学位論文要旨



No 111025
著者(漢字) 全,光昊
著者(英字)
著者(カナ) チョン,クワンホ
標題(和) ブタ胃の前庭部粘膜からのプロホルモン及び神経ペプチドのプロセシング及び分解に関与するプロテアーゼの分離・同定
標題(洋) Studies of the endopeptidases related with the processing or degradation of prohormones or neuropeptides in porcine gastric antral mucosa
報告番号 111025
報告番号 甲11025
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2938号
研究科 理学系研究科
専攻 生物化学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 高橋,健治
 東京大学 教授 横山,茂之
 東京大学 教授 鈴木,紘一
 東京大学 教授 田之倉,優
 東京大学 助教授 室伏,擴
内容要旨

 胃の前庭部では種々のペプチド性ホルモン及び神経ペプチドの存在が報告されており、これらの前駆体のプロセシング及び活性ペプチドの不活性化に関与するプロテアーゼの存在が予想される。本研究ではこれらのプロテアーゼを分離・同定し、胃でのプロホルモン及び神経ペプチドのプロセシング及び分解機構の究明を試みた。

 胃の粘膜で産生している種々の分泌性プロテアーゼ及び一般的細胞内プロテアーゼの影響を排除し、目的のプロテアーゼを特異的に分離・同定するために密度勾配遠心法を用いた。尚、予想されるプロテアーゼの特異性を考慮して二価イオン、キレート剤、pH等の生理的条件を変化させ目的の活性をスクリーニングした。

 最終的にVasoactive Intestinal Polypeptide(VIP)を特異的に分解するプロテアーゼ、粘膜の小胞体及び顆粒層由来のトリプシン様プロテアーゼ、およびプロガストリンのプロセシングに関連が予想されるCa++イオン要求性プロテアーゼを分離・同定した。これらの結果を以下に報告する。

1。Vasoactive Intestinal Polypeptide(VIP)分解プロテアーゼの分離及び特性の分析

 神経ペプチドは、その生理的作用の後、特異的なプロテアーゼにより迅速に分解され不活性化すると考えられている。VIPは脳、消化管等に広く分布する神経伝達物質であり、胃粘膜での役割も多数報告されているが、VIPの不活性化に対してはあまり研究がなされていない。そこで本研究ではVIPを特異的に分解する新規のプロテアーゼを精製・同定した。本酵素は最初、前庭部粘膜の顆粒層(500-10,000gの遠心沈殿分画)からショ糖密度勾配遠心分画を用いて、合成基質Butyloxycarbonyl(Boc)-Arg-Vd-Arg-Arg-4-methylcoumaryl-7-amide(MCA)のArg-Arg結合を特異的に切る活性として同定された。ショ糖密度勾配分画上の活性分画を、DE-52、Sephacryl S-200、Mono-Q/ FPLC、p-chloromercuribenzoate-Agaroseによるクロマトグラフィーにより完全精製した。

 精製酵素を用いて種々のペプチド性ホルモン及び神経ペプチドに対する作用を分析した結果、神経ペプチドVIPを最もよく分解する特異性(Km=7.7×10-6M、Kcat/Km=7.4×106M-1s-1)を示した。Secretin、substance PはVIPと比べてかなり弱く分解されたが、それ以外のペプチドはあまり分解されなかった。VIPの切断部位は3ヶ所であるが、その切断部位の左右のアミノ酸配列はBoc-Arg-Val-Arg-Arg-MCAの切断部位と一致しなかった。だが、VIPの3ヶ所を切る活性とBoc-Arg-Val-Arg-Arg-MCAのArg-Arg結合を切る活性は、精製段階を通してその活性ピークが一致しており、native-PAGE上での活性分布が同一であった。また、pH依存性、阻害剤特異性、界面活性剤要求性も一致しており、二つの基質に対する酵素活性は一つの活性由来のものであることか推定された。

 本酵素は界面活性剤を要求し、Lubrol PX、Triton X-100等の場合、最適活性には0.001%以上の濃度を必要とすることから、膜結合酵素であると考えられる。本酵素はdiisopropylfluorophosphate、phenylmethanesulfonyl fluoride、chymostainによって阻害されるセリンプロテアーゼである。しかし、システインプロテアーゼの阻害剤の中でE-64(L-trans-epoxysuccinyl-leucylamide-(4-guanido)-butane),leupeptin等には阻害されないが、p-chloromercuribenzoic acidによっては特異的に阻害されることから、本酵素の活性部位に近い位置にSH基が存在すると思われる。

 本酵素が切断するペプチド配列の特徴を、幾つかのペプチドを用いて調べたが、切断部位の左右のアミノ酸配列はあまり一致しなかった。本酵素は切断部位の周りの特異的な構造もしくは立体的なコンフォメーションを認識するものと思われる。

 本酵素のN-末端アミノ酸配列を決定したが、既知のプロテアーゼとの相同性は見られなかった。本酵素の種々の特性及びそのN-末端アミノ酸配列分析結果から判断して、この酵素は新規の膜酵素であり、神経ペプチド、特にVIPを不活性化する役割を持つと思われる。

2。胃の前庭部粘膜小胞体及び顆粒のトリプシン様プロテアーゼの分離・同定

 胃の粘膜には膵臓トリプシン阻害剤が存在しており、またトリプシン様プロテアーゼを捕らえている2-Macroglobulinの存在も(当研究室において)報告されている。また、胃粘膜においてトリプシンmRNAが発現しているという報告もあり、胃におけるトリプシン様プロテアーゼの何らかの生理的役割が予想される。本研究では胃の前庭部粘膜の小胞体分画と顆粒分画とを用いて、ショ糖及びメトリザミド・ショ糖密度勾配遠心分画法によるスクリーニングを行いトリプシン様プロテアーゼの存在を検出した。

 小胞体分画から、ショ糖密度勾配遠心分画、及びDE-52、TSKgel butyl Toyopearl650、Sepharose CL-6B、benzamidine-Sepharose6Bによるクロマトグラフィーにより二種類のトリプシン様プロテアーゼを精製した。二種類のプロテアーゼ活性はbutyl Toyopearl columnでの溶出位置の若干の差によって分かれたもので、benzamidine-Sepharose6B columnでも同様の差を示した。本酵素はいずれも至適pH8-9、分子量はSDS-PAGEで22.4K(還元状態では28K)を示し、MCA基質のBoc-Gln-Gly-Arg-MCAを最も強く分解した。本酵素はN-末端及び内部部分アミノ酸配列を初め、種々の特性が膵臓由来のトリプシンと一致し、小胞体に二つの型で分布する細胞内のトリプシン(またはトリプシンに極めて類似した酵素)であると判断された。

 尚、顆粒層のショ糖及びメトリザミド・ショ糖密度勾配遠心分画からも二種類のトリプシン様プロテアーゼ活性を確認した。これらの二つの型は可溶化の程度、及びbutyl Toyopearl column、benzamidine-Sepharose 6B columnからの溶出位置において差を示した。この顆粒層由来の二つの型のトリプシン様プロテアーゼ活性はいずれも同じ特性を示し、また、基質特異性、至適pH、阻害剤効果等の点で小胞体由来の二つの型のトリプシン様プロテアーゼ活性とも同じ特性を示した。

 小胞体由来のトリプシン様プロテアーゼ活性と顆粒層由来の二つの型のトリプシン様プロテアーゼ活性は密度勾配遠心分画において、お互いに異なる密度区域に分布した。これは、同じトリプシン様プロテアーゼが小胞体もしくは顆粒のオルガネラ膜に多様に結合する可能性を示唆する。そして、小胞体由来の二種類のトリプシン様プロテアーゼ活性と顆粒層由来の二種類のトリプシン様プロテアーゼ活性が相互に対応する可能性、ならびに胃トリプシン様プロテアーゼが小胞体から、Golgiを通して、顆粒まで移動する可能性が示唆される。

 本研究での結果は胃粘膜組織での胃トリプシン(またはトリプシンに極めて類似した酵素)の新しい生理的役割の可能性、すなわち、二つの型で存在する本胃トリプシン様プロテアーゼが細胞内の小胞体及び顆粒で蛋白質もしくはペプチドのプロセシングあるいは分解に関与する可能性を示唆する。

3。胃前庭部粘膜からのプロガストリン・プロセシング酵素の同定

 ガストリンは、その前駆体プロガストリン分子中の3ヶ所の異なる塩基性アミノ酸対を認識し切断するプロテアーゼの作用により生ずると推定されている。現在までの報告ではプロガストリンは最終的にトリプシン様酵素により-Trp89-Met90-Asp91-Phe92-Gly93-Arg94-Arg95-の塩基性アミノ酸対のC-末端側が切断され、次いでカルボキシペプチダーゼB様酵素によりC-末端の塩基性アミノ酸残基がはずされ、Gly93がアミドに変換されることによって活性化されると推測されている。しかし、その予想されるプロセシングプロテアーゼを胃の前庭部粘膜から直接に分離もしくは同定した報告は未だない。本研究ではプロガストリン・プロセシング酵素の実体を究明するために予想されるトリプシン様活性の検索を試みた。

 ブタ胃前庭部粘膜由来の顆粒層のメトリザミド・ショ糖密度勾配遠心分画を用いて、ガストリンの活性部位(Trp89-Met90-Asp91-Phe92-NH2)に近いプロガストリンの塩基性アミノ酸対Arg94-Arg95に作用すると推定されるプロテアーゼ活性を検索した。スクリーニングされたいずれのトリプシン様活性もプロガストリンの分解に特異性を示さなかった。しかし、これらとは別にプロガストリンのプロセシングに関与する可能性を示唆する予想以外のプロテアーゼ活性を同定した。

 本酵素の活性はメトリザミド・ショ糖密度勾配遠心で密度1.08-1.09g/mlの位置に分布して、Ca++イオンを絶対的に要求した。本酵素はプロガストリンの塩基性アミノ酸対(Arg94-Arg95)のN-末端側を特異的に切る、すなわちGly93-Arg94結合を切る特性を示した。種々のペプチド性ホルモン及び神経ペプチドに対し作用特異性を分析した結果、プロガストリンペプチドに対する特異性が一番高かった。他のペプチドにおいても、Phe-Xaa-Arg-Argの構造中のXaa-Arg結合を切る形で活性が検出された。基質のペプチドによって本酵素の反応速度には差があるが、いずれも塩基性アミノ酸残基のN-末端側を切る特性を示した。尚、本酵素は金属キレート剤によって阻害される金属プロテアーゼであった。また至適pH6.5を示し、これはプロガストリン・プロセシングが未成熟顆粒で行われるという推測と矛盾しない。

 本酵素は今まで報告されているKex-2様プロテアーゼやトリプシン様プロテアーゼとは異なる新規の酵素活性を示した。本酵素の持つ諸特性はプロガストリンのプロセシングが、トリプシン様プロテアーゼ活性とカルボキシペプチダーゼB様活性による二段階の作用を必要とするこれまでの仮説によるプロセシング経路とは異なる、新しいプロペプチドのプロセシング経路、すなわち塩基性アミノ酸対のN-末端側を切るCa++要求性エンドプロテアーゼによる一段階での活性化経路のよって行われる可能性を強く示唆する。

審査要旨

 ペプチド性ホルモン及び神経ペプチド等、生体組織中の生理活性ペプチドの前駆体がどのようにプロセシングされるか、またその生理的作用の後どのように分解され不活性化されるかは極めて興味深く、また重要な研究課題である。近年、生理活性ペプチドの前駆体のプロセシング及びその不活性化に関与すると推定される細胞内プロテアーゼの研究が高まっている。しかし、これらの酵素に関する最近の多くの研究にもかかわらず、特定の生理活性ペプチドのプロセシングもしくはその不活性化に関与するプロテアーゼの同定及びその役割の研究はまだ充分進展していない。

 本申請者は、上記の分野において、特に消化管における生理活性ペプチド前駆体のプロセシング及び生理活性ペプチドの不活性化に関与するプロテアーゼの単離・同定を目的にして体系的・総合的な接近を試みた。この結果、本申請者は最終的に三種のプロテアーゼに関して重要な研究結果を得た。

 まず本申請者は神経ペプチドの一種であるVasoactive Intestinal Polypetide(VIP)を特異的に分解する新規のプロテアーゼの単離に成功し、その特性を明らかにした。VIPは脳、消化管等に広く分布する神経伝達物質であり、胃粘膜での役割も多数報告されているが、プロテアーゼによるVIPの分解機構に対してはあまり研究がなされていない。本申請者は本酵素の組織中の量が極めて微量にも関わらずその完全精製に成功し、そのN-末端アミノ酸配列を決定、それが新規の膜酵素であることを確認した。完全精製された酵素は、神経ペプチドVIPに対する強い親和性、膜結合酵素としての特徴をはじめ、種々のユニークな性質を示した。これらの結果は生体組織中の活性ペプチドのプロセシング及び不活性化の研究において重要な成果であると評価される。また、本酵素の発見は今後、当該研究分野において広く応用される可能性がある。

 第二に申請者は胃前庭部粘膜小胞体及び顆粒中のトリプシン様プロテアーゼの単離・同定に関する研究を行った。申請者は胃前庭部粘膜の小胞体分画と顆粒分画とを用いてスクリーニングを行い、トリプシン様プロテアーゼの存在を検出・同定し、また小胞体分画由来の酵素を完全精製することに成功した。尚、申請者は顆粒層分画からも二種類のトリプシン様プロテアーゼ活性を確認した。本酵素の特性の分析結果、二つの型で存在する細胞内のトリプシン(またはトリプシンに極めて類似した酵素)であると判断された。これらの結果から胃粘膜組織での胃トリプシン(またはトリプシンに極めて類似した酵素)の新しい生理的役割の可能性、すなわち、細胞内の小胞体及び顆粒に二つの型で存在する本胃トリプシン様プロテアーゼが蛋白質もしくはペプチドのプロセシングあるいは分解に関与する可能性を提示したことは高く評価される。

 第三に本申請者は新規のプロガストリン・プロセシング酵素の単離・同定に成功した。現在までの報告ではプロガストリン前駆体のプロセシングが最終的にトリプシン様酵素により-Gly93-Arg94-Arg95-の塩基性アミノ酸対のC末端側が切断され、次いでカルボキシペプチダーゼB様酵素によりC-末端の塩基性アミノ酸残基がはずされ、Gly93がアミドに変換されることによって活性化されると推測されている。しかし、その予想されるプロセシングプロテアーゼを胃の前庭部粘膜から直接に単離もしくは同定した報告は未だない。申請者はその実体を究明するためにブタ胃前庭部粘膜由来の顆粒層分画を用いて、酵素の検索を行い予想以外のプロテアーゼ活性を同定することに成功した。同定された酵素の活性はCa++イオンを絶対的に要求し、プロガストリンの塩基性アミノ酸対(Arg94-Arg95)のN-末端側、すなわち最終的プロセシング部位であるGly93-Arg94結合を直接に切る特性を示した。本酵素の同定は、本申請者が従来の仮説に頼らず、綿密に研究を進めた成果であり、極めて高く評価される。申請者によって初めに同定されたこの酵素は今まで報告されているKex-2様プロテアーゼやトリプシン様プロテアーゼとは異なる新規の酵素活性を示している。本酵素の持つ諸特性はプロガストリンのプロセシングが、トリプシン様プロテアーゼ活性とカルボキシペプチダーゼB様活性による二段階の作用を必要とする従来の仮説によるプロセシング経路とは異なる、新しいプロペプチドのプロセシング経路、すなわち塩基性アミノ酸対のN-末端側を切るCa++要求性エンドプロテアーゼによる一段階での活性化経路によって行われる可能性を強く示唆する極めて重要な研究結果である。

 以上、本申請者の論文報告結果を総合的にみると、従来の研究仮説に依存せず主題の研究内容を根本的に分析し、そして研究方法を改善し接近している。また研究を優れた分析力により着実に進めて新しい研究成果を得たことは特に評価される。

 尚、本論文は、高橋健治、岩松明彦氏との共同研究による成果であるが、論文提出者が主体となって研究・分析・検証を行ったものであり、ほどんどすべて論文提出者の寄与によるものと結論する。

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