学位論文要旨



No 111034
著者(漢字) 川合,真紀
著者(英字)
著者(カナ) カワイ,マキ
標題(和) イネ アデニレートキナーゼ遺伝子の構造と発現応答解析
標題(洋)
報告番号 111034
報告番号 甲11034
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2947号
研究科 理学系研究科
専攻 植物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 内宮,博文
 東京大学 教授 大森,正之
 東京大学 教授 渡辺,昭
 東京大学 助教授 池内,昌彦
 東京大学 助教授 大隅,良典
内容要旨 【序論】

 植物は光、温度、水、栄養条件等、常に変動する様々な環境条件のもとで、生育している。こうした環境ストレス条件下で植物が生存していく為には、様々な遺伝子群の協調的発現により代謝系が安定に保たれ、細胞内の状態が維持されることが重要である。中でもアデニンヌクレオチド代謝系は、古くから代謝の調節要因としての役割が注目されており、解糖系、グルコース合成系において、ホスホフルクトキナーゼやフルクトースジホスファターゼの酵素活性が、AMPの量により制御を受けることが報告されている。また、アデニンヌクレオチド代謝系はDNAやRNAの合成、生物エネルギーであるATPの合成や、植物ホルモンの合成系とつながり、生体内で重要な役割を果たしている。私は、植物の環境ストレス応答におけるアデニンヌクレオチド-ホメオスタシスを解析する目的で、ATP+AMP⇔2ADPの反応を触媒するアデニレートキナーゼ(EC2.7.4.3)に注目した。アデニレートキナーゼは、生体内でAMPをリン酸化し、ADPを生成する唯一の酵素であり、アデニンヌクレオチド代謝経路におけるキー酵素の一つである。ヒトでは、赤血球中のアデニレートキナーゼタンパク質のアミノ酸置換によって引き起こされる遺伝病も報告されている。しかしながら植物においては、本タンパク質の生理的機能はもとより、その遺伝子の構造や発現調節に関する解析は、ほとんど行なわれていなかったり私は、単子葉植物であるイネ(Oryza sativa L.)からアデニレートキナーゼをコードする2種類のc DNA(Adk-a,Adk-b)を単離した。

 本研究では、(I)アデニレートキナーゼ遺伝子の特徴と生物活性、(II)アデニレートキナーゼタンパク質の細胞内局在、(III)環境ストレス条件下における発現応答に関する解析を行なった。さらに、(IV)アデニレートキナーゼ遺伝子をセンス、あるいはアンチセンス方向に組み込んだトランスジェニックイネを作成し、アデニレートキナーゼタンパク質の発現量と植物の生長に密接な関係のあることを明らかにした。

【結果と考察】I.アデニレートキナーゼ遺伝子の構造と生化学的特徴

 本研究でクローン化した2種類のイネアデニレートキナーゼのcDNA(Adk-a,Adk-b)は、各々241アミノ酸、243アミノ酸をコードするオープンリーディングフレームを有しており、両者の相同性は塩基レベルで73.7%、アミノ酸レベルで90.8%であった(図1)。RFLPによるイネ染色体上へのマッピングにより、Adk-aが第12染色体、Adk-bが第11染色体上に位置する事を示した。また、本cDNAが大腸菌の温度感受性アデニレートキナーゼ欠損株(CV2)をレスキューすることから、活性の有るアデニレートキナーゼタンパク質をコードすることが明らかとなった。

 次に、AK-a、AK-bタンパク質の生化学的性質を調べた。すなわち、pET発現ベクター(pET11d-GST)のクローニングサイトにAdk-a、Adk-bのコーディング領域をフレームを合わせて組み込み、大腸菌内でグルタチオンS-トランスフエラーゼ(GST)との融合タンパク質として発現させた(図2)。さらに融合タンパク質をトロンビンで処理し、グルタチオンカラムによってGST部分を除き、AK-a、AK-bタンパク質を精製した。これらを用いて酵素反応の基質特異性を調べたところ、リン酸基の受容体としてはAMPへの特異性が非常に高いが、リン酸基の供与体としてはATPのみでなく、他のヌクレオシド3リン酸(GTP,CTP,TTP)もわずかに利用できることが明らかとなった。また、様々なpH溶液の処理による失活度の検定、基質のアナログであるAp5Aによる反応阻害実験(図3)は、両酵素タンパク質が類似の生化学的性質を有する事を示した。

II.組織、及び細胞内におけるタンパク質の局在

 アデニレートキナーゼタンパク質の細胞内局在を調べるため、イネ培養細胞の抽出物を細胞分画し、各フラクションをアデニレートキナーゼの活性測定に供した。その結果、ナイトゾルが主である100,000xg上清に高い活性が測定された。さらにアデニレートキナーゼタンパク質の局在を調べる目的で、本タンパク質に対するポリクローナル抗体を作成した。得られた抗血清はプロテインAセファロースカラム、アデニレートキナーゼタンパク質(抗原)を固定したアフィニティーカラムにより精製し、AK-a,AK-bを共に認識する抗体を得た。本抗体を用いて、イネの各器官の粗抽出液でウェスタンプロット解析を行なった。発現量に差は認められたが、根、葉、およびカルスに約27kDaのアデニレートキナーゼタンパク質が検出された(図4)。また、ティッシュプリント解析から、本タンパク質が主に維管束組織に存在する事が明らかとなった。

 以上の結果より、イネアデニレートキナーゼタンパク質の発現は、細胞内では主にサイトゾルに、植物体では主に維管束組織に分布している事が示された。

III.環境ストレスとアデニレートキナーゼの発現応答

 生体内のアデニンヌクレオチドバランスの維持に対するアデニレートキナーゼの寄与を解析する為、異なるストレス下におけるアデニレートキナーゼの発現応答を調べた。すなわち、播種4日目のイネ芽生えを温度、浸透圧、塩、光、冠水処理し、アデニレートキナーゼの酵素活性の変動を測定した。その結果、温度(10℃、37℃)、浸透圧、冠水で共通したアデニレートキナーゼの活性上昇が認められた。

 本研究では、イネが特に水環境に適応した植物である事から、冠水処理とアデニレートキナーゼの発現応答の関係を明らかにする目的で、さらに実験を行なった。イネ芽生えを冠水処理する事により、根の伸長阻害、子葉鞘の伸長等の形態的変化が認められるが、冠水処理下でのアデニレートキナーゼの活性上昇は、全ての器官で認められた。冠水処理は植物にとって、水との接触による物理的ストレス、酸素の欠乏による嫌気ストレスを引き起こすと考えられる。そこで、窒素ガス供給条件下でイネ芽生えを生育させた。この時、アデニレートキナーゼの活性上昇が認められる事、さらに部分的な冠水処理(イネ芽生えの先端部5mmを空気中に露出)では、アデニレートキナーゼの活性上昇は検出されない事から、冠水処理時に検出されたアデニレートキナーゼの活性変動は、水との接触による物理的ストレスではなく、生体内の嫌気状態に応答している事が示された(図5)。さらに、冠水処理によるアデニレートキナーゼのmRNAの蓄積パターンは、アルコールデヒドロゲナーゼや、ピルベートジカルボキシラーゼなどの嫌気誘導性の遺伝子群と類似の発現パターンを示した(図6)。次に、冠水条件下における内生アデニンヌクレオチドの量的変化を、HPLCを用いて定量した。その結果、細胞内のアデニンヌクレオチドバランスは酸素呼吸の阻害にも係わらず、ほぼ一定であった。

IV.トランスジェニック個体における生長阻害

 アデニレートキナーゼの発現量と植物生長との関係を解析する為、カリフラワーモザイクウィルスの35Sプロモーターの下流にアデニレートキナーゼcDNAをセンス、又はアンチセンス方向に連結し、エレクトロボレーション法によってイネのプロトプラストに導入した。その結果、センス、またはアンチセンス方向に遺伝子を組み込んだトランスジェニックイネを各々10系統以上得た。再分化個体の葉におけるアデニレートキナーゼ活性は、非形質転換体に対しセンス植物では約20%の増加、アンチセンス植物では50%の減少を示した(図7)。その結果、アデニレートキナーゼをセンス方向に組み込んだ植物では、非形質転換植物との間に際だった差異は認められなかったが、アデニレートキナーゼの活性を抑制したアンチセンス植物では生長の遅れ(図8)、穎果の発達不良等の生育阻害が見られた。この事は、アデニレートキナーゼが植物の発育、生長に重要であることを示唆している。

図表図1 イネアデニレートキナーゼ(AK-a,AK-b)の予想されるアミノ酸配列 cDNA(Adk-a,Adk-b)の塩基配列から予想されるアミノ酸配列を示した。★は同一アミノ酸を、ボックスで囲んだ領域は基質の結合部位と考えられるアミノ酸を示している。 / 図2 AKタンパク質の大腸菌内での発現 AKcDNA(Adk-a,Adk-b)のタンパク質コード領域を発現ベクターに組み込み(A)、IPTG添加(+)、非添加(-)での大腸菌内の発現をSDS電気泳動で調べた(B)。 / 図3 基質アナログAp5AによるAK反応阻害 Ap5を加えないときの値を100として示した。■,AK-aのATP合成反応;□,AK-bのATP合成反応;●,AK-aのADP合成反応;○,AK-bのADP合成反応 / 図4 イネにおけるAKタンパク質の発現 発芽後2週目のイネ芽生えの根と葉、さらにカルスの抽出液を用いてウェスタンプロット解析を行った。1レーンあたり10gのタンパク質を含む。 / 図5 冠水処理、窒素ガス処理によるAK活性の変動 発芽4日目のイネ芽生えを完全な冠水処理、部分的な冠水処理、窒素ガスによる嫌気状態におき、AKの活性を経時的に測定した。 / 図6 冠水処理におけるAKmRNAの蓄積 Adk-aのコード領域をプローブとして、ノーザンプロット解析を行い、イメージアナライザーで定量した。最大の値を100として表した。 / 図7 トランスジェニック植物におけるAK活性 得られたトランスジェニック植物の葉におけるAK活性を測定した。 / 図8 培養中のトランスジェニック植物 AK活性を抑制したアンチセンス植物で生長の遅延が認められた。
【結論】

 アデニンヌクレオチド代謝におけるホメオスタシスの維持は、激しく変動する環境下で植物が生育する上で、不可欠であると考えられる。本研究で注目したアデニレートキナーゼは、AMP、ADP、ATP間の反応を触媒し、アデニンヌクレオチドのバランス制御に重要な役割を果たしている。本研究では、以下の事を明らかにした。

 I.イネ(Oryza sativa)から2種類の7デニレートキナーゼ遺伝子(Adk-a,Adk-b)を単離した。大腸菌内で発現させたAK-a,AK-bは基質特異性、基質ホモログによる反応阻害度等において、類似の生化学的性質を有していた。

 II.アデニレートキナーゼタンパク質はイネ植物体において、主に維管束組織に、また、細胞内ではサイトゾル画分に主に分布していた。

 III.アデニレートキナーゼ活性が、浸透圧、温度、冠水等、種々の外的ストレスによって上昇することを明らかにした。また、アデニレートキナーゼの発現パターンが解糖系、アルコール発酵系の遺伝子群と協調的であることを明らかにした。

 IV.アデニレートキナーゼ活性を抑制したトランスジェニック植物で生育の阻害が認められ、アデニレートキナーゼが植物の生長に不可欠であることを明らかにした。

審査要旨

 本論文は4章からなり、第1章はイネアデニレートキナーゼ遺伝子の特徴と生物活性、第2章はアデニレートキナーゼタンパク質の細胞内局在、第3章では環境ストレス条件下における発現応答について、さらに第4章ではトランスジェニック植物を作成し、アデニレートキナーゼの発現量と植物の生長に密接な関係のあることが述べられている。

 論文提出者は、植物の環境ストレス応答におけるアデニンヌクレオチド-ホメオスタシスを解析する目的で、ATP+AMP⇔2ADPの反応を触媒するアデニレートキナーゼ(EC2.7.4.3)に注目した。当酵素はアデニンヌクレオチド代謝経路におけるキー酵素の一つである。しかしながら植物においては、本タンパク質の生理的機能はもとより、遺伝子構造や発現調節に関する解析は、これまで行なわれていなかった。論文提出者は、イネ(Oryza sativa L.)からアデニレートキナーゼをコードする2種類のcDNA(Adk-a,Adk-b)を単離し、以下の研究を行った。

 第1章においては、単離されたアデニレートキナーゼ遺伝子の構造と生化学的特徴について述べている。クローン化された2種類のイネアデニレートキナーゼのcDNA(Adk-a,Adk-b)は、各々241アミノ酸、243アミノ酸をコードするオープンリーディングフレームを有しており、塩基レベルで73.7%の相同性を示した。次に、pET発現ベクターにAdk-a、Adk-bのコーディング領域を組み込み、大腸菌内で発現させた後、AK-a、AK-bタンパク質を精製した。これらを用いて基質特異性を調べたところ、リン酸基の受容体としてはAMPへの特異性が非常に高いが、リン酸基の供与体としてはATPのみでなく、他のヌクレオシド3リン酸もわずかに利用できることが明らかとなった。また、様々なpH溶液の処理による失活度の検定、基質アナログ(Ap5A)による反応阻害実験は、両酵素タンパク質が類似の生化学的性質を有する事を示した。

 第2章ではアデニレートキナーゼの組織、及び細胞内におけるタンパク質の局在について述べている。まずイネ培養細胞の抽出物を細胞分画し、各フラクションをアデニレートキナーゼの活性測定に供した。その結果、サイトゾルが主である100,000xg上清に高い活性が測定された。さらに、本タンパク質に対するポリクローナル抗体を作成し、ティッシュプリント解析を行った結果、本タンパク質が主に維管束組織に存在する事を明らかにした。

 第3章では環境ストレスとアデニレートキナーゼの発現応答について述べている。イネが特に水環境に適応した植物である事から、冠水処理とアデニレートキナーゼの発現応答の関係を明らかにする目的で実験を行なった。イネ芽生えを冠水処理する事により、根の伸長阻害、子葉鞘の伸長等が認められ、この時アデニレートキナーゼの活性上昇が全ての器官で認められた。さらに、冠水処理によるアデニレートキナーゼのmRNAの蓄積パターンは、アルコールデヒドロゲナーゼ等の嫌気誘導性の遺伝子群と類似の発現パターンを示し、転写のレベルで発現誘導を受けていることを示した。

 第4章ではトランスジェニック個体における生長阻害について述べている。論文提出者はアデニレートキナーゼの発現量と植物生長の関係を解析する為、CaMVの35Sプロモーターの下流にアデニレートキナーゼcDNAをセンス、又はアンチセンス方向に連結し、エレクトロポレーション法によってイネのプロトプラストに導入した。その結果、再分化個体の葉におけるアデニレートキナーゼ活性は、非形質転換体に対しセンス植物では約20%の増加、アンチセンス植物では50%の減少を示した。また、アデニレートキナーゼをセンス方向に組み込んだ植物では、非形質転換植物との間に際だった差異を示さなかったが、アンチセンス植物では生長の遅れ、穎果の発達不良等の生育阻害が見られ、アデニレートキナーゼが植物の発育、生長に重要であることを示唆した。

 本研究で注目したアデニレートキナーゼは、アデニンヌクレオチド代謝に重要な役割を果たしている。しかしながら、これまで植物においてはアデニンヌクレオチド代謝酵素群の解析は殆ど進んでいなかった。この研究は、植物におけるアデニレートキナーゼ遺伝子の初の単離例である。また、ストレス下におけるアデニレートキナーゼの発現上昇は、他の生物では報告されていない新しい知見である。これまで未知であった植物における同酵素の重要性を明らかにしたという点においてこの研究は高く評価でき、博士の学位を与えるに十分であると認められた。

 なお、本論文は内宮博文教授、加藤敦之氏、木藤新一郎氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

UTokyo Repositoryリンク