学位論文要旨



No 111017
著者(漢字) 小島,正樹
著者(英字)
著者(カナ) コジマ,マサキ
標題(和) Aspergillus niger非ペプシン型酸性プロテアーゼAおよびリボヌクレアーゼT1のNMRによる高次構造解析
標題(洋)
報告番号 111017
報告番号 甲11017
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2930号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,健治
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 講師 武藤,裕
内容要旨

 2種の加水分解酵素,Aspergillus niger非ペプシン型酸性プロテアーゼA(プロクターゼA)およびリボヌクレアーゼT1の高次構造を,主としてNMR法により解析した.プロテアーゼAはクロコウジカビAspergillus nigerが産生する酸性プロテアーゼで,一次構造や基質特異性,阻害剤に対する反応性などの諸性状が従来のペプシン型アスパラギン酸プロテアーゼとは異なる新規プロテアーゼである.1本鎖の前駆体が活性化して,軽鎖39残基と重鎖173残基が非共有結合的に結合した成熟酵素となる.立体構造や活性中心残基は未同定で,一次構造上唯一Scytalidium酸性プロテアーゼB(1本鎖酵素)と相同性(50%)を示す.従って本酵素は構造機能相関の研究対象として極めて興味深く,酸性プロテアーゼ一般の構造と機能の全体像を理解する上でも重要であると考えられるが.従来本酵素関連の研究としては,上記ScytalidiumプロテアーゼBに関する若干の酵素学的レベルの研究があるのみである.当研究室では本酵素についてX線結晶構造解析、アミノ酸部位特異的置換、特異的化学修飾等の研究を総合的に進めている.現在分子量2万以上の分子でNMR法により構造決定された例は数少ないが,本酵素は以下で述べるようにシグナルがよく分離して観測され,NMRの分野では好適な構造であり,構造・機能相関解明の一環として本研究のもつ意義は大きい.

 一方リボヌクレアーゼT1は,コウジカビAspergillus oryzaeが産生するグアニン塩基特異的なリボヌクレアーゼで,104残基からなる1本鎖の球状蛋白質である.グアニンヌクレオチドの3’末端のリン酸転移反応により2’,3’-環状リン酸の生成を経てRNAを加水分解する.これまでに特異的化学修飾やNMR,X線結晶構造解析等多くの研究が成されており,His40,Glu58,Arg77,His92が触媒残基として働くこと,またTyr42-Glu46およびAsn98が基質認識部位を形成することが知られている.反応機構については当初Glu58とHis92が一般塩基,一般酸として触媒機構に関与すると考えられたが、その後の蛋白工学的研究よりGlu58をGln,AspやAlaに置換しても活性が若干残ることが示されている.本酵素はまた多くの変性巻き戻り実験や熱力学的安定性に関する研究も行われている.野生型酵素の2種類のisozyme,Lys25体とGln25体の間で酵素活性に差はないが、熱安定性は前者が後者よりやや安定であること,Glu58のカルボキシメチル化により失活した誘導体は野生型酵素よりも若干分子が安定であることなどが見出されているが,これらの分子論的機構については現在もさらに議論がなされている.このように本酵素は多くの研究がなされているものの未解決の問題も多く,酵素学的研究対象として極めて興味深い.

 本研究では上記2種の酵素の高次構造に関して以下の研究を行った.

1.プロテアーゼAの変性過程の解析

 プロテアーゼAは中性以上のpH及び高温で変性失活する.変性過程をNMR,CD,HPLC,カロリメトリー(DSC)等を用いて詳細に解析した.HPLCよりpH変性の際に2本鎖の解離を伴うことがわかった.また各方法による変性のpKaは6.1から6.5,見かけのHill係数は4で変性は協同的であった.一方熱変性に関してはDSCのデータを用いてtemperature-scanning kineticsにより熱力学的パラメータを算出した(pH4.8でH=462kJ/mol,S=1.09kJ/K・mol).

2.プロテアーゼA軽鎖の高次構造解析

 プロテアーゼAの軽鎖は分子量4,000のペプチドで,2次元NMRにより立体構造を解明することが出来る.また1で述べたように2本鎖の結合が活性の発現に不可欠であることから,nativeコンフォメーション中と2本鎖に解離した状態とで各鎖の構造を比較することは,プロテアーゼAの構造形成を考える上で興味深い.軽鎖を単離し2次元NMRを測定して,スペクトルの解析を行った.図1に近位,中位のNOEと二面角制限を示す.これらの距離情報をもとにdistance geometry,restrained molecular dynamicsの計算を行い.軽鎖の立体構造を算出した.得られた構造は主鎖間で互いに比較的良く一致し,ストランドに富んでいた.

図1プロテアーゼA軽鎖のNOEと二面角制限NOE強度を線の太さで,>10Hzの残基を▲で示す
3.intactプロテアーゼAの高次構造解析

 CDスペクトルの解析からプロテアーゼAはnative状態においてシートに富むことがわかった(約50%).2次元NMRスペクトルは良く分離したシグナルを与えるが.全残基のシグナルの帰属を行うには多次元NMRの測定が必要であり,プロテアーゼAを安定同位体標識しなければならない.当研究室では既に大腸菌を用いてプロテアーゼAの発現系を構築しているが,収率等の点でNMRサンプルを調製するには不十分であったため,Aspergillus nigerの培養条件,サンプル精製条件の予備的検討を行った.菌体から直接同位体標識した(15Nラベルおよび15N,13Cラベル)サンプルを用いて異種核2重共鳴,3重共鳴多次元NMRを測定し,スペクトルを解析した.図2に示すように2次元15N-1H HSQCスペクトルにおいて全残基のアミドNHの交差ピークが分離して観測された.またプロテアーゼAはpH4.5付近で非常に可溶性かつ安定なため、培養条件の検討と並行してnatural abandunceによる異種核2次元NMRおよび同種核3次元NMRを測定した。

4.リボヌクレアーゼT1変異体の分子動力学シミュレーション

 上述のようにリボヌクレアーゼT1の反応機構については現在議論されているが、Glu58変異体の立体構造は解明されていないため,野生型分子・基質アナログ(3’-GMP)複合体の立体構造をもとに分子動力学計算によりGlu58Asp,Glu58Ala変異体・3’-GMP複合体の構造を構築した.表1に各構造における触媒残基と基質の原子間距離を示す.表から明らかなように野生型と比べ変異体ではGlu/Asp/Ala58と基質原子(特にO2’)との距離が長くなり,代わりにHis40と基質との距離が短くなっている.このことは変異体においてはHis40がGlu58の代わりに一般塩基として作用し得ることを示している.

5.野生型リボヌクレアーゼT1の高次構造解析

 野生型リボヌクレアーゼT1に関してはLys25体のNMR解析が報告されている.本研究ではGln25体との相違点,特に上述の熱安定性の分子論的機構を解明するためGln25体野生型酵素を2次元NMRにより解析した.NOE等から推定される立体構造は両者間でほとんど差がなかったが,Asp29の主鎖原子の化学シフト値が大きくシフトしていた.エネルギー極小化計算によりLys25体における塩橋形成(但しLys25とGlu28間)が分子全体の安定性増大の要因である可能性が示唆されていたが,上記の結果はこの予想を実験的に裏付けた.

6.カルボキシメチル化リボヌクレアーゼT1の熱安定性の解析

 リボヌクレアーゼT1の熱変性に関してはCD,蛍光,DSC等を用いた研究が報告されている.本研究では局所的な構造情報をもたらすNMRの利点を生かして.野生型酵素およびカルボキシメチル化誘導体の熱変性過程を,立体構造上離れた2原子(Asn88NHとIle90H)をモニターすることにより解析し,カルボキシメチル化により変性中点が9℃上昇すること(52℃→61℃),また変性が分子全体で協同的に起こることを見出した.変性時のエンタルピー変化Hは野生型が530kJ/mol,誘導体が780kJ/molで前者は他の方法により求められた値とほぼ一致した.カルボキシメチル化による安定化要因としてカルボキシメチル基とArg77との新たな塩橋形成が実験的に示唆されていたが,分子動力学シミュレーションを行ったところカルボキシメチル基とArg77との距離が2Åに近づき上記の推定を支持した(図3).

図表図2プロテアーゼAの15N-1H HSQCスペクトル(pH4.6,303K)縦軸は15N,横軸は1Hの化学シフト(ppm)を表す / 表1 野生型および変異体リボヌクレアーゼT1の触媒残基と3’-GMPとの原子間距離 / 図3 カルボキシメチル化リボヌクレアーゼT1の立体構造左側の棒球表示はカルボキシメチル化Glu58,右側はArg77
審査要旨

 本論文は2種の加水分解酵素,Aspergillus niger非ペプシン型酸性プロテアーゼA(プロクターゼA)およびリボヌクレアーゼT1の高次構造解析に関するものであり、全9章より成る。内容は第2章から第5章までのプロテアーゼAに関する部分と、第6章から第8章までのリボヌクレアーゼT1に関する部分の2つに分けられる。本研究の重要部分は、分子量1万以上の両酵素の高次構造をNMR法を含む種々の手法により解析し新規な知見を得た点にある。

 プロテアーゼAは、一次構造や酵素学的諸性状が従来のペプシン型アスパラギン酸プロテアーゼとは異なる、新規酸性プロテアーゼであり、アミノ酸軽鎖39残基と重鎖173残基の2本鎖が非共有結合的に結合していることが知られている。本研究では、まずプロテアーゼAの変性特性に着目して、種々の変性実験を行い、中性変性の際に2本鎖の解離を伴うことを見出すとともに、熱力学的解析によりプロテアーゼAの安定性に関する知見を得た(2,3章)。またtemperature-scanning kineticsの手法を用いて、カロリメトリ(DSC)のデータが不可逆的変性の解析に有効であることを初めて実験的に示した。次に軽鎖単独のNMRスペクトルを解析して、軽鎖単独の立体構造を決定した(4章)。これにより軽鎖はストランドに富み、C端付近は規則構造をとっていないことが示された。さらにintactプロテアーゼAに関しても安定同位体標識を行い、多次元NMRスペクトルを測定した(5章)。この際大腸菌を用いた発現系の使用が困難であったため、A.nigerの菌体の培養条件を検討し、直接同位体を含む培地で培養する方法を確立し、これにより試料を調製した。

 リボヌクレアーゼT1は、コウジカビAspergillus oryzaeが産生するグアニン塩基特異的なリボヌクレアーゼで、104残基からなる1本鎖の球状蛋白質である。Glu58のカルボキシメチル化により失活する。これまでに多くの構造的研究がなされているが、反応機構や安定性等現在なお議論されている点も少なからずあり、より詳細精密な解析を進めるには好個の対象である。6章では活性中心アミノ酸置換変異体の立体構造を計算機シミュレーションにより予測し、変異体ではHis40がGlu58の代わりに一般塩基として作用しうることを示した。7章では野生型酵素の2次元NMRスペクトル解析が、8章ではNMRによる野生型およびGlu58カルボキシメチル化(CM-)誘導体リボヌクレアーゼT1の熱変性について述べられている。両章とも単にスペクトルの解析に留まらず、分子の熱力学的安定性について高次構造に基づき分子論的に考察し、野生型ではLys25-Asp29、CM-誘導体ではCM-Glu58-Arg77間の塩橋形成の可能性を裏付けた。また新たな塩橋の導入により熱変性温度が10℃近く上昇した例は本研究が初めてである。

 以上本申請者は、プロテアーゼAおよびリボヌクレアーゼT1の高次構造をNMR法等種々の物理化学的手法を用いて解析した。両酵素は構造機能相関の研究対象として興味深く、また現在分子量2万以上の分子でNMR法により構造決定された例は極めて数少ないことを考慮すると、本研究のもつ意義は大きい。特にプロテアーゼAの安定同位体標識は、現在広く行われている方法とは異なり、遺伝子工学的手法を全く用いていない。遺伝子操作による発現系なしにNMRサンプルの同位体標識を行うことは極めて困難である、という従来の認識を改めさせた点で高く評価できる。この成果は、プロテアーゼAに留まらず、大量発現系作製が困難な場合のNMR試料調製の例として他の研究にも有効な指針を与えうるものであり、生体分子のNMRの分野に新たな方法論を提供し得た。またリボヌクレアーゼT1においては、NMR法等従来の高次構造解析法に留まらず、理論計算による高次構造予測が分子量1万以上の蛋白質でもある程度可能であることを示した点で評価しうる。このことは、現在立体構造決定のための多くの実験的手段が多大の時間を要することを考えると、重要であり、またNMR等による解析を進めるに先立ち、予め構造的知見を与えうるという点でも有効である。この分野は分子デザイン、モデリングへの応用としても期待される。

 なお本論文は東京大学生物生産工学センター、大阪府立大学農学部、味の素中央研究所、明治製菓生物科学研究所および帝人モレキュラーシミュレーションの研究者との共同研究による成果であるが、論文提出者が主体となって解析および検証を行ったものであり、ほとんど全て論文提出者の寄与によるものと結論する。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/54444