本論文は4章からなり、第1章はイネアデニレートキナーゼ遺伝子の特徴と生物活性、第2章はアデニレートキナーゼタンパク質の細胞内局在、第3章では環境ストレス条件下における発現応答について、さらに第4章ではトランスジェニック植物を作成し、アデニレートキナーゼの発現量と植物の生長に密接な関係のあることが述べられている。 論文提出者は、植物の環境ストレス応答におけるアデニンヌクレオチド-ホメオスタシスを解析する目的で、ATP+AMP⇔2ADPの反応を触媒するアデニレートキナーゼ(EC2.7.4.3)に注目した。当酵素はアデニンヌクレオチド代謝経路におけるキー酵素の一つである。しかしながら植物においては、本タンパク質の生理的機能はもとより、遺伝子構造や発現調節に関する解析は、これまで行なわれていなかった。論文提出者は、イネ(Oryza sativa L.)からアデニレートキナーゼをコードする2種類のcDNA(Adk-a,Adk-b)を単離し、以下の研究を行った。 第1章においては、単離されたアデニレートキナーゼ遺伝子の構造と生化学的特徴について述べている。クローン化された2種類のイネアデニレートキナーゼのcDNA(Adk-a,Adk-b)は、各々241アミノ酸、243アミノ酸をコードするオープンリーディングフレームを有しており、塩基レベルで73.7%の相同性を示した。次に、pET発現ベクターにAdk-a、Adk-bのコーディング領域を組み込み、大腸菌内で発現させた後、AK-a、AK-bタンパク質を精製した。これらを用いて基質特異性を調べたところ、リン酸基の受容体としてはAMPへの特異性が非常に高いが、リン酸基の供与体としてはATPのみでなく、他のヌクレオシド3リン酸もわずかに利用できることが明らかとなった。また、様々なpH溶液の処理による失活度の検定、基質アナログ(Ap5A)による反応阻害実験は、両酵素タンパク質が類似の生化学的性質を有する事を示した。 第2章ではアデニレートキナーゼの組織、及び細胞内におけるタンパク質の局在について述べている。まずイネ培養細胞の抽出物を細胞分画し、各フラクションをアデニレートキナーゼの活性測定に供した。その結果、サイトゾルが主である100,000xg上清に高い活性が測定された。さらに、本タンパク質に対するポリクローナル抗体を作成し、ティッシュプリント解析を行った結果、本タンパク質が主に維管束組織に存在する事を明らかにした。 第3章では環境ストレスとアデニレートキナーゼの発現応答について述べている。イネが特に水環境に適応した植物である事から、冠水処理とアデニレートキナーゼの発現応答の関係を明らかにする目的で実験を行なった。イネ芽生えを冠水処理する事により、根の伸長阻害、子葉鞘の伸長等が認められ、この時アデニレートキナーゼの活性上昇が全ての器官で認められた。さらに、冠水処理によるアデニレートキナーゼのmRNAの蓄積パターンは、アルコールデヒドロゲナーゼ等の嫌気誘導性の遺伝子群と類似の発現パターンを示し、転写のレベルで発現誘導を受けていることを示した。 第4章ではトランスジェニック個体における生長阻害について述べている。論文提出者はアデニレートキナーゼの発現量と植物生長の関係を解析する為、CaMVの35Sプロモーターの下流にアデニレートキナーゼcDNAをセンス、又はアンチセンス方向に連結し、エレクトロポレーション法によってイネのプロトプラストに導入した。その結果、再分化個体の葉におけるアデニレートキナーゼ活性は、非形質転換体に対しセンス植物では約20%の増加、アンチセンス植物では50%の減少を示した。また、アデニレートキナーゼをセンス方向に組み込んだ植物では、非形質転換植物との間に際だった差異を示さなかったが、アンチセンス植物では生長の遅れ、穎果の発達不良等の生育阻害が見られ、アデニレートキナーゼが植物の発育、生長に重要であることを示唆した。 本研究で注目したアデニレートキナーゼは、アデニンヌクレオチド代謝に重要な役割を果たしている。しかしながら、これまで植物においてはアデニンヌクレオチド代謝酵素群の解析は殆ど進んでいなかった。この研究は、植物におけるアデニレートキナーゼ遺伝子の初の単離例である。また、ストレス下におけるアデニレートキナーゼの発現上昇は、他の生物では報告されていない新しい知見である。これまで未知であった植物における同酵素の重要性を明らかにしたという点においてこの研究は高く評価でき、博士の学位を与えるに十分であると認められた。 なお、本論文は内宮博文教授、加藤敦之氏、木藤新一郎氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 |