学位論文要旨



No 111023
著者(漢字) 道上,達男
著者(英字)
著者(カナ) ミチウエ,タツオ
標題(和) ショウジョウバエBarホメオボックス遺伝子を中心とする形態形成関与遺伝子の構造・発現制御とその機能
標題(洋)
報告番号 111023
報告番号 甲11023
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2936号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西郷,薫
 東京大学 教授 池田,日出男
 東京大学 教授 堀田,凱樹
 国立精神・神経センター 神経研究所部長 鍋島,陽一
 東京大学 助教授 堀越,正美
内容要旨

 一般的に遺伝子の発現は、遺伝子の上流領域で他の遺伝子産物と相互作用することによって制御される。こういったシステムの連続によって、複雑な生体反応が正確に行われる。ショウジョウバエの発生・分化も同様で、様々な遺伝子が正しい時期に、正しい細胞で発現することによって進んでいく。特に、胚期や三齢幼虫期では、非常に多数の遺伝子が発現・機能し、分化において重要な役割を果たす。ショウジョウバエの複眼分化に関係している遺伝子であるBar遺伝子もその中の一つである。Bar変異に関連する遺伝子として最初にBarH1遺伝子が同定された。BarH1遺伝子はホメオボックスを持つことから、転写因子をコードしていることが推定された。また、過剰発現によってBar変異体と同様の複眼奇形を生ずることが明らかになっている。

 まず私は、もう一つのBar遺伝子、BarH2遺伝子についで解析を行った。サザン解折によって、BarH1ホメオボックスと相同性の高い領域が他に存在することが推定され、石丸によって遺伝子クローンが単離された。私は、同様にして得られたBarH2のcDNAクローン計3.1kbについて、全塩基配列を決定した。その結果、BarH2遺伝子は645アミノ酸をコードしており、BarH1遺伝子と同様、ホメオボックスを持っていた。ホメオドメインのアミノ酸配列をBarH1、BarH2間で比較すると、60アミノ酸のうち56アミノ酸が同一であり、BarH1ホメオドメインで特徴的だった49番目のTyr残基はBarH2でも保存されていることを明らかにした。同様に、BarH2の遺伝子クローンについても塩基配列を一部決定し、BarH2遺伝子の構造を決定した。その結果、BarH2遺伝子は3つのエクソンからなり、エクソン-イントロンの境界を含め、遺伝子構造がBarH1と非常に類似していることを明らかにした。さらに、ノーザン解析によって、BarH2遺伝子が発現する時期を解析したところ、BarH1同様、胚期と蛹期に発現のピークが見られた。以上のように、遺伝子の構造、及び発現の解析によって、BarH2遺伝子はBarH1遺伝子と多くの面で非常に類似していることが分かった。このことはBarH2遺伝子がBarH1遺伝子と同一の機能を持つことを強く示唆した。そこで機能の類似性を調べるために、BarH2を過剰発現させたときの形態の変化を観察した。その結果BarH1遺伝子と同様、三齢幼虫期にBarH2遺伝子を過剰発現させると、成虫の複眼の個眼数が減少した。従って、BarH2遺伝子は機能的にもBarH1遺伝子と類似していることが推測された。更に、この類似性をより詳しぐ調べるために、BarH2遺伝子の断片をプローブに用いて、D.anannasaeにおけるBarH2のホモログを単離し、コーディング領域の塩基配列を決定した。次に、BarH1とBarH2、そして既に単離されているBarH1のD.anannaseのホモログ、Om(1D)遺伝子合計4つの遺伝子についてアミノ酸配列を比較した。その結果、ホメオドメイン及びその下流約60アミノ酸とN末端付近の約16アミノ酸は、4遺伝子全てが高い相同性を示し、また、ホメオドメインのN末端側はGln,Alaなどの単一のアミノ酸の繰り返し構造を4遺伝子とも有していた。このことから、これらの遺伝子の機能の類似性はこれらのタンパク質領域に起因していることが推定された。以上の領域が蛋白の機能に必須かどうか、上に述べた過剰発現系を用いて解析中であり、現在までにその一部を明らかにした。

 以上の一連の解析で、二つのBar遺伝子は構造、機能共に類似していることが明らかになった。更に、石丸によりBarH1、BarH2間の染色体ウォーキングが行われた。その結果、BarH2とBarH1間は約80kb離れていることが明らかになった。また、4種のBar突然変異体の染色体再編点はいずれもこの領域中に存在することが明らかになった。また、胚期の末梢感覚器官において、二つのBar遺伝子は互いに機能的にredundantであることが明らかになった(東島による)。

 Bar遺伝子の空間的な発現の解析は、BarH1、BarH2それぞれに対する抗体を用いて行われた。この結果、複眼原基の光受容細胞前駆体R1/R6を始め、胚期の末梢感覚器官や中枢神経系に属する細胞、肢原基のtersal segment4,5、及び爪に対応する領域の発現などを始め、様々な場所で発現する二つのBar遺伝子の発現領域は全く同一であることが明らかになった(東島、小嶋による)。ところが、二種のBarの逆異変異体についてBar遺伝子の発現を調べたところ、両遺伝子の厳密な共発現が解消され、BarH1のみを発現する発現領域、BarH2のみを発現する発現領域に二分された。この結果は、両遺伝子の発現を制御する共通のエンハンサーがBarH1,BarH2遺伝子間に存在していることを強く示唆した。また、発現領域を分類することによって、組織別に発現を制御していると思われる一群のエンハンサーをおおまかに同定することが出来た。次に、これらのエンハンサー群をBar領域上に細かくマッピングするために、100kbにわたるBar領域全てについて、エンハンサー活性の有無の検索を試みることにした。まず、エンハンサーアッセイに用いるためのP因子ベクターを構築した。レポーター遺伝子には-ガラクトシダーゼ遺伝子を用い、またBar遺伝子の発現をより正確に反映させるため、プロモーターにはBarH1のプロモーターそのものを含む断片を使用した。こうして完成したベクターに、13に分割したBar領域の染色体断片をそれぞれ連結し、ショウジョウバエの生体内に別々に全て導入した。得られたトランスジェニックフライ23ラインの胚、及び三齢幼虫期の成虫原基をX・galの活性染色,あるいは抗-ガラクトシダーゼによる免疫染色を行った。その結果、一部を除き、ほぼ全てのBarの発現を制御するエンハンサー領域を同定・単離する事が出来た。そのなかでも、光受容細胞前駆体R1/R6、及び肢原基の輪状の発現を制御するエンハンサーについてはその領域を1kb前後に限定することが出来た(林、松崎氏らとの共同実験)。

 以上の結果から、Bar遺伝子の発現は恐らくBar領域に点在する共エンハンサー群によって制御されていることが明らかになった。ここで次に私は、当研究室で単離されたDf(1)BH2突然変異株に注目した。この突然変異株は、BarH2遺伝子とその近傍を欠いているが、形態的な異常はほとんど見られない。ところが、行動の著しい減少が観察される。先に述べたように、BarH1遺伝子とBarH2遺伝子は機能的に互いにredundantであると考えられていることから、行動異常はBarH2遺伝子だけを欠いたために生じているのではないと考えられた。実際、BarH2遺伝子のみを導入しても行動異常は回復しなかった。そこで、BarH2遺伝子と共にBarH2の近傍約8kbの断片をDf(1)BH2株に導入した。その結果、導入株では行動異常が回復した。この断片には先に述べたエンハンサーアッセイの結果から、胚期の中枢神経系に属する細胞、肢原基の爪に対応する領域、脳のoptic lobeに対応する領域におけるBar遺伝子の発現を制御するエンハンサーが存在していることが分かっている。よって、この行動異常はこれらのエンハンサーのうちのどれかが欠けることによって生じていることが推定された。現在、行動異常を引き起こす原因となるエンハンサーの同定を行っている。以上行った一連の解析によって、類似した機能を持つと考えられる二つのBar遺伝子が、共通の機能発現制御システムによって支配されていることが明らかになった。共エンハンサーが果たす具体的な役割や仕組みの検討、単離したBarエンハンサーを用いた様々な解析は現在進行しており、結果が待たれるところである。

 次に、ショウジョウバエのセグメントポラリティー遺伝子、bedgehogの構造解析を行った。hedgehogは胚発生の時期に体節の極性を決定するだけでなく、三齢幼虫期の複眼原基や肢原基でも機能していることが推定されており、この遺伝子の解析はBarH1/BarH2の複眼原基上の機能を探る上で有用なツールであると考えられた。

 田代らによって単離されたエンハンサートラップライン、Q50株は劣性致死であり、その原因がhedgehog遺伝子付近へのP因子の挿入によるものであった。そこで、既に得られていた部分的なゲノムクローンを元に、hedgehogのcDNAクローン、chh11を単離し、全塩基配列を決定した。その結果、hedgehogはシグナル配列を有する471アミノ酸から成る分泌性蛋白質をコードしていることが明らかになった。これは、以前の遺伝学的解析で予想されていた結果と矛盾しなかった。また、得られたcDNAクローンを用いてin situ hybridizationを行った結果、これも予想通り胚期の体節のうち後部区画で発現していた。私を含む4つのグループでhedgehogが単離された後2年の間に、複眼や肢、翅でhedgehogが実際ポラリティー決定などの機能を持つことが示され、また脊椎動物におけるホモログが肢の極性決定に機能していることが明らかになるなど、hedgehog関連の解析はめまぐるしく進歩した。今後、BarH1/BarH2とhedgehogの機能関連などの解析結果が期待される。

審査要旨

 キイロショウジョウバエDrosophila melanogasterの複眼は、約800個の個眼から成り立っている。Bar変異では、個眼数が減少し、その結果複眼の形態が棒状に細くなる。BarH1はこのBar変異の原因遺伝子で、ホメオドメインを含む蛋白質をコードしている。サザン解析の結果から、BarH1ホメオボックスと相同性の高い領域が染色体DNA上の他のlocusにも存在することが推定された。そこで本論文の第一章では、この相同性の高い領域を含む仮想的な遺伝子をBarH2と名付け、対応するゲノムクローン及びcDNAクローンを単離し、それらの塩基配列を決定した。BarH2遺伝子は、アミノ酸配列上BarH1蛋白質と類似したホメオドメインを持つ蛋白質をコードしていた。ホメオドメインのアミノ酸配列を比較すると、DNAのmajor grooveと接触するヘリックス部位を含め、93%が同一であった。このことにより、BarH1蛋白質とBarH2蛋白質が同じターゲットDNA配列を識別し、結合することが示唆される。BarH1遺伝子と同様、BarH2遺伝子は3つのエクソンからなり、エクソン-イントロンの境界構造もBarH1と同様であった。BarH1とBarH2は進化の過程で重複した一対のホメオボックス遺伝子であると考えられる。

 更に、本論文提出者は、BarH2蛋白質の機能領域を検索するために、BarH2蛋白質の過剰発現効果を調べた。その結果、BarH2蛋白質の過剰発現によって成虫複眼の個眼数が減少することが分かった。D.melanogasterのBarH1、BarH2、それぞれのD.ananassaeのcounterpartのアミノ酸配列の比較、及び種々の欠失BarH1蛋白質をコードする改変遺伝子の形質導入体の解析から、Barのホメオドメインは、複眼異常の誘発に必須であり、また荷電に富む領域は不要であることが分かった。

 BarH1、BarH2間の逆位変異体の解析から、両遺伝子は、共通のエンハンサーによって制御されている可能性が大きいことが示唆されている。第二章では、これらの共エンハンサーが実際に存在するのか否か、もし存在しているとすればどこに存在しているのかが調べられた。BarH1とBarH2間のゲノムDNAを断片化し、各断片のエンハンサー活性を検討した。レポーター遺伝子としてlacZ遺伝子を、プロモーター配列としてBarH1のプロモーター近傍断片を有するP因子ベクターに、Bar領域のDNA断片を連結し、ショウジョウバエに戻して形質転換体を得た。得られた形質転換体の活性染色、あるいは抗LacZ抗体による抗体染色により、抗BarH1/BarH2抗体実験から予測されたほとんど全てのBarエンハンサーが単離・同定されたことが分かった。

 ある種のBarH2欠損株(Df(1)BH2株)は行動異常を示す。Df(1)BH2株では、欠失のセントロメア側の断点がBarH2遺伝子の近傍にあり、BarH2とその周辺配列が欠損している。そこで、BarH2遺伝子と共にBarH2の近傍約8kbの断片をP因子法によりDf(1)BH2株に導入し、成虫の行動を観察した。エンハンサー導入株では行動異常が回復したが、BarH2ミニ遺伝子のみの導入株では行動異常の回復は見られなかった。Df(1)BH2株の行動異常は、Bar共エンハンサーの部分欠失による変異であることが分かった。

 ショウジョウバエのセグメントポラリティー遺伝子hedgehogは胚及び成虫原基の前後方向の極性を決め、また三齢幼虫肢原基でのBarH1、BarH2遺伝子の発現を調節していることが示唆されている。そこで第三章ではhedgehogの構造解析が行われた。hedgehog遺伝子付近にP因子が挿入したエンハンサートラップラインを用いてP因子近傍のゲノム断片をクローニングし、次いで対応するcDNAクローンを得た。全塩基配列を決定した結果、hdgehogはシグナルペプチドを含む471アミノ酸から成る蛋白質をコードしていることが明らかになり、hedgehog蛋白質が分泌性蛋白質として機能していることが示唆された。hedgehogのアンチセンスRNAを用いてin situ hybridizationを行った結果、予想通り胚期及び複眼原基の後部区画特異的に発現していた。

 本論文の内容のうち、第二章及び第三章は共同研究である。しかし、論文提出者が主体となって行ったものであり、審査員一同論文提出者の寄与が十分であると判断し、本論文は博士論文として十分に意義のあるものであると判断した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53840