学位論文要旨



No 111027
著者(漢字) 岡崎,聡
著者(英字)
著者(カナ) オカザキ,サトシ
標題(和) カイコ染色体末端(テロメア)の分子生物学的研究
標題(洋) Molecular biological studies on telomere of the silkworm,Bombyx mori
報告番号 111027
報告番号 甲11027
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2940号
研究科 理学系研究科
専攻 動物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 藤原,晴彦
 東京大学 教授 嶋,昭紘
 東京大学 教授 石川,統
 東京大学 講師 広野,雅文
 東京工業大学 教授 岡田,典弘
内容要旨

 真核生物の染色体末端はテロメアと呼ばれ、染色体の保護・安定化に重要な役割を果たしていると言われている。単細胞真核生物を中心としたこれまでの研究から、染色体DNA鎖の末端はテロメラーゼという逆転写酵素の一種により、順次DNAが付け足されることが示されている。テロメラーゼにより合成されるDNA配列はテロメア反復配列と呼ばれ、ほとんどの生物で、TとGからなる短い反復配列で構成される。染色体末端は、一般に細胞分裂を繰り返す度に次第に短くなって行くが、テロメラーゼによるテロメア反復配列の付加が、それを補っていると考えられている。私はカイコにおいて、昆虫としては初めて、(TTAGG)nというテロメア反復配列を同定した。しかし別の研究グループの報告によると、ショウジョウバエにはテロメア反復配列はなく、テロメラーゼのかわりに、ある種のレトロトランスポゾン(HeT-A、TART)が染色体末端に転移し、テロメアの欠損を防いでいろらしい。同じ昆虫類に属しながら、テロメア反復配列(TTAGG)nを持つ種と持たない種が存在するのはなぜか。昆虫のテロメアの特殊性を明かにし、昆虫におけるテロメア形成の一般的メカニズムを調べるために、主にカイコを用いてその染色体末端部の構造を解析した。

 まず昆虫のなかで、どの程度カイコ型のテロメア反復配列が保存されているのかを調べるために、(TTAGG)5をプローブとして種々の昆虫のゲノムDNAに対してハイブリダイゼーションを行なった。(TTAGG)5プローブは調べた11属23種の昆虫のうち、8属11種のゲノムDNAと強くハイプリッドを形成した。シグナルは甲殻類のエビ(クルマエビ)のDNAでも検出されたことから、(TTAGG)nは昆虫の分岐以前に起源を持つテロメア反復配列で、節足動物内に広く保存されてきたと推定される。しかし、双翅目昆虫(ショウジョウバエなど5種で調べた限り)、ハサミムシ目(1種)、甲虫目(8種中3種)のDNAで、(TTAGG)n配列は検出されなかった。半翅目に属する2種の昆虫のDNAでは、(TTAGG)5プローブに対して弱いシグナルが検出された。その内の一種であるアブラムシ(エンドウヒゲナガアブラムシ)についてさらに調べたところ、ゲノムDNAには(TTAGG)n配列が存在したが、その量はカイコの20分の1程度であった。以上の結果から、昆虫のテロメアは、多くの種では(TTAGG)n配列から成り立っているものの、一方で系統的に多岐にわたる複数の種で、この配列がない、あるいは著しく減少していることが示された。このような昆虫では、ショウジョウパエと同じように、特殊な構造様式のテロメアを保持している可能性が示唆された。(第1章)

 カイコの場合、染色体の最末端にはテマメア反復配列が数kbにわたって連続しており、これがゲノム内にあるテロメア反復配列の大部分を占めている。しかし、カイコのゲノムライブラリー(ゲノムDNAを制限酵素で断片化し、断片の両端にファージベクターを結合させているので、理論的にカイコ染色体の最末端部はライブラリーに含まれない)をテロメア反復配列(TTAGG)5でスクリーニングすると、多くのポジティブクローンが得られた。これは、染色体の最末端以外にも数多くのテロメア反復配列が染色体の内側に存在することを示しており、その数はハプロイドゲノムあたり2000程度と推定された。テロメア反復配列は、もともとはテロメラーゼにより染色体末端部に合成されたはずだが、内在性のテロメア反復配列はテロメラーゼとは独立した形でテロメア形成に関わっている可能性がある。内在性テロメア反復配列のテロメア機能との関わりを知るために、ゲノムライブラリーよりテロメア反復配列を含むクローンを単離して、その構造を調べた。解析した内在性テロメア反復配列はいずれも200bp以下と短く、約半数のクローンで、テロメア反復配列の一端に数十〜百bpのポリ(A)が結合していた。ポリ(A)を含む配列はある種の転写ユニットを連想させ、内在性テロメア反復配列の形成に深く関わっている可能性が考えられた。そこで、テロメア反復配列に隣接するこれらの配列をTRAS(Telomeric Repeat Associated Sequencesの頭文字)と名付け、その中の2つ、TRAS1とTRAS2(両者ともポリ(A)を持つ)の存在様式、特にカイコゲノム内で本当にテロメア反復配列に特異的に結合しているのかを調べた。TRAS1、TRAS2の配列の一部、及びテロメア反復配列をプローブとしてライブラリーをスクリーニングしたところ、TRAS1はハプロイドゲノムあたり約250コピー、TRAS2は約750コピー存在した。そのうち、TRAS1を含むクローンの75%、TRAS2を含むクローンの57%がテロメア反復配列を含んでおり、TRAS1、TRAS2ともに、テロメア反復配列に近接していることが確認された。更に、カイコ精巣より調製した前中期染色体標本を用いてin situハイプリダイゼーションを行ない、TRAS1、TRAS2の染色体上の位置を同定したところ、TRAS1は約10カ所、TRAS2は約半数の染色体の末端に特異的にシグナルが見られた。この結果より、TRASならびに内在性のテロメア反復配列は染色体の末端領域(サブテロメリック領域)に局在していると推定された。

 TRASの末端に見られたポリ(A)鎖から、TRASはある種のトランスポゾンと予想された。TRAS1、TRAS2のDNA配列を部分的に決定したところ、両者から、non-LTR(末端にlong terminal repeat配列を持たない)タイプのレトロトランスポゾンが持っている逆転写酵素に相同な配列を同定した。これまでにTRAS1、TRAS2を含め、5種のポリ(A)を持つ異なるTRASを同定したが、いずれもテロメア反復配列に特異的に入り込む性質を持ったnon-LTRレトロトランスポゾンであると考えられる。このように、カイコでもショウジョウバエと同じように複数の種類のレトロトランスポゾンのクラスターがテロメアに局在しており、テロメアの構成要素になっていることが示された。(第2章)

 カイコのテロメアで見つかったTRASとショウジョウバエのテロメア結合性レトロトランスポゾンHeT-A、TARTにはどのような関連性があるのだろうか。TRAS1の詳細な構造解析を通して他のレトロトランスポゾンとの系統関係を調べるとともに、TRAS1の染色体内の位置をさらに検討した。TRAS1は全長7.8kbで、2つのORF(open reading frames)を持ち、それぞれがnon-LTRタイプのレトロトランスポゾンのgag遺伝子、pol遺伝子と高い相同性を示した。レトロトランスポゾン間の系統関係をpol遺伝子内にコードされている逆転写酵素領域のアミノ酸配列の比較により調べたところ、TRAS1は「R1ファミリー」にきわめて近かった。R1はほとんどの昆虫に見られるレトロトランスポゾンで、28SリボソームDNA内の特定の位置に挿入されている。TRAS1もテロメア反復配列という特異的な標的をもっている点でR1と共通しているが、構造の類似性からも、両者は共通の祖先をもち、進化の過程で標的が変化して行ったと考えられる。一方、HeT-AやTARTはTRAS1とは幾分離れた系統関係にあり、ショウジョウバエで同定されているjockeyやDocと同しグループに属すると考えられた。以上の結果から、TRAS1はR1と同し起源を持ち、テロメア反復配列へ特異的に挿入されるような性質を獲得したと考えられ、HeT-AやTARTとは独立に分化してきたものと予想された。TRAS1の挿入位置をサザン解析で調べたところ、カイコ染色体の最末端には5〜20kbにわたりTRASが挿入されていない(TTAGG)nがあり、TRAS1のクラスターはその内側に存在した。このようなTRASの位置関係は、酵母の染色体末端で見つかっているテロメア反復配列のすぐ内側のY’配列と共通している。最近他の研究グループにより、酵母のテロメラーゼの突然変異体では、テロメア反復配列が失われる代わりに、テロメア反復配列の内側にあったY’が染色体の組換えにより増幅されて、染色体末端の欠損を防ぐことが示された。カイコのTRASは、レトロトランスポゾンの転移という形で酵母のY’と同しようにテロメア反復配列の機能を代替し得る可能性がある。(第3章)

審査要旨

 本論文は3章からなり、第1章は昆虫におけるテロメア反復配列の保存性、第2章はカイコのテロメア反復配列中にみられる複数のレトロトランスポゾン(TRASファミリー)の同定、第3章はTRASファミリーの一つ、TRAS1の構造解析についてそれぞれ述べられている。

 テロメア末端は、すべての真核細胞の染色体にみられ、通常短い反復配列から構成される。テロメアの機能はいくつか想定されているが、現時点で考えられる最も重要な性質は、染色体DNAの複製時に必然的におこる端からの消失を防ぐ働きである。テロメラーゼと呼ばれる一種の逆転写酵素は、生殖細胞形成時に染色体末端にテロメア特有な反復配列を付加し、そのため次世代の完全な染色体を保証しているとされる。しかし、無脊椎動物を中心とした前口動物では、このような反復配列が完全には示されておらず、真核細胞全般で共通の原理かどうかについては従来から議論があった。その最大の矛盾は、ショウジョウバエではテロメラーゼに依存した反復配列が見つからず、その代わりに可動遺伝因子のひとつであるレトロトランスポゾンが染色体の消失を防いでいるという観察である。そこで、論文提出者は、ショウジョウバエ以外の昆虫でのテロメアの構造を調べることが、真核生物でのテロメア形成の共通原理を見いだす近道であると考え、昆虫類の染色体末端(テロメア)の保存性とまたその特殊性に着目し研究を進めてきた。

 本論文第1章において、論文提出者はカイコなどの鱗翅目昆虫を含め、多くの昆虫目で(TTAGG)という反復配列が各染色体末端に存在することを証明した。また、同じ配列はショウジョウバエなどの双翅目昆虫などには見つからず、昆虫においても、やはりテロメラーゼによるテロメア形成が一般的であり、レトロポゾンによる末端の修復は例外的である可能性が示唆された。一方、カイコの染色体末端の構造解析をする過程で、提出者はショウジョウバエにみられるテロメア形成レトロポゾンに類似した配列を複数見いだした。これらが、染色体末端部の(TTAGG)に特異的に挿入していること、また各染色体末端には異なる複数のタイプのレトロポゾンが存在する事実を明かにした(第2,3章)。カイコのテロメアが単にテロメラーゼのみで構築されているのではなく、レトロポゾンによって修飾を受けている事実は、学術的にもきわめて興味深いものである。このようなレトロポゾンも昆虫のテロメア形成に関わっている可能性が高く、この分野における提出者の寄与は非常に大きい。

 論文全体を通じて、申請者は一貫してテロメア形成の一般性とさらに昆虫の特殊性を説明する努力を行い、国際的にみても独自性の高い研究を行ったことは、全審査員の一致する意見であった。また、テロメアに関する知識のみならず、分子生物学全般にわたる理解は優れており、学位を与えるに十分な水準に達していると思われる。

 口頭試問の結果、提出された論文の形式をもって最終的な学位論文として受理することを審査員一同承諾した。

 なお、本論文のFISH法に関する実験は、国立予防研の土田博士などとの共同研究であるが、プローブの調製等について、論文提出者の実験上の寄与が十分であると判断する。

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