学位論文要旨



No 111037
著者(漢字) 彦坂,幸毅
著者(英字)
著者(カナ) ヒコサカ,コウキ
標題(和) 窒素利用に着目したC3植物の光合成特性の解析
標題(洋)
報告番号 111037
報告番号 甲11037
学位授与日 1995.03.29
学位種別 課程博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 博理第2950号
研究科 理学系研究科
専攻 植物学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 渡辺,昭
 東京大学 教授 小池,勲夫
 東京大学 助教授 高橋,正征
 東京大学 助教授 池内,昌彦
 筑波大学 助教授 寺島,一郎
内容要旨 はじめに

 個葉の光合成能力(飽和光、大気条件下の最大光合成速度)は葉窒素含量と高い相関があることがよく知られている。この高い相関は葉の窒素含量の半分以上が葉緑体タンパク質の窒素によって占められていることによる。これらのことは、個葉の光合成を経済学的な観点で考えたときに、窒素をコスト、光合成を利得とみなすことができることを示唆している。経済学的な視点は現在の生態学において不可欠であり、生物の様々な適応的なふるまいが経済学的な解析を通して明らかにされてきた。植物の成長や光合成を対象とした研究でも、環境条件に依存した窒素含量や光合成能力の変化に、物質生産において何らかのメリットがあるということが示されてきた。

 しかし、研究が積み重なるにつれ、光合成能力と窒素含量の関係が、種間、あるいは種内でも条件によって著しく異なることが示されてきた。窒素含量の変化に伴う光合成能力の変化を窒素投資の"量的"変化の結果ととらえれば、この窒素量あたりの光合成能力の変化は、何らかの"質的"変化の結果であることが期待される。本研究ではこの光合成能力と窒素含量の関係が異なることについて、その原因と、特に生態学的意義に重点を置いて調べた。

1光合成系の順化における窒素利用の工夫とその意義1-1光合成系の光順化のシミュレーションモデル

 葉の窒素含量は生育時の窒素供給量や光条件によって大きく変化する。しかし、窒素量あたりの光合成能力は条件によって異なることがあることが示されていた。そしてこの違いは葉緑体のタンパク質の組成比が異なることによることがわかっていたが、その変化による具体的なメリットが何であるかはあまり議論されていなかった。そこで、これらの変化が窒素を効率的に利用し、一日の光合成量を高めるための工夫であるという仮説を立て、モデルを作り、検証を試みた。モデルでは、光-光合成曲線を初期勾配と光合成能力の二つのパラメータで表し、さらに光合成系のタンパク質をその機能によってグループ分けをした。そして、ある一定の葉緑体の窒素を光合成能力を増すためのタンパク質(カルビン回路酵素、ATP合成酵素、電子伝達系構成要素)に投資するか、初期勾配を高めるために光化学系のタンパク質に投資するかをパラメータとして自由に変えることができるようにした。シミュレーションの結果求められた一日の光合成効率を最大にする最遍なタンパク質の分配は、光条件によって大きく異なった。予測された変化は現実に知られている変化と定性的に一致し、強光条件では光合成能力に関係したタンパク質が相対的に多く、弱光条件では光化学系が多かった。同じ窒素含量でタンパク質分配の光合成量を比べてみると、光強度6%での最適分配を実現している葉の、快晴時の一日の光合成量は、快晴時での最適分配をしている葉の光合成量より40%も低く、窒素分配の変化が物質生産の点で大きな意味を持つことが示された。

1-2陰生植物と陽生植物の光順化における窒素分配の変化とその適応性

 次に、5種類の光条件で植物を育て、その光合成系におけるタンパク質組成を測定し、シミュレーションの結果と比較し、実際の植物がどれだけ最適に近づけるかを調べた。材料には、数少ない生化学的および分光学的測定の容易な野生植物である、陽生植物のシロザと陰生植物のクワズイモを選んだ。RuBPCase、チトクロムf、光化学系I、IIなどの量を測定し、光合成系のタンパク質がどのように分配されているかを調べてみると、モデルによる予測通り強光条件ほどRuBPCaseの割合が高く、弱光条件ほど光化学系タンパク質の割合が多かった。同じ光条件で比較すると5%光強度区を除き両種の窒素分配に大きな違いはなかった。各種、各光条件の光合成タンパク質分配を、モデルで予測された最適分配と比較すると、5%光強度区のシロザ以外はほぼ最適に近い分配を実現していた。

1-3光合成タンパク質分配に対する光と葉齢の影響

 1-2の研究も含め、葉の光順化についての多くの研究は若い葉を対象として行われてきた。一方、葉の老化の研究では、光合成タンパク質の組成比が葉齢が進むとともに変化するという報告は多くあった。しかし、一般的な草本植物の葉は、上部に新しい葉が続々と展開するため、葉齢が進むとともに光条件が悪くなる。したがって、この組成比変化が葉齢の影響によるのか弱光条件への順化なのかはわかっていなかった。そこで、つる植物セイヨウアサガオを水平に這わせ、葉の相互被陰がおきないように育てる実験系を用いて光合成系タンパク質の組成比変化の原因を調べた。栄養条件、光条件、葉齢が異なる葉の様々な光合成系タンパク質の組成比を調べてみると、これらの組成比は光条件に対して大きく変化し、窒素条件に対してもいくつかのタンパク質の組成が変化したが、葉齢に依存した組成変化は見られなかった。これらのことから、光条件の影響に比べ、葉齢の影響は小さいことが明らかになった。

2光合成の窒素利用効率の種間差2-1草本植物と常緑木本植物の光合成特性と窒素利用効率

 光合成の窒素利用効率、つまり窒素量あたりの光合成能力は種によって大きく異なる。特に、常緑木本植物の葉の窒素利用効率は草本植物のわずか4割程度であることが知られている。このような違いをもたらす原因としていくつか仮説が提示されてはいたが、定量的な研究が乏しく、窒素利用効率の種間差が何によってもたらされているのかについては未だ明らかではない。本研究では材料として、草本植物シロザ、エゾノギシギシ、常緑木本植物シラカシ、イズセンリョウを選び、そのRuBPCase含量とガス交換特性を調べた。窒素含量あたりのRuBPCase量は木本植物で有意に低かったものの、草本植物との量的な差は、特にシラカシで小さく、葉内、もしくは葉緑体内の窒素分配は窒素利用効率の差にはそれほど貢献していないことがわかった。一方RuBPCaseあたりの光合成能力には大きな違いが認められた。この差は基質であるCO2の濃度が葉緑体内において低いことが原因であると推察された。CO2は大気から気孔を通って細胞間隙に入り、細胞壁、細胞膜などを通過して葉緑体内に拡散する。この経路のいずれかで拡散抵抗が大きければ葉緑体内のCO2濃度は低くなるはずである。まず、気孔抵抗を調べたが、種によって値は異なったものの窒素利用効率の差にはほとんど貢献していなかった。一方、葉内細胞間隙CO2濃度(Ci)-光合成曲線の初期勾配をRuBPCase量で割った値(この値は、あるCiでの、RuBPCaseあたりの光合成速度に相当する)は木本植物で低く、細胞間隙から葉緑体までのCO2拡散抵抗が大きいことが主要因であることが示唆された。

2-2木本植物と草本植物の光合成特性と解剖学的特性

 本実験ではさらに細胞間隙から葉緑体までのCO2拡散抵抗の種間差の原因を明らかにすることを試みた。RuBPCaseあたりの光合成能力と葉面積あたりの乾燥重量とが負の相関を示すことから、葉内の形態学的特性が何らかの影響を持つと考えた。そこで、材料を7種に増やし、葉の光合成特性とその解剖学的特性を比較した。その結果、RuBPCaseあたりの光合成能力を葉の厚さ(正確には細胞間隙の長さ。両面に気孔がある種ではさらに2で割った)と細胞壁の厚さに対して重回帰してみると非常に高い相関を示した。厚い葉ではCO2拡散経路が長くなるために、細胞壁が厚い葉では液相での拡散経路が長いため(液相中のCO2拡散係数は気相中の1/10000である)に、葉内のCO2拡散が悪いと考えられる。解剖学的な特性の違いは、葉の構造的安定性と密接な関連があると考えられ、常緑木本植物では、光合成の効率を犠牲にして葉を丈夫にしていると推察できる。

おわりに

 1-2や2-1で示したように、光合成系のタンパク質分配は光合成の窒素利用効率の種間差に対する影響は小さいと考えられる。しかし、光条件が変化したときにはタンパク質分配は著しく変化し、しかもその変化によるメリットは非常に大きい。また、野外では限られた環境でしか生育していないシロザ、クワズイモが広範囲の光条件で比較的理想的にタンパク質を分配できることから、タンパク質分配が植物にとって普遍的な性質であると推察される。

 一方、光合成の窒素利用効率の種間差は葉の解剖学的性質と高い相関を示し、葉内のCO2拡散がその主要因であることが示唆された。本研究で示した解剖学的特性の違いにどのような意味があるかはまだ研究の余地があるが、草本、落葉木本、常緑木本と葉の寿命が長い植物ほど細胞壁が厚い傾向にあることから、寿命を保つために必要な特徴と考えられる。葉の寿命と光合成能力に負の相関があることは、種の多様性の観点から着目されており、本研究はその因果関係を示唆した点でも意義あるものと思われる。

審査要旨

 本論文は2部5章からなり、C3植物における光合成と窒素の関係を生態学的観点から解析し、その結果について述べている。

 第1部では、光環境による光合成系タンパク質の組成比変化についてその適応的意義の研究を行った。光条件の変化によって光合成タンパク質の組成比変化が起こることは古くから知られており、光合成系タンパク質に含まれる窒素が葉の窒素の大半を占めるため、植物の窒素利用の点から注目されている。しかし、その変化が植物の成長や物質生産にとってどのような意味を持ち、どれだけ大きな影響を与えるかということについては、解明が進んでいなかった。第1章では、異なる光条件においておこる光合成系タンパク質の組成比変化が、物質生産に与える影響を定量的に予測するためのシミュレーションモデルを構築し、その理論的裏付けについて述べている。第2章では、現実の植物(陽生植物シロザ、陰生植物クワズイモ)を種々の光条件下で成育させたときに、それぞれが示すタンパク質組成比変化と、第1章のモデルによって予測された最適な組成比とを比較し、モデルの有効性を実証するとともに、両種の植物が広範囲の光環境において最適に近い組成比を実現することができることを明らかにした。また、葉の老化も光合成系タンパク質の組成比に影響を与えるが、光条件が老化の進行を大きく左右するため、個々の葉でそのどちらが光合成系タンパク質の組成を決める主要な要因であるか、議論の別れるところであった。第3章では水平に這わせて個葉の相互被陰をなくしたつる植物を用いて、個々の葉の成育光条件を独立にコントロールして葉齢と成育光条件の影響を切り離して解析することに成功している。その解析の結果、タンパク質組成比は直接は葉齢の影響を受けず、主に光条件の影響によって変化することを明らかにした。以上の結果から、光合成タンパク質の組成比変化は現実の植物において可塑的であり、また、厳密に調節されていることを示した。

 第2部では、窒素含量と光合成能力との相関における種間差について解析している。葉の窒素含量と光合成能力との間には高い相関が認められるが、その回帰直線の傾きは種によって大きく異なることが知られている。また、草本植物では窒素あたりの光合成能力が高く、木本植物では低いことが知られている。第4章では木本植物と草本植物の窒素あたりの光合成能力の違いがどのような生理学的違いにもたらされているかを解析した。その結果、光合成速度の律速段階であるリブロース二リン酸カルボキシラーゼあたりの光合成能力が木本植物で有意に低いことを明らかにした。そして、この酵素あたりの光合成能力の低さは、葉内の二酸化炭素拡散が悪いことに起因していることを示した。第5章では解剖学的観察を行い、葉肉細胞の細胞壁が厚い、もしくは厚い葉では二酸化炭素拡散が悪くなることを示唆した。さらに、木本植物では細胞壁を厚くすることによって光合成の効率を犠牲にして葉の強度を増し、草本植物では葉の強度を犠牲にして光合成の効率を高くしているという戦略を選んでいると考察している。

 本論文は第3章を除いて、全て寺島一郎氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって研究を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。

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