から、プロモーター内の約40塩基対のUASst領域(ste11遺伝子の転写開始点の5’上流-229から-185)が、プロモーター活性に必須であることを明らかにした。

 申請者は次に、ゲノム上のste11遺伝子プロモーターからの転写誘導が活性のあるste11遺伝子産物(Ste11p)を要求することを証明した。さらに、Ste11pが自身のプロモーター内にあるTR boxに結合することを試験管内反応により示し、そのTR boxにSte11pが結合できない変異を導入すると、細胞内で実際にプロモーターからの転写誘導が弱まることも示した。これらの結果から、ste11遺伝子の転写誘導がSte11p自身によって正に制御されていることが結論された。

 第2章において申請者は、PKAとste11遺伝子の転写との間を結ぶ因子を遺伝学的に検索した。分裂酵母でPKAの調節サブユニットはcgs1/rak1遺伝子にコードされ、rak1遺伝子破壊株は有性生殖不能の表現型を示す。その表現型を多コピーで抑圧するマルチコピーサプレッサーを単離し、遺伝子構造の決定と機能解析を行った。得られた2つの遺伝子、rst1、rst2は、どちらも真核生物の転写因子に見られるZn-fingerモチーフを持つタンパク質をコードすると予想された。ste11遺伝子の転写が抑圧されているrak1遺伝子破壊株でそれらの遺伝子を過剰発現すると、ste11遺伝子の転写誘導が回復した。遺伝子破壊実験の結果、rst1遺伝子の破壊株は顕著な表現型を示さなかったが、rst2遺伝子の破壊株は有性生殖不能の表現型を示した。rst2遺伝子破壊株の表現型は有性生殖過程が脱抑制されるpka1遺伝子の破壊およびpat1遺伝子の変異に対して上位であり、rst2遺伝子はpka1遺伝子よりも下流で、ste11遺伝子よりは上流で機能してることが示唆された。これを支持する結果として、rst2遺伝子破壊株ではste11遺伝子の転写誘導が著しく抑制されており、またste11遺伝子の過剰発現によりrst2遺伝子破壊株の有性生殖不能の表現型は抑圧された。

 rst2遺伝子の過剰発現はste11遺伝子の転写を促進し、遺伝子破壊株ではste11遺伝子の転写が抑制されていた。申請者はrst2遺伝子産物(Rst2p)がste11遺伝子の転写因子として機能する可能性を考え、大腸菌から精製したRst2pの部分タンパク質を用いて、in vitroでste11遺伝子の転写調節領域に対する結合能を検討した。その結果、Rst2pはDNAに塩基配列特異的に結合し、DNA結合ドメインはZn-fingerモチーフであることが示された。さらにDNase Iフットプリンティング解析によりRst2pの結合サイトを決定したところ、それはste11遺伝子の効率的な転写に必要なUASst領域と重複する塩基配列であった。以上の結果から、rst2遺伝子はste11遺伝子の転写の増強に必要な転写因子であると結論された。

 以上の成果から、ste11遺伝子の窒素源枯渇による転写誘導は、効率的な転写に必要なUASstに結合するrst2遺伝子産物と、主として窒素源枯渇条件下での転写誘導に必要なTR boxに結合する自分自身の産物の二つの転写因子によって制御されていることが明らかとなった。この研究は、有性生殖系の重要な遺伝子の転写制御において自己制御の存在を証明した先駆的なものであり、当該分野に対する申請者の寄与は大きなものであると判断される。従って申請者は博士(理学)の称号を得るに十分値すると委員会は全員一致で判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54443