本論文はニンジン(Daucus carota L.cv.US-Harumakigosun)の不定胚発生に伴う遺伝子の発現制御機構を解明することを目的として、rolC遺伝子プロモーターの遺伝子発現領域、及び発現領域に結合するDNA結合タンパク質について述べられている。 論文提出者は、高頻度かつ同調的に不定胚形成を誘導可能であることから、培養細胞における胚発生のモデル系として用いられているニンジンの不定胚誘導系に注目をし、解析を行っている。不定胚誘導後、発現が上昇するAgrobacterium rhizogenesのRiプラスミドに存在するrolC遺伝子プロモーター(転写開始点から5’上流域約-850bp)を用い、以下の研究を行った。 まず、rolC遺伝子プロモーターとuidA遺伝子(-グルクロニダーゼ)とを連結したキメラ遺伝子をニンジンに導入し、rolCプロモーターの発現と不定胚発生との関係のより詳細な解析を行った。ニンジンの不定胚発生には通常、2,4-D存在下で維持しているカルスのうち、メッシュサイズ37-106mの小さな細胞群、即ち、PEMs(proembryogenic masses)を用いる。これを2,4-Dを除去した培地で培養することにより、球状胚、ハート型胚、魚雷型胚と発生は進行する。rolCプロモーターの発現活性の上昇は、PEMsから球状胚、球状胚からハート型胚が形成される過程で為されることを、及び不定胚発生の進行に依存していることを明らかにした。この様なプロモーターの活性化をSERA(Somati-Embryogenesis-Related Activation)と以下呼ぶ。 次に、論文提出者はSERAを制御するrolCプロモーターのシス領域に述べている。まず、rolCプロモーターの5’上流域欠失プロモーターを用いた解析より、SERAを担うシス領域は、-255bpより転写開始点側に存在することを示した。そこで、-255bpより5’上流域を残し、転写開始点側を中間欠失させたプロモーターを作製し、これらの不定胚の発生段階における発現パターンを解析した。その結果、最も欠失領域の大きい-255bpより+2bpを欠失させた場合においても、SERAは認められたことから、SERAを制御するシス領域は、-255bpより5’上流側と転写開始点側の2つの領域、もしくは+2bpから+23bpの領域のみであると推察された。そこで、rolCプロモーター領域とCaMV35Sのコア領域(-90bp/+6bp)とを組み合せた融合プロモーターを用い、解析を行った。その結果、rolCプロモーターの-848bpから-94bpを35Sコア領域の上流に組み込んだ場合、SERAが検出され、+2bpから+23bpにのみ存在する可能性を排除した。一方、-255bpから-94bp、または-848bpから-255bpの領域を35Sコア領域の上流に組み込んだ場合、SERAが認められなかった。以上の結果より、SERAの制御にはrolCプロモーター上の複数の領域が関与している事を示した。 更に、論文提出者は、SERAが検出された最小領域である-255bpから転写開始点側を含む領域に注目し、この領域への不定胚の発生段階由来の粗核抽出物のDNA結合活性をゲルシフト法により解析した。PEMs、球状胚においてDNA結合活性の低下が認められるAII、CI、Na、Nb、Nc、球状胚で最も高い活性を示すBI、及び明瞭な規則性を示さないAIsを検出した。これらの結果より、不定胚発生の進行には複数の異なるDNA結合因子が関与することを示唆した。rolCプロモーターへのDNA結合因子のうちBIは、球状胚で最大の活性を示し、本プロモーターの発現活性と正の相関を有するので、更に解析を行った。DNase Iフットプリント分析、合成オリゴヌクレオチドを用いた競合実験、及び合成オリゴヌクレオチドをプローブとして用いたゲルシフト解析の結果、BI因子は-217bpから-174bp(領域B-1)と-120bpから-93bp(領域B-3)に結合することを示した。領域B-1とB-3には共通配列TAATA/TANTAAが存在すること、同様の配列がrolCプロモーターの-255bpよりも5’上流側の-728bpから-719bpにも存在することを見い出した。以上の結果は、シス領域の解析結果、即ち「SERAのシス領域は、-255bpより5’上流側と転写開始点側の少なくとも2つの領域に存在している」と矛盾せず、これらの配列がrolCプロモーターの発現制御に関与しうることを示した。 本研究で行ったSERAを担う発現調節領域を形質転換体を用いて検討した報告は無く、不定胚における遺伝子発現を制御するシス領域の存在様式に関する初めての知見である。更に、各発生段階の不定胚を分離する極めて高度な方法を解析に適応することにより、不定胚発生過程に伴う遺伝子発現機構に関し新しい知見を見い出した点において、この研究は高く評価でき、博士の学位を与えるに十分であると認められた。 なお、本論文の一部は内宮博文氏、及び横山隆亮氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。 |